ついに‘貴公子’が帰ってくる! 彼は僕の恩人だ《週刊READING LIFE Vol.144 一度はこの人に会ってほしい!》
2021/10/25/公開
記事:後藤 修(READINGLIFE編集部ライターズクラブ)
僕は野球が好きだ。
小学生の頃に、少年野球に入った。
それから、野球を経験し好きになった。
そして、プロ野球を観るようになり、野球観戦が大好きになった。
応援するチームは地元の中日ドラゴンズだ。
さて、今年の中日は成績が芳しくない。ピッチャーの防御率(相手チームに得点されない
割合)はプロ野球12球団あるチームでトップだ。しかし、バッターの平均打率(全バッターの打つ割合)が12球団でビリだ。こんな状態だから、所属するセントラルリーグ6チーム中5位(令和3.10.17)という下位にいる。
このような弱くなってしまったチーム立て直すために‘あの男’が帰ってくることになった。
その男は立浪和義。プロ野球ファンなら知らない人はいない。
中日ドラゴンズに22年間、所属して大活躍した‘ミスタードラゴンズ’だ。
そして、‘貴公子’とも呼ばれる華やかな人である。
そのミスタードラゴンズがいよいよ中日の監督に招聘されたのだ。
この立浪和義氏について話すと次の来歴を持っている。
1985年に当時、野球の名門高校だったPL学園高校に進学し野球部に入部。
そのチームには当時、2つ上に高校野球界のスーパースターで後にプロ野球で大活躍する
桑田真澄や清原和博が所属していた。
そんな強者達がいる集団の中で、厳しい練習に耐え抜きレギュラーをつかんだ。
そして、高校3年にはキャプテンとして甲子園に出場して、春と夏の大会にチームを優勝に導く大活躍をした。
まさに、野球のエリートだ。
そんなエリートの彼はその年の秋に、中日ドラゴンズを当時率いていたプロ野球界の‘燃える男’、星野仙一監督にドラフト1位で指名されプロ野球の一歩を踏み出した。
1年目に、彼を星野監督は野球でも花形の守備位置、ショートに抜擢した。これは高卒ルーキーでは例がないことだった。それに彼は応えた。130試合という長丁場のシーズンの
ほとんどに出場した。
彼は凄かった。
誰もそのボールは捕れないんじゃないかという打球を華麗に捕る。そして、グラウンドを駆け回る姿はまさに源氏の武将、‘源義経’を彷彿とするような颯爽感があり、躍動するように走る。彼の1つ1つのプレーにドラゴンズファンならず、たくさんの野球ファンが魅了された。
さらに、その端正な顔立ちはアイドルにも負けない格好よさがあり、
女子の人気もとても高かった。
その年、中日ドラゴンズは強く優勝した。立浪氏も優勝に貢献して、かつ高卒1年目で‘新人王’という快挙を達成したのだ。
翌年の2年目は、右肩を痛めて試合にほとんど出場できなかったが、
3年目以降は不動のレギュラーとして16年に渡って活躍。
中でも、1994年の10月8日の読売ジャイアンツとの最終決戦で勝てば勝った方が優勝という試合。中日は負けてしまったが、彼のプレーは凄まじかった。
試合の後半で、打席に立った彼はボールを打ち損じてしまった。が、セーフになろうと果敢に一塁へヘッドスライディング。打ち所が悪く、彼は右肩を脱臼してベンチに下がっていったが、あの闘志あふれる気迫はファンの中では今でも語り草になっている。
そして、レギュラーから外れた後は‘代打の切り札’として4年間、活躍。その年に現役選手を引退した。
通算のヒット数は2480安打。これはプロ野球史上8位の記録だ。
立浪氏が選手だった時、僕は特に熱心にドラゴンズを応援していた。
家へ帰ってくると、すぐにテレビをつけて、野球中継を観た。
中日ドラゴンズの試合を夢中になって観た。
特に、立浪選手がヒットを打った試合、ホームランを打った試合は格別な気分になった。
「いいぞ、中日! いいぞ、立浪!」
1人で盛り上がり、声を出して応援していた。
時には、チームの本拠地である球場に行って応援しに行った。
試合が始まる3時間ぐらい前に現地に行った。試合が始まるまでの間、一緒に行った友達と球場にある売店でホットドッグやフライドポテトを買った。それらをほおばりながら球場が開門されるのを待った。
「今日はどんな試合になるかな……楽しみだな!」
友達とそんな会話を交わしながら。
開門されたら、僕らはダッシュして熱狂的なファンが陣取るライトスタンドの席に座った。
たくさんの選手が練習している風景の中で、目が留まるのは立浪選手の様子だった。
彼の様子は、他の選手以上の品があり格好良かった。
打つ練習の時も、その格好いい顔で真剣な表情でボールを打つ。
そして素早い動きでボールを捕る。まさに‘グラウンドの貴公子’だった。
そんな貴公子がホームランを打つ、華麗なプレーを繰り広げる。
テレビでは味わえないライブの熱い感覚を持って、立浪を追いかけた。
‘いいぞ、立浪!’
‘カッコイイ,立浪!’
そんな声をファンも僕も出しながら応援してきた。
何度も彼のプレーと活躍を観て楽しませてもらったのだ。
僕は‘立浪次期監督’と直接お会いしたことはない。まして、話したことも
ない。しかし、10年前に‘間接的’に支えていただいたことがあった。
僕にとっては、彼は恩人だったのだ。
これは10年前のことだ。
僕は現在、勤めている会社で‘ブラックな時期’を送っていた。
その時、僕は体が硬直してしまう症状を抱えてしまう体調不良の状態だった。また、全く自分が希望しない部署で望まない仕事をしていた。そして、様々な誤解と仕事ができない現実から同僚から白い目で見られ、仲間から外され、陰口をたたかれてしまう立場だった。
僕はそんなやるせなさを持って精神的にも身体的にもしんどい毎日を送っていた。
もう嫌だ。
明日、会社へ行きたくない。
彼らの顔なんて見たくない。
もうたくさんだ!
絶望的な気持ちを感じながら過ごしていたのだ。
そんなある日のこと。いつもように、仕事を終えて沈んだ気持ちでコンビニに立ち寄った。
そこで、目をしたものは次の雑誌だった。
「悩みを力に変えるテクニック 『気持ちの切り替えがうまい人』の習慣」
≪PHP編集部≫
耐えがたき毎日を送っていた僕にとっては、この本は僕を救ってくれるのではないかと感じ迷わず買った。
この本には各業界で活躍されている方々が気持ちが沈んだり、落ち込んだりした時にどのような考え方をしていけばよいかをインタビュー形式で取材されていた。それらがまとめられていたものだった。その中で立浪和義氏が載っていたのだ。
僕はその内容を読んだ。そこで次の事を知ったのだ。
立浪氏がレギュラーを他の選手に奪われた時期、まだまだ彼は出来る思いが強く、悔しさ
がいつもあった。さらに、代打専門の‘代打要員’に甘んじてますます葛藤を強く感じ続けていた。でも、そんな思いを吹き飛ばしてくれたのは、ファンの存在だったと。
彼が代打で出ると、毎回大歓声と拍手で迎えてくれる。
モヤモヤした気持ちを持って打席に立ってプレーするのはファンを裏切ることになる。
そして、気持ちを切り替えてプレーしようと思い、一生懸命なることが再び出来るようになったと語っていた。
さらに、ファン以外の支えている方々に改めて感謝しなければならないことも気づいたと。
具体的には、トレーナーやバッティングピッチャー、スコアラーのチームを支えてくれる
人達。このような人達が自分を支えてくれているから、野球が出来るのだと再認識して
当時、頑張って乗り越えられたと話していた。
また、現役時代にはバットに‘氣’と書いて、1打席、1打席、気持ちを入れ直していたとも載っていた。たとえ結果がすぐ出なくても、目標に向かってコツコツやれば必ず道は開けるものだという言葉で締めくくっていた。
僕は意外に思った。
彼が現役時代にそんな大きな挫折を感じていたとは。
甘いマスクでどの選手よりも目立っていた。誰もが羨む野球センスでファンを惹きつけ
素晴らしいプレーを披露していた。そして、プロ野球で2000本のヒットを打ち、一流のプロ野球選手と認められる名球会に入っている彼が。
誰もが感じる葛藤や悩みを抱えていたことが僕には信じられなかった。
だから、僕はこう思えた。
あのミスタードラゴンズだった立浪和義氏が一般人と同じ悩みを抱えるならば
自分と一緒だ。自分も立浪和義氏と同じように、気持ちを入れ直して頑張っていくしかないと心を入れ替えようと誓った。
それからの僕は変身した。
今の境遇を嘆くのではなく、自分を変える期間だと言い聞かせて過ごした。
仕事の時は、嫌な気持ちを感じながらでも、担当している仕事を大切に丁寧にこなした。
対人関係においても普段関わる同僚に対して、配慮することに重点を置きコミュニケーションをした。また、礼儀を大切にどんな人にでも答えやすいような質問を考えるなどして誠実な行動に努めた。
そんな期間を1年半過ごしたある日、僕に人事異動が出た。
ついに、所属していた職場を離れることが出来たのだ。僕が希望していた部署に移ることが出来た。僕がこのような結果を得られた理由として、立浪和義氏が語っていたことを実践できたおかげと言える。
まさに恩人だった。
そんな僕の‘恩人’の1人ともいうべき、立浪和義氏がついに中日の監督になる。
このニュースを聞いて、僕はワクワクが止まらなかった。
あのミスタードラゴンズが、僕らファンを楽しませ、喜ばせてくれたあの彼が。
そして、僕の背中を押してくれた彼が。
まさに真打ち登場だ。
地元の中日ドラゴンズを応援する番組で、ある解説者が言っていた。
立浪氏が監督になるにあたって、
「ようやく来たね、この時が。これで、名古屋は盛り上がるよ!」
本当にそうだ。待ちに待っていた。この時を。低迷している中日ドラゴンズを復活させることができるのはこの人しかいないだろう。
レギュラーだったあの華々しい活躍したあの格好いい姿、聞けば誰もが納得するような野球理論。そして、代打専門となった時でも、ファンの応援を背に‘人間力’を磨いてきた器量。
すべてを兼ね備えてついにグラウンドに帰ってくる!
おそらく、野球シーズンは長いので、チームが負け続けることもあるだろう。
采配に非難されることもあるだろう。けど、そんな時こそ‘粘り強く戦う姿勢を出して
チームを鼓舞するはずだ。そう、僕を間接的に叱咤激励してくれたように。
こんな魅力ある立浪和義氏。来年は、名古屋にある野球場、バンテリンドームに行けば
会えるのだ。
野球が好きな人はもちろん、野球を観ない人でもぜひ足を運んでほしい。
そして、球場から立浪氏を観てほしい。
間違いなく、どんな人よりもまばゆいオーラを出して、選手に指導をして、選手と一緒に
走って汗をかいているだろう。とてもさわやかに颯爽と。そして、選手のいい兄貴として。
そして、「立浪監督~」と言って手を振ってみたらどうだろう?
きっと、現役時代と変わらないニッコリ笑って手を振ってくれるに違いない。
さあ、来年は楽しみだ。今からでも中日ドラゴンズの試合を観に行く観戦の予定を立てなくっちゃな。
□ライターズプロフィール
後藤 修(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
愛知県出身。会社員として23年間勤務。2年前に今までの人生を振り返って
自分らしさを持ちながら生きることを決意し、コーチングを取得。
来たるべき時期に会社を退社して、コーチングを使い本来の自分を取り戻し、‘ありたい自分’で生きていきたい人を支援する活動する計画を着々と進めている。
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