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週刊READING LIFE vol.145

十年のときを経て、東京のど真ん中で。《週刊READING LIFE Vol.145 きっと、また会える》


2021/11/01/公開
記事:篠田 龍太朗(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
インターネットやスマホの普及は、人々の価値観を変えた。
 
中でも一番変わったことといえば、「いつでも連絡がとれる」「つながることができる」ようになったことではないだろうか。
 
僕が幼かったころ、家には固定電話が一台あり、よく連絡をする人の電話番号を書いたメモ帳が受話器のそばに置いてあった。
 
いつしか、家の固定電話に「電話帳」機能が登場して、手書きのメモ帳は要らなくなった。
次はファックスがついたものに変わった。そしてケータイが普及した。今ではみんなスマホを持っている。僕は今年三十歳なのだが、この三十年の技術の進歩のスピードを考えると、少し恐ろしいとさえ思える。
 
通信手段が「電話と手紙」しかなかった、あのころ。
あのころから技術が進歩していなければ、絶対に会えなかった人がいる。

 

 

 

小学校4年生のとき、僕と一年だけ同じクラスだったカンダ君(仮名)。カンダ君は警察官の息子で、お父さんの転勤があって僕の小学校に転校してきた。
 
カンダ君の家は、できたばかりの新しい警察官舎だった。
 
背が高くて優しくてサッカーが得意なカンダ君はクラスの人気者で、よく友達みんなでカンダ君の家に行った。僕もピカピカなカンダ君の家が好きで、何度も遊びに行ったものだ。大人になった今でも、カンダ君の家の新しい畳の匂いを思い出せる。
カンダ君の家の押入れを開けたら、中からお父さんのエッチな本がたくさん落ちてきたというエピソードもある。子ども心に見てはいけないものを見た気がして、みんなで焦って片付けをした。そんなささいなことも、不思議とよく思い出せる。
 
そんなカンダ君は、たったの1年でいなくなってしまった。
 
転勤が多いのが、警察官のつとめである。
お父さんは違う街の警察署に転勤になるので、カンダ君一家もお父さんについて、また引っ越しをするのだそうだ。
 
ある年度末の終業式が近い日に、「カンダ君、転校になっちゃうね。」と母から聞いたとき、とても悲しかったのをよく覚えている。
 
そしてカンダ君は、どこかの街に行ってしまった。
僕はカンダ君の電話番号も住所も知らなかったので、もうカンダ君に会うことはない……。
 
はずだった。

 

 

 

それから、時は流れた。
 
関東の大学に進学して3年生になった僕は、説明会にエントリーシートの作成にOB訪問にと、就職活動に明けくれていた。
 
新宿、品川、銀座、六本木、渋谷。
東京の真ん中に出て、本音とも嘘ともつかない態度の大人たちとの、腹の探り合いみたいな会話を繰り返す日々。
大して成し遂げたこともないのに、キラキラとしたエピソードを盛り込んだ自己PRを考え、それを話す日々。
ネットで調べたこと以外、その会社のことを知らないのに、会って10分で「御社が第一志望です!」とか言わされる日々。
 
僕は確実に疲れていた。
周囲の同級生たちも、話題はといえば就活の話ばかりでほとほとうんざりしていた。
なんかこう、普通の人と普通の会話がしたかった。
 
そんなある日のことだった。
ぼーっとスマホを見ていて、息をのんだ。

 

 

 

確か渋谷に向かう電車の中。少しだけ「あっ」と声が漏れた記憶がある。

 

 

 

―「カンダ XXさんから、友達リクエストがきています」
 
フェイスブックで僕を見つけたカンダ君が、友達申請を出してきてくれたのだ!
転校したとはいえ、同じ県内にいたカンダ君の「友達の友達」が、多分僕の友達だったりしたのだろう。
 
警察官舎の外でドッジボールをして遊んだ思い出。
あのカンダ君の勉強机が置いてあった部屋の、新しい畳の匂い。
ゲーム機を取り出そうと押入れを開けた、あの日の事件。
 
なつかしい。
 
会ってみたい。
 
でも、そこで少し手が震えた。
 
―「カンダ君は、ぼくのことを覚えているのだろうか?」
―「会って、なんの話しをすればよいのだろうか?」
 
フェイスブックの、カンダ君のページをスクロールしていく。
 
 
カンダ君は、完全に「リア充」だった。
 
もともと高かった背はさらに伸びていたし、髪型も顔もかっこよくなっていた。
海外留学も経験し、英語も中国語もマスターしているみたいだった。日本はおろか、世界中に友だちがいるみたいだった。「誰とでも友達になれます」感が、画面越しでもひしひしと伝わってきた。
 
片や、僕はどうか?
 
中学、高校とどんどん友達をなくしていった僕。
大学生になって、少しは一緒に遊べる人というものができたが、なぜだかその人たちが「本当の友達だ」という感情はあまり持てなかった。もちろん彼女も、一緒に遊ぶ女の子もいなかった。
 
そんな二人が会って、会話が成立するのだろうか?
気まずい感じで終わるんじゃないだろうか?

 

 

 

どうしよう。
 
「えい!」
迷った末、「承認」ボタンを押した。
 
そして、メッセージを打った。
 
友達申請への感謝を述べつつ、自分はいま関東に住んでいること。
カンダ君も東京に住んでいるようだったので、今度ご飯にでもかいかないか? というようなこと。
 
こんなことを、小学4年のあのころなら絶対につかわないはずの、ですます調の文体のメッセージで、ドキドキしながら打った。
 
メッセージの送信が終わると、2月の寒い時期だというのに、手から汗が滲んでいた。

 

 

 

カンダ君からの返事は早かった。
彼も東京に住んで、いま就活をしているという。
 
あっという間に予定を合わせようという話しになり、次の週の夜、渋谷の居酒屋で会うことになった。
 
2014年、3月の始めの肌寒い日。吐く息も白い。
かじかんだ手をこすりながら、コートを脱いで店内に入る。
 
予約した居酒屋の奥の席に、カンダ君はいた。
 
……やっぱ、格好いいな。
 
カンダ君にはフェイスブックで見た通りのオーラがあった。
 
カンダ君は、当時僕がいちばん苦手にしていた、自信満々でスポーツが得意そうなイケメンタイプの人だった。
 
心がぎゅうっとなりながら、舐められないように、一生懸命話しをした。賑やかな居酒屋で満員だったから、たぶんいつもより声を張って、話をしたんだと思う。
こういうタイプの人は、舐められると終わりなんじゃないかという気がしたから。
 
だが話してみると、カンダ君は小学4年生のあのころとまったく変わらない、気さくで優しいお兄ちゃんだった。
 
ひとしきり近況の話しをした後、小学校の同級生の話で盛り上がった。
山陰の片田舎で1年だけ一緒に過ごして、連絡先も交換せずに離れ離れになった二人が、東京のど真ん中で一緒に飲んでいるのは小さな奇跡だと思った。本当に楽しい時間だった。
 
そして、カンダ君の話は想像をはるかに超えてすごかった。
 
何でも、彼は「将来、政治家になりたい」のだという。政治家になって、若い人たちが生き生きと活躍できる日本をつくりたいんだという。
そして、政治家になるためには地盤や地域の人脈づくりが大事だから、地元の銀行が就職の第一志望なのだという。銀行でバリバリ頑張って、いつか選挙に出馬したいのだという。
しかも、これからはもっとグローバルな世の中になるから、その潮流に乗り遅れないために、英語も中国語も話せるようになったのだという。
 
おおかたこんなことを、彼はまっすぐな目で話してくれた。
カンダ君はただの友達が多いリア充ではなかった。この十年の間に、彼は志に満ちた、とんでもなく立派な男に成長していたのである。
 
対する僕なんて、並みの大学生でしかなかった。
普通の学校生活の話や就活の話しかできなかったけど、就活で毎日初対面の人と話していたことで、カンダ君と何とか普通に話を続けることができた。
 
僕は初めて、就活を頑張って続けていてよかったと思えた。そして何より、「本当にやりたいことがある人」がいちばん格好いいんだということに気付けた。
 
カンダを別れた帰り道、ふとある思いが頭をよぎった。

 

 

 

僕は何でもいいから、誰かと本気で打ち込めるものが欲しかったんだ。
けれども、まだそれに出会えていないんだ。
 
その理由は、自分でもすぐにわかる。
本気で打ち込む努力も経験も、してきていないからだ。
「人生のハイライト」になりそうな成功体験も、一つももっていないからだ。
だから全部他人のせいにして、何となく面白くない日々を過ごしてきたからだ。
 
カンダ君の勇姿を目にして、せめてまずは目の前の就職活動を全力で頑張ってみよう、そう本気でそう思った。
カンダ君が、欺瞞とストレスに満ちた就活の毎日で挫けそうになっていた僕の心に火を灯してくれた。

 

 

 

カンダ君との出会いもあり、僕は何とか就職活動を乗り切ることができた。
カンダ君が、僕に最初の小さな成功体験をくれたといっても過言ではないかもしれない。

 

 

 

そんなカンダ君は、目標どおり地元の銀行に内定をもらって就職した。
就職してからは、新入社員の年の夏に一度だけ会った。彼は相変わらずエネルギーに満ちていて、やりたいことがたくさんあってたまらないみたいで、本当に楽しそうだった。
 
そんな彼とのLINEのやり取りを見返すと、最後のメッセージはカンダ君からの「また今度遊びに行くからねー」への、僕の「おう、待ってるわー!」という返事で終わっている。
そのあとの返事はない。

 

 

 

それから6年。
 
カンダ君は、持ち前の中国語のスキルを活かし、いまどうやら上海で仕事をしているらしい。最近、そういう内容のフェイスブックの投稿があった。
 
あれ以降、彼からは何の連絡はないが、きっと彼は持ち前のセンスとコミュニケーション能力で、中国でも楽しい毎日を過ごしていることだろう。
 
少し前なら、海外だって一っ飛びだった。上海なら、日本から3時間少々で着いてしまう距離だ。かつてはLCCを使えば、ほんの1~2万円で行けた場所でもあった。
 
でも、コロナ禍が世の中を変えた。
みんな、行きたい場所に行けない辛さや、会いたい人に会えない辛さを抱えながら頑張っている。
 
だけど、きっと、いつか会える。
僕も、あのときよりは成長した姿をカンダ君に見せながら、カンダ君と話ができる日を心待ちにしている。
あのときカンダ君と会えたから、今こうしてやりたいことを見つけて、元気に頑張っているんだって話ができればいいな。
 
そんなことを思いながら、つい最近のこと。
自分が全く写真を投稿しないので、普段見てもいないインスタのアカウント。
ふと自分のフォロワーページを開いてみたときのこと。
 
―「カンダ XXさんからフォローリクエストが届いています」

 

 

 

カンダ君は、ちゃんと僕にメッセージを発信してくれていた。

 

 

 

21世紀は本当にありがたい。再び離れ離れになっても、こうしたまた新しいツールでつながることができる。
住所も電話番号も、知らなくたっていい。
 
僕も承認ボタンを押しながら、笑顔で言った。
 
「きっと、また会おう!!」
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
篠田 龍太朗(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

鳥取の山中で生まれ育ち、関東での学生生活を経て安住の地・名古屋にたどり着いた人。幼少期から好きな「文章を書くこと」を突き詰めてやってみたくて、天狼院へ。ライティング・ゼミ平日コースを修了し、2021年10月からライターズ俱楽部に加入。
旅とグルメと温泉とサウナが好き。自分が面白いと思えることだけに囲まれて生きていきたい。

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2021-11-01 | Posted in 週刊READING LIFE vol.145

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