週刊READING LIFE vol.145

いつまでたってもあの人の前では幼い子供のままなのだ《週刊READING LIFE Vol.145 きっと、また会える》


2021/11/01/公開
記事:西元英恵(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
人生で一番の喪失感を挙げるとするなら、私にとってそれはやはり母の死だろう。
 
私がまだ27才だったころ、母は亡くなった。闘病生活を経て亡くなったのだから、心の準備期間をもらえたという点ではありがたく、ラッキーだったのかもしれない。しかし、自分をこの世に産み落としてくれた張本人が、この世から消え去るということは自分までもが確かな存在でなくなるのではと思えるくらい心許ない出来事だった。足元の砂がどんどん下に落ちていって立っていられないような心細さに襲われた。
 
母は異様に第6感めいたものが働く人だった。
私は実際に何度かそれに助けられた。
 
小学2年生の頃、自転車でそろばん教室に通っていた。
ある日、いくつか上の学年の子たちにからかわれた私は、自転車で逃げ去る彼女たちをこれまた自転車で追い掛けていた。しかもすぐそばにはトラックが走っていた。目の前を走っている子たちをつかまえる事しか頭になかった私は、視野がぐんと狭まっていた。
 
そろばん教室から自宅までの間にあるパン屋でパートとして働いていた母が、たまたま店の中からその姿を見つけドアをバンッと開けて出てくると「ハナエーッ!」と怒声を浴びせた。一瞬で我にかえった私は急ブレーキをかけ、事なきを得た。あのまま走っていたらトラックのタイヤに巻き込まれるような事故に合ってもおかしくなかったと思う。
 
もちろん、そのあと母には「そんな危険なことはしてはいけない。からかわれても、そんなのは放っておきなさい。死んだらどうするの!」とこっぴどく叱られたのは言うまでもない。パン屋も忙しい時間帯でレジが立て込んだり、調理の補助に入ったり……そんなこともあったのに、一瞬で走り去ろうとした私を見つけ、店を飛び出してきたことは偶然とはいえ神技にも見えた。
 
他にもいくつか母に瞬間的に助けられた経験をした。危険な場面で当たり前みたいにふっと目の前に現れる。母はほうきに乗って現れる魔女みたいだった。
 
また5年生の頃になると、同じクラスの友達と仲違いしたのをきっかけに、その子を取り巻くグループからシカトされるという悲しい事件が起きた。学校に行く足取りは重く、気持ちが沈んだ。様子がおかしいと気づいた母から問いただされた私は正直に話した。すると母は憤慨し、「学校に行って話す」と言い出したが、思春期に差し掛かろうとしていた私は、母が学校の出来事に介入してくるのが恥ずかしく、断った。母は納得がいかない様子だったが、「それなら手紙を書く」と言った。結局、母からの手紙が担任に渡り、担任の教師が間を取り持ってくれたことをきっかけに双方の誤解も解け、仲直りに至った。
 
今、思えば仲違いの原因の半分はこちらにもあったわけで、母が憤慨して敵意をむき出しにしたのは違うのかもしれない。しかし、子供の立場からしてみれば、あの時の対応をみて「何があっても母は私の味方だ」と絶対的信頼感につながったことは間違いない。
 
母は社交的で友人を作るのに苦労しないような明るい人だったが、家庭ではズボラな面もみせたり、自分の好きな趣味に没頭し過ぎたり、いわゆる「良妻賢母」というタイプではなかったかもしれない。
 
しかし、「母は私を愛していた、母は私の事が好きだ」そう疑いもなく思えるほどの愛情だけはしっかりと受け取った。太陽のような明るさで照らしてくれたり、大きな海で泳がせるような自由さをくれたり、時には毛布でくるんで温かさをくれた。スケールのデカい愛だった。
だからこそ母の死が与える喪失感がとてつもなく巨大なものとして私を襲ったのだった。
 
最初は「絶対、元気になって退院する!」と意気込んでいた母も、闘病生活が長引くにつれてその勢いは少しずつ失われているようだった。意外と肩がしっかりとしていつも颯爽と歩いていた母は、儚い少女のような空気をまとう感じになっていった。そんな時でも、母はいつも私や姉や父の事ばかりを心配した。
 
「ちゃんと食べてるの?」
「寒くなってきたから毛布出して寝なさいね」
「疲れるでしょう、毎日来なくてもいいんだからね」
 
きつい治療を受ける期間は吐き気や倦怠感に襲われ、会話もままならないほどに体調が落ち込んだが、その期間を終えると、また家族の心配をする母に戻った。
 
調子の良い日には、私が帰宅する時に一緒に病室を出てきてエレベーターまで送ってくれた。随分とやせ細った体にカーディガンを引っ掛けよたよたとゆっくり歩き、私が乗り込んだエレベーターの扉が閉まるまで満面の笑みで手を振った。母は最期まで『母』であろうとしていた。そんな姿がかえって切なく、病院を出ると張りつめていた緊張の糸が切れ、暗くなった駅までの道を我慢できずに嗚咽しながら歩いた。
 
もう、この時母には余命宣告がくだっていた。
少し前に2回目の手術をうけた母は、1回目とは比べ物にならないほど短時間で手術室から出てきた。思っていた以上に全体に転移し、なす術がなかったという。まったく予想していなかったわけではなかったが、現実を突きつけられ心臓がドクンと音をたてた。
担当医は優しく紳士的な方でいつも一生懸命母の治療にあたってくれていた。その担当医に余命を聞くと「長ければ1年くらいは……」と歯切れが悪かった。母との残された時間を1秒たりとも無駄にしたくない、という思いで真実が聞きたく、食い下がると「おそらく……あと3ヶ月」と言った。
涙は出なかった。私たち家族は妙な緊張感のなか戦闘モードに入ったのだ。
 
担当医との面談が終わり、だいたいのことを取り仕切ってくれていた4つ上の姉が言った。
「ねぇ。あんた、会社辞められる?」
残された時間を全て家族で埋め尽くしたい。もちろん私は承諾した。
次の日、早速上司に事情を話した私は引継ぎの期間を経て約1ヶ月後に会社を辞めた。
 
それからは姉と交替で母の病室に泊まり、付き添って看病した。
この頃になるともう固形の食べ物は食べられなくなっていたが、体調が良いと母はスイカジュースを欲しがった。スイカジュースとはスイカを潰して作る生のジュースだ。
病院の近くにあったデパ地下やスーパーでカットスイカを買ってくる。それを病室に置いてある茶こしに入れ上からスプーンで潰すという、手作り感満載のジュースなのだ。
 
母は声も次第にか細くなってきて、しゃべるのも辛そうだったが、このスイカジュースを飲んだ時だけは「あぁ、おいし……」と小さな声で感想を言った。痛む体をさすってあげることくらいしか出来なくなっていたこの時期に、母にスイカジュースをリクエストされることは心底ほっとしたし、何かしてあげられる喜びを噛みしめながら姉も私も茶こしの中で地味にスイカを潰した。
 
そして、とうとうその日はやってきた。
夜、交代で病室に姉がやってきたのと引き換えに、父と私は病室を後にした。父が運転する車がちょうど自宅に着いた頃、私の携帯が鳴った。着信音が緊急サイレンの音のように聞こえた。姉からだった。
 
「なんかね、看護師さんが、家族呼んだ方がいいかもって……」
にわかには信じがたかった。それは今夜が山ということなのだろうか。ついさっきバイバイしてきたばかりなのに。いや、本当のところ母はもうバイバイすら出来なかった。痛みから解放するために強い薬を打ってもらい、ほとんど眠っている状態だったのだから。
 
とにかく、病院へ急ごう。
もしかしたら、しばらく病院にいることになるかもしれない。準備を手早く済ませ、また家を出る。病院に行く道すがら、父と私の間には決意みたいな、哀しみみたいな、切なさみたいな何とも言えない空気が流れていた。
 
病室へ着くと、母はドラマでよく見るような心電図のモニターと酸素マスクをつけられていた。看護師がチェックのために病室を出たり入ったりしている。
窓の外はもう真っ暗で近くのビルのネオンが光っていた。病室の中はやけに静かで、そこだけピタリと時間がとまっているような、でも小川のせせらぎみたいにかすかに動いているような、外の世界とは完全に切り離された異空間のように感じた。
 
そこに母の妹も駆けつけ、4人で母の様子を見守った。母は酸素マスクの中で「はっ……はっ……」と短い呼吸を繰り返している。5~6時間が経過した頃だったろうか。心電図に明らかに動きがあった。素人にもわかるほど母の脈は弱ってきていた。
 
「先生、呼んできます」
看護師が慌ただしく病室を出て行った。あぁ、もう母の命の灯が消えようとしている。何かできることがあるわけでも無く、ただただ消えていく母の灯を見守ることしかできなかった。
 
その時、私の体にも異変が起きた。急に目の前の壁がぐわんと揺れ、自分の力では立っていられない眩暈のようなものに襲われた。母の死が、もう、すぐそこに近づいているという現実がどうしようもなく怖くなり、吐き気がした。私はよろよろと近くにあったパイプ椅子に腰かけ、呼吸を整えた。大きく息をつく。ダメだ、こんな事してる場合じゃない。母の死を見届けなくてどうする。何度かゆっくり呼吸をして自分に喝を入れ、私は再び母の近くに立った。
担当の先生が来てくれるまでの間がものすごく長く感じた。家族はもちろんそうだけど、母の死の瞬間をお世話になったあの信頼できる先生に絶対見届けてほしい。
 
先生がようやく病室に着いた時、母はまさにもうその命を終えようとしていた。
 
母は最後の呼吸、「はっ」と息を吸い込むとその後しーんと何も言わなくなった。
先生が体のいろんな部分を確認した後、家族に向かって静かに時刻を伝えた。
母は56才の生涯に幕を閉じた。
もちろん涙はじんわり湧いてきたが、ドラマのシーンみたいに「お母さーん!」と泣きながら抱きつくとか、そんなことは全く無かった。ただこの瞬間を家族全員で迎えられたことに対するある種の達成感と、苦しさから解放されて良かったという安堵の気持ち、私を生み育てた母がもうこの世を去ってしまったという悲しさや切なさなどがあった。しかし、それは決して嫌な感情ではなくむしろ温かい感傷のような気持ちだったかもしれない。
母にとっても家族にとっても長く辛い旅がひとつの終わりを迎えたのだから。
 
とはいえ、それから数年の間私は何度も泣いたし、喪失感と深く向き合うことになった。
 
通夜が行われる日の昼間、遠方から来てくれた親族をバスターミナルまで迎えに行ったが、あまりの世間の通常通りの動きに唖然とした。ただの一般人が亡くなったくらいで世間は何も変わらないのは当然なのに、お店が賑やかに開いていて、多くの人々が行き交い、車がたくさん流れている光景は母を亡くしたばかりの私の目には眩し過ぎて、それがより一層喪失感を深く味わわせた。
 
葬儀の会場では、主催者としての進行などもあるから何かと気を張っていて泣くという感じではなかった。しかし、あまりに気丈にふるまうのが逆に不自然にみえたのか、私もお世話になった姉の義母に「大丈夫か!」としっかりと目を見据え言われた時はもうたまらず泣きべそをかいてしまった。
 
その後もたまに経験豊富な色々わかっている人に心の奥をドンっと突かれるときがあって、そういう時は泣くつもりは無いのに不意に泣けてきていつも困った。でも、泣くことで自分は「まだ悲しみの途中なんだ」と自覚できたし、そう思う事自体が傷を少しずつ癒していくような感触もあった。
 
あれからもう14年が経とうとしている。
先に結婚していた姉が「家族ってね、減ることもあるけど、増えることもあるよ」と私を励ましてくれていたが実際その通りになった。姉は母の死後、二人の子供に恵まれた。私はそれから随分と経過してしまったが結婚した。そして私も二人の子供を育てている最中だ。
 
亡くなった直後は本当に母の気配を身近に感じた。なんだか熱を持ってそこに漂っていて、同じ部屋には確実にいるような気持ちに何度もなった。第6感が働くようなタイプでもないが、こんな事実際あるんだなと思った。
今はその気配ももう感じない。私が元気にやっていることに安心してくれているのかもしれない。
 
自分自身が親の立場になり、今は子供を育てていくことに一生懸命だ。母の事を思い出して感傷的に泣くなんてこともない。でも、もし母が生きていたら私はたくさんしゃべって、思いを吐露して、悩みがあったら相談しただろう。母は私の絶対的味方なのだから。今は会えないけど、私の事をずっとどこからか見ていて欲しい。そして、いつかあっちの世界で会えることができたら何回もしてくれたみたいに抱きしめて「がんばったね、えらかったね」と言ってほしい。
母の前では私は一生幼い子供なのだ。
 
死んだから終わりじゃない。いつか、きっとまた会える。
そう信じている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
西元英恵(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

2021年4月開講のライティング・ゼミ受講をきっかけに今期初めてライターズ倶楽部へ参加。男児二人を育てる主婦。「書く」ことを形にできたら、の思いで目下走りながら勉強中の新米ゼミ生です。日頃身の回りで起きた出来事や気づきを面白く文章に昇華できたらと思っています。

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2021-11-01 | Posted in 週刊READING LIFE vol.145

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