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週刊READING LIFE vol.145

駐在妻になれると思ったら、壁の薄いシェアハウスの住人になってた話《週刊READING LIFE Vol.147 人生で一番スカっとしたこと》


2021/11/15/公開
記事:藤井佑香(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
2021年8月27日。私は、イタリアのフィウミチーノ空港で羽田空港行きの飛行機を待っていた。日本に帰るのは約1年ぶりだった。終わってみれば1年なんてあっと言う間だった。だけど、「あっと言う間」という言葉だけで片づけられるのは正直ムカつく。そんなに単純じゃないし、言ってみれば大どんでん返しのドラマみたいな1年だったからだ。

 

 

 

遡ること約2年半前の2019年2月。私のテンションは爆上がり状態だった。遂に夢が叶って海外に住めることになったからだ。
 
私の海外への憧れの歴史は長い。広島の田舎で生まれ育った私に最初に海外の風を吹かせたのはハリー・ポッターだった。最初は作品の舞台であるイギリスに興味を持ち、そこから幅広く海外に興味を持つようになった。大学も国際系の大学に進学。アルバイトでお金を貯めては、海外旅行に行った。色んな国を訪れる度に、その都度文化の違いに驚いたり、逆に共通点を見つけたりするのがとても楽しいことに気づいた。そして、いつしか、観光客としてではなく実際に住んでみたいと思うようになった。旅行で行くのと、実際に住むのとでは、得られる経験や見えてくるものも違うだろう。違う文化に揉まれて、新しい視点を得られることは、私にとってこの上なくワクワクすることだった。大学を卒業する頃には、「海外住む」ということが絶対に叶えたい夢になっていた。
  
しかし、まぁ、夢はそんな簡単に叶うものではなかった。いつかは海外に住みたい……とはずっと思っていたものの、大学卒業後、結婚や転職などのライフイベントも経験し、気付けば20代も後半だった。夢は諦めていなかったけど、家族も居て仕事もしている中でのその夢の叶え方が分からなかった。
  
そんな時である。旦那の海外赴任が決まったのだ。家族が海外赴任するということは、私が望めば一緒に現地に住めるということだ。しかも、行先はイタリア、ミラノ。海外の中でも特にヨーロッパが好きな私には、住みたい国No.1の座を争っていた国だ。まさか、こんな形で夢が叶うなんて。自分で叶えた訳ではない。しかし、ミラノに住めるなら正直そこのポイントはどうでも良かった。むしろ、旦那Good Jobである。やっと海外に住む夢が叶うのなら、仕事なんてしている場合ではないよね、とすぐに上司と交渉。旦那の渡航後すぐに行くことは難しかったが、仕事の調整がつき次第、休職と言う形で同行出来ることが決まった。
  
そこからは、もう止められない空想の日々である。スマホで「ミラノ」と画像検索をしては、綺麗な写真を見ながら、そこに住む自分を想像してニヤニヤしていた。どんな素敵な家に住めるのだろうか? 休暇には優雅にヨーロッパを旅行? 想像は広がり、行くのが待ちきれなかった。そして、同時に現地の大学院進学の準備も始めた。元々、大学院進学には興味があり、海外の院進学が出来たらより良いなと思ってはいたため、この機会に現地の大学院を受験することにしたのだ。
  
旦那が先にイタリアに渡航してから数カ月経過したころ、まだ日本に残っていた私に嬉しい報せが届いた。大学院に合格したのだ。これで遂にミラノ行きの準備が整った。数か月後には、ミラノの高級住宅街での駐在妻生活が始まるのだ。優雅に暮らしながら、勉強にも励む……夢が一気に叶うことってあるんだなと思った。しかし、なんだか嫌な予感もしていた。過去の経験上、上手く行きすぎるときには必ず何か嫌なことが起こってきたからだ。一瞬そう思ったが、嬉しいことは喜べば良いか、とその嫌な予感に蓋をした。

 

 

 

悪い予感ほど当たる、とは上手く言ったものだ、と思う。予想もしない方向から、それはやってきた。
  
2020年1月。イタリアで初のコロナ感染者が確認された。その後感染は広がり、旦那が住んでいたミラノは、パンデミックの中心になった。3月には、都市封鎖が行われ、彼は一時帰国を余儀なくされた。
  
しかし、所詮一時帰国。旦那は、状況が落ち着けばすぐにイタリアに戻れることになっていた。そのため、私も自分のミラノ行きが難なく進むことを疑わなかった。そこから暫くして、イタリア赴任再開の連絡を待っていた私に、出社していた旦那から1本の電話が掛かって来た。
  
「ごめん、ミラノ、もう戻れなくなった」
  
3月のロックダウン後も、イタリアでの感染拡大は止まらなかった。旦那の会社は、赴任の中断を決断したのだ。当時の状況を考えると、会社として当然の決断だった。しかし、私にとっては、今まで積み上げてきたすべてが崩される決断でもあった。大学院も受かっている、なんなら、休職も開始され、同僚に盛大に送り出してもらった後だった。今更、行かないという選択肢はあるのだろうか。でも、行くということは、1人で行かないといけないということだ。パンデミックの最中、言葉の通じない国に単身で乗り込むのは、何の装備もつけず敵陣に踏み込む、みたいなものだ。そこまで勇敢でもないし、今行かないといけない理由はどこにもない。海外に住む夢が今は絶たれたとしても、いつかまた行けるだろう。人生は長いんだから、大学院進学だって、コロナが落ち着いたらまた挑戦も出来るのだ。
  
だけど、その「いつか」っていつだろう。いつか海外に住みたいと思っていたら、あっと言う間に20代が終わろうとしていたじゃないか。そもそも、このコロナで私たちが学んだのは、その「いつか」が約束されている訳ではないということじゃなかったか。今私の手元にあるのは、大学院の合格通知と休職の権利。あまりにも頼りなく思えた。頼りないのだが、諦めるには勿体なかった。コロナ真っ只中でも、イタリアという国は勉強しに来る留学生には、門戸を開き続けてくれていたからだ。リスクはめちゃくちゃ高い。だけど、「いつか」が約束されていないのならば、”いま”夢を叶えればいいんじゃないか。
  
旦那からの電話に、私はこう返していた。
  
「うん、わかった。じゃぁ、わたし、1人で行ってくる」

 

 

 

 そこからイタリア渡航までの道のりは、今思い出しても二度と経験したくない。まず、住む家が無くなった。旦那が現地で住んでいたアパートは、賃貸契約が解消された。そのため、ゼロから自分で探さないといけなくなった。しかし、ミラノの土地勘なんて私にあるわけなかった。部屋の内見も出来ないため、ネットで見て決めるしかない。とにかく、分からないことが多すぎた。色んな人に助けてもらって、何とか不動産屋と話が出来ても、日本の常識は通じない。「すぐに送るよ」と言われた契約書は一向に届かないし(その後何度も催促、最終的にブチ切れてみたところ20分で対応してくれた。やれば出来る人だった)、絶妙なタイミングでバカンスに赴き、不動産屋と連絡が取れなくなるのも普通だった。同時に進めないといけなかった学生ビザ取得も、想像を絶する大変さ。一難去ってまた一難、という風に、1つ何か問題をクリアしても、すぐに次の問題が浮上して……と、全く心休まらない日々が続いた。
 2020年10月。私は単身イタリアに飛び立った。1人で行くとは言ったものの、出発日が近づくにつれてその決断を後悔することもあった。本当に大丈夫なんだろうか? 危険な目に遭ったらどうしよう? コロナにかかってしまったら? 言いようのない不安に襲われて、よく眠れない日もあった。
イタリア到着後も、チャレンジの連続だった。異国の地というだけで勝手が分からないのに、それに「言葉が通じない」要素がアドオンされるだけで、難易度がぐんっと上がる。イタリアに到着して間もない頃、牛乳が欲しくてスーパーに行ったことがあった。しかし、そんな小さなことでさえも私にとっては難しかった。まず、牛乳の種類が多すぎてどれを選べば良いのか分からない。常温か、冷蔵かの保存方法でも違うし、殺菌方法や脂肪分別でも分かれている。いや、ちょっと待って、そんな種類多くする必要ってありますかね? 牛乳売り場の前で立ち尽くした私は、スマホを取り出し、ネットで調べつつGoogle翻訳で訳し……を繰り返す。やっと何を買えば良いのか把握するまで5分。欲しいもの1つ買うのにもいちいち時間が掛かってしまう。日常のチャレンジは、これだけではない。レストランやカフェでの注文も何を言えば良いのか分からない、いつ届くのか謎過ぎる郵便物に、永遠に終わらない洗濯(イタリアの水は日本と違うため、長時間洗濯機を回さないと汚れが落ちない。長い時は5時間くらいかかる)。日本に居た頃の私は、東京の外資系でバリバリ働き、生活に不自由しないくらいのお金もあって、ある程度のことは何でもできるようになっていると思っていた。だけど、国を変えて右も左も分からない状況では、非力で、何も出来なかったことを思い知らされた。こんな時、イタリア語も話せた旦那が居てくれたらもっと頼れたのにな。何回思ったことだろうか。
ある時、散歩がてらミラノのブレラ地区という場所に行った。有名な美術館もあり、小さなセレクトショップが立ち並ぶお洒落なエリアで、ミラノのど真ん中だ。旦那と私が住む予定だったアパートもこの地区にあった。コロナさえ無ければ、私はここで優雅に駐在妻ライフを送れていたのに。今や、中心部から少し離れた、割れたビール瓶が道に転がっているのが日常茶飯事のちょっと小汚いエリアの住人である。住んでいるシェアハウスは壁が薄く、ルームメイトが毎晩部屋で熱唱しているのが丸聞こえだ。休職しているので収入もなくなった。「海外に住む」という夢は叶ったものの、こんなはずじゃなかった。人生上手くいくことばかりではないのは分かっていたけれど、こんなどんでん返しあるのだろうか。日本に帰りたくても、入国・出国の規制は厳しく、母国でさえも気軽に帰れる場所ではなくなっていた。この生活が、あと何か月も続くのだ。理想とは全く違う現実を生きないといけないと思うと、気が遠くなった。

 

 

 

「Yuka(筆者)って本当イタリア人になっちゃったね」
目の前のイタリア人の同級生が、待ち合わせ時間に10分遅れて来た私に笑いながら言った。確かに、こちらに来てから、時間にもだいぶルーズになったかも。この日は、たまたま友人の方が先に到着したようだが、これは珍しい方だ。この国では、待ち合わせ時間は目安でしかなく、だいたいその10分後くらいから人が集まり始める。こちらに来た当初は、真面目に時間を守っていた。しかし、時間に遅れても誰も何も思わないし、そもそも時間通りに皆が集まっていることの方が少ない。頑張り過ぎても疲れるだけだと気付いて、今ではすっかりイタリアンタイムで生きるようになった。ただ、そんな私の変化を見るのが、イタリア人的には面白いらしい。来た当初はあんな頭が固くて、とにかく真面目な日本人だったのに。今や時間は守らず、ランチの後エスプレッソを飲まないとイライラし始める。仕事や勉強よりもプライベートを優先させ、丁度良い適当さを身に着けた。自分でも気づかないうちに、私はすっかりこの国に順応しているようだった。今では、行きつけのカフェも出来たし、買うのにあんなに戸惑っていた牛乳は、今やお気に入りのメーカーだってある。不便なことばかりで毎日がチャレンジの連続なのは、今も変わらない。旦那と来ていたらどんなに楽だっただろうかとたまに思うが、それはもう良いや。だって、カタコトのイタリア語で現地の人と意思疎通が出来た時は一仕事終えたみたいな達成感があるし、私でも自分の力で何か出来るという自信になる。その自信は、違うことにチャレンジするきっかけにもなった。留学生も少なく圧倒的マイノリティとして挑んだ大学院生活も、たくさんのカルチャーショックを乗り越えて、今ではイタリア人の中に自然に溶け込めている。それに、本当に信頼出来る友人もたくさん出来た。1人で来たからこそ、これだけ濃い時間を友人と過ごすことが出来ているのだろうし、日々の小さな不便を自分で乗り越えて強くなれたと思えている。理想の形では叶えられなかった夢。こんな叶え方でも悪くないんじゃない? 日本への帰国直前。現地の友人が企画してくれた送別会に参加しながら、そんなことを思った。

 

 

 

2021年8月27日、イタリアのフィウミチーノ空港。羽田行きの飛行機の搭乗手続きが始まった。帰国直前の私から、1年前の私に言いたいことがある。
「あの時、夢を諦めないでくれてありがとう」
望んだ形ではなかった。だけど、一見最悪の結果に思えた単身渡航も、結果的に人生の中でも濃く、最高に大変で、愛おしい1年になった。自分でここまでやって来られたというというのが、大きな自信になったことは人生の財産だ。1人で来れて本当に良かった。
 
「あっという間」で片付けられない1年を振り返りながら、人生で1番スカっとした気持ちで、飛行機に乗り込んだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
藤井佑香(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

国際基督教大学卒。人事経験を経て昨年より1年間イタリアの大学院にて企業広報を勉強。修士号取得予定。現在は、外資系企業にて採用ブランディングの仕事に従事。元々文章を書くことが好きで、天狼院書店のライティングゼミを受講。よりライティングの腕を磨いて、仕事にも活かしたいと修行中。

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