週刊READING LIFE vol.148

家族という組織のリーダー《週刊READING LIFE Vol.148 リーダーの資質》


2021/11/22/公開
記事:伊藤朱子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
私が実家で食事をしていると、母の携帯電話が鳴る。大抵の場合、すでに母は食事が終わり、私に食事を出してくれて、斜め向かいに座っていた。
 
「はい、はーい」
母はいつも機嫌がいい。電話の相手は父である。
父からの電話は、私が知る限り毎日かかってくる。よくまあ、まめに電話してくるものだと感心するのだが、この電話がもう何年も続いているのだから、電話をしないと父は気持ちが悪いのかもしれない。
 
父と母は現在、別々に暮らしている。父の単身赴任とか、仕事の都合とか、そういうことではない。もちろん、夫婦仲が悪くて別居をしているということでもない。むしろ、父と母は世間一般の同じ世代の夫婦としては、とても仲がいのだと思う。かれこれ50年以上連れ添っている。
では、なんで別々に暮らしているのかといえば、これはまた大人の関係とも言うべき理由である。東京の騒がしい暮らしをやめて、のんびり趣味を楽しみながら自然の多い場所で暮らしたい父と、東京の賑やかなところが好きで、出かけたがりの母がお互いを尊重しあった結果だった。
 
私が父のところへ行っている時、朝から母に電話をしているのを見かけた。そして、夜も夕食が終わった頃に電話をする。そう、1日2回も電話しているのだ。
朝、なかなか電話に出ない母に向かって、
「起きているのか?なんだ、まだ寝ていたのか」
と父は聞いていた。電話口の母の様子は想像がつく。父は「まったく、まだ寝ていたのか」と笑いながら、自分の今日の予定などを話して電話を切る。
夜の電話では、今日あった出来事や夕飯に何を食べたのか、そして、お天気のことを話していることが多い。父がいる場所は、夏は東京よりも涼しいが、冬は東京と比べものにならないくらい寒い。そんなたわいもないことを毎日欠かさず話しているのだ。
 
父の電話は一種の安否確認のようなものだろう。朝、お互いちゃんと生きて朝を迎えたことの確認と、夜は今日も1日無事に過ごせ、生きていることを報告しあっているようだった。
 
こんな関係がいつから成立しているのだろう。
私も知らないうちに、いつの間にか毎日の儀式のように電話の時間がやってくる。

 

 

 

「そんなことで、食っていけると思っているのか」
父は何度となく、私にこう投げかけた。これが大人になり、仕事を独立しようとしている私に投げかけた言葉であれば、私も父が言いたいことの意味がわかる。私がこの言葉を初めて投げかけられたのは、確か小学生の時だったと思う。
 
何がきっかけだったか忘れてしまったが、私は父の前で絵本作家になりたいと言った。その時の父の反応がこの一言だった。
私は何も答えられなかった。そもそも、きっとその時父が何を言いたいのか、意味もわからなかったのではないかと思う。しかも、絵本作家になりたいなんて、ただの子供のかわいい夢のお話である。私は本を読むのが好きで、短い物語を書きたいと思った、それだけだった。
しかし、私はこの一言で、絵本作家になることはとても難しいことなのだということだけは悟った。
 
次に、中学生になって、編み物のデザイナーになりたいと言ったことがある。この時も、同じ言葉が投げかけられた。しかし、この時は、もう少し具体的な話になった。
「編み物を編む人になりたいのか、それとも、形を考える人になりたいのか」
そう聞かれてもうまく答えることができない。
編み物のデザイナーになりたいと言ったきっかけは些細なものだった。母が編んでくれたセーターが大好きで、私もいつかあんな素敵なセーターを自分で考えて編んでみたい、ただそう思っただけだった。母に教えてもらい簡単なものが編めるようになり、それも楽しかった。
 
「自分でデザインできなければ、ただ、編むだけの人になってしまうぞ。ミッソーニのニットくらいのこと、考えられないとダメだからな」
と父に言われた。
ミッソーニってなんだろう。全く知識のない私は、母に尋ねた。
母も中学生の子供に説明するのが面倒だったのだろう。
「ミッソーニっていう、有名なのがあるのよ」と、今思えば正解のような不正解のような、曖昧なことを言われて終わってしまった。今の子供達のようにインターネットも何もない時代。情報にアクセスする術を知らず、この時も、編み物のデザイナーになるにはミッソーニという大きな壁があるのだということだけがわかった。
 
それから、大人になるまで、何度か父は「そんなことで、食っていけると思っているのか」と私に投げかけた。
ある時は「その職業で、本当に自分で食べていけている人が、世の中に何人いると思っているんだ」と言われたこともある。
 
父は建築をつくる小さな工務店をやっていて、その会社は私達が暮らす母屋と繋がっていた。子供の頃から、朝起きた時にはすでに父はおらず、早くから現場にいってしまっていた。日中、たまに会社をのぞいても、父の姿はない。父はほとんど現場に出ていて、夕方になると戻ってくる。
夕食は父も揃って食卓を囲み、そして、父はまた仕事場に入った。物心ついた頃から、夜寝る前に父のところへお茶を持っていき、「おやすみなさい」と挨拶をした。そしていつも、父はラジオ聴きながら図面を描いているか、電卓を叩いていた。
 
小学生の頃、友人に、毎日父親と一緒に夕食を食べると話したことがあった。
「お父さん、ちゃんと働いているの?うちのお父さんは毎日働いて夜遅く帰ってくるよ」と友人に言われ、その時初めて、父が一般的なお勤めをしているお父さんとはちょっと違う状況なのだということを知った。
 
「みんなのお父さん、夜遅くまで帰ってこないんだって。夕飯を一緒に食べるなんておかしいって。パパはちゃんと働いてないの?」
と母に言ってみた。
それを聞いて母は笑っていた。私もちゃんと働いていないなんて、本当は全く思っていなかった。でも、他の子のお父さんと違うことをちゃんと確認しておきたかったのだと思う。
 
こんな状況だったから、私たち家族は父が働いている姿をずっとみていた。夜、父が少しのんびりテレビを見るようになったのは、60歳をすぎてからだと思う。
 
「食っていけると思っているのか」とは言われたものの、他には何も言われたことがない。あれをしろ、これをしろとは言われたことがなかった。よく親が言いがちな「勉強しろ」ということも兄弟の誰も言われたことがない。
 
その代わり、何かやりたいことがあった時、自分から言わなければ何も手を差し伸べてくれない。高校受験が近くなり、なんとなく周りの友人達も塾に行きだした時も、自分から「塾に行かせてください」とお願いをしなければならなかった。そしてどの塾に行きたいか、どうして行きたいかを説明する必要があった。友達が行っているからという理由である塾に行きたいと言った時、それは却下された。
「塾は友達と行くものじゃない。みんなと同じ塾じゃなくてもいいじゃないか」と一言で交渉は終わった。
 
欲しいものについても同じだった。誕生日のプレゼントひとつも、なぜそれが欲しいのか、どれだけ大事にする気持ちがあるのかを説明し、父を説得する必要があった。
こんな調子だから、私はなんでも理由を説明し、熱意を伝え、父にプレゼンテーションしなければならなかった。
でも、父はきちんと理由を説明すれば、大抵のことには協力的だった。やりたいということに関しても、最善の道を考え、アドバイスをくれた。
 
変な父親であると思う。
小さな子供のたわいもない夢に「食っていけると思っているのか」と問い、何かお願い事をするのにプレゼンテーションしなければ受け入れてくれない。
何度となく、なんて面倒臭い父親なのだと思った。
 
でも、私もいい大人になり、父のことが少し理解できるようになった。
「食っていけると思っているのか」と投げかけたのは、自分で仕事を切り開いていくことの大変さを身をもって知っていたからである。だから、どんな職業に着くのも、「これで食っていくんだ」という覚悟が持てるように「食っていけると思っているのか」、「どうやって食っていくつもりなのだ」と聞いていたに違いない。
 
プレゼンテーションを要求したのも、いい加減な気持ちで始めることのないように、そして、欲しいものはそんなに簡単に手にはいらないし、明確な理由を自覚させたかったのだろうと。
 
考えてみれば、父は間違いなく家族という組織のリーダーだった。
家族が目指すべき方向をいつも考えていた。そのために一生懸命働いていた。責任を負ってくれていた。そして、組織の一員である子供達に協力的で自主性を重んじてくれていた。
もちろん、たびたび、リーダーという立場で身勝手な振る舞いをすることもあった。その行動に私達は大いに振り回され、反発したりもした。
 
その父が、今は私達の行動に口を出すことはない。
子供達それぞれが父の元を離れ、それぞれの場所でリーダーになったからなのかもしれない。子供達が親元を離れ、組織は解体されたわけではなく、大きくなった。ただ、父はもう、それぞれに任せ、リーダーとしての振る舞い方を変えているようだった。
 
父と母が別々に暮らすようになった時、私達兄弟は考えてもいなかった出来事に驚かされた。父と母は全ての準備が整うまで、そのことを秘密裏に進めていたのだ。私は兄弟よりも一足先に父からその計画を聞かされていたが、他の兄弟には全く気づかれることなくそれは進められた。
 
おそらく、そこから父の振る舞いは変わったのだろう。全体をいつも見ていなくていい。もうゆっくりと、夫婦二人の関係を見つめ、自分の人生を見つめているにちがいない。
本当はもう、リーダーだとは思っていないのかもしれない。
 
今日も父から母に電話があった。
もしかしたら、私は単なる安否確認だと思っている毎日の電話は、離れていても夫婦二人の時間を楽しむ父のやり方なのかもしれない。
 
家族のリーダーは、今は一番身近な人を大切にすることだけを考えてのんびりしているということだろうか。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
伊藤朱子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

建築設計事務所主宰。住宅、店舗デザイン等、様々な分野の建築設計、空間デザインを手がける。書いてみたい、考えていることをもう少しうまく伝えたい、という単純な欲求から天狼院ライティング・ゼミに参加。これからどんなことを書いていくのか、模索中。

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2021-11-17 | Posted in 週刊READING LIFE vol.148

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