週刊READING LIFE vol.149

ラーメンvsケーキ ぼく史上最高の決戦《週刊READING LIFE Vol.149 おいしい食べ物の話》


2021/11/29/公開
記事:いむはた(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
それは、ぼくがまだ小学校低学年のころ、ある日曜の朝のことでした。お昼ご飯には、間に合うように返ってくるから、母親が、そう言って出かけていきました。家に残されたのは、ぼくと父の二人。
 
母の背中を見送りながら、ぼくは不安を感じていました。というのは、ぼくの父、普段は仕事が忙しく、帰ってくるのは深夜。休日は疲れ果てて寝ているか、一人で趣味の庭いじり。家族と一緒に過ごすことなど、ほとんどありませんでした。その日もいつもの通り、まだ布団の中。そんな父と、二人きりの週末を過ごすことになったのです。午前中だけとはいえ、いったいどうなるんだろう、楽しみという気持ちは、全くありませんでした。
 
とはいえ、実際に一人で過ごしてみると、特別なことはありません。テレビを見たり、ゲームをしたり、ただそれだけ。いつもの週末と大差ありません。なんだ、こんなもんか、心配して損したな、拍子抜けした気分で過ごしていると、あっという間にお昼近くになっていました。
 
あ~、これでお母さんが返ってくる。そうしたら、もういつもと同じ日曜日だ、小さな冒険が終わったような、達成感、満足感を味わっていた時のこと、電話のベルがなりました。受話器を取ると母親から。「少し帰るのが遅くなるから、お父さんとお昼ご飯、食べてね」
 
急に突き落とされたような気がしました。お父さんと一緒にって、どうすればいいの。まだ寝てるし、それに、お父さん、ご飯なんて作れないじゃん。
 
うなだれたまま、受話器をもどしました。振り返ると、そこには父。電話の音で目が覚めたようでした。なんの電話だった、そう尋ねる父に、母の話を伝えたところ「よし、じゃあ、出かけよう」あっという間に着替えを済ませ、戸締りを確認した父の言うがままに、ぼくは車に乗り込みました。冒険はまだ、終わっていないようでした。
 
ねえ、どこに行くの? 車が走り出し、気持ちも落ち着き始めたころ、ぼくは父に尋ねました。
 
「ラーメン屋さん。行きたいと思っていたお店があってね」父は、ぼくが今まで気にもかけなかったような曲がり角を曲がり、細い路地をどんどんと進んでいきます。そこは近所のはずなのに、ぼくの全く知らない世界でした。あの先には、何があるんだろう、まるでジャングルを探検しているような気分でした。戸惑いと興奮の中、時間の感覚も、場所の感覚も、なくなりかけた頃です。ここだよ、父の声で、車が止まりました。
 
そこにあったのは、ごく普通のラーメン屋でした。父によると、いつもの仕事の通り道、気になっていたのだけど、なかなか機会がなかった。昔からあるお店だから、どんな味なのか、試してみたかったとのこと。いったい、どんな味なんだろう、ぼくも楽しみになってきました。スタスタと店内に入っていく父が、なんだか頼もしく見えました。
 
ラーメンを待つ間、ぼくは、落ち着かない気持ちでいっぱいでした。一緒に出かけることなどめったにない父、しかも、二人きりで外食なんて初めてのことでした。それに加えて、普段は知らない父の姿、仕事中の父の世界を、のぞき見しているような気がしていました。
 
お待たせしました、と出てきたラーメン、それは、店の外観に負けず劣らず、普通の醤油ラーメン、味も普通でした。「普通だね」そういった父は、なぜか少し満足気だったような気がしました。
 
家に戻ると、母親がもどっていました。お昼ごはん、どうしたの、聞かれた父は、ラーメン、普通だった、とぶっきらぼうな返事。ごめんね、と申し訳なさそうな母親に、ぼくも、父のまねをして、いいよ、と、そっけなく答えました。でも、本当はうれしい気持ちでいっぱいでした。
 
ぼくは、お母さんの知らないお父さんを知っている。お父さんの大人の世界を見てきたんだよ、そんな興奮が、口からあふれそうでした。
 
小さな冒険の先、たどり着いた普通のラーメン屋の普通のラーメンが、ぼくと父の距離をグッと縮めてくれた出来事でした。
 
ただ、その後、ぼくと父の距離が、それ以上に近づくことはなかったように思います。相変わらず、仕事から帰るのは深夜、休日は寝るか、庭いじり。たまに一緒に出掛けたとしても、子供の都合に合わせている感が分かり過ぎるくらいの様子に、ぼくは、まったく楽しむことができませんでした。でも、それが普通なんだ、そう思うようになっていきました。
 
成長するに従い、ぼくは、ぼくの時間を持つようになり、自然と、家族との時間も減っていきました。父との距離は、近づくこともなく、かといって、遠ざかることもない、まるで、地球と月のように、ぼくは父のまわりを、一定距離を保ったまま、クルクルまわっているだけ、そんな関係が続きました。
 
中学生になったころだったでしょうか。友人と遊んでいるとき、偶然、父と行ったあのラーメン屋を見つけました。あんなに遠くまで行ったと思っていたラーメン屋は、実は小学校の学区内、家から車で10分程度の場所でした。
 
なんだか寂しくなりました。ぼくが冒険だと思っていたのは、知らないと思っていた父の世界は、こんなにも簡単に手に入る場所にあったのかと。特別なものなんて何もなかった、本当に「普通」だったんだ、そう思った時、急に世界に放り出されたような、一人、宇宙をさまような、孤独を感じました。
 
その後、高校、大学、社会人、そして、結婚と人生のステージが変わるたび、父との距離は、振り子のように、近づいたり、遠のいたり。ただ、どの振れ幅も、あのラーメン屋を超えることはありませんでした。小さな冒険を共有して、グッと近づいたときの親近感、ラーメン屋の「あまりの普通さ」に、世界に放り出された孤独感、すべては、この範囲で揺れ動いているだけでした。そして、ぼくは次第にこんなふうに、考えるようになりました。
 
親子といっても、つまるところは他人。程よい距離を保つのが一番いい。熱くもなく、といって、冷えることもない、そんな距離感、それが、今なんだ、と。
 
いや、正直な気持ちを言えば、少し寂しいような気もしていました。親子なんて、こんなものなのかと。でも、きっと、それが程よいという感覚、慣れるのを待つしかない、そう自分に言い聞かせていた、というのが本当のところかもしれません。
 
それでも、時というのは不思議なものです。あまり踏み込もうとせず、当たらず騒がず、そう意識をしているだけで、だんだんと、ぼくの中で、その距離が適正なものに感じられるようになっていきました。「親子といっても、もう別々の人生を送っている」その考えは、時がたつにつれ、何も特別なことじゃない「普通のこと」になっていったのです。そのとき、ぼくと父は、もう地球と月ではありません。お互いが異なった周期で公転する別々の惑星でした。
 
そんなある日のことです。「今日は、じぃじの誕生日だね」小学生の娘に言われハッとしました。父の誕生日のことなど、すっかり忘れていました。いや、忘れていたというよりは、特別なことだとは考えていなかった、というのが正解かもしれません。実際、毎年の両親の誕生日には、娘たちと実家を訪れ、誕生日を祝っていました。ただ、それが、ぼくの中で単なる儀式のようなものになっていたのです。
 
程よい距離感、別々の惑星に住んでいるもの同士、それも当然なのかもしれません。ただ、どこか釈然としない、自分がいるのも確かでした。やっぱり親子なんだから、もっと近い距離で生きたい、そう思う自分と、いやいや、もうその話はやめようという自分、頭の中での綱引きが始まりそうでした。「そうだね、ケーキを買って、おじいちゃんのところに行こう」思いを振り払うように、家を出ました。
 
実家につき、誕生日おめでとうと、さっそくケーキを食べようとすると、娘が、ちょっと待ってと言います。何やら準備があるとのこと、別室に閉じこもりました。
 
その間、ぼくの頭はぐるぐると回っていました。このままでは、結局、いつもの儀式になってしまう、何か伝えるべきこと、するべきことはないのだろうか、いやいや、余計なことはしない方がいい、これまでだって、適度にやってこられたのは、適度な距離のおかげ。このままでいいじゃないか、振り子が揺れ始めました。
 
とはいえ、実際のところ、何も思いつきません。結局、こういうことなんだろう、あきらめかけた時のこと、部屋のライトが消えました。
 
「ハッピーバースデー、じぃじ」 その声とともに、部屋に入ってきたのは娘でした。手には、うっすら光る何かを持っています。よく見ると、それは光る粘土でつくったHappy Birthdayのメッセージボード、じぃじ、おめでとう、そう言いながら、娘は粘土を手渡しました。
 
暗闇の中、しばらく沈黙が流れました。誰の表情も、はっきりとはわかりません。静けさに耐えかねたのか、娘がすぐにライトをつけました。表情は、どや顔、でも、気持ちは、もうここにはない様子「ありがとう」じぃじのつぶやくような声を聞くこともなく、ケーキをせがみ始めました。じぃじの誕生日といいながら、結局、粘土で何かを作りたかっただけ、ケーキを食べたかっただけ、そんな分かりやすい娘の姿を、みんなで笑いながら、ケーキを食べ始めたときのことでした。
 
「ありがとう」父が鼻をすすりながら、話始めました。「こうして、孫と一緒にすごしていると、本当にかわいいなって思う。うちには、男の子しかいなかったから、女の子のことは、よくわからなかったけど、女の子もかわいいんだなって、そう思うよ。今日は、本当にありがとう。このケーキ、最高においしいよ」
 
涙で目も鼻も真っ赤にしながら、ケーキを食べる父の姿を見たとき、ぼくのなかで、フッと軽くなるような、なにか憑き物が落ちたような、そんな感覚がありました。頭の中の振り子はもう揺れてはいませんでした。
 
終わった、おかしな言葉かもしれませんが、ぼくの頭に最初に思い浮かんだのは、そんな言葉でした。あのラーメン屋から始まったぼくと父の関係、振り切りたくても、振り切れなかった父に対する複雑な思い、それに区切りがついた、そんな気がしたのです。父も子供のことをかわいいと思っている、ただそのことを知ったとき、すごく静かな、でも、とても安らぐような、きっとぼくも普通に愛されて育ったんだろうな、そんな気持ちで心が満たされました。
 
あれ、じぃじ、泣いてるの、そう言いながらも、娘の気持ちは、やっぱりケーキ。おいしいね、とケーキをほおばる娘の姿を見たとき、もう一つの言葉が思い浮かびました。
 
それは、「つながった」
 
光る粘土とケーキが、ぼくと父をつなげてくれたのです。そして、思いました。もう一度、あのラーメン屋に行ってみたい、今度は、娘と一緒に行ってみたい、と。
 
思わず、想像してしまいました。あの普通のラーメン屋の、あの普通の醤油ラーメンを。そして、娘と目をあわせ「普通だね」と言い合う姿を。でも、きっと、ぼくは内心、こんな風に思っているのでしょう。「このラーメンは特別、最高においしいね」と。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
いむはた

静岡県出身の48才
大手監査法人で、上場企業の監査からベンチャー企業のサポートまで幅広く経験。その後、より国際的な経験をもとめ外資系金融機関に転職。証券、銀行両部門の経理部長を務める。
約20年にわたる経理・会計分野での経験を生かし、現在はフリーランスの会計コンサルタント。目指すテーマは「より自由に働いて より顧客に寄り添って」

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2021-11-24 | Posted in 週刊READING LIFE vol.149

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