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週刊READING LIFE vol.149

美味しさが増す江戸っ子の心意気《週刊READING LIFE Vol.149 おいしい食べ物の話》


2021/11/29/公開
記事:山田THX将治(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 

「何だ! これ!?」
知人をその店に連れて行き、店自慢の品を眼の前にした時、決まって出てくる言葉だ。しかも必ず、笑顔で笑い声と共に。
それは、他のテーブルやカウンターでも同様で、その品が注文され提供されると、必ずといっていい程同じ驚嘆の言葉が聞こえてくる。
何しろ、店肝煎りの逸品なのだ。
 
 
子供の頃から余り肉を好まなかった私は、必然的に魚を好む様に為った。洋食より和食を好むのはこの為だ。
肉系ではない和食の代表といえば、天麩羅(てんぷら)と寿司だ。
3年前まで下町に住んでいた私は、特に美味しい天麩羅屋さんと寿司屋さんを知っているし、財布が許す限り通っていた。現在は引っ越してしまい、とんと御無沙汰しているが、舌はその味を覚えており時々想い出しては懐かしく感じている。
そればかりか、無性に食べたくなり、下町から離れた現在も近所の天麩羅屋さんやお寿司屋さんに飛び込むことがある。そして大概は、ガッカリしながら暖簾(のれん)の外へ出ることになる。やはり慣れ親しんだ味というものは、その店でないと味わえないし、舌はその味でないと納得してくれない。
こうなると、
『人間、3歳迄に慣れた味しか好まない』
という、日本マクドナルドの創業者・藤田田(ふじたでん)氏の見解は、間違いないとの証明にも為る。
 
 
私が生まれ育った東京の下町は、“江戸前”という言葉が示す通り、独自の海産物が多く在る。そして、当然のことながら江戸前の海産物を調理し、自慢の料理を提供する飲食店が多い。
下町は他の地域に比べて、天麩羅さんとお寿司屋さんが多い。江戸前を看板にする飲食店の代表が、天麩羅屋さんとお寿司屋さんからだ。
そこで代表的江戸前の食材が、穴子(アナゴ)だ。
多くの方が、例えば高級な天麩羅といえば、海老の天麩羅と思っていることだろう。海老の天麩羅は値段も張ることから、高級であることに異論は無い。
しかし、東京湾岸の江戸前では、海老が獲れることはまず無い。そこで、江戸前自慢の天麩羅食材といえば、穴子だと下町っ子は口を揃えていうことが多い。
 
一般的に穴子は、生態や形状が似ていることから、鰻(うなぎ)の代用品と思われがちだ。そもそも、鰻は穴子より獲れ高が低く高価だからだ。
勿論、鰻は大変美味しい食材だ。鰻を商う高級店も多い。否、鰻屋さんは、どこも高級店ばかりだ。私などは、年に一回行くことが出来れば幸運なものだ。また、鰻を食することが出来るのは、誰かに奢って頂ける時か、商用で飲食代が経費で処理出来る時と決まっている。
これは余談だが、このところの外出自粛要請や、リアル対面の商談機会が減ると、最も打撃を被った飲食店は、多分、鰻屋さんだったことだろう。何しろ独りで、しかも自腹で鰻を食すこと等、まず考えられないからだ。
 
ただ、鰻の場合、調理の仕方が限られる特徴がある。タレに付ける‘蒲焼き’でも、何も付けない‘白焼き’でも、基本、鰻は焼かれて提供される。蒸したり茹でたりされることは滅多に無い。多分これは、鰻の特性から来るものだろう。
その点、これが穴子だと様子が違ってくる。
まず、穴子は鰻よりも価格がお手軽だ。しかも、焼き以外に蒸したり茹でたりしても食することが出来る。そうなると、焼いた時の香ばしさは無いものの、保存性は高くなる。
その上、蒲焼きの様にじっくり時間を掛けることも無いので、比較的に速く提供される特徴もある。この点等、気短かを自慢し自認する江戸っ子気質に、穴子はピッタリな食材なのだ。
 
 
そういったことから、東京の下町に多い天麩羅屋さんは、穴子の天麩羅を自慢にしている店が殆どだ。特に、下町気質が強い浅草では、穴子の大きさを競う様な天丼をよく見掛ける。
それは、お寿司屋さんで提供される一貫分に切られた穴子ではなく、半身分を切らずに揚げた穴子が乗った天丼だ。
穴子は平均的に鰻より大き目の魚だ。その一本分なので、必ずといっていい程、丼からはみ出し蓋が浮いている。
御覧に為ったことが無い方に少しだけ説明を加えると、鰻を一尾分使った鰻丼や鰻重でも、常識的な大きさの丼や重箱に収まるものだ。何故なら、鰻の身を半分に切っているからだ。上品な山の手の方々が召し上がるには、妥当な提供の仕方だ。
ところが、粗野な下町っ子は、穴子を切らずに揚げた天麩羅を丼に乗せる。こういった傾奇(かぶ)いた物を自慢するのは、下町っ子の面倒な所だ。提供する天麩羅屋さんも、穴子を一本分切らずに揚げることを自慢したりする。これまた面倒な話だ。
 
しかもややこしいことに、丼からはみ出した穴子が乗った天丼は、実に食べ辛いものだ。大体、一本分の穴子は幾つかに分けないと口に入れることが出来ない。しかも、はみ出す程の穴子が乗った天丼は、そのまま箸を付けることが出来ない。
では、どうやってその天丼を食べるのか。
それは、折角乗っている穴子の天麩羅を一旦、蓋(丼の)上に避難させるのだ。そうなると、天麩羅と御飯を同時に食べる天丼本来の食べ方が出来ないことと為り、本末転倒の極みだ。
ただ、こうした本末転倒な行為を、敢えてして迄恰好付けたがるのも、下町っ子の面倒な気質なのだ。
仕舞には、一度では胃がもたれて中々食べきることが難しい一本分の穴子天麩羅を、
「俺は平気で二本食べられるぜ」
等と、自慢気に話す輩も出て来たりする。すると、
「俺は三本喰えるぜ」
と、余計な争いを仕掛ける奴も出て来たりして。
 
そう、つくづく、穴子という江戸前の食材は、面倒を起しがちな魚なのだ。
 
 
鰻は、特産品とする地域では寿司の食材として使われる例が有る。
しかし、江戸前で獲れないこともあり、東京のお寿司屋さんでは滅多に見掛けることが無い。
その代わりとして、お寿司屋さんでは穴子がネタとして多く使われている。穴子には、“煮切り”という甘いたれを掛けてもらえるので、子供でも食べ易いネタの代表でもある。最近では、回転ずしの人気ネタの上位に、必ず穴子が挙げられるのはそのせいだ。
ただ、こうして提供されるお寿司の穴子は、出汁で一度煮て処理をし、そして暫く寝かせたものなので、身が締まり弾力に掛けている欠点がある。本来の穴子の身は、鰻に負けない弾力があるものだ。脂だって、鰻に負けず乗っている。
しかし、穴子を鰻に負けない様に出すには、鰻並みかそれ以上の手間と、板前さんの腕前を必要とする。しかも、穴子を調理して寝かさず提供する必要も有る為、注文を受けて直ぐに提供出来ない弊害も出て来る。
何といっても、お寿司は日本の代表的なファストフードなのだ。
だから、お寿司屋さんで提供される穴子の大半は、一度寝かせて身の弾力が落ち着いたものとなる。その方が、穴子を切り易いので、一貫ずつ提供するのにも向いている利点も出て来るのだ。
 
 
私は下町に住んできた時、少し気張って贔屓にしていたお寿司屋さんが在る。
魚河岸(うおがし)が在った築地から、勝鬨橋(かちどきばし)を渡った先にそのお寿司屋さんは在る。
老舗という程古くは無い。価格も、銀座界隈の高級店と比べて、1/3程で美味しいお寿司が堪能出来る。
しかも、経営者でもある板前さんは、角刈りの丸顔で優しい笑顔でいつも迎えてくれる。その板前さんは、恰幅も良く話も上手だ。
私は、彼のことを一目で、
「何か美味しい物を作ってくれそうな感じ」
と、思った。正確には思い込んだ。
 
実際、板前さんのカウンターに座ると、次々に私好みで美味しいお寿司を出してもらえる。その姿は、いかにも江戸っ子気質が溢れ、職人気質も醸し出している。
何しろ、美味しいものを出したい、客に美味しいと喜んで欲しいという想いが、堂々とした体躯から感じられるのだ。
常連客も多く、勝鬨のメインストリートに面した彼の店は、いつも盛況だった。私も名前と顔を覚えて頂いてからは、必ず予約を入れて訪問する様に為っていた。
 
このお寿司屋さんには、売りにしているネタが多い。河岸に近いことで入手出来、他店では滅多に提供されることがない“生蛸”や“生鳥貝”を出して頂けた。
また、現在はよく見掛ける伝統的な“ヅケ鮪”を、どこよりも早く提供していた。
“ヅケ鮪”とは、冷蔵庫が無かった時代に足の速い(傷み易い)鮪の赤身を、保存させようとして生まれたお寿司だ。赤身鮪を、生醤油に出汁を混ぜた液体に漬け込むのだ。生醤油の塩分で、保存性を高めようとしているのだ。
ただ“ヅケ鮪”は、単に生醤油に鮪の赤身を漬けていればいいという訳ではない。その時間調整が難しいそうだ。時間が短いと、漬けた効果が出ない。また反対に漬け過ぎると、しょっぱくなってしまうのだ。
その日の気温や湿度、そして入手した鮪の具合によって、漬ける時間を調整するのだ。その辺りは、まさに職人芸と行ったところだ。
 
 
勝鬨のお寿司屋さんには、他店では見ることが無い逸品がある。
それは、穴子のお寿司だ。
しかしそれは、どこにでも有る穴子寿司ではない。名付けるなら“穴子一本寿司”だ。
ここで御注意頂きたい。関西でよく見掛ける、穴子一本を使った‘箱寿司’とは、勝鬨の“穴子一本寿司”は似ても似付かないものだ。“穴子一本寿司”には、箱寿司の様に目一杯のシャリ(酢飯)は無い。シャリは通常の握りと同じ量が有るだけだ。
大き目の角皿に、ふわふわに蒸し上げられ少し炙っただけの半身の穴子に、これまた店自慢の煮切りが付けられている。分厚い穴子の身を、気を付けながら捲(めく)ってみると、そこにはチョコンと一貫分のシャリを見付けることが出来る。
なぜ、気を付けながら穴子を捲るかというと、柔らかく仕立てられた穴子は、箸を触れた途端に直ぐに崩れてしまうからだ。
寝かせず身が締まっていない穴子は、実に脆いものなのだ。その分、鰻に負けないふわふわ感と、身の脂を堪能出来るのだ。
 
そんな“穴子一本寿司”を初めて目にすると、決まって誰でも頭の上に“?”を立てながら、
「何だ! これ!?」
と、驚きの声を上げることに為る。
それはそうだろう。何しろ、これまでに見ることは勿論、想像すらしたことすら無いお寿司が目の前に出されるのだから。
 
日替わりの御薦めネタがかがれた板の横には、常時『勝鬨名物・穴子』と太い筆字で書かれた半紙が張られている。
この辺り、度が過ぎた自慢を嫌う、江戸っ子気質が垣間見られるところだ。
 
 
或る時私は、店中で、
「何だ! これ!?」
が、連呼された時、板前さんに、
「何故、こんな形で穴子を提供為さるのですか?」
と、尋ねてみた。板さんは、何時に無く照れたような表情で、
「以前、歯が悪くて穴子しか召し上がることが出来ない年配の女性がいらっしゃったのですよ」
と、とつとつと語り始めた。
「寿司がお好きと見えて、二日と開けずにいらっしゃいました。いつもカウンターに腰掛けると『穴子を下さい』と注文されるんです。ウチの柔らかい穴子を気に入って頂けたようです」
さらに、
「その当時は、通常のネタの大きさに穴子を切ってお出ししていたんです。その年配の女性は、穴子を御注文に為り二貫食べ終えると、溜息を吐き残念そうに会計して御帰りに為るんです」
そして、
「或る時、その女性は意を決した様に穴子を食べ終えた後にも一度『穴子を下さい』と注文されたんです」
板さんは目を見開いて、
「再び穴子をお出ししたら、シャリから穴子を外してネタだけ召し上がったんです。そして済まなそうに『ご飯を残してしまって申し訳有りません』とお詫びされたんです」
板さんは、目に涙を溜めながら、
「お年寄りなんで、大好きな穴子を多くは召し上がることが出来なんです。その頃の私は、修行不足でそのことに気が付くことが出来ませんでした。本当に申し訳なくて」
続けて、
「そこで、次にその方が思えに為られた時に、試しに“穴子一本寿司”を御出ししたんです。その方は大層喜ばれました。それからというもの、以前にも増してお見えに為りました。いつも、“穴子一本寿司”を召し上がると満足して御帰りに為りました」
と、感動物語を語ってくれた。
その年配の女性は、お亡くなりに為る一週間前迄、勝鬨のお寿司屋さんに通われたという。
御家族から逝去されたことを告げられた板前さんは、御霊前に二十貫の“穴子一本寿司”を供えに行ったそうだ。
店自慢の逸品が誕生出来た御礼の意を込めて。
 
私は、目の前の“穴子一本寿司”に箸を付けることも忘れ、暫く、板前さんの話に聞き入ってしまった。
 
その日頂いた“穴子一本寿司”は、板さんの江戸っ子らしい心意気の御蔭で、いつに無く美味しく感じられた。
 
 
もし今、
「人生最後に何が食べたいですか?」
と、問われたら、私は間髪を入れず、
「勝鬨のお寿司屋さんにいって“穴子一本寿司”を食べる」
と、答えることだろう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
山田THX将治(天狼院ライターズ倶楽部湘南編集部所属 READING LIFE公認ライター)

1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数15,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
天狼院メディアグランプリ38th~41st Season 四連覇達成

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2021-11-24 | Posted in 週刊READING LIFE vol.149

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