週刊READING LIFE vol.149

「マツコの知らない世界」からおいしい記憶を呼び起こし、祖母との思い出も味わえた話《週刊READING LIFE Vol.149 おいしい食べ物の話》

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2021/11/29/公開
記事:吉田みのり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「マツコの知らない世界」を見ていたときのこと。
私はこの番組が大好きで、リアルタイムで見られないときは録画して観ているのだが、あるとき「埼玉うどんの世界」という回があり、埼玉を日本一のうどん県にする会の会長という方が埼玉県のうどんの魅力について語っていた。
その中で埼玉県では家庭でうどんを作る地域があると紹介されていたのだが、私の母の実家、祖父母の家がある秩父郡小鹿野町はその地域に入っておらず、え! おばあちゃんはうどんを手作りしていた! 伯母さんたちも今でも家でうどんを作っているって聞くから、もっとちゃんと埼玉の隅々まで調べてほしいな、と思いながら、「おばあちゃんのうどん」を鮮明に思い出した。
 
大正ひとケタ生まれの祖母は98まで長生きをしてくれた。しかし、最期まで自宅で過ごしたものの、90歳手前頃からは入退院を繰り返し、あまり思うような生活は送れなかったのではないかと思う。
80代前半までは病気や体の痛みを抱えつつも元気で、畑仕事もしていたし、家のこともちゃきちゃきこなしていた。
「自分で作った米や野菜がいちばん。売ってるものなんか、うまかねぇ」と、もちろんすべて自給自足ではなかったが、レトルト食品や冷凍食品を使ったり買ってきたお総菜が食卓に並んでいるのは見たことがなく、何でも手作りしていた。いわゆる農家の料理で本当に素朴な、野菜中心の料理をたくさん作ってくれた。私の兄弟や従姉妹は「お肉が食べたい!」とか「味が薄い!」とか文句を言っていたけれど私はそんな風に思うことがなく(私の母の料理は基本的に味が濃いめだったが)、何でもおいしいおいしいと食べていたため、母や親戚は「みのりは舌がおばあちゃん」などとよく言っていた。
そんな祖母が作ってくれた「おばあちゃんのうどん」は味とともに、祖母がうどんを捏ねている姿や、手伝うというほどのことはしていないのだが一緒に作業をした思い出とともに、私の中に残っている祖母との大切な思い出のひとつとなっている。

 

 

 

私が子どもの頃、夏休みのお決まりのイベントとして、お盆の頃に母の実家へ泊まりがけで遊びに行っていた。
秩父郡小鹿野町にある祖父母の家は、西武秩父の駅から車で30分ほどかかる山奥にある。
家のすぐ後ろは山で、いちばん近いお隣さんでも100メートルは離れていて、見渡す限りの田んぼと畑と山、そして晴れていれば縁側から目の前に武甲山(ぶこうざん・石灰岩が取れる山の上部が青白く見える山、採掘で形が変わっていく)が見えた。
自然豊かで空気がきれいで、水道から出てくる水は真夏でも冷たくておいしく、私が子どもの頃は昼間はとても暑いのだが、夜は真夏でも毛布が必要なくらい涼しかった。祖母の家で過ごしている間は、東京では感じない時間の流れであったり、ほっとするような、心が安らぐような感覚が子どもながらに味わえた。しかし、私が子どもの頃は東京と同じテレビ番組が見られなかったし、東京ではお目にかからないような得体の知れない虫がたくさんいて、いつも開け放っていた家の中にもたくさん侵入していたし、山や草むらの中には蛇やらヒルやら東京にはない危険がたくさんあり、少しの間滞在するのは我慢できるが住むのはとんでもない! バスが1~2時間に1本なんてありえない! 不便すぎる! というのが正直な気持ちだった。でも、やはり大好きな祖父母に会えるのは嬉しく、いつも夏休みを楽しみにしていた。
 
夏休みに遊びに行くと、祖父母はお盆の準備をいろいろとしていて、なすやきゅうりに割り箸をさした飾りを作っていたり、迎え火を焚くためのわらを用意していたり、お供え物をたくさん用意していて、そのお供え物のひとつのうどんを仏様の分と親戚が集まって食べる分を作ったり、忙しそうにしていた。
祖母は「めんめん(うどんの方言)作るべ」と言って大きなたらいにうどんの材料の小麦粉などを用意する。その小麦粉はよく見る真っ白い粉ではなく、近所で(こんなに家がぽつんぽつんとしかない田舎ではどこまでが近所なのだろうと思っていた)小麦粉を作っている方から分けてもらったという、すこし茶色がかったような、ところどころ茶色い粒が混ざっている小麦粉だった。そして武甲山が見える縁側にあぐらのように座り、たらいを足で抱えて、両手で捏ね始める。塩水を少しずつ加え、最初はたらいの中をかき回すように混ぜていく。祖母のしわしわの、小さいけれど厚みがある手で捏ねていくうちに、少しずつまとまっていき、あれ? と思っているうちにひとつの大きな塊になっている。そこから力を込めて捏ねていく。祖母はうどんを踏んだりはせず、手だけで捏ねていく。小柄な祖母が力をこめてせっせと捏ねていく。
そして、「これでよかんべぇ」と捏ね上がると、つるんとした大きな丸い塊ができている。その丸い塊の弾力や触り心地を確かめたくて、人差し指で押してみたり、ぺちぺちと表面を叩いてみる。祖母は「これこれ」と言って笑っていたけれど、母は「食べ物で遊ばないの!」と怒っていた。そう怒られるのは分かっていたが、毎回祖母が作り上げた作品のような小麦粉の塊を触らずにはいられなかった。
しばらく寝かせたあと、今度は小さな丸い塊を作っていくのだが、はかりで量ったかのように私の目には全部同じ大きさになっているように見えた。大きな塊から分身になったその小さな塊もまた触らずにはいられず、同じように母に怒られた。
小さな丸い塊がたくさんできると、それを手と麺棒である程度平べったく伸ばし打ち粉をしていく。そして「みのりの出番だよ」と、ぽんっととび出すトースターを2個並べたくらいの大きさの四角い、ハンドルが対角線上に2カ所ついている製麺機で、昔の洗濯物を絞る機械のように、その平べったくなった生地を入れてハンドルをくるくる回すと、伸ばされた生地が下から出てくる。次に、反対側のハンドルの方へ伸ばされた生地を入れると麺になって出てくる。それをいつも私に手伝わせてくれた。そのハンドルをくるくる回す作業、そしてきれいに平べったくなってぺろんと生地が出てきたり、麺がにゅーんと出てくるのがおもしろくて、私はきゃっきゃ言いながら祖母を手伝った。「昔は全部手とめん棒で伸ばして、包丁で切ってたけんど、これは便利だべ」と言っていた。
そうして一緒に作った、と言えるほど私は何もしていないのだが、そのうどんが夕食に出てくる。ゆであがった麺は一般的なうどんとそばの間くらいの色をしていて、私が普段よく食べていた市販の麺より平たく、すごくコシがある麺ではないのだが柔らかくもなくちょうどよいコシがある。製麺機で伸ばして切っているのだが、1本の麺の中でも微妙に厚みが違ったり、祖母の捏ね具合でコシの強さが違う部分がある。その絶妙な食感と小麦の味がしっかりすることで、いつも食べている市販のうどんとの違いは歴然だった。子どもの私でも、またどちらかというと味音痴でなんでもおいしく食べられる私でも、その違いとおいしさはよくわかった。そのうどんを野菜やらキノコやらの具だくさんのおつゆでいただく。祖父が肉を食べない人だったため、おつゆには肉類は一切入っていないのだが、お出汁がきいて野菜やキノコのうま味も染み出たそのおつゆは、濃すぎず薄すぎず、もの足りなく感じることもなく、とてもおいしかった。
 
小学生のうちはそうやって祖母のうどんを捏ねるそばにいて、その姿や手の動きをじっくり観察して、粉からうどんになっていく工程を眺めて、祖母が作った作品の手触りを確かめたり、麺にする作業を手伝ったりしていた。
しかし、中学生の頃には祖母がうどんを作っている姿を眺めたりはしていたが、そばで興味津々にじっくり動きを観察したり手伝ったりはしなくなってしまったと思う。変わらず祖母のことは好きで距離ができたわけではなく、一緒に過ごして話はたくさんしたが、うどん作りや料理や畑仕事などをわくわく好奇心を持って観察して、新たな発見ができる柔らかい心はなくなっていってしまった。それとともに、東京とは違う空気や自然を敏感に感じて楽しんだり、祖母の料理をおいしくありがたくは食べていたが、ひとつひとつをじっくり味わい五感をフル活用して食べることはしなくなってしまったのではないかと思う。武甲山は石灰岩の採掘によって年々姿を変えていっており、それを毎年「山の上の方の形が少し変わった!」とか「左の肩が削れた!」など前回の記憶と照らし合わせて違いを見つけることもできたが、いつからか山の変化なんて気にならなくなってしまった(実際どう変わっていったのかと観察日記をつけたり写真を撮っていたわけではないので私の主観のみなのだが)。
私が20代前半くらいまでは祖母も元気にうどんを作ってくれていたと思う。しかしだんだんとうどんを作る体力はなくなり作れなくなってしまった。社会人になってからは数年に一度程度しか会いに行かなかったため、最後に祖母のうどんを食べたのはいつだったのかは思い出せない。そのいつだかわからない最後のうどんも、おいしいとは思ってもそれほど感動したりすることはなく普通に食べてしまったのだと思う。もっともっと祖母との時間を大切にして、祖母の作る料理のひとつひとつにも感謝をして、祖母からひとつでも料理の作り方を教わるとか、それこそうどんを自分で打てるようになるくらい教わって一緒に作ったら良かったのにと、今さら気づいてもどうにもならない後悔をしている。

 

 

 

変わっていくもの、変わらないもの、忘れてしまうもの、忘れずにいられるもの。
祖母は変わらず秩父の山奥にいて、いつでも暖かく私を迎え入れてくれた。
しかし私の方が成長とともに変わってしまい、それはもちろん当たり前のことなのだけれど、もっと子どもの頃の祖母への思いや自然を敏感に感じる感受性や好奇心とか、変わらずにいたかったもの、忘れてはいけなかったものがたくさんあるように思う。
祖母のおいしいうどんの記憶を思い起こしたことで、祖母がうどんを捏ねる姿や一緒に作業をしたこと、縁側から見えた田んぼや畑、山々、そして正面に見える武甲山、感じた風の音やにおい、蝉や蛙の鳴き声、それに祖母の家にいた鶏や犬の足音や鳴き声、有線から流れる農協の出荷状況を伝える謎の暗号のような放送など、今でもその場面にいるかのように、子どもの頃に戻ったかのようにありありと思い出すことができた。
どれもこれももう二度と体験できないことだけれど、でも祖母のおいしいどんの記憶と紐付いて、うどんの記憶とともにいつまでも忘れずにいられるのではないかと思う。そして子どもの頃に戻ったかのように、この先の人生でいつでもどんなときでも祖母の思い出がやさしく包みこんでくれて、私もやさしい気持ちになれると思う。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
吉田みのり(READING LIFE 編集部 ライターズ倶楽部)

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2021-11-24 | Posted in 週刊READING LIFE vol.149

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