ドモリと燕返し《週刊READING LIFE Vol.151 思い出のゲーム》
2021/12/14/公開
記事:椎名真嗣(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
天地がひっくり返る。
次の瞬間
「一本!! それまで!!」
と審判の声が聞こえる。
勝ったのは俺なのか? 奴なのか?
小学校入学以来、俺は人前に出ると、足がガタガタ声は震えて、まったく人前で何かを披露するという事ができない男だった。
そんな俺を周囲の同級生はいじめた。
川に落とされ、びしょびしょになったり、ランドセルをとられて、ぼこぼこにされたりした。文房具や靴等を隠されるのは日常茶飯事。そんな地獄のような毎日を俺は小学校で過ごしていた。
小学校4年の時。
先生俺を当てないでくれ!
けれども、そんな時に限って、先生は俺を当てるのだ。
「ああああ、 うーうー、 こっ こたえは150です」
「椎名、よくできた!」
先生は俺に自信をもたせようと一生懸命ほめるのだが、そんな事お構いなしに教室から失笑がもれる。
俺に自信をもたせようと思う先生の気持ちは痛いほどわかるが、俺以外の子供達からすると、「美味しい」いじめのネタでしかないのだ。
授業が終わり、休み時間になる。
「ああああ、 うーうー、 こっ こたえは150です、だってよ。いつになったらあのドモリなおるんだろうな。ハハハハハ」
俺に聞こえるように、俺の真似をして盛り上がるいじめっ子達。
俺は聞こえないようにその様子を無視する。
するといじめっ子のリーダー格、栗原が俺の席に近づいてきた。
「よー、椎名。無視するんじゃねーぞー」
俺の頭を教科書でたたいてきた。
俺はたたかれても、たたかれても、ひたすら我慢する。
俺、一生いじめられ続けるのかな?
こんなことが一生続くと思うと、死にたくなるよ。
そんな日々を過ごしていた俺が郵便ポストであのチラシを見つけた。
『柔道少年団、団員募集』
そのチラシを見たとき俺は頭には栗原の顔が浮かんだ。
強くなって、栗原を見返してやる!
早速俺は入団手続きをし、初練習に柔道場に行くと、そこにはなんとあの栗原が!
栗原も柔道少年団に入団したのだ。
ニヤニヤしながら俺を見る栗原。俺はうつむくしかなかった。
柔道を始めてから1年。
俺は5年生になっていた。同時期で入団して連中の中で、柔道を未だ続いているのは栗原と俺だけだ。俺がなぜ柔道を続けられたのか? 俺に根性があったわけではない。柔道が好きだったわけでもない。栗原に
「お前、柔道辞めたらどうなるかわかっているよな?」
と脅されていたからだ。
「打ち込みやめ! じゃあこれから乱取りをはじめる!」
師範の先生の声で俺たちは2列に並んだ。乱取りとは試合形式で自由に技をかけあう練習の事。俺の正面には栗原だ。
「はじめ!」
師範の声で、栗原が俺の奥襟をつかんできた。
次の瞬間天地がひっくり返り、背中に激痛が走る。
栗原に一瞬で投げ飛ばされる俺。
畳に投げられて横倒しになっている俺に栗原は容赦なく、袈裟固めをかけてきた。
寝技である袈裟固めの体勢から俺の首を絞り上げる栗原。
反則といえば反則だが、師範代はそこまで目が行き届かない。苦悶する俺の顔を見て栗原はニヤニヤしている。
俺は栗原にとって良いオモチャなのだ。
さすがに5年生ともなると、そうそう俺に学校では暴力をふるえなくなる。そこで栗原は柔道で俺に「稽古をたっぷりつける」事を決めたようだ。柔道の練習は週3日。柔道の練習がある日、それは俺にとって地獄だった。しかし、その地獄の日々に突然終わりをむかえる。6年の夏、栗原が隣の町の小学校に転校になったのだ。栗原からの「稽古をたっぷりつけらえていた俺」は気が付くと、道場の小学生の中で一番強くなっていた。
「椎名をいじめると背負い投げで投げられる」
という噂が流れ、俺をいじめる人間は学校で一人もいなくなっていた。
そんな俺は中学に上がると俺は迷わず柔道部に入る。
そして中学1年の地区の新人戦。会場に着くと見慣れた顔を発見した。栗原だ。栗原は俺を見つけると近づいてきた。
「よっ! 椎名。お前随分強くなったっていうじゃないか。 お手柔らかに頼むぜ」
ニヤニヤする栗原。俺はただ黙っているしかなかった。
10月には新人戦が始まった。
新人戦では栗原は俺と同じ階級の中量級にエントリーしている。トーナメント表をみると順調に勝ち上がると、準々決勝で栗原にあたることになりそうだ。
新人戦が始まると俺は得意の背負い投げで、勝ち上がる。
栗原も得意の内股で一本の山を作り、とうとう俺は栗原との試合をむかえた。
「はじめ!」
審判の号令で試合が始まった。
栗原は俺の奥襟をつかんでくる。奥襟をつかまれると、そこからは栗原得意に内股にいかれてしまう。俺は奥襟をつかまれる前に勝負をかけた。奥襟をつかもうとしてきた栗原の右手を左手で制し、栗原に背を向けながら必殺の一本背負いに入る。
しかし、栗原は腰を引き、俺の一本背負いをかわす。そして俺を正面でとらえると、そこへ栗原の左足払いが飛んできた。バランスを崩しながら耐える俺。俺が体制を整えようとした矢先、栗原は俺に得意技の内股をかける。目の前で天地がひっくりかえり、背中に激痛が走る。
「一本、それまで!」
審判の声が試合会場に響く。
俺は栗原に負けたのだ。
その後、中学2年の3回の大会で栗原とあたったが、俺は栗原には一度も勝てないでいた。負けるパターンはいつも一緒だ。左足払いからの内股。これが栗原の勝ちパターンなのだ。俺は左足払いを決められる前に先手をとって、一本背負いを栗原にかけるのだが、どうやってもかわされてしまう。俺の一本背負いは栗原には通用しない。栗原にはこのまま一生勝てないのか? そんな考えが頭にもたげる中、中学校最後の試合を俺と栗原はむかえたのだった。
トーナメント表を見ると順調に勝ち進むと栗原とは決勝で当たることになる。試合に備えて柔軟運動をしていると栗原が近づいてきた。
「ああああ、 うーうー、 こっ こたえは150です」
と何度も何度も俺のドモリの真似をしながら、俺の隣で準備体操をしている。
俺を挑発しているのだ。俺は怒りに震えながら、完全無視を決め込んだ。
すると栗原は練習相手をつれてきて、得意の左足払いから内股の打ち込みを始めた。
俺はそれを少し離れたところからじっとみつめて、きたるべき決勝戦に備えて対策を考えた。
「一本! それまで!」
俺は無事準決勝も得意の背負い投げで一本勝ちをとった。
俺が畳を降りる時に隣の畳で「おー!!」と歓声があがる。
見ると栗原が試合相手に内股を決めた直後であった。
やはり決勝の相手は栗原か。俺の人生であいつだけは許せない。絶対今度こそ俺はあいつに勝ってやる! 俺は強く心に決めたのだった。
「これから中量級決勝戦を始めます。赤 道南中学 椎名君」
「はい!」
返事をして、俺は畳の上に上がる。
「白 室蘭中学 栗原君」
「はい!」
続いて栗原が畳の上に上がってきた。
「はじめ!」
審判の号令で試合が始まった。
俺は栗原の打ち込みをみて、あることに気づいていた。
それは奴には勝てないということだ。
正確にいうと奴の得意パターンの左足払いから内股というコンビネーションを使われたら、防ぐことはできない。絶対いつかは投げられる。
じゃあ、どうすれば良いか?
栗原が左足払いから内股にはいる時の技のつなぎのわずかなタイミングに仕掛けるしかない。それが俺の秘策だった。
といっても左足払いから内股への技のつなぎはコンマ何秒の世界。このコンマ何秒かで俺は栗原の左足払いをかわし、自分の右足で払い返す。ボクシングでいうところのカウンターだ。この技が得意だったのは姿三四郎のモデルにもなった伝説の柔道家三船久蔵十段。技の名前は「燕返し」
試合はおろか、練習でも一度も成功したことがない、大技だ。
俺は一か八かこの大技「燕返し」にすべてをかけた。
決勝戦、序盤。
栗原がいつものように俺の奥襟を狙ってくる。ここでいつもなら俺はこの腕をとって背負い投げにいくのだが、この試合で背負い投げは封印だ。奥襟をつかませ、栗原のなすがままになる。すかさず、俺の右足をめがけて栗原の左足払いがくる。
はやい、とてもこの左足払いをさけることなんてできない。俺は栗原の足払いを避けきれず、右足を払われバランスを崩される。その俺に向かって、内股が放たれた。ふっと俺の身体がうきそうになる。俺は必死に腰を引いて何とか投げられることは耐えたが、思わず膝をついてしまった。
「待て!」
と審判の声。
場外になったので審判は試合を止めた。
何とか助かった。
もし審判が今止めていなかったら、あのまま栗原得意の袈裟固めでおさえられるところだった。
俺と栗原は畳の中央にもどされ、向かい合う。
審判の
「はじめ!!」
の声で試合再開だ。
試合が始まると、またしても奥襟をつかまれ、左足払いからの内股。
俺は今度も内股を何とか耐えきった。
ただ防戦一方の俺。
何度か内股の波状攻撃を耐えてきたが、残り2分の時、とうとう内股で技ありを取られてしまう。
時間は刻々と過ぎ、応援席から
「残り1分」の声。
このままでは栗原に優勢勝ちをとられてしまう。しかし意外なことにそのような状況でも俺に焦りはなかった。というのもだんだん栗原が左足払いを出すタイミングが読めるようになっていったからだ。栗原が左足払いをするときは決まって、一旦呼吸を吐く。呼吸を吐くタイミングで右足を上にあげれば、左足払いはかわせるはずだ。俺は腰を引いてひたすら栗原の呼吸に耳をそばだてた。
「ふっ」
きた!! っと思った。次の瞬間の天地がひっくり返っていた。
「一本!! それまで!!」
俺の燕返しが決まったのか? 栗原の内股がきまったのか?
俺はわからないまま立ち上がり、畳の中央に戻った。審判は赤の旗を上げていた。
赤は俺の旗。
俺の正面に立つ、栗原と目が合う。互いに礼をして畳を降りた。畳を降りるとき会場から割れんばかり拍手。拍手の音を聞いて初めて栗原に勝った事が自覚された。
あれから30年。俺は40歳を超えた。
「椎名部長、コンペ先の東京ビジネスコンピュータはうちの提案金額より3割ほど安く見積もりをだしているようです。しかもうちよりこの手の開発実績も多く、全く勝ち目がありません!!」
部下の原田が悲痛な顔で俺に報告してきた。
ドモリに苦しみ、小学校時代いじめられっ子だった俺。
栗原に勝利して以降、すっかり自分に自信が持てるようになり、ドモリもいつの間にやら治っていた。今では中堅IT企業の営業部長だ。
「原田、お前燕返しってしっているか?」
と、俺は唐突に原田に尋ねた。
「なんですか、それ?」
「柔道の技なんだが……」
と言って、思わず30年前の思い出話をしそうになる。
原田に言ってもわかるはずがない。俺は思い直し、
「とにかく、相手が得意技をかけてくるのはわかっているのだから、こちらはその裏をかくんだよ。時間はまだある。頭を絞って考え抜け! 何かあるはずだ!」
そういった瞬間、俺の脳裏には30年前のあの試合の映像、天地がひっくり返るあの映像がありありと蘇り、全身が熱くなった。
今回だって、逆転して一本とってやる!
「原田! とにかくあきらめんな! 一本とろうぜ!」
俺は原田に叫んでいた。
□ライターズプロフィール
椎名 真嗣(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
北海道生まれ。
IT企業で営業職を20年。その後マーケティング部に配置転換。右も左もわからないマーケティング部でラインティング能力の必要性を痛感。天狼院ライティングゼミを受講しライティングの面白さに目覚める。
現在自身のライティングスキルを更に磨くためREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部に所属
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