だから人生ハードモード《週刊READING LIFE Vol.157 泣いても笑っても》
2022/02/14/公開
記事:黒﨑良英(READING LIFE編集部公認ライター)
「泣いても笑っても」
で、何だろうか。
いや、喧嘩を売っているわけではない。その後に続く言葉、皆さんは何が思い浮かぶだろうか。
まあ、だいたいは「泣いても笑ってもこれが最後。だから悔いの無いようにいけ。楽しんでこい」とかだろうか。これは、スポ根ものや舞台芸術もののストーリーでよく聞く言葉だろう。あるいは「泣いても笑っても人生は一度きり。悔いのないようにいけ」というバージョンもよく聞く言葉だ。
で、思うのである。この「泣いても笑っても」ってどこに掛かる言葉なのだろうか?
つまり、「泣いても笑っても、それは結果に影響しないのだから、不安になったり逆に楽観視したりすることもなく、ただ悔いの無いように、目の前のことに集中せよ、楽しんでこい」という意味なのだろうか。
それとも「“結果に”泣いても笑っても、これは一度きり、だからせめてその一度きり(あるいは最後)という点を重要視して、悔いのないように、楽しんでこい」という意味なのだろうか。
もっと要約すると、「泣いても笑っても」とは、やる前の意気込みに掛かる言葉なのだろうか? それともやった後の結果に掛かる言葉なのだろうか?
まあ、慣用句的に使われている言葉なので、どっちでもいいといえばどっちでもいいが……ただ「泣いても」という語幹の響きから言うと、どうも後者の方が、つまり結果に掛かる言葉なのではないか、と思ってしまう。
だとしたら、だ。泣いても笑っても「人生一度きり、1つのことはこれが最後、過去はやり直しがきかない」のだというならば、人生ってかなりハードモードなんじゃないだろうか?
だって、失敗ができないときはできないのである。
いや、何を当然のことを、とおっしゃられるかもしれないが、当然だからこそ、なおのことたちが悪い。
私事ではあるが、最近事故を起こしてしまった。
交通事故だ。相手もいる。
全面的に私に非があるやつだ。
無論、保険で金銭的なことはカバーできるのだが、問題はそれ以外である。
相手はダメージを負った。幸い命に関わるような大きなものではないが、ひどく痛みを与えてしまった。通院も長くかかるだろう。
そんな本来なら無用な手間を取らせ、時間を潰してしまっている。
これは自分もされた側になったことがあるので分かる。
車の手配はしなければならないし、普段あるはずの時間がたちどころになくなってくる。
というか、程度の問題ではない。身も知らぬ相手から、ある日突然、ダメージを与えられ、時間を奪われるのである。
イヤだろう。大いにイヤだろう。私はイヤだ。
だから、その時間をやり直したい。人生一度きりと言わず、リトライを何度もしたい。物事最後と言わず、過去は変えられないと言わず、何度でもやり直したいのだ。
結果を「泣いても笑っても」でもなく、「笑っても笑っても」にしたいのだ。いや、失礼、意味不明だ。
とにかく、「泣いても笑っても」なんて表現が存在していること自体が、何事もやり直せず、誰にとってもその1回が1回なのが、どうしようもなく、イヤだと感じるのである。
だいたい、何か被害を被った人に会って、「泣いても笑っても人生一度きりだから」なんて慰めようなら、かえって憤慨されるに違いない。
いや、分かっている。散々御託を並べたが、これが駄々をこねているに過ぎないことは、分かっている。
というか、漫画やドラマじゃあるまいし、過去を変えるとかもう一度やり直すとか、そんなことを言っている時点でバカである。中二病である。
そうなのだ。何事も、取り返しが付かない。
しかし、だ。
だからこそ、「注意して過ごしなさい」とかいう警句は、あまり意味をなさない。いや、意味が無いわけではないと思うが、注意しているときに起こるから事故なのである。
もちろん注意散漫で起こる事故はたくさんある。
しかし、注意のしようが無かったり、不意を突かれたりする事故が、この世にはごまんとある。
で、それも「泣いても笑っても」である。
とんでもない、と思うのだ。
そんな事故を「泣いても笑っても」なんて言えない。
そう、要はこの言葉、えらくポジティブな言葉なのである。
考えてみれば上記のような悲惨な出来事に、通常使われたりしない。
というか、これから起こることに対して、対象者の不安を和らげるために使うのが、普通である。
そこで思い出してみる。
私のろくでもない人生の中で、この「泣いても笑っても」の場面がどれほどあっただろうか。
幼い頃を思い返せば、例えばピアノの発表会。
「泣いても笑っても」その時は一度きりだった。
特に、中学1年生の最後の発表会。
「泣いても笑っても」これが最後、と思ったかどうか分からない。先生からそんな声かけをされたかも、覚えていない。
ただ、案の定失敗したことは、覚えている。
とはいえ、失敗したことが何というわけではない。命取られるわけでも、自分の存在意義が否定されるわけでも、正直、後悔すらしなかったと思う。
ピアノは好きだったが、そこまで思い入れがなかったのかもしれない。まあ、だからこその失敗かもしれないが。
長じてからは、やはり大学受験だろうか。
「泣いても笑っても」その試験は一度きり。ならば、自分の持てる力を全て発揮するのみ。
そう思ったかどうかは、やはり分からない。もちろん、必死だったとは思うが、多分、当時のこととて、根拠のない自信でもあったのだろう。
そして、ここでも失敗したことを覚えている。
推薦入試であったが、どうも受け答えがうまくできず、かつ小論文もろくに書けずに終わった。
その後、その大学を受けることはしなかった。
こうつらつら思い返してみて、私は思うのだ。
私は、本気で何事かに取り組んだことがないのだ、と。
物事は結果が全てである。
しかし、そこを「結果が全て」にしないのは、当人の思い入れがあればこそ、である。
試合で負けた、コンクールで優勝を逃した、受験に合格しなかった。
それは結果を見れば、それだけのものである。
しかし、そこにかけた情熱とか、信念とか、そういった強烈な思いがあってこそ、「泣いても笑ってもそれは一度きり。だから楽しんでこい」と言えるのである。
そしてもちろん、終わった後の成長も確かに存在するのである。
だが、それが……情熱とか、信念とかがない私には、「結果が全て」だったのかもしれない。
そして、私は自分を守るために、「自分には無理で、この結果は当然だ。最初から分かっていた」とか、いわゆる「まだ本気出していないだけ」的な言い訳を、いつも心に抱えていたのだ。
そりゃ、いつまでたっても「笑える」わけがない。
どうすればいい?
情熱を持てばいい? 本気になればいい? できたらとうにやっている。
私は、何度も虚空に向かって問いかける。
何かかっこいいことしているようだが、その実、問いかける相手がいないだけである。
分からない。誰か教えてほしい。助けてほしい。
そんな切実な思いにくれること数日、少しだけ光明が見えた気がした。
それは、母の言葉である。
事故を起こした相手に謝罪に行く前に、母からひと言、声をかけられた。
「今日できることを1つ1つやっていくしかないじゃん」
そのときは、そりゃそうだ、くらいにしか感じなかった。その1つ1つが難しいのだ。
私は誠心誠意謝った。心の臓を針で刺されるような苦しみが襲った。それでも謝った。
相手は大変良心的な方で、私の謝罪を受け入れてくれた。
そして、謝罪を終えて、変える途中、こういうことか、と思った。
今日できることを1つ1つやっていく。当然だ。というか、普通のことである。
だが、私に足りていなかったのは、たぶん、その丁寧さ、というか、謙虚さ、みたいなものだったのではないか、と思う。
これは1つ1つを注意深く、というのともちょっと違う。もちろん、含まれるとは思う。物事を注意深く対処してこそ、良い結果は生まれる。
しかし、その前に、私は丁寧さ、謙虚さの副産物としての「想い」を手に入れることができると考える。
丁寧にしてこそ、謙虚に相手や物事を考えてこそ、そこに情熱や信念には及ばないが、「想い」が生まれるのである。
そんなふうに思う。
そして私は、その生まれた「想い」を大切にしていくことで、「泣いても笑っても」が言えるようにしたい。
私は、わがままだった。この歳になっても、大人げないと思うほどに、わがままだった。
そのわがままが、自分の人生をハードモードにしていたのかもしれない。
ただ、人間変わろうとして変わることができれば、苦労はしない。
このわがままで、強欲で、ガキっぽい性格は、そう簡単に直らないだろう。
本当に恥ずかしく、情けない。
であればこそ、なおのこと、世の中を丁寧に、謙虚に生きる必要がある。
着実に、一歩一歩。
おそらく、そのこと自体もハードレベルなのだろう。
だが、進むしかない。
だって、「泣いても笑っても」私の人生は一度きりの私のもの。だったら泣きたくないので、ね。
□ライターズプロフィール
黒﨑良英(READING LIFE編集部公認ライター)
山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨の高校に勤務している。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。デジタルとアナログの融合を図るデジタル好きなアナログ人間。好きな言葉は「大丈夫だ、問題ない」。
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