週刊READING LIFE vol.157

『最後の審判』と言う勿れ《週刊READING LIFE Vol.157 泣いても笑っても》


2022/02/14/公開
記事:宮地輝光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「ごぉぉぉぉぉぉぉ~~~~~~る!!!」
 
スタジアムの場内アナウンスやテレビ中継のアナウンサーの叫びを、サッカーのゴールシーンでは必ず耳にする。だが、そんな興奮の叫び以上に、フィールドの内外では感情がはじけている。
 
ゴールを決めた選手やチームメイトは飛び上がり、抱き合い、雄叫びをあげる。個性的なパフォーマンスを披露することもある。かたや、ゴールを守り切れなかった選手たちはうつむき、肩を落とし、フィールドに崩れ落ちる選手もいる。選手だけではない。フィールドの近くで応援する観客も、我がことのように喜びや落胆の感情を爆発させている。そんな激情のるつぼの中で、冷静な表情を変えない人たちがいる。
 
審判員だ。
 
フィールド内に主審がひとりとフィールド両側のタッチライン沿いに副審がひとりずつ。第4の審判員がフィールドの外、ハーフウェーライン付近にいることもある。
 
彼ら審判員は、ゴールの瞬間でも淡々と審判としての仕事をこなす。
タッチラインに立つ副審は、ボールが完全にゴールに吸い込まれたことを確認すると、主審のアイコンタクトをとり、タッチラインに沿ってハーフウェーラインに向かって走る。副審とのアイコンタクトと動きを確認した主審は、センターサークに向けて腕を伸ばすジェスチャーをみせる。そして、審判記録カードに得点の時間と得点者の背番号を記録する。
 
審判員が淡々としているのは当然といえば当然だ。判定に審判員の感情がはいってしまったらフェアな試合は望めない。しかし、審判の判定には、感情がはいる余地がある。
 
たとえば「ハンド」の判定。手と腕以外の身体の部分をつかってボールを扱うサッカーでは、手と腕をつかえば、「ハンド(正しくはハンドリング)」というファウルになる。原則は単純だが、実際のルールはやややこしい。手や腕にボールが触れたら必ずファウルにはなるわけではないのだ。意図的であったり不自然に手や腕で扱ったり、またそうでなくても得点に直接つながったときだけ、ファウルになる。この“意図的”とか“自然”とか“直接”といった部分については、審判員のその場での判断が求められている。
 
フェアな感情を保てていたとしても、審判員も人間なのでミスをすることもある。走り回りぶつかり合う選手たちを、目と足で追いながら見て、瞬時の判断を何度も何度も繰り返さなければならない。相当の体力と技量が求められるもので、ミスが起きない方が不思議なほどだ。
 
そういった審判員の判断やミスが、試合の善し悪しや勝敗に影響を及ぼすことは少なくない。途切れのない一つのダイナミックな流れでの攻防はサッカーの醍醐味の一つだが、審判員が判定を下すときはその流れをとめざるをえない。流れが止まると試合に乱れが生じる。その乱れは得点する絶好のチャンスになるケースも多い。審判の判断が適切であれば良いのだが、もし間違っていたとしたら、選手、コーチ、観客には不満が残る。
 
間違いを認め判定を変えると、それはそれで不満が生じる。だから、主審が一度下した判定は、原則覆せない最終決定と定められている。そんな強い権限をもつが故に、主審の判定やミスには厳しい目が向けられてしまう。サッカーの競技規則に「審判員の決定は常にリスペクトしなければならない」と明記されてはいるが、興奮した人間の感情的不満はそうたやすく収まるものではない。
 
判定への批判ならまだしも、その批判は審判員の人間性への批判やヤジにまで飛躍、エキサイトしたりもする。海外ではアマチュア選手が審判員を射殺するという事件まで起きたことがある。ちゃんと判定できて当たり前、ミスをすれば批判の的。そんな審判員をすすんでやろうとする人は、たとえサッカー経験者やサッカーファンでも多くはない。
 
ところが、サッカー未経験でサッカーファンでもない私が、審判資格を取得することになった。
 
きっかけは息子だ。保育園の友だちに誘われて地域の少年サッカーチームに入団した。保育園児の頃は、毎週日曜日にボールと戯れて遊ぶ程度の練習内容だった。小学校にあがると、練習は土曜日曜の二日になり、練習内容もよりサッカーらしくなった。
 
一年、二年と学年があがるにつれて、他チームとのフレンドリーマッチ(練習試合)が増えていった。息子の練習にときどき参加し、“パパコーチ”として練習の手伝いをしていた私は、どんどんうまくなり、どんどん楽しそうにサッカーをする息子や彼の仲間たちの姿を見て、彼らの成長をできるだけ近くで見ていたいと感じていた。
 
そんな子供たちの可愛さに負けて、審判をするようになった。
公式戦で審判をするには、日本サッカー協会が認定する審判資格を取得しなければならない。日曜日の半日間、審判講習会に参加し、サッカー審判員の初級である4級の資格も取得した。もちろん資格をとったからといってすぐに審判が出来るわけがない。日頃の練習の中で組まれるゲームやフレンドリーマッチで審判の経験を少しずつ積んでいった。
 
息子が三年生にあがった頃、ついに少年サッカーの公式戦で主審を務めることになった。
前後半あわせて30分の試合。ずっと緊張しっぱなしだった。途中、走り疲れて集中力が途切れ、意識がぼんやりとし、試合の内容が頭にはいらなくなった。必死にこらえてボールと選手たちを追い続けた。
 
試合は両チームが一点ずつ得点し、同点のまま試合終了の時間が近づいてきた。
 
手元の時計を確認して、少しロスタイムをとり、試合終了のホイッスルを鳴らした。
 
よかった、とにかく無事終わった。
つぎはPK戦だ。
そんなことを考えながらセンターサークルに向かって歩こうとしたとき、私は異変に気づいた。
 
一方のチームの選手、コーチ、そして観客から歓声があがっているのだ。
 
引き分けなのに、なんで?
 
私はゴールの方に顔を向けた。
なんと、ボールがゴールの中に転がっているではないか。
 
一瞬だけ私の頭は真っ白になったが、すぐさま、ほんの少し過去の出来事の記憶をたどった。
 
確か、ホイッスルを吹いたときにはまだゴールしていなかったはずだ。
そして私はホイッスルを吹いた。
その音はしっかりと私の耳に派残っていた。
しかし、選手、ベンチのコーチ、そして観客の耳に届いていなかった。プレイや応援に夢中なときはホイッスルの音が耳にはいらないこともある。いや、それとも私のホイッスルの吹き方が悪かったのか。
 
何よりしまったと思ったのは、ホイッスルを吹いた途端に安堵してしまっていたことだった。初めて経験するPK戦のことに意識が向いていたのも悪かった。選手たちの動きから目と意識を完全に離してしまっていたため、ホイッスルの直後に何が起きたのか、まったく把握できなかった。思い返してみても、少し前の出来事の記憶には確証がもてなかった。
 
どうしよう。
こんなとき主審はフィールドで孤独だ。
 
虚ろにフィールドを眺め回すと副審の姿が目にはいった。
そうだ、まずは副審に確認だ。
私は副審の元に駆け寄ると、状況を確認した。私と同じようにまだ経験の浅い副審で自信なげではあったものの、ホイッスルはすでに鳴っていたとのことだった。ノーゴールで間違いない。
 
会場の雰囲気がざわつく中、ハーフウェーラインに集まる選手たちに向けて、試合は1対1の引き分け、PK戦の準備をするようにと伝え、選手たちと共に一旦ベンチにしりぞいた。しかし、会場はどことなく納得していない、ざわついた雰囲気が漂ったままに感じた。私の自信のなさが、そう感じさせていたのかもしれない。
 
ベンチにいくと、やはりコーチからは「どういうこと?」と聞かれた。状況を説明すると、「あのタイミングで、笛吹いちゃうかなあ」と少々不満げな様子をみせはしたものの、ちゃんと判定を受け入れてPK戦に向けて切り替えてくれた。その姿勢はとてもありがたかった。勝敗を決めるPK戦に向けて、私も気持ちを落ち着けた。
 
PK戦の結果、ホイッスル直後にゴールを決めたチームが勝利した。正直、内心ほっとした。もしPK戦で逆のチームが勝利していたら、幻のゴールを入れたチームの選手、コーチ、観客の親御さんたちにとって、より後味の悪い試合になっていただろうと思ったからだ。
 
家に帰るまでが遠足なのと同じように、審判はベンチに戻るまでが試合だ。主審としてフィールドに立つときの心づもりを公式戦デビューでの実践で学ぶことができた。
 
試合後、観戦していたベテラン審判員の方からアドバイスをいただいた。そこで、私の気がついていなかった失敗の原因を一つ指摘された。それは、自分の判定について選手、ベンチのコーチ、そして観客に向けてわかりやすく伝えなかったことだった。
 
「ノーゴールという声と、頭の上で腕を大きくふってフィールド内外にわかるようなジェスチャーがあれば良かったですね」
と丁寧に指導してもらった。
 
この指導で私は、判定が正しくても、審判の振る舞い一つで試合の雰囲気が悪くなりかねないことを理解した。審判員はルールだけでなく、サッカーの主役は人間で、喜怒哀楽の情があることも忘れてはならないと強く感じた。
 
それ以来フィールドに立つと、試合を判定するという意識より、選手と一緒にプレイする意識で審判員を務めるようになった。プレイにしっかり目を向けることはもちろん、目を向けていることがフィールドの外にいるコーチや観客にもわかるような動きや姿勢を心がけるようになった。ボールに関わる選手たちとの距離感や立ち位置も意識するようになった。そうすることで、新たにわかるようになったことがある。
 
選手である子供たちの生き生きとした表情や息づかいだ。
 
「どりゃっ」
「ふん!」
「どうだ!」
「まじか!!」
「ええい!」
「なんだそれ!」
そんな声が一対一でのボールの奪い合いでは聞こえてくる。声にはでていなくとも、顔の表情からそんな声を感じとれる。
 
表情や息づかいが感じられると、選手たちがどのような動きをするか、わかるときがある。
「はい、チャリーン」
ある選手が相手の股下にボールを通して抜き去った。チャリーンは股抜きしたときによくつかわれるオノマトペだ。
これをやられた側の選手はすごく悔しい。
「うわ、くっそー」
必死で後ろから追いすがる。思わず手をつかって後ろからつかもうとする。
すかさず
「手はつかわないよー」
と声をかける。
そうすると、熱くなっている選手も冷静さを少しだけ取り戻すようですっと手を引き、プレイを続ける。
中学生以上のよりレベルの高い試合は未経験なのでわからないが、少なくとも地域の少年サッカーでは、選手のプレイに干渉しすぎない程度の声かけは不用意な反則を防ぎ、荒れた試合にならないようにするには有効だった。
 
こうして一試合一試合、審判として少年サッカーを体感していくにつれて、判定をくだすだけが審判の役割ではないと気づく。審判員も試合の一部だという気持ちになっていった。すると、一つのボールを中心にフィールド全体がつながって動いているように感じてくる。それは「一体感」と言い表すよりももっと生っぽいうねりだ。
 
サッカーは生き物だ。
 
そんな言葉をサッカーに関わっているとしばしば耳にする。生き物のようなさまをサッカーの何から感じるかは人それぞれだろう。私の場合は審判を通してサッカーが生き物であることを感じた。
 
生き物の一生のように、サッカーの試合もまた一度きりだ。その一度きりの試合を小学生の子供たちはいつも楽しみにして、必死で戦い、結果に一喜一憂する。後先を考えないようなその姿勢が、子供たちの驚くばかりの吸収力の源かもしれない。45歳のおじさんになってしまった自分も、まだ子供たちのようにありたいと思った。
 
その思いは、一年前、下半身不随になり手術を受けた後に役立った。手術後のリハビリで、まるで子供たちのような吸収力で歩行機能を回復し、3ヶ月ほどで杖なしでも歩けるようになって退院できた。下半身不随になったときには将来の生活に対する不安は当然あった。だが、病院スタッフを信じて一日一日のリハビリを全力で続けようと気持ちを切り替えられた。その切り替えがすんなりとできたのは、審判員として子供たちが成長していく姿を見続けてきた経験があったからだと思う。
 
手術から一年が経った。後遺症は残っていて、もう審判員は無理そうだなと思う。審判員どころか、この身体でこのさき生活していくことに不安を感じることもしばしばだ。そんなときは少年サッカーで審判員を務めたときのことを思いだし、気持ちを切り替えている。
 
審判員のように不安や緊張があっても、一度きりの試合の気持ちで見るべきことを見て、やるべきことをやって一日を過ごそう。そうやって毎日を暮らしていくことでまだまだ成長していこうと。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
宮地輝光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

東京都在住。現役理工系大学教員。専門は生物物理化学、生物工学。バイオによる省エネルギー・高収率な天然ガス利用技術や、量子化学計算による人工光合成や健康長寿に役立つ分子デザインなどの研究の傍ら、息子がサッカーを始めたことがきっかけでサッカー4級審判員資格を取得。2019年までの5年間、都内少年サッカーの審判員を務めた。

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2022-02-10 | Posted in 週刊READING LIFE vol.157

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