週刊READING LIFE vol.159

泥臭い仕事を経てたどり着いた想い《週刊READING LIFE Vol.159 泥臭い生き方》


2022/02/28/公開
記事:赤羽かなえ(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
その電話は、ママ友とランチをしているときに突然かかってきた。
 
番号は、東京の市外局番で少し首をひねった。
広島に住んでいる今、東京から電話が来ることなど滅多になかったからだ。
 
「○○生命の法務部です」
 
かかってきたのは、私が社会人になって初めて就職した会社の法務部だった。そんな部署あったんだ、と驚くぐらい、全く縁がないところだった。
 
「実はですね、あなたが契約業務に関わっていたという契約の契約者様から、訴えられまして。今、お時間大丈夫ですか?」
 
晴天の霹靂、ってこういう心持ちなのかあ。
脳ミソが抜け落ちて、「は?」という大きな一文字がぽっかり浮かんだような。とにかく間の抜けた状態で、
 
「はあ」
 
としか返事をすることができなかった。
 
そもそも、一体何年前の話なのかすら、思い出せなかった。
多分10年はたっているような昔の話だ。
 
確かにその契約者の名前は覚えていた。状況が印象的だったからだ。しかし、その契約に関わった後で、私は、支社異動もして、その会社を辞め、転職もして、結婚して、広島に来て、子供も生まれている。そんなタイムラグのある話の記憶を辿れと言われて克明に出てくる方が異常ではないか。
 
そんな話を今更蒸し返されても……という思いがないわけではなかったが、私の表情を見て、心配気に視線を送ってくれてたママ友に、大丈夫と目で合図して、子供のことを頼んで別の場所に移動した。
 
先方の電話によると、訴えを出してきた契約者は、私が契約の際に説明した内容と、実際の契約内容が異なっていて騙されたと主張してきているという。その際に説明をしたのが私だったので事情を聴きたい、というのが、法務部の担当者からの連絡だった。
 
「まあ、だいぶ前の話だと思うので、ご契約者様のことも覚えていないかもしれませんが、わかることがあったら教えて下さい」
 
過去の契約のクレーム対応が一手に集められる部署なのだろう、毎回、毎回、遥か過去の契約のことを地道に当たっているのかと思うと、在職時代は全く関わりのなかった部署だったけど、大変な仕事があるもんだな、となんだか同情してしまった。
 
その方のお名前は、確かに覚えています。ただ、詳細のことについてまではお伝え出来ないかもしれませんが、と前置きした上で、私は覚えている限りの事情を話した。ただ、自分自身は、営業の仕事でできる限り誠実にお客様に接してきたつもりだったから、今更、自分の過去にケチをつけられたようですごく残念な気分で電話を切った。
 
大学の新卒でその生命保険会社に入社した時、私たちは、職務に掲げられた理想と現実のギャップが埋められなくて、いきなり暗雲が立ち込めるスタートだった。私たちは新しい地域総合職として採用された一期生で、3年間の研修期間の間にファイナンシャルプランナーとして研鑽を積み、4年目以降は各支社で営業支援を行う、という触れ込みで入社した。
 
わが社は、その年に社運を賭ける新商品を販売し、業界に旋風を起こす予定だった。そして、私達の部署はその一翼を担って商品の勉強会やプロモーションにも積極的に参加しており、社長肝いりの部署だった。
 
でも、新卒で採用された私達は、生命保険会社が契約の営業ありきなのだということをちゃんと説明されていなかった。そんな前提は生命保険会社の入社試験を受ける前に知っているべき常識だったといえばそれまでなのだが。その前提を知らずに、採用担当から、「営業研修を受けてもらいます」と言われ、その「研修」という言葉の温度差が赤道直下と北極くらいかけ離れていることに気づいたのは、入社後のことだった。会社側も入社した私達もお互いの常識だけで話をして、完全にすれ違ったお見合いのような状態だったのだ。
 
私は、「研修」というくらいだから、誰か営業さんについて回るだけ、と思っていたのに、みっちり生命保険営業をさせられた。営業活動が3年間の限定だから「研修」だというのが会社の言い分だった。営業をしてる最中は、ドラマのシーンのように、壁に名前が並んで、成績がいい人はどんどんグラフが伸びていって、毎朝、成績を表彰されて、というイケイケドンドンな雰囲気だった。平成の時代にまだこんな状態なのかとめまいがした。採用された私たちは、スマートなファイナンシャルプランニングを求められているハズだったのに、なんでこんなに泥臭い現場にいるの??
 
私たちは、同期で集まっては、日々話が違からみんなで訴えようと話し合っていた。こんな泥臭い仕事をするために入社したわけじゃない。上司と話をしても平行線だった。向こうも嘘はついていない。それは解釈の差であり、結局のところ、話が違う、イメージが違うなんて、私達の甘さだっただけなのだ。
 
それなりに順応した人間が生き残り、納得できない人間は去った。生命保険業界の離職率と照らして、妥当な人数が残った。3年後には、研修を終えて、生き残ったメンバーは各支社に配置された。
私も、なんだかんだ言いながら、結局、会社には残った。
 
それでも、研修の3年間はまだ守られていたのだと知ったのは、支社に配属された後のことだった。
 
それまでは、誰のために仕事をするのか、ということが明確だった。営業をするなら、お客様のため、だった。契約をもらうにあたっては、お客様のライフプランを一緒に考えて、予算も計算して、お客様に最適な契約を提案することができた。だって、私は、誇り高きファイナンシャルプランナーなのだ。お客様の満足あってこその仕事なんだ、本気でそう思っていたから。
 
会社は本当のところは、業績のために働いてほしかったはずだけど、私自身が営業をするのだから、お客様の方を向いて仕事をすることが可能だった。
 
けれど、支社に配属されて、その構図が壊れた。
 
基本的に私たちは直接お客様との契約を持たないという立場になった。だから、「営業担当の○○さんのお客様」にプレゼンをすることになる。そうすると、お客様に最適なプランは、営業担当の○○さんの成績的にはあまり良くないからとベストプランとは異なる提案をすることがほとんどだった。3年かけて身につけたファイナンシャルプランナーの知識は、営業担当さんの成績を上げるためのこじつけに使われるようになっていった。
 
何かが、違う。
 
ますます、私がやりたいこととかけ離れてしまった。素晴らしいファイナンシャルプランナーって何なの? 私は誰に向かって仕事をしているの? 日に日に自分の理想の仕事が手からこぼれ落ちた。
 
スーツを着て颯爽と、企業の社長のところに行って、その会社のメリットになるような提案をして、先方から喜ばれる、とか、新入社員の研修でライフプランの重要性をパワーポイントで説明して、生命保険の必要性を説いて、感動される……とか。
 
……そんなわけないじゃん。今なら鼻で笑い飛ばしてしまうようなことを夢見ていた。現実が全く見えてなかった。
 
社会人としても、人間としても本当にアマちゃんだったということを痛感する日々だった。営業担当の人が優秀だったら、それでもまだ、充実した提案ができる。営業担当の中には、対人恐怖症の人もいた。なんで、対人恐怖症の人が営業してんのよ?! と意味がわからなかった。また、初めて一緒に別の営業担当の方雑談しようと色々話題を見繕って話しかけていたら、「あなた、営業職にご主人のお仕事は? なんて聞くのやめた方がいいわよ、ほとんど離婚しているんだから。生命保険の営業は、働く場所がない女性の最後の砦なのよ」と言われて、ワキにじんわりと冷や汗をかくこともあった。
 
生まれて初めて、世の中を、現実を見せつけられた。
 
母は、我が家を、「中の下」と言っていたけれど、そんなわけがない、全く苦労のない家庭だったんだ、と自覚した。なんの悩みもなく、のほほんと暮らすことができていたのだと思い知った。比較対象がなかったから何となく不満に思っていただけだった。
 
現実が私の身体に染みついて来たころ、とある営業所に詰めていた時期があった。その営業所は、所長が女性で私達の地域総合職の大先輩にあたる人だった。姉御肌で、面倒見がよく、魅力的で、初めてお客様のためではなく、その所長のために業績をあげたいと思えた人だった。
 
その営業所で出会ったのが、例の訴えてきた契約者だ。
 
その月は、キャンペーン月でいつもよりも、多くのノルマが課された。でもそのノルマがクリアできたら、営業所で旅行に行ける、そんな目標が掲げられ、女性所長をどうにか助けたかった私は、今までになく必死で働いた。自分一人でも営業しに行ったし、営業担当さんと営業しても、自分がほとんど話をして、契約を獲得するという感じだった。
 
その契約者は、締め日も迫るある朝に、突然営業所にやってきた。今の契約内容を見て、見直を検討している、と言っていた。彼の契約をフォローする営業担当は新人さんでキャンペーン月なのに苦戦していた。神様がくれたチャンス、流れが来ていると思った。
 
それでも、決して説明に手を抜いたわけではない。ちゃんとデメリットもしっかり話したし、それは先方にもちゃんと伝わったと、私はきちんと話し切ったつもりだった。ただ、契約の日にちを急かしてしまったのだけは、はっきりと覚えている。
 
「もう少し考えたい」
 
と言われたときに、これ以上、何かを考える余地がありますか? せっかくのタイミングだから契約を変更しませんか? と強く押した記憶は、残っている。そして、その方は、こちらのタイミングで押し切られるように契約をしてくれた。
 
それが、唯一の心残りだった。
 
でも、おかげで、営業所は業績を達成し、みんなでバス旅行に出かけることができた。役に立てたことが嬉しくて、心に引っかかったトゲも忘れ去ってしまっていた。
 
私の心は、あの時どこを向いていたのだろう? 自分がポリシーとして貫いてきた、「お客様第一主義」なんてとっくのとうに砕けていた、気づけば、営業担当さんのため、営業所の業績のため、その強引さが、10年という歳月をかけて訴訟という形で露呈したのだろう。
 
自分に落ち度はないと、精一杯あの時には説明しました、と告げて電話を切ったものの、10年の歳月封じ込めてきた泥が、胃の底から這い上がってきたような、そんな気持ち悪さだった。自分の過去にケチをつけられたようですごく残念な気分が、一転して、自分が抑え込んできた泥の苦さに泣きそうになった。でも、泣けなかった。ため息しかでなかった。
 
そうだ、あの時、私は、完全に狂っていた。でも、狂っている方が楽だった。何も考えなくて良かった。立ち止まったり、疑問に思ったりすることが多すぎて、全てを押し込んで淡々と働いていた。
 
会社を辞めた時点で、逃げ切れたような、ホッとしたような気持ちでいたけど、私にはこんな気持ちが隠れていたのか。
 
楽しかったことがなかったわけではない。みんなに親切にしてもらった。営業担当さん達は優しかった。仲良くなって一緒に旅行に行った人だっている。結婚して、子供が生まれてから、帰省の時に子供のことを見せに行くぐらいかわいがってもらった人だっている。でも、楽しかったことと、自分がしてきた仕事と、自分の思いと全部を合わせると全てがちぐはぐで、なんと結論付けていいのかわからなかった。
 
ただ、もう、自分に嘘をつくような仕事はしたくない、という強い想いが芽生えた。
 
自分のやりたいことはその都度変わる。自分がやって心が満たされることも変わる。私は、同じことを繰り返してやることが苦手な人間だから、とにかく、自分が苦しいと感じることは、どんなに人に必要とされてもしない、途中で無理だと思ったら早めに区切りをつける、と決めてきた。
 
だからこそ、自分がやりたい、人にすすめたい、ということは、心の底から勧めることができる。自分がやりたいことには精力を傾けられる。
 
こだわりを保ち、人からも支持してもらう仕事ができているのは、人との義理人情よりも、自分がしたいのかどうか、という気持ちを大切にするようになったからだと思っている。大げさかもしれないけど、その想いは、私が仕事をしていく上での生命線だし、それがあるからこそ、私は今の仕事が好きで続けられているのだ。だから、社会人で初めて働いた会社で、泥臭く働き続けて、自分のポリシーを見失ったという経験から得た教訓は、私にとっては不可欠な経験だったのだ。
 
不本意なあの電話は、私に、それを忘れるなよ、という神様からの警告だったのかなと思っている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
赤羽かなえ(READING LIFE編集部公認ライター)

自称広島市で二番目に忙しい主婦。人とモノと場所をつなぐストーリーテラーとして、自分らしい経済活動の在り方を模索し続けている。2020年8月より天狼院で文章修行を開始し、エッセイ、フィクションに挑戦中。腹の底から漏れ出す黒い想いと泣き方と美味しいご飯の描写をとことん追求したい。月1で『マンションの1室で簡単にできる! 1時間で仕込む保存食作り』を連載中。

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2022-02-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.159

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