週刊READING LIFE vol.159

敗色を示すAIに逆らった手こそプロの手である《週刊READING LIFE Vol.159 泥臭い生き方》


2022/02/28/公開
記事:村人F (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
藤井聡太先生も今年で二十歳になるという。
つまり、中学生で最年少プロになり連勝記録を塗り替えてから5年も経ったことになる。
今や5冠だ。
あっと言う間に現役最強棋士になってしまった。
 
これは同時に、私が将棋ファンになってから5年経ったことを示す。
藤井ブームに乗った口だが、もう立派な趣味になっている。
AbemaTVの将棋中継も最初から最後まで12時間も見てしまうほどだ。
 
といっても、プロのやっていることはよくわかっていない。
アプリで将棋を指すことはあるが、数手先を読むことがしんどくて全然できないのである。
そのため未だに初心者に毛が生えたレベルから抜け出せていない。
よって何を考えて手を指しているか想像もつかないのだ。
 
それでも将棋中継を見続けられるのは、AIのおかげである。
将棋中継で形勢判断をして、どちらが何%有利だと示してくれるのだ。
しかもこの手を指したら良い、アカンというところまでわかる。
これにより初心者の私でも勝負の流れが掴めるようになった。
だから見始めた当初は、AIが示す数値に一喜一憂したものである。
60%が一手で30%まで落ちるような上下運動にドキドキしていた。
そして、プロも結構間違えるんだなんて思いながら中継を見ていたのである。
 
ただ、そんな見方をしていたある時に違和感を覚えた。
AIが示す手と異なっていたら悪手だと考える。
この風潮が間違っているんじゃないかと思うようになったのだ。
 
これは解説者が中継の度に釘を刺してくれたおかげでもある。
「AIは糸みたいな細さの道を渡れというような、分かりにくい手を示すことがある。こんなのは人間が間違えずに指すのは不可能だから採用できない」
このように100%ミスをしないコンピュータとの違いを教えてくれたから、鵜呑みにするものではないと思うようになったのだ。
 
しかしこれ以上にAIに従ってはいけない場面に気付いた。
負けている時である。
AIは不利なときでも手を出している。
この手ならばこれ以上悪くならないという道筋を提示するのである。
ここでAI通りに指すことが違うのではないかと思ったのだ。
 
なぜなら正しい手を示しているのが、今まさに「お前が負けている」と抜かすAIだからだ。
つまり教えてくれるのは「ダメそうだけどまだマシ」な案なのである。
実際、AIが40から60%に上がるような手を示す場面を今まで見たことがない。
いずれも延命処置にしかならないものばかりだ。
負けていると示しているのだから当然だろう。
そのため、これに背かなければ勝てないことに気付いたのである。
 
ただ、希望も同時に抱いた。
「まだプロの手が存在していた」と。
 
AIは将棋に大きな影響を与えた。
かつての常識は崩れ去り、凄まじいスピードで進歩している。
以前なら一年は使えていた新技も、一瞬で丸裸にされてしまう時代である。
 
これは人間が将棋を指す意味も同時に問うた。
正しい手を示すAIのせいで、これ以外を指す理由がないと考えてしまうのだ。
実際、流行り始めた初期はどこもかしこAI推奨戦法が使われていた。
そのため個性を出す場面が無くなるのではないかという危機感も生まれた。
 
しかし、プロの手はまだ存在していたのである。
敗色の時だ。
この場面でAIに従ったとしても、待つのは緩やかな死のみである。
示すのは、ただただ堕ちていくだけの手だ。
 
逆に言えば、この場面は出せる。
AIから解放された、プロにしか出せない一手を。
地べたに這いつくばり、泥に塗れながら導いた人の執念を。
 
そして、これが実を結ぶのが将棋である。
起こるのだ、大逆転が。
泥臭い、醜い一手が相手の思考を惑わす。
自分の優位を信じていた心にヒビを与える。
それが判断を誤らせるのだ。
一気にひっくり返すほどに。
だからこそ、このゲームは魅力的なのである。
 
そしてこのような手を最も得意とした棋士こそ、羽生善治先生である。
彼の代名詞である「羽生マジック」
これこそ絶望的な場面をひっくり返す手なのだ。
 
ある対局である。
解説を務めていた加藤一二三先生が、羽生先生に勝ち目が無いと判断した場面があった。
まだ終わっていないのに敗因を説明し始めたほど絶望的だったという。
 
しかし羽生先生は粘った。
地べたに顔を付けるような状態でも土俵を割らず、ひたすらに惑わせる妙手を指し続けた。
そして相手もこの毒牙に侵される。
有利だという確信が薄れ、恐怖が増幅していく。
これが間違わせるのだ。致命的なほどに。
 
この大逆転があまりにも多いため、いつしか「羽生マジック」と呼ばれるようになったのだ。
 
これは藤井聡太先生には無い強さである。
先行逃げ切りの勝利が多いため逆転の印象はあまりない。
最初から最後まで圧倒し続けるのが彼の将棋なのだ。
 
だから羽生先生の最も優れた点は、圧倒的な粘りだと言える。
周りの全員が諦めた状態。
それでも泥に塗れながら細い糸ほどしかない勝ち筋を探し続けたのだ。
この異能が彼をタイトル通算99期獲得に導いたのである。

 

 

 

この羽生先生の凄さに気付けたことは、将棋で得た最大の収穫である。
しかし同じように、自分の人生に疑問も投げかけた。
「彼のように粘り続けることができているか」と。
 
振り返ってみるとまるで出来ていない。
アプリの将棋ではちゃんと考えることすらなかった。
いつの間にか負けることが続いたため、めっきり指さなくなった。
 
普段の仕事も同じだ。妥協だらけである。
「少しでも良いものを」という気概が存在していない。
 
しかし、この悩みを持つ人は多いのではないか。
なぜなら現代はAIなどの効率化ツールが大量に存在するからである。
これは程々でOKとする流れも同時に作り出した。
極限まで質を高めるのでは無く、日程を優先する。
残業よりプライベートを優先するため早く帰るべきだ。
こういう価値観である。
そのため、早めに諦めた方がよい場面も増えていった。
 
逆に言うと、粘る能力は圧倒的に低下している。
この欠如が現代人に大きな影を残しているように思えるのだ。
 
実際、私は苦しめられている。
物事を極めようという思いが湧き上がらないのだ。
やりたいことはある。
ゲームにカメラ、読書に文章作成。
いろいろと手を出しまくっている。
しかし、そのいずれも程々のレベルで満足してしまうのだ。
自分より詳しい人がいない領域まで極めたい。
この思いがどうしても湧き上がらないのである。
 
そしてこれはプロとの大きな壁に見える。
これまでいろいろな業界のプロの話を聞いてきた。
しかし、いずれも一流になるほど極限まで粘り続けていたのだ。
将棋ならば一手指すのにも、自分が納得するまで数時間以上考えている。
お笑い芸人も台本に書かれた助詞一文字までこだわり抜き、少しでも爆笑を取れる道筋を求め続けている。
 
そして、彼らはそれを無名のときからずっと行っているのである。
将棋養成機関である奨励会で、プロになれるかすらわかっていない状態でも続けていた。
芸人にも仕事が月に1日しか入らずひたすらバイトをしていた人が多い。
それでも這いつくばって、求め続けた者がトップに上り詰めたのだ。
 
だからこそ渇望してしまう。
極限までクオリティを高めたい。
誰にも負けたくない。
人生の全てを掛けてでも進みたい道がある。
こういう生き方を羨ましく思ってしまう。
 
しかし、そこまでして掴みたい目標がない。
中途半端な部分で満足してしまう。
決してプロレベルまで行けない。
この悩みをずっと抱いてきた。

 

 

 

だから、書き続けているのかもしれない。
文章を毎週書く習い事を始めてからもう1年以上経つ。
5000字の課題は、はっきり言って苦行だ。
添削の度に心が張り裂けそうな恐怖と戦っている。
 
それなのにやめられない。
体が求めているからだ。
吐き出した時に感じる、飢えを。
 
書いていると無くなっていくのである。
脳を構成するグチャグチャとした思いが。
だから、より求めるようになる。
新しい何かを。
それは読書であり、テレビであり、カメラであり、将棋であった。
とにかく出せば出すほど自分にない物を体に入れたくなった。
同時に承認欲求も膨れ上がる。
これが書かなくてはならない楔になった。
 
そして気付いた。
プロたちも飢えていたんだと。
少しの成功では満足できない。
もはや一番に上り詰める以外の道がない。
この状況まで追い込まれていたのだ。
実際、羽生先生もインタビューで述べている。
「追い詰められた場所にこそ、大きな飛躍があるのだ」と。
だからこそ1ミリの妥協もしなかった。
泥に這いつくばっていようが諦めなかった。
この過程を数十年歩んでいたからこそ、伝説と呼ばれる存在になったのだ。
 
ならば私も書き続けよう。
幸い、書けば書くほど何かが欠けていく。
そのくせ表現できないドロドロが溜まっている。
しかしこの感情は書くことでしか発散できない。
 
だからこそ続けられる。
ドン底の心境でも締め切りまでに渾身の一作をひねり出したくなるのだ。
このあがきを続けた先にプロの執念があるのだろう。
 
そして壁にぶち当たった時、ついに来たかと笑顔になろう。
自分を遥かに高めるチャンスだからだ。
この先にはかつて無いほど渇望する私がいるだろう。
喜んで泥に塗れ苦しむ道を進んでいるだろう。
これこそ、上り詰めた者たちの歩んだ道のりである。

 

 

 

奇しくも50歳を超えた羽生先生にも大きな壁が現れた。
29年間所属した将棋界の最高リーグA級から陥落したのである。
もはや全盛期ほどの力が残っていないのではないかと言う声も大きい。
 
だからこそ「羽生マジック」が起こるのではないだろうか。
 
なぜなら起こる場面はいつも、周りが諦めた場面だからだ。
ここで常軌を逸した粘りを見せ、誰よりも泥に塗れたからこそ伝説になったのだ。
だから、彼がここで終わるはずが無いのである。
むしろ羽生先生の真価はここから発揮されるのかもしれない。
 
ならば私も諦めるわけにはいかない。
同じように飢えよう。
求めよう。
泥水だろうがすすってやろう。
たとえAIや周りの人間に無駄だと言われても止まらない。
この道でしか上がれないことを将棋が、羽生先生が教えてくれたから。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
村人F(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

名乗る名前などございません。村人のF番目で十分でございます。
秋田出身だが、茨城、立川と数年ごとに居住地が変わり、現在は名古屋在住。
茨城大学大学院情報工学専攻卒業。
読売巨人軍とSound Horizonをこよなく愛する。
2022年1月から、天狼院書店ライターズ倶楽部所属。
資格:応用情報技術者試験・合格、カラーコーディネーター検定 2級、2級ファイナンシャル・プランニング技能士。

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2022-02-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.159

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