週刊READING LIFE vol.159

私はいつか水田ごぼうになれるのか《週刊READING LIFE Vol.159 泥臭い生き方》


2022/02/28/公開
記事:田盛稚佳子(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
なぜか、社会人になってからあらゆる職場で「お局様」といわれる存在に目をつけられたり、その格好の標的になることが非常に多い。
理由はわからないのだが、そういうものを自ら引き寄せていると、転職をするたびに感じる。
 
私の社会人経験で最も長い人材サービス業界は、人間が商品とも言えるだけにある意味で特殊な業界であると言えるだろう。
取引先であるそれぞれの企業と、希望の仕事に就きたいスタッフの方々の仲介役である。
双方の条件がどれだけマッチングするか、そして実際にそこで就業したとしても、必ずしもパズルの1ピースのようにうまくはまり、続いていくとは限らない。
派遣先での人間関係はまた別に一からスタッフ本人が構築しなければならないからである。
企業と派遣スタッフの間を取り持つ営業とコーディネーターは、その落としどころをどれだけうまくつけていけるかが、大事な仕事なのだ。
 
ある人材派遣会社でコーディネーターをしていたときのことを書こう。
そこは職場の人間関係も良く、言いたいこともある程度は言えるところだった。
しかし、派遣先企業の人事担当者との関係がひとたび崩れ始めると、営業担当者がかなりブチ切れることがあり、社内業務に従事する私たちに向けて罵声を浴びせるようになってきた。
その中でも、会社で一番年下かつ経験も浅かった私は格好の的になった。
「ちょっと! 何でこんなスタッフを推薦したのよ。話が違うじゃない」
「今月から、あのスタッフさん時給改定って言ったはずよ。どうして変わってないのよ! コーディネーターのくせに何やってんのよ!」
「あなたたちは外に出なくてお気楽でいいわねー。私なんて、朝早くに人事担当者から呼ばれて、しこたま文句を言われて、ほんっとに最低な一日だわ。営業担当の身にもなってよ!」
という台詞をいったい何回耳にしたことだろう。
そのお局様の日々のストレス解消法は社内にいる私たちへストレートに向けられた。
そのストレス解消法を聞き流すには、私はまだ年齢が若すぎた。
人間、毎日のように愚痴を聞かされたり、罵倒をされていると、
「本当は私が悪いんじゃないだろうか」という、変な刷り込みがされるから不思議なものだ。仮に、自分に落ち度がなかったとしても。
 
とはいえ、こちらにも本当はこちら側にも言い分はあった。
私は登録時に初対面を相手に面接をするのが仕事だが、初対面が一番その人の本質が出ると思っている。
「人の印象は最初の20秒で決まる」ことを聞いたことがある方も、おそらくいるだろう。
「うーん、このスタッフを入れるとリスクがあるな」と感じると、私は
「経験はたしかに申し分ないんですが、面接時の軽薄な態度は、年配の方からするとちょっと誤解を招きかねない方なので、注意が必要だと思います」
と一言添えていた。しかし、営業担当は「他に人がいないから」と無理矢理派遣先に入れてしまい、案の定長く続かなかったことは一度や二度ではない。
スタッフの時給改定ができてないことについては、社内共有のデータに「○月から○○○○円に改定。交通費は別途支給」と営業担当者が入れる決まりになっていたにもかかわらず、何も入力されていなかった。入力されていないことはこちらも知らず、当然時給改定処理はシステム上でされていない。
しかし、スタッフからは給与計算担当でもある私にクレームの電話がかかってくる。
どんなにお局様のミスだとしても、私も人材派遣会社の一員である。社内での情報共有ができていなかったことをひたすら謝って、スタッフの怒りをおさめるのは私の仕事だった。
外に出なくても、辛いことは山ほどあったのだ。
いきなり派遣スタッフから「明日でもう辞めたいんですけど……」とか、
「今の営業担当者(お局様)がちょっと合わないので、別の方に変えていただけませんか?」とか、クレームの電話をまず最初に受けるのは私だったからだ。
あなたの尻拭いをしているのは私なんだよ、と心の中でふつふつと何かが込み上げてきたが、ぐっと我慢をして働いた。
 
なんで、こんな泥臭い業界に入っちゃったんだろう……。
人が好きで入った業界だが、次第に人間不信になっていくのが自分でもわかった。
 
そうして、私自身にもそのストレスが溜まってくることになった。
当時、人員不足でもあったその人材派遣会社は、社長の知人でもある女性を一人採用した。
その方は私よりも10歳近く年上で、わりとのんびりとした性格だった。
社内の人事改変で今までコーディネーターとして組んでいた先輩が営業職になり、私がその新人女性にコーディネーターの仕事を教えることになった。
これが、私がのちに爆発してしまう原因となる。
とにかくのんびり屋さんなので、スタッフを面接する時間が一般的なコーディネーターの倍以上はかかってしまう。派遣慣れしているスタッフさんだとその悠長な話し方がイライラするようで、同席していてもひしひしと感じられた。
仕事のマニュアルは作ってはいたものの、やはり相手は人間。マニュアル以外のことが多いのも仕方ない。
私も、自分自身の仕事をしながら新人さんを教えなければならないので、通常業務プラスαで時間外労働が増える。
何度同じことを教えても、メモも取らない、繰り返し聞いてくるその女性に向かって、ある日ついに私のイライラが沸点を超えた。
「何で、同じことを何回も聞いてくるんですか? 社長の知り合いだったら、何しても大丈夫とか思っているんですか?」
言った後に、ああ、ついにやってしまった……と激しく後悔した。
一度口から出てしまった言葉はもう元には戻らない。
 
これじゃ、社内で罵倒していたお局様と同じじゃないか。
その日の帰り道、生前に母方の祖母がよく口にしていた言葉を思い出した。
「自分がされて嫌なことは、他人様にも絶対にしたらいかん。やったことは、すべて自分に帰ってくるんやからね」
ばあちゃん、そう。まさに今そんな感じだよ。
電車の窓から流れ行く景色を見ながら、右目からぽろりと、後悔の涙がこぼれ落ちた。
 
 
それから、4年経った。
その人材派遣会社を退職した私は、まったく違う業種に転職した。
新しい転職先では、人事経験も活かせそうだが、まずは経理の人手が足りないということで伝票処理メインの部署に配属されることになった。
ここでまたもや、私はお局様に目をつけられることになる。
大量の伝票処理をしなければならないその部署は、朝から山のように伝票が積み上がり、やってもやっても次々と仕事が終わらない。
現在のようにクラウドサービスが発達していなかった時代の話だ。
社会人経験は10年以上あっても、その会社で私はまったくの新人である。きちんと適切に処理しなければ大きなミスとなる部署にいたため、仕事をどう進めたらよいか、教育係でもあるお局様に、朝一番に聞いてみた。すると……、
「そんなこと、いちいち私に聞かないで、自分で仕事を進めてください!!!」
と、目を吊り上げながら鬼のような形相で隣の部署にも響く大声で怒鳴られたのである。
私は一瞬何が起きたのかわからずに、ぽかーんとしてしまった。
「え? まだ二日目ですよ。私はわからないから、聞いただけなんですけど……」
と言いたかったが、びっくりして何も言えなかった。
その部署に、恐ろしくしーーーんとした静けさと、重苦しい空気が漂ったのを感じた。
怒鳴ったお局様は、バツが悪くなったのか、プイッとそっぽを向いて、席から立ちあがりその部屋を出て行って、しばらく帰ってこなかった。
待て待て待て! 出ていきたいのはこっちのほうだ!!
 
あーあ、またこういう人を引き寄せちゃったんだ。
私の人生、いったい何なんだろう。
どれだけ怒鳴られたら、気が済むんだろう。怒りを通り越して悲しくなってきた。
 
またもや、祖母の言葉が私に降り注いできた。
「自分がされて嫌なことは、他人様にも絶対したらいかん。やったことはすべて、自分に帰ってくるんやからね」
わかってるよ、と思いながらハッと気づいてしまった。
もしかして、今私がこうやって罵倒されていることは、前の職場であの新人さんにやっていたことが年月を経て、返って来たってこと……?
 
またもや、涙がこぼれそうになるのを今度はぐっと堪えた。
そしてしばらく考えたあげく、自分自身が変わることにした。
わかった。相手(お局様)がそう来るなら、私はそれをひらりとかわせる人間になってやる、と決心したのだ。
 
イギリスの哲学者、バートランド・ラッセルの「幸福論」だっただろうか。
仕事について、こう書かれた部分がある。
「仕事は退屈の予防策になり、休日を楽しくしてくれます。
そして、仕事をおもしろくするのは熟練と建設です」
よっしゃ、おもしろくしてやろうじゃないか。
どんなに罵倒されようが、無視されようが、笑顔だけは忘れるまいと決めた。
笑顔を先に作って、それに感情を合わせていくことにしたのだ。初めの頃こそ慣れなかったものの、次第に出勤前に鏡の前で笑顔を作る練習をして「今日もがんばれ、私!」と言うようになってから、周りにどんなに怒りの嵐や罵声が吹き荒れようが「はい、また来たー」と思えるようになっていった。
実は他の部署にも、私と同様に標的になる社員が数名いたのだが、その人たちから口々に言われるようになった。
「あんなにキツい態度を取られるのに、どうして落ち着いて笑っていられるの?」と。
 
私は答えた。
「それは、先に笑顔を作ってるからです。眉間に皺寄せて嫌な顔で仕事をしていたら、周りの空気が悪くなるだけじゃないですか。私、そういうの好きじゃないんですよ」
なるほどね、と数人が納得してくれた。
そう、泥臭い生き方をしてきたからこそ、人の気持ちがわかるようになったし、お局様にいびられる人に対して、少しは寄り添えるようになったのだと思っている。
 
話は変わるが、私が住んでいる九州に「水田(すいでん)ごぼう」というものがある。
主に熊本県菊池市で栽培されているのだが、稲作が終わったあとの水田裏作で作られるごぼうのことで、曲がりが少なくまっすぐに育ち、しかもごぼうとは思えないほど柔らかいのが特徴である。福岡のあるうどん屋さんで「水田ごぼう天うどん」を食べて以来、すっかりファンになっていた。
このごぼうはアクがなく、調理が手軽であることから最近は福岡のスーパーでもよく見かけるようになった。
一見、こんなところで育つのか? というようなところで栽培したものが、思わぬ逸材として世に出回ることがある。
同様に人間も泥臭いとこで育った人ほど、実は柔軟性が増し、新しい場所での適応能力も高くなってくるのではないかと思っている。
私は、まだまだ「水田ごぼう」のようにやわらかくはないかもしれないが、泥臭い生き方は悪くない。のちのち、やわらかさを感じられる水田ごぼうのようになれたらいいなと思いながら、あえてこういう生き方を楽しんでいるのである。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
田盛稚佳子(READING LIFE編集部公認ライター)

長崎県生まれ。福岡県在住。
西南学院大学文学部卒。
ライティング・ゼミを受講後、READING LIFE編集部ライターズ俱楽部に参加。
主に人材サービス業に携わる中で自身の経験を通して、読んだ方が一人でも共感できる文章を発信したいと思っている。現在、WEB READING LIFEにて「百年床・宇佐美商店」を連載中。

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2022-02-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.159

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