足裏から伝わる人生100年時代の働き方の極意《週刊LEADING LIFE「人生100年時代の働き方」》
2022/03/14/公開
記事:宮地輝光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
「足の骨っていくつあるか知っていますか?」
歩行機能の回復をめざしてリハビリテーションをしていた時、理学療法士から聞かれた。
ナマの人骨など目にしたことはない。
思い浮かべるのは、小学校や中学校の理科教室においてあった人体骨格模型だ。
足の骨は、やたらとぶらぶら、ジャラジャラしていた印象がある。
数珠のように小さな骨が繋がっているということだろう。
だが、その数がいくつかまではすぐに見当がつかなかった。
答えは両足で56個。片足だと28個だ。
「身体にある骨のうち、四分の一は足にあるんですよ」
身体全体は206個の骨でできている。その約四分の一が両足にあるということだ。
56個と聞いて、多いと思うか少ないと思うかは、人それぞれだろう。
以前のわたしならば、〈多い〉という印象をうけたに違いない。
なぜなら、身体全体を眺めると、足は小さなパーツだからだ。
足の大きさを身長と比べてみると、七分の一ほどだ。
大きさのわりに、足にある骨の数は多い。
大きさでみれば、手も小さなパーツだ。
その手には、両手で54個の骨がある。
両足とほぼ同じ数だ。
だが手と比べると、足は動きの細やかさや自在さで劣る、
手は、ものを掴んだり、摘まんだり、握ったり、支えたりと自在に動かせる。
たくさんの小さな骨が繋がって、手の形がつくられているのは納得がいく。
一方の足はといえば、手ほどの細かな動きはできない。
たとえば、手でやるように、足でグーチョキパーのジャンケンをやってみるとわかる。
手でやるようにスムーズに足指を動かすことはできない。
にもかかわらず、手とほぼ同じ数の骨が足にある。
だから、動きのわりには骨の数が多いという印象をうけたに違いないのだ。
しかし、今のわたしは、足の骨の多さをすごく納得している。
手と同じぐらい、足を自由自在に動かせるようになったからではない。
逆に、足が不自由になったことで、足の骨の多さの理由を体感できるようになった。
体感できる、と言ったが、感覚そのものは以前よりも弱い。
一年前、脊髄腫瘍による下半身不随を患ったからだ。
幸い、入院して緊急手術をうけ、三ヶ月ほどリハビリテーションを続けたことで、なんとか歩行機能を取り戻した。
だが、歩きはまだまだ不安定であった。
みぞおちの辺りから左脚にかけての麻痺も残った。
歩きが不安定だった理由の一つは、筋力の衰えだった。
歩けなくなったのはほんの数か月間だったが、以前と比べてかなり筋力が衰えてしまっていた。
退院後、歩く時間を増やし、腹部やお尻、脚の筋肉を鍛えるトレーニングを繰り返した。
筋力の回復に比例するように歩行機能はどんどん良くなった。
さらに鍛えれば、もっと歩けるようになるかも。
そんな期待感が、トレーニングのモチベーションになった。
このまま順調に回復して、以前とかわらずに歩けるようになればいいな、と淡い希望ももてた。
毎日のトレーニングによって、見た目ではほとんど普通に歩けるようになった。
けれどもまだ、酔っぱらいのようにふらついてしまう。
理由は下半身に残る麻痺だった。
神経についても、適切に身体を動かすことで筋肉を刺激して回復をめざした。
だが、筋力と比べると神経の回復はゆるやかだった。
動かしづらかった左脚の動きは次第に良くはなった。
だが、感覚は鈍いままだった。
感覚が鈍いと足への体重の乗り具合がわかりにくい。
思っているよりも体重がかかっていて支えられなかったり、あるいは思っているよりも脚に力が入れられない。
その結果、バランスを崩し、身体がふらついてしまう。
理学療法士の方から教わった、バランスを保って歩くための大事な部位。
それは足裏だった。
人間の身体が地面に接している部位が足裏だ。
この足裏を基底面として、脚、腰、上半身と身体全体を支えている。
逆に、基底面がぐらつけば、身体のバランスは崩れてしまう。
だが、小さい石や道のへこみを踏んで基底面がぐらついた時、人間はバランスを崩してしまうだろうか?
実際、ある程度の凸凹であれば、ほとんどバランスを崩すことなく歩くことができる。
なぜならば、路面の細かな凹凸に対応して、無意識に足の裏が動いているからだ。
足裏がしっかり路面の変化を感じ、細やかに動かせるからこそ、人間は安定して二足歩行をすることができる。
あまりに無意識な動きなので、この足裏の自在さに気がつくことができなかった。
足裏の感覚が弱くなり、バランスよく歩くことができなくなったことで、これまでいかに足裏が繊細に動いていたかを知ることができた。
足裏が不安定だと、普通の道を歩いているのに、常に平均台の上を歩いているようだ。
身体が緊張し、あちこちに力がはいってしまう。
普通に歩いているのに、どんどん肉体的な疲労感がたまっていく。
意識も足元に向きがちだ。
顔を前に向けて普通に歩いていても、意識の多くが足元に向いてしまう。
そのため、周りの景色をのんびり眺めながら歩くことが難しい。
知り合いとすれ違っても気づくことができないこともしばしばだ。
しかし、歩行者や自転車、自動車が多く往来する街中を歩くには、周りを注意しなければならない。
気持ちに余裕がない分、精神的な疲労感がたまる。
一歩一歩、歩くたびに不安を感じる。
毎日歩くたびに不安を感じ続けていると、その不安が何かに似ているように思えてきた。
それは、人生100年時代に働き続けることへの不安だ。
その不安は大概、時代の変化への対応に自信がもてないことで生じている。
日頃歩いている道のように、人生もまた凸凹と変化する。
100年ともなると、その変化は多様だ。
その人生の凸凹に対応できず不安定な状態で歩くとなると、それはとても不安で仕方がないだろう。
人間の足裏と同じように、わたしたち自身が自在に対応できるならば、人生100年時代でも安定して働き続けることができるはずだ。
そのためには、多くの骨が繋がって足がつくられているのと同じように、さまざまなスキルや知識といった〈骨〉をつなげていく必要があるだろう。
だが、だれもが必ず、自由に動かせる足裏を手に入れられるとは限らない。
わたしのように、自由さを失う場合だって人生にはある。
そんなときはどうすればよいのだろうか。
「前に足を踏み出すことより、足を前に出すことより、後ろに蹴る動きが大事ですね」
わたしの足の運び方をみた理学療法士の方が、こんなアドバイスをくれたことがある。
しっかり地面をとらえ、身体をのせてから後ろに蹴ることができれば、身体は楽に前へと進む。
ところがわたしの場合、前に進もうと意識しすぎて、足を前に出すことに懸命になっていた。
理想的には無意識に身体が動くようになればいいのだが、意識して動かさなければならないならば、前に出すより後ろに蹴りだす動きを意識してみましょう、ということだった。
このアドバイスを聞いて、100年時代を生きていくための働き方にも通じるのではないだろうかと思った。
大学まで学び、定年まで一つの会社で働き、悠々自適な老後生活、という従来の人生プランを改めて、新たにマルチステージの人生プランを築くために、柔軟で多様な働き方が求められるのが「100年時代の働き方」だ。
そういった働き方のためには、年齢を問わず、学びなおし、スキルアップ、転職、副業といった試みが大切になるのは間違いないだろう。
だが、そういった新たな試みに足を踏み出すことに懸命になりすぎると、人生をうまくバランスよく歩けない恐れもあるのではないだろうか。
また、新しい試みに足を踏み出すことに怖さを感じることもあるだろう。
そう感じた時は、目の前にある仕事をしっかりこなすことに立ち返ってみるのも大事なのではないだろうか。
人生において、一歩を踏みしめ、その一歩に自身の重心をしっかりのせることで、バランスを崩すことなく次の一歩を踏み出せることもある。
そんな働き方の極意を、わたしの麻痺した足裏が伝えてくれているような気がしてならないのだ。
□ライターズプロフィール
宮地輝光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
千葉県生まれ東京育ち。現役理工系大学教員。博士(工学)。生物物理化学と生物工学が専門で、酸化還元反応を分析・応用する研究者。省エネルギー・高収率な天然ガス利用バイオ技術や、人工光合成や健康長寿、安全性の高い化学物質の分子デザインなどを研究。人間と地球環境との間に生じる”ストレス“を低減する物質環境をつくりだすことをめざしている。
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