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週刊READING LIFE vol.163

夢は、シンデレラフィットした出会いから生まれる 《週刊READING LIFE Vol.163 忘れられないあの人》


2022/03/28/公開
記事:宮地輝光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
叶えたい夢は、ありますか?
 
もしあるならば。
 
夢の叶った、その後のことを、考えていますか?
 
夢が叶う。
想像するだけで嬉しくなってしまうものです。
 
ただ夢は、努力したからといって必ず叶うものではありません。
運も味方してくれなければ叶わないこともあります。
夢は、夢で終わってしまうこともあるものです。
 
だから夢は、叶うだけで十分に幸せなものです。
叶った後のことなど、なかなか考えないものです。

 

 

 

十代後半から二十代の半ばまで、僕の夢は、海外で研究することでした。
そのために大学で学び、大学院にも進学しました。
 
九年間の学生生活、最後の年。
就職先が決まりました。
翌年から、イギリスのD先生の元で研究できることになったのです。
 
D先生は、微生物・生化学者でした。
僕は、D先生と一度も面識はありませんでしたが、D先生の論文を数多く読んでいました。
 
「この人のところで研究してみたい」
 
そう感じた僕は、「研究員として受け入れて欲しい」とD先生に電子メールを送りました。
 
当時、海外の先生と連絡をとるには時間がかかる、と聞いていました。
二十年ほど前、スマートフォンなどない時代です。
オフィスや自宅でパソコンを立ち上げないと、電子メールをチェックできませんでした。
 
手紙に比べれば速く、手軽に、世界中の人と連絡が取れるようにはなった分、研究職を希望するメールが頻繁に届くようになっていました。ですから、見逃されてしまうことも多かったようです。
 
すぐに返答は来ないだろうな。
そう思いながら、翌朝、研究室のパソコンでメールソフトを開きました。
 
すると驚いたことに、D先生からメールが届いていたのです。
あまりに速い返信。
これは断りのメールだろう。
そんな思いでメールをクリックしました。
 
当然、メール文は英語ですから、日本語を読むようにすらすらとは読めません。
それでも内容を把握するまでに、ほとんど時間はかかりませんでした。
なぜなら、文面はとてもシンプルだったからです。
 
即、受け入れOK、だったのです。
 
こうして、思いがけずあっさりとD先生の元で働くことが決まりました。
 
あとは博士の学位を取得するだけでした。
博士論文に必要なデータをとるべく実験に励み、論文を執筆しました。
夢が叶うまであと少しだ、と我武者羅に毎日を過ごしました。

 

 

 

翌年の3月に博士号を取得した僕は、4月になってイギリスに渡りました。
夢であった海外での研究が始まったのです。
 
仕事を始めてからしばらくすると、僕は妙な感覚に気がつきました。
なにやら、ふわふわとした空気に包まれた気分でいたのでした。
これはもしかしたら、天にも昇る心地、というものなのかもしれないと、はじめは思いました。
日本との気候の違いとか、言葉の壁によるメンタル的な不安定さかもとも思いました。
 
ですが、違いました。
 
僕は、海外で研究をする夢を追って、十年近くの時間を過ごしてきました。
 
ただ、海外で研究をすることは、あくまでも手段です。
その手段を使って何をつかみ、何を得たいのか、あとから思えば考えておくべきでした。
しかし僕には、そういった青写真がありませんでした。
 
おかげで、夢が叶った僕の目の前には、煙のように形の定まらない、ふわふわとした気持ちだけが漂っていたのでした。
 
このままではまずい。迷子になってしまう。
焦りました。
 
いったいどうすればいいのか。
すぐに答えは見つかりませんでした。

 

 

 

その〈ふわふわ〉から僕を救ったのは、イギリスでの恩師、D先生の魅力的な姿でした。
 
D先生の魅力は、出会った瞬間からはじけていました。
 
はじめてオフィスを訪れたとき。
D先生は、革張りのソファーに腰掛けておられました。
チェック柄のシャツと赤いジーパン姿。
年齢はもう六十をすぎているというのに、非常に若々しい姿でした。
 
僕の姿を見ると笑顔でソファーから立ち上がり、オフィスの入り口に突っ立っている私の目の前まで来られました。
 
驚いたことに、「ハジメマシテ」と日本語で挨拶すると同時に、深々とお辞儀をされたのでした。
 
その挨拶は日本人よりもはるかに丁寧なものでした。
 
日本にいて、ここまで丁寧に日本式の挨拶をされた記憶はありませんでした。
あまりにも丁寧な挨拶で、僕は照れくさくなり、オロオロしてしまい、日本人らしい照れ笑いを浮かべるだけでした。
 
文化の違う相手とのコミュニケーションにおいて大切なこと。
それは相手の文化を受け入れることです。
 
D先生の日本式挨拶は、日本人の僕を歓迎している、という最大級の紳士的な振る舞いだったのです。
僕は、二十代も後半になっていながら国際人としての振る舞いができなかった自分を、とても恥ずかしく思いました。
 
とはいえ、D先生の振る舞いは別格ではありました。
といいますのも、D先生は大の日本通だったのでした。
日本の食べ物や日本の文化をこよなく愛してくれていました。日本食も好まれ、醤油を使った料理を嬉しそうに召し上がっていました。 また。日本庭園がお好きで、大学の建物にある中庭に、日本庭園を造ってしまわれたほどでした。
 
D先生は底抜けに明るく活動的でもありました。
特に研究の話を始めると止まりません。
さまざまな論文には目を通しておられ、あの論文は読んだか、あのデータについてどう思う、あの結論はおかしいと思わないか、など大きな身振りで問いかけてこられました。
ランチのあとに始まった議論が、午後のティータイムを挟んで、夕方まで続くこともしばしばでした。
 
そんなD先生との会話についていけるよう、僕は必死に論文を読み、議論をしました。今になっても、あの頃の議論が最も楽しい時間だったと思います。
 
D先生の活発さは研究だけではありませんでした。
 
仕事やボランティアで頻繁にイギリス国外に足を運ばれていました。
政府系の仕事で行った南極での出来事や、ボランティアでガンビアに赴いて学校のトイレを作ったことを話してくれたタルトン先生の顔は、はちきれんばかりの笑顔でした。
 
プライベートではさまざまなスポーツを楽しんでおられたようです。
休日にはよくテニスをしておられましたし、冬にはスキーにでかけておられました。スキーで転んで骨折し、ギプスをつけて松葉杖をついて研究室に来られたこともありました。
 
もうやりたいことが身体に収まりきらず、溢れ出てしまっているようでした。
 
そんなD先生の姿が、僕にはとても魅力的に映りました。
いつか、D先生のような科学者になりたい。
そう思うようになりました。
 
夢が叶った後に現れた〈ふわふわ〉の中に、ぼんやりと、核のようなものが見え始めたと感じました。

 

 

 

D先生には、三十年近く続けてこられた〈酵素〉の研究がありました。
それら研究成果を報告する論文を読み、魅せられ、僕はD先生の元で仕事をしたいと思ったのでした。
 
私が赴任する少し前から、D先生は〈酵素〉の分子構造を明らかにすることを目指しておられました。
僕も、その研究の一員として、実験をすすめることになりました。
 
数ヶ月ほどして、僕はひとつの研究テーマをD先生に提案しました。
それは〈酵素〉を動かす仕組みに関するテーマでした。
〈酵素〉の構造だけでなく、動く仕組みがわからないと面白くない。
そう考えて、D先生に研究計画を提案しました。
 
D先生は、目を輝かせました。
「それは、三十年前に研究を始めたときからずっと不思議に思っていたことなんだ!」
 
さっそく議論が始まりました。
すると不思議なことに、僕とD先生のアイデアは全く同じものであることがわかりました。
僕の研究はD先生の影響を受けていました。
しかし、アイデアというものは大概、表面的には一致していても、深掘りしていけば違う点がボロボロと出てくるものです。
しかし、何度となく議論を重ねてみても、少しのズレもありませんでした。
 
年齢も、国籍も、文化も、社会的地位も、趣味も、好みも、なにもかもが違っている。
そんなふたりのアイデアが一致するなんて、宇宙人と遭遇するぐらい奇跡的なことです。
 
アイデアのシンデレラフィットでした。
 
「この研究、必ず成し遂げよう」
 
D先生はすっと右手を差し出しました。
その大きな手を、僕は強く握り返しました。
 
はじめて挨拶したときのような日本式ではなく、イギリス式の約束でした。

 

 

 

それから一年半、僕は実験を重ねました。
実験結果の一部は論文として発表することができました。
ですが、D先生と握手を交わした、あの研究テーマについては、うまい具合に成果を出すことができませんでした。
 
僕は、日本に戻ることを決めました。
自分の力不足を感じたからでした。
一旦、違う研究をして、もっと広い視野で科学の世界を見渡せるようになりたい。
そうしてまたもう一度、D先生と仕事がしたい。
そう考えたのでした。
 
はじめは引き留めたD先生も、僕の考えを聞くと、いいました。
 
「必ずだぞ」
 
僕はうなずき、右手を差し出しました。
その手を、D先生は思い切りの笑顔と力強さで、握り返してくれました。
 
その力強さを感じたことで、僕はもう、〈ふわふわ〉なんかしていないことがわかりました。

 

 

 

僕が日本に帰国してから二年後のこと。
 
D先生がこの世を去りました。
 
64歳でした。
テニスを楽しんでいるときに心臓発作で倒れたのでした。
 
こんなにも早くに別れが訪れるとは……。
あの元気で活動的な姿からはまったく想像していませんでした。
 
D先生が亡くなってから14年の月日が経った今。
 
D先生とシンデレラフィットしたアイデアから生まれ、約束したあの研究テーマを、僕は続けています。
 
昨年、病気で手術を受けたときは、もうこれまでのように実験ができないかもしれない、と思ったこともありました。
そんなときでも、何かほかに手段はないかと考えました。
手段を変えてでも、続けていきたいと思う研究テーマなのです。
 
この研究テーマを成し遂げることが、僕のライフワークであり、そして一番の夢なのです。
 
海外で研究をするという夢を叶えた途端、〈ふわふわ〉してしまった僕でしたが、今では、より強く大きな夢をもつことができました。

 

 

 

もしあなたが、人生をかけて叶えてみたい夢を探しているのならば。
 
自分にとって〈忘れられない人〉を、思い出してはいかがでしょうか。
 
その人と共有した時間のどこかに、シンデレラフィットした何かがありませんか?
 
もしあるならば。
 
その何かから、あなたにとって大切な夢が生まれるかもしれません。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
宮地輝光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

千葉県生まれ東京育ち。現役理工系大学教員。博士(工学)。生物物理化学と生物工学が専門で、酸化還元反応を分析・応用する研究者。省エネルギー・高収率な天然ガス利用バイオ技術や、人工光合成や健康長寿、安全性の高い化学物質の分子デザインなどを研究。人間と地球環境との間に生じる”ストレス“を低減する物質環境をつくりだすことを目指している。

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2022-03-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.163

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