週刊READING LIFE vol.163

あの日、思い出をくれた先輩へ《週刊READING LIFE Vol.163 忘れられないあの人》


2022/03/28/公開
記事:大村沙織(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「この場所ってこんな感じだったっけ?」
自分の頭の中のイメージと目の前の風景のギャップに、私は思わずつぶやいた。中央コンコースから上部を見上げる首は、ほぼ真上を向いていた。はるか先のガラスの天井からは3月の陽光が入り込み、開放感を増長する。天井の下には小さなステージが配置されており、下から見ていると空中に浮かんでいるようにも見えなくもない。すっかり空間の大きさと不思議な雰囲気に圧倒されていた。
「下京区側に来るの何年ぶり?」
「……10年ぶり? 新入社員研修以降来てない」
「やだ、もうそんなに経つの? 時の流れって怖い」
横に立つ母親とそんな言葉を交わす。彼女は何度も京都に来ており、駅のこの光景も取り立てて新鮮さはないのだろう。一方私は京都に来ても仕事で日帰りだ。そのため京都駅をじっくり見るのもの、塩小路通側の通路に出るのも久しいことだった。ベタだが京都タワーを見て改めて「京都に来たな」と感じる。
「まずはホテルに行こうか。荷物置くでしょ?」
迷いなく歩く母についていく。京都を旅慣れている彼女に任せておけば、道に迷うこともない。無心で歩く内にふと古い記憶を思い出した。あの人はまだこの地にいるのだろうか? 3月の夜明けに思い出をくれたあの人は、元気にしているだろうか?

 

 

 

「先輩、就職は決まったんですか?」
部活の帰りに行った居酒屋で何気なく部長が発したその質問の重みを、まだ10代だった私は理解していなかった。当時3年生だった部長が4年生のT先輩に投げかけた問いかけ。今考えると、もし内定が取れていなかったら場の空気が凍り付く爆弾のような質問だ。一歩間違えれば雰囲気ぶち壊しになりかねない。お酒が入った場とはいえ、皆の前で質問するのには相当勇気が必要だったはずだ。
でもたとえ進路が決まってなかったとしても、T先輩は部長を許したかもしれない。
とにかく優しい人だったから。
「ご安心を。お陰様で決まりましたよ」
その返しに部長は安堵したようだ。お祝いの言葉と共に続けて質問を返す。
「おめでとうございます! さすがですね。勤務地は関東ですか?」
「いやー、それが関西方面で。多分京都になると思う」
一瞬時間が止まったのかと思った。幸い私が挙動不審になったことは誰も気づかなかったようで、会話はそのまま継続していた。このときの私は、本当に理解していなかったのだ。先輩の就職が決まる、すなわち大学を卒業するということを。卒業したら当然T先輩と会えなくなってしまうということを。京都という具体的なキーワードが出てくるまで、愚かな私は気づいていなかったのだ。このときは既に1月―先輩が卒業するまで、2ヵ月を切っていた。

 

 

 

時期は遡り、大学に入学したばかりの頃。高校までは文科系の部活に入っていたので、大学では運動をやってみようと心に決めていた。しかし超文科系人間にガチの運動部に入る勇気はなく、何をやろうか悩んでいた。そこで目に留まったのがアーチェリーだった。
「初心者大歓迎! 大学から始めた人がほとんどです」
「弓具貸出あります!」
「練習環境は超良好! いきなり全国大会に出られるかも!?」
運動部であるわりには勧誘のチラシで優しい謳い文句を掲げていて、目を引いた。弓具を貸出というのも、お金がない学生にはありがたかった。中には道具をそろえていないと入れない部活もあったから、そういうところと比べると優しい。アーチェリーは射場という広い環境がないとできないスポーツなのだが、学内に射場がある点で練習場所には事欠かなかった。そして何より、好奇心が勝った。
「何かやってるんですか?」
そう聞かれたときに、「実はアーチェリーをやってまして」と言える人はそうそういないだろう。人生で絶対ネタになるに違いないと思った。そんな不純な動機で、私はアーチェリー部のドアを叩いた。
 
T先輩と出会ったのは体験入部のときだった。私が行ったときにたまたま部長がおらず、対応してくれたのが彼だったのだ。
「ごめんなさいねえ、部長さん今いなくって。でもすぐに来ると思うから。とりあえず道具持って、射場に行きましょ」
「はあ……」
部長がいないことはこの際どうでも良かった。それよりも私はおねえ言葉でしゃべるT先輩の方が気になっていた。道具を積んだ自転車で射場に向かう途中も、他の新入生におねえ言葉で話しかけるT先輩に、私は「大学って凄いところだな……」とカルチャーショックを受けていた。射場に到着すると、既に他の4年生のN先輩が練習に来ていた。
「Tくん、またおねえ言葉になってるよ」
射場に着くまでの会話が聞こえていたのか、N先輩は笑いながら言った。
「いいじゃない、こっちの方が親しみやすいでしょ?」
軽口を叩きながらT先輩は自分の弓を用意していた。印象的だったのは、組んだ弓が黒くて重たそうな武骨なものだったこと。おねえ言葉からの連想でかわいい道具を使っているのかと思っていたのだが、真逆だったのでギャップを感じたことを覚えている。そして持ってきた道具の中から新入生の練習用の的を出してきた。
「的は出すけど、まずはいきなり矢を使うんじゃなくて姿勢からね。その方がイメージ掴みやすいと思うから。後で練習用の弓を使って打ってみましょうね」
変わらずおねえ言葉で話すT先輩。ところがその指導はとても分かりやすかった。肩の位置や腕の使い方を具体的に指摘し、正しい姿勢がどんなものなのかを教えてくれる。その場にいた私を含む新入生3人は、30分後には練習用の弓で矢を打てるようになっていた。
「Tくんの教え方、分かりやすいでしょ? こう見えて元部長だから」
「ちょっと、聞こえてるからね!? 『こう見えて』とは何よっ!?」
T先輩曰く、部長の方がもっと教えるのはうまいらしい。しかし教わる先輩に困らないのであれば良さそうだと、私はアーチェリー部に入ることにした。N先輩とのやり取りの雰囲気も楽しかったし、このときいた新入生の子達とも仲良くなれそうだったのも決め手になった。
 
その後春から夏にかけて、忙しい授業の合間を縫って練習に通った。1年生は1人では射場には出られなかったので、大体部室には先輩が誰かしら待機して、一緒に射場に行って練習することがほとんどだった。1年生は夏の合宿で他校の新入生との練習試合があるので、それに向けた調整がメインとなっていた。特に部長やT先輩とはよくタイミングかかぶり、3人で練習に行ったり、他の新入生も一緒に3~5人で練習に行くことが多かった。練習の後も同じメンバーでご飯に行ったりすることもあり、4年生の先輩の中ではT先輩と一番よく喋っていた。おねえ言葉は「キャラ作り」とのことで、本人は本好きのフランクな先輩だった。帰りの電車も同じ方向だったこともあり、好きな作家の話で盛り上がりながら帰ったことも何度かあった。
またT先輩のアーチェリーの実力にも気づいていた。とにかく立ち姿がきれいで、崩れないのだ。それを重量がかなりあるごつい弓でやっている。しかも引くのにより力がいる重い弦で。T先輩のがたいの良さの理由が分かった気がした。
更に他大学と行われた夏の合宿では、常にOBや他の学校の学生に囲まれていた。部長をやっていて顔も広かったし、後で知ったことだが男子校出身というのもあって、同性からも慕われていたのかもしれない。T先輩への気持ちに気付き始めたのも、この頃だったと思う。合宿の間の練習も他校の生彼らと行い、その中には女子部員も当然いる。彼女らの指導をするのも先輩の務めと、頭では理解していた。しかし自分の心の奥で黒い炎が燻っていることに気が付いてしまった。とりわけ、彼が他校の女子生徒と楽しそうに笑っていたりするのを見たときに。

 

 

 

それからというもの、部室に行くのが怖くなった。T先輩とは合宿以降も部活以外で本の貸し借りをしたり、食堂で一緒にご飯を食べたりと、良好な関係を築いていた。
この気持ちを先輩に伝えたい、でもこの関係を続けるのも悪くない…。
自分に似つかわしくない、甘ったるいふわふわとしたマカロンのような心持ちで部室を訪れるものの、心配はほぼ杞憂に終わった。大概誰もいなかったり、他の先輩や同期が私を出迎えるパターンが大半を占めたからだ。そして学園祭が終わった11月頃から、彼の姿をふっつりと見なくなった。彼女でも何でもないのに先輩に連絡を取るのは憚られ、悶々とした日々を過ごした。
 
そこで知ったのが、飲み会での就職先についての会話だった。自分の愚かさをこのときほど呪ったことはない。
彼に気持ちを伝えよう、伝えなくてはならないと、やっとの思いでそう決めた。
かといって就職の準備で忙しい彼の時間をとってしまって良いものか?
「3月の送別会の幹事に立候補すれば、事前に話せる機会も作れるかも」
必死に考えた作戦は遠回りなものだったが、チャンスは全て活用しようと、まんまと幹事役の椅子をゲットした。何とか連絡を取ろうと、4年生全員にそれとなくお店の希望を聞いた。
ところがだ。4年生からは代表して1人から「幹事さんにお任せします!」というメッセージが来てしまった。完璧に当てが外れた私は、腹を括ることにした。
「その場で決めてやる!」
私は目一杯のおしゃれをして会場の居酒屋に向かった。なかなかT先輩に近づくチャンスがないまま時間だけが過ぎ、2次会、3次会、カラオケと、気付けばオールのコースをたどっていた。カラオケでだべりつつ夜が更け、始発電車が走り出す頃には疲れもあって告白を諦めていた。いざT先輩に話しかけようとすると、喉がカラカラになり、言葉が出なくなってしまうのだ。
彼に呼びかけることさえできていない今、一体何ができるというのだろう?
自分の臆病さを情けなく思いつつ、空が白み始める中、皆で駅まで歩いていたそのとき。
誰かに後ろから両肩をつかまれ、体の向きを変えさせられた。
目に入ったのは駅の改札口、耳に飛び込んだのは待ち望んだ彼の声。
「送ってくよ、一緒に帰ろう」
 
早朝の空いた電車の座席に、2人で並んで座る。
見慣れた電車に、見慣れた車窓の風景。
ここをこの人と歩くことは、もうないんだ。
締め付けられる胸と一緒に言葉まで絞られているようで、何も話せなかった。そんな沈黙を破るように、T先輩は声をかけてくれる。
「付き合わせちゃって悪かったね。大丈夫?」
この人、どこまで優しいの!? 感動のあまりか、ぽろっと言葉が出てきた。
「T先輩、ずっと好きでした」
もう構うものか! いろいろ諦めたら、涙も目に留まるのを諦めたらしい。堰を切ったように涙が溢れ出てきた。涙の隙間から見えた、T先輩の困ったような笑顔。同時に頭に重みが加わる。頭を撫でられてるのだと分かった。
「気持ち、知ってたよ。でもごめんね」
自分がふられた悲しみよりも、この人を困らせるようなことを言ってしまったショックの方が圧倒的に大きかった。自分の行為が、涙でボロボロになった顔が、恥ずかしくて上を向けなかった。
 
いつの間にか私は眠っていたらしい。T先輩は何も言わず、私が降りる駅まで肩を貸してくれ、起こしてくれた。「全然いいよ、気にしないで」と、最後までT先輩は優しく笑ってくれた。
「T先輩、どうかお元気で」
「本当にありがとう」
この会話以来、私はT先輩と会っていない。彼のSNSも追っていない。
帰るときにポケットにメモがあり、それがT先輩からの正真正銘最後の言葉だった。
「幹事立候補してくれてありがとう! 頑張り屋の沙織のことだから、お店選びとかも一生懸命やってくれたんでしょ? 短い間だったけど、本当に楽しかったです」

 

 

 

3月、京都、電車という3題話のようなキーワード達。それで彼のことを思い出してしまった。
「T先輩、私あの頃の頑張り屋のまま、ここまで来てますよ」
心の中でT先輩に呼びかける。あの頃T先輩が褒めてくれた私。その姿に恥じぬように過ごそう。新春の陽光の中、気を引き締めるのだった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
大村沙織(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

水泳とライティングの二足の草鞋を履こうともがく、アラフォー一歩手前の会社員。

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2022-03-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.163

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