週刊READING LIFE vol.166

いちごがくれた苦笑い《週刊READING LIFE Vol.166 成功と失敗》


2022/04/25/公開
記事:河瀬佳代子(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
池袋のスタジオのエレベーターは、何回ボタンを押しても5階から降りてきてはくれなかった。
 
あれ、おかしいな。
私、「上」のボタン押したよね?
 
再度ボタンを押してもエレベーターは5階で止まったままだ。
 
この世の中に、ボタンを押してもうんともすんとも動かないエレベーターがあるなんて。しかもよく見ると「このエレベーターは手動です」とある。手動? この令和の御世に手動のエレベーターだなんて、結構長いこと生きたけど生まれて初めて見たかも。
 
驚愕すると同時に、その日はカメラ一式やら何冊かの単行本やらが入っていてヘビー級に荷物が重たいのに、それらを全部持って1階から4階まで階段を登らなくてはいけないことに気がついた。まじですか? 何の罰ゲームですか? いろいろとぼやきながら、ふうふう言いながら階段を登り、恐る恐る4階のドアを開けた。
 
スタジオには既にたくさんの人が集まっていた。これからモデルさんをお呼びして写真撮影会をするのだけど、どうやらその前の時間から続けてスタジオを使っている人たちがいたらしい。もわっとした熱気や、前の撮影の興奮冷めやらぬ会話に包まれながら私はそろそろとスタジオに入った。今日初めてスタジオで撮影を体験するので、まるで勝手がわからないから、なるべく目立たないようにしようと決めていた。
 
やがて講師が到着して講義が始まった。とてもわかりやすい話だけど、講義が終わって撮影の時間になると、他の皆さんが一斉に動くのに、私は何をどうしたらいいのかよくわからず、ぽかんとしていた。
「あの、つけますか?」
「え?」
「もし今つけないなら、先にやってもいいですか?」
誰かが私に何かを聞いているのだけど内容が全然わからない。講師が寄ってきて丁寧に教えてくれた。
「今からチームに分かれてストロボで撮影をするんだけど、スタジオ用のストロボと、カメラにつけたリモコンとを連動させます。シャッターを押すと自動的に光るようにカメラにリモコンをつけますけど、人数分のリモコンがないので譲り合って使っています。今日初めてのご参加なので、先に皆さんがどういうふうに撮影するか、見ていてくださいね」
 
なるほど。さっきの人は私がリモコンをつけると思ってくれてたんだ。
「では始めます。お願いします」
先に撮影をする人がどんどん撮っていく。
私は撮影風景を観察した。みんな、いろんなことが上手いなあとつくづく思う。カメラとレンズのマッチングの仕方とか、アングルとか、露出とか、モデルさんへの声の掛け方とか、いろいろなことの発想が全く違うから見ていて飽きない。ストロボがカメラと連動して光る時の「ピピッ」という機械音と、シャッターを切る音とが重なり合う時間が流れる。
「次、あなたの番なので準備してくださいね」
講師の声がして、ぼーっとしていた私は慌てた。まずはリモコンをもらってカメラにつけて、露出とシャッタースピードを合わせてと。えっと、そこからはいつものように撮ればいいのかな。とりあえずシャッターを切ってみる。でも何だか写真が暗すぎるかも。リモコンを再度取り付けて、光の具合をテストしてから仕切り直す。モデルさんをお待たせしてしまった。
「お願いします」
1人ずつ均等に撮影するので時間が限られている。ライトを逆光にしてもらったので、モデルさんから柔らかい雰囲気が出ている。カメラを縦に、横に構え、正面から、少し上から、少し下から、前に寄り後ろに下がり、自分の身体を動かしながら撮ってみる。
「こちら側から、顔を動かしながら目線ください」
どうやってモデルさんに指示を出していいのやらよくわからないけど、何となく言ってみる。モデルさんはさすがで、こちらの拙い要求も軽々とこなしてポーズを決めてくれている。
「そろそろお時間です」
この人のベストな表情って何だろう、いい感じって何だろう、この時間に何とか見つけたい。シャッターを切っているときはそれしか考えていない。無我の境地になっているのかもしれない。
「ありがとうございました」
お礼を言って次の人と交代する。撮った写真を見てみる。正面を向いて、こちらを見ているモデルさんの顔が何となく挑戦的だ。あんなに可愛らしい人なのに、こんな目をしていたのか。拙い私ながらも、何とかモデルさんの表情を引き出せたかな、と思った。
「おお、いいじゃないのこれ」
いつの間にか講師が私のカメラの液晶を覗き込んでいた。
「ありがとうございます」
「かっこいいよねえこれ! よく撮れたね、こういうのいいじゃない」
なんというか、褒めてくださるのがいいのか悪いのか、果たしてこれは私の実力なのか否かよくわからないけど、とりあえず撮れた写真は自分でもいいんじゃないかとは思った。しかし同時に、これはまるで自分が撮ったものとは思えない、こそばゆい感覚もあった。

 

 

 

その次の週、私は別の場所にカメラを持って向かっていた。
参加する料理教室の中で、作った料理やスイーツ、作業の工程なども撮れたらいいなと思っていた。
 
実は同じ料理教室に今年の初めにも参加していた。その時もカメラを持っていったのだけど、つけたレンズが近距離を撮影するのに都合がいいものだったため、広いテーブル全体の写真を撮ろうとすると遠いところがボケてしまった。それはそれでいいのかもしれないけど、やはり全体の写真は細部まできっちりと撮りたかった。そのため今回の料理教室には、少し遠景も撮れるようなレンズに換えて参加した。もうちょっと、前回よりもくっきり、色鮮やかな写真を撮りたいかも。そんな期待を持ちながら開催場所に向かっていた。
 
この日のお題は「いちご」。メインはいちごのタルトだけど、他にもサラダにステーキにパフェに、果てはジャムのお持ち帰りもあるという何とも贅沢なイベントだ。
しかもお題がいちごだ。季節限定、みんな大好き、果物の王様みたいな存在で、真っ赤なフォルムが映えること間違いなし。いろいろな料理を作るので、これ以上絵になる食卓はそうそうないだろうと胸をワクワクさせていた。
「先週の撮影会もまあまあいい感じで撮れてたし、前回の料理教室とはレンズも換えているし、今日もそこそこ絵になるものが撮れればいいかな」
何となくだけど「うまくいくしかない」ような想像をしながら、教室に到着した。
 
エプロンをつけて髪を縛って手を洗う。主催者さんに撮影の許可もいただいたのでカメラを取り出す。レンズの蓋を取ってスイッチをONにする。ちょうどテーブルの上にお飾りのいちごが乗っていた。あれをテストで撮ってみよう。ファインダーを覗きながらシャッターを押そうとした。
(……あれ?)
シャッターが下りない。
もう一度、やってみる。オートフォーカスなのでシャッターを半押しすれば自動的にピントが合うはずなのに、ピントが出てこない。全体的に、ボケボケの絵しか見えてこない。
(そんな馬鹿な!)
先週あれだけ、パッキパキな写真が撮れたじゃない! あれだけモデルさんのいい表情が出せたじゃない! なのにどうして? どうして? 今日はボケボケなの?
一瞬、先週の池袋のスタジオの全然動かないエレベーターを思い出した。あの時悪態なんてついたから、バチが当たったのかしら。この日ご一緒する参加者さんたちの興味深い視線を感じながらも私はちょっとしたパニックになっていた。
「カメラ持ってこられたんですね! すごーい!」
「あ……。でも、なんかピント合わなくて、ちょっと困ってます」
「あら、そうなんですか。でもそれで撮ったらいいんでしょうねー」
「今、いろいろ撮ってるんですけど、今日は何だかカメラが言うことを聞いてくれなくて」
「動いてくれるといいですね」
「ありがとうございます。もう少し頑張ってみます」
今日お会いしたばかりの皆様が励まして下さった。何とお優しい人たちなのでしょうと感激しながらも、心の中は焦る一方だった。もしかしたら、一昨日くらいに夜空を撮影した時に設定を変えたから、それが影響しているのかもしれないと思ってあちこちいじってみたがまるでだめ。カメラのメニューをあれこれ探して、どこか解決のヒントがないか探してみたけど全然効果なし。私のカメラは相変わらずピンボケのままだった。
「それではお時間になりましたので始めますね」
料理教室が始まった。もう仕方がない。今日はカメラは諦めて、iPhoneで撮影するしかない。一緒にご参加の皆様もスマートフォンで撮影しているし、かえって大きいカメラは邪魔になることも多いから、カメラが動かない原因は後から考えるとして今は料理に専念しよう。作るものも多いからiPhoneで撮る方が皆さんにご迷惑にならないような気もするし。
私は料理作りに取り掛かった。いちごは、調理前にそこに置いてあるだけで絵になる。次々に姿を変えてソースになり、クリームになり、ピューレになり、タルトになっていくのもまた、1つ1つ存在感があるのだった。
(ああ、残念……)
一品ずつ料理ができてテーブルに並ぶ光景もまた、壮観なものだった。
(これ、カメラで撮りたかったなあ)
割り切ったつもりが全然割り切れてないような気もしたけど仕方ない。こんな日もあるよと無理矢理自分に言い聞かせながら、料理を味わった。どれもこれも大変美味で、しかも趣向を凝らしたものだった。
めちゃくちゃもったいないけど、チャンス逃したけど、しょうがない。iPhoneで撮ったものをきちんとレタッチしてみるか。レタッチの勉強もいいもんだよと、励ましにもならないことを考えながら帰路についた。
 
帰宅して、一体私のカメラに何が起こったのかを知りたくて検索してみた。「カメラ F値 動かない」とPCに打ち込んでみる。今日はカメラのF値(絞り)が全く動かなかったのだった。出てきた結果を見て私は再度慌てた。
 
「……カメラのレンズは、本体にきちんと装着されていますか?」
 
え?
もしかして、そこ?
 
思わずカメラを確かめてみる。換えたレンズは少し重たいので、カメラにつけるのが若干難しいのだ。レンズがくっついてないって、それ本当? レンズを回してみると……、回った。そしてカチッと音がした。
(やだ、もう!!!!!)
たったそれだけのことだったのだ。レンズがカメラにちゃんとくっついてなかったら、そりゃカメラだってレンズを認識するわけがないじゃない。あったりまえのことじゃない。もう、馬鹿ったらないわ。思わず笑いがこみあげてきた。
きちんとレンズを装着したカメラで、その辺に置いてあるものを撮ってみる。見事に焦点が合って綺麗に撮れた。
(自分は、こんなことすらもわからないんだ)
振り返って考えてみる。先週のスタジオの撮影会、あれはスタジオに全ての機材があって、カメラがちゃんとしていて、講師や皆さんがちゃんと教えてくれたから「撮れた」ものだった。自分が撮ったんじゃない、カメラやセットが撮らせてくれてるんだよね。自分でちゃんと調べた? 確認した? やってないよね。
 
今日の自分は、何が原因かも全然わからずにただ諦めるだけ。結局「誰かに訊けばいいから」「行けば何とかなるから」と無意識に思っていたから解決できなかったのだ。原因がわかってみれば笑い話にしかならないけど、どこかで誰かを、何かを頼っている甘い自分がいたことを再確認した。人に頼っているうちは何ごともなし得ることはない。
それでも撮り続けなければ、写真なんてうまくならないし、逆に考えたらプライベートで失敗しておいてよかったのかもしれない。何事も勉強、勉強と、何回繰り返せばいいのかなと思いつつも、やっていくしかないよねと苦笑いするだけなのだった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
河瀬佳代子(かわせ かよこ)

「客観的な文章が書けるようになりたくて」2019年8月天狼院書店ライティング・ゼミに参加、2020年3月同ライターズ倶楽部参加。同年9月READING LIFE編集部公認ライター。
言いにくいことを書き切れる人を目指しています。

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2022-04-20 | Posted in 週刊READING LIFE vol.166

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