週刊READING LIFE vol.167

ただ、悲しかった。だから、ぼくたちはつながれた。《週刊READING LIFE Vol.167 人生最初の〇〇》


2022/05/02/公開
記事:いむはた(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
人間は感情の生き物です。良かれ悪しかれ、ぼくたちは、感情を持つことで生きている、感情を持つことを止めてしまったら、ぼくたちは、生きることを止めてしまう、そういっても、決して過言ではないでしょう。そう、生きることとは、感じることなのです。
 
ただ、その感情のエネルギーはとても強くて、ときにぼくたちは、それを持て余してしまう。一人では抱えきれなくなってしまう。そんなとき、ぼくたちは、それを、誰かと共有するのではないでしょうか。そうすることで、誰かから、生きるエネルギーをもらったり、反対に、誰かに、生きるエネルギーを与えられたり。
 
感情とは不思議なものですね。ものごとに抱く感情は、誰一つとして同じものは無いはずなのに、そう、とても個人的なものに違いないはずなのに、ぼくたちは、それを共有できるのです。
 
それは、例えば、チームが協力してもぎとった勝利。試合での自らの活躍に、喜びの涙を流す人もいれば、これまでチームで共に過ごした時間に思いを馳せ、歓喜の声を上げる人もいるでしょう。起きたことは同じでも、見ている景色は人それぞれ。それでも、彼らは「喜び」という感情を通じ、一つの世界を共有するのです。
 
そう、感情とは、ぼくたち「人」という、とても個人的な生き物に、「つながり」をいうものを与えてくれます。ぼくたちが生きているこの世界とは、感情を基礎に成り立っている、そんな風に言ってもいいのかもしれません。
 
人は一人では生きていかれない。人と人の間で生きるのが人間である、そんな言葉があるけれど、人と人をつないでいるのが感情であるのなら、個人という「人」を、「人間」という共同体にしているのが感情である、そんな風にいってもいいのかもしれません。やはり、人間とは、感情と切り離すことのできない生き物なのでしょうね。
 
これは、つい最近、ぼくに起こった、とても個人的な出来事についての話です。ぼくという個人が、ある感情を通じて、これまで、うまくつながることができなかった「彼」と、世界を共有できたという話です。そして、ぼくと彼とをつないでくれたのは、「悲しみ」という感情でした。
 
「彼」との出会いは、今から五年ほど前、会計コンサルタントをしているぼくが、新しいお客様と仕事をすることになったとき、ぼくより数か月前から、常駐コンサルタントとして、お客様と仕事をしていたのが彼でした。
 
今後の仕事ついて、お客様との一通り打合せが済んだあと、これから一緒に仕事をしてもらうことがあるかもと、紹介されたのが彼でした。銀縁の眼鏡、180センチを超えるスラっとした姿にライトグレーのスーツ、いかにも「できる人」というのが、ぼくの「彼」に対する第一印象でした。
 
ただ、そんなぼくの第一印象は、長くは続きませんでした。お客様に促されるまま、お互いの自己紹介が始まってすぐのこと、ぼくはすぐに気が付きました。彼は、ぼくが思った通りの「できる」人だったのです。
 
説明は簡潔で明快、わかりやすいこと、この上ありません。ぼくの話に対しても、あいまいなところがあれば、それはどういうことですか、と適時に質問し、なるほど、そういうことですか、と納得してから、次に話題に移りました。そんな会話に、ぼくは、あぁ、この人は、本当に頭のいい人だ、こんな人と仕事をしたら、たくさんの刺激をもらえるのだろうな、と興奮を感じたのです。
 
けれど、それと同時に、プレッシャーを感じている自分がいたのも事実でした。原因は、彼の感情の希薄さでした。何を話していても、クールに、そういうものですか、そういうものですよ、と冷静に受け止めていて、ほとんど感情が見られないのです。表情が無いというのとは、違うのです。実際、彼はよく笑っていました。ただ、笑顔に感情が感じられなかったのです。こんな人と、一緒に仕事したら、どうなるのだろうか、気持ちを通じ合わせることなど、できるのだろうか、そう不安になったのです。
 
とは言ったものの、彼がぼくに対して感じたこと、それだって、どんなものだったのか、わかったものではありません。時間にしたら五分ないも短い時間でした。そんな中で、お互いを理解するなど、ありえるはずもありません。それでは、今後もよろしくお願いします、そう言って、彼はその場を去っていきました。
 
 
その後、しばらく間、彼と仕事をする機会はありませんでした。ぼくも、彼と同様、常駐のコンサルタントとして、毎日、お客様の元で仕事していました。けれども、彼と一緒の仕事を任されることはなく、それぞれが別のプロジェクトに関わっていました。もちろん、毎日、顔を合わせる仲、仕事についての情報を交換したり、お互いの趣味について雑談をする関係にはなりました。ただ、それ以上の関係になることもなかったのです。まさに、ビジネスライク、という言葉が、ぴったりという関係が続きました。いや、正直言えば、ぼくの方は少し違っていたました。なんと言うのがいいのでしょうか、彼に対する感情は、「複雑」でした。というのは、ぼくに見せる「彼」が、お客様に見せる「彼」と、あまりにも隔たりがあったからなのです。
 
例えば、それは、あの人は本当に話せる人だ、お客様のそんな会話が、たまたま耳に入ったとき。例えば、それは、やっぱりあなたはすごいなぁ、こんなにも私たちことをわかってくれるなんて、と大声で褒められている姿を目にしたとき。彼は、お客様と頻繁に飲みに行っているという話までありました。
 
ぼくに対する彼の姿勢、それは、一定の距離を保つというものでした。実際、彼がそう思っていたかはわかりません。ただ、少なくとも、ぼくには、そう感じられました。もちろん、飲みに行ったことなど、一度もありません。けれども、お客様に対する彼の態度は、違うのです。相手の最後まで話をよく聞き、決して私情を挟まず、かといって突き放すわけでもない。適度な距離が保たれているのは間違いありません。ただ、そこには、ぼくとの会話にはない「温かさ」があるのです。ぼくとの距離よりも、もう一歩踏み込んだ関係、それに故に、人としての温度を感じられる、そんな関係があるような気がしていました。
 
次第に、ぼくは、こんな風に思い始めている自分に気が付きました。あぁ、この人は、ぼくとの距離を縮めることを、望んでいるわけではないのだな、と。もちろん、その「必要」がないことは明らかです。たまたま、一緒のお客様にくることになっただけなのですから。一定の距離を保ったままでいいのです。ただ、ぼくは、彼と距離が、少しずつ遠ざかっていくように感じていました。そして、彼とぼくとの関係を、どこか悲しく感じていたのです。
 
 
そんな関係が四年ほど、続いたある日のことです。お客様の一人が、突然、退職されることになりました。今まで重要なプロジェクトを任されていた方です、社内で代わりの人と言っても、すぐに見つかるわけではありません。そこで、声がかかったのが、「彼」、そして、ぼくの二人でした。
 
お二人とも、お任せしているプロジェクトでお忙しいとは思います。ただ、お二人が協力してくだされば、今の難しい状況を乗り越えられます。お二人のお力を、少しずつわけていただけませんか、ということでした。お客様からのお願いです、二人とも、即座に、わかりました、と返事をしました。そして、そのまま、すぐに今後の仕事の進め方についての打ち合わせに入りました。
 
社内に残された資料から、これまでの経緯、これからの方向性について、話を進める中、改めて感じさせられたのは、彼の頭のよさでした。資料から行間を読む能力にも長けていましたし、それに対する対策も的を射たものでした。加えて、お客様とのコミュニケーションも、彼に任せていれば、問題なく進められそうです。すべてが円滑に、機械的に進んでいきました。突然の仕事に当惑していたぼくも、これなら、きっと乗り越えられる、そう胸をなでおろしました。
 
けれども、どこかに不安を感じている自分もいたのです。いや、不安という言葉は、上品すぎるかもしれません。ぼくが感じていたのは、ありていに言えば、この仕事に、ぼくは必要なのだろうか、ということでした。不満と言った方が、適切なのかもしれません。
 
実際、仕事が進むにつれて、彼とぼくの役割は、明らかに分かれていきました。彼が担当するのは、お客様の「上」の人たち。打ち合わせや、報告、それから方向づけ。ぼくが担当するのは、お客様の「下」の人たちや、プロジェクトに関わっている他のコンサルタントたち。決められた方針に基づき、「みんな」と一緒に、データをそろえ、資料をまとめました。言ってみれば、ぼくの仕事は舞台・照明担当、彼は、その舞台で演じる役者といったところでしょうか。分担をしたことで、すべての仕事が順調に進んでいきました。そして、お客様も、とても喜んで下さっていました。
 
ただ、そんな中、ぼくの不満は、大きくなっていくばかりでした。というのも、スポットライトを浴びるのは、いつも「彼」なのです。舞台に上がっているのは「彼」だから、仕方がないことかもしれません。そして、ぼくは、ぼくの役割をこなし、お客様が喜んでくれている、ぼくはそのことだけで、満足するべきなのかもしれません。「舞台」はうまくいったのだ、二人が力を合わせて、導いたのだ、と、自分に言い聞かせるべきだったのかもしれません。でも、ぼくの頭からは、これの役割は、ぼくじゃなければだめなのだろうか、という思いが離れませんでした。そして、その思いは、日を経るごとに、どんどんと膨れ上がっていきました。ぼくは、そんな自分の役割を思うとき、一人、悲しみを感じていました。
 
そんなある日のことです。事件が起きました。彼とぼくが進めていたプロジェクトから、脱落者が出たのです。それは、ぼくたちと同じコンサルタントの一人でした。もう、このプロジェクトについていくことはできない、というのです。
 
たしかに、お客様のキーパーソンの退職があってから、ぼくたち、コンサルタントは、かなり無理をしてきました。それもそのはずです、今まで全くかかわったことのない仕事、短期間で追いつくだけでは足りず、お客様の期待を超えようとしてきたのですから。彼女にも、相当の負荷がかかっていたのは間違いありません。当初の想定と違う、という彼女の主張も、わからないではありません。
 
彼とぼくとは、彼女と話す時間を持つことにしました。せっかくここまでやってきたのだから、あと少し、みんなで乗り切ろう、ぼくたちも協力するから、そう、声をかけたのです。ただ、残念ながら、彼女が、その言葉を聞き入れることはありませんでした。限界まで頑張っていたのでしょう。もう彼女の心の糸は切れていました。そして、彼とぼくは、その彼女の心の糸を、つなげることができませんでした。
 
彼女の元を去った彼とぼくは、無言のまま、歩き続けました。ぼくの頭の中はぐるぐると回っていました。彼女が抜けた穴を、どう埋めたらいいのだろうか、この「損」な役回りを埋めるのは、また、ぼくなのだろうか、そんな思いで、頭はいっぱいでした。その時のことです。悲しいね、彼がそう言いました。
 
普段、そんな「感情」を見せない彼の言葉に、ぼくは驚いて、彼の顔を見つめました。その視線は、まっすぐ前を向いたまま、彼はこう続けたのです。
 
ねぇ、ぼくたちは、価値観を共有しているのかと思っていたよ。これまで歩んできた道も違えば、コンサルタントとしての得意分野だって違う。でも、そんなぼくたちが、一緒に働けるのは、たまたまお世話になったお客様という場で、偶然に出会ったぼくたちが、つながることができるたった一つの理由、それは、ただお客様の役に立とう、この気持ちを共有していたからじゃなかったのかな。ぼくは、そう思っていたんだよ。
 
悲しいね、彼は、そういったまま歩き続きました。ぼくは、黙って、彼の隣を歩きました。
 
その後、ぼくたちは、二人で協力して、なんとか彼女の抜けた後を埋めました。彼の仕事ぶりは、これまでと変わらず、いや、これまで以上に、感情を見せることなく、精密機械のように、スムーズで正確でした。そして、相変わらず、舞台の上でスポットライトを浴びるの「彼」であり、ぼくは、舞台・照明係を務めました。まるで、何事もなかったかのように、日々が過ぎていきました。ただ一つを除いては。
 
それは、ぼくの、彼に対する気持ちでした。あの日から、そう、彼の「悲しい」という言葉を聞いた日から、ぼくの彼に対する気持ちは、変わったのです。
 
彼の「悲しい」という言葉は、彼と同様、多くを語るものではありませんでした。でも、ぼくは、そこに彼の仕事にかける熱い想いを垣間見た気がしたのです。感情をあらわにすることなく、与えられた役割を機械のように進めるのも、コンサルタント間に線を引き淡々と仕事をこなすのも、すべて、お客様の役に立つため、それだけを考えているからこそなのです。
 
そして、なによりも、彼が「ぼく」に「悲しいね」といってくれたその事実、「ぼくたち」は「共有」していると思っていた、そう言ってくれた事実が、ぼくの心を動かしました。そう、彼は、ぼくも、彼と同じように、お客様の役に立とうとしている、そう信じてくれていたのです。そして、そのことがわかったとき、ぼくは、彼のことをこんな風に思うようになったのです。あぁ、この人は、本当に仕事のできる人だ。この人となら、気持ちを通じ合わせ、「仕事」という世界を、共に歩んでいくことができる、と。
 
これは、悲しみという感情が、彼とぼくを、「ぼくたち」にしてくれた、そんな、彼とぼくとの、とても個人的な話です。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
いむはた

静岡県出身の48才
大手監査法人で、上場企業の監査からベンチャー企業のサポートまで幅広く経験。その後、より国際的な経験をもとめ外資系金融機関に転職。証券、銀行両部門の経理部長を務める。
約20年にわたる経理・会計分野での経験を生かし、現在はフリーランスの会計コンサルタント。目指すテーマは「より自由に働いて より顧客に寄り

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2022-04-27 | Posted in 週刊READING LIFE vol.167

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