読書と狩猟、日々の生活と漂泊、わたしたちはみな冒険者《週刊READING LIFE Vol.169 ベスト本レビュー》
2022/05/16/公開
記事:宮地輝光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
信じるか信じないかは別にして、厄年という言葉を聞いたことはあるだろう。
人の一生には3度、災いが降りかかりやすい時期があるのだとか。
その時期が厄年と呼ばれている。
男性の場合、数え年で25歳、42歳、61歳が厄年。
なかでも42歳の時期には注意が必要とされ、〈大厄〉と呼ばれている。
厄年という考えは、陰陽道の影響を受けて平安時代に生まれた考え方だと言われる。
しかし、その由来は定かではない。
なんだか怪しげな考えだと、わたしは思っていた。
ただ、20代、30代と年を重ねるにしたがい、大厄の頃と一致する40代前半で亡くなったり、大病を患う人はけっこういるな、という印象を強く持つようになった。
もしかしたら、気のせいかもしれないと思っていた。
40代前半といえば、経験や知識が深まり、地力と活力に満ちた、仕事に脂がのっている時期だ。
そんな充実した時期に突然、病に倒れたり、時に他界されたりするのは、とてもショッキングだ。だから印象に残りやすいだけかもしれない、と思っていた。
実際に自分が40代に近づいていくと、単なる印象の問題ではないかもしれないと思うようになった。
肉体の感覚は確実に変わった。
以前より疲労感は強くなり、回復にも時間がかかるようになった。
大厄をあなどってはならないかもしれない、と不安を感じるようになった。
だが不思議なことに、不安や焦りはあっても人間は前に進む。
わたしと同い年、1976年生まれの探検家・ノンフィクション作家である角幡唯介氏は、今年3月に出版された著書『裸の大地 第一部 狩りと漂泊』の冒頭で、〈43歳の落とし穴〉というものについて記している。
不思議なことに、43歳で遭難する冒険家は少なくないのだそうだ。国民栄誉賞を受賞43歳険家、植村直己がマッキンリーで消息を絶ったのは43歳になった直後だったし、北極点単独徒歩到達を果たした河野兵市が北極海の氷の割れ目に落ちたのも43歳。それ以外にも著名な冒険家が43歳で遭難している。
そのため角幡氏は、〈43歳の落とし穴〉と名付けている。
男性の大厄は42歳だから、43歳は後厄。
この落とし穴は、厄年の“勢力圏内”だ。
やはり40代前半は、なにか起こりやすい時期であるようだ。
角幡氏のような冒険家は、わたしなどよりもはるかに肉体を酷使する。
その分、より一層大きな不安や焦りがあるに違いない。
それでもやはり、人は前進する。
“2018年3月に私をシオラパルクにむかわせた原動力として、この年齢の焦りは確実に作用していた”
こうして、2018年、42歳になった角幡氏が、犬一匹をともなってグリーンランド北極圏の雪と氷の中を北に向けて旅をした。
その冒険譚が、『裸の大地 第一部 狩りと漂泊』だ。
この冒険が、ほかの冒険と大きく違うところ。
それは、冒険のコンセプトが本のタイトルにもなっている〈漂泊〉と〈狩り〉にあることだ。
漂泊。それは、目的地だとか計画といったものとは無縁の、天候や自然の地形、環境といった自分の取り囲む外的要因と時の流れに身を任せた行動だ。
角幡氏には、漂泊に強い意図がある。未来をつくりあげていく〈今〉の生のダイナミズム、“人間の生の始原”を経験したいという思いだ。
目的地を設定したり、計画を立てたりする。あるいは、目的地に向けた地形図やロードマップを手に入れる。これらは探検だけでなくあらゆる行動の効率化には不可欠なことだ。
こういった合理的な行為は、未来を起点にして今の行動を決めている。
この場合、今の行動は、目的や計画の確認行為にすぎなくなってしまう。
そうではなく、今、この瞬間、この空間に存在する自分を感じたい。
そんな強い思いが、角幡氏を漂泊というあらたな冒険に導いた。
そしてこの漂泊に不可欠となる行為が、食料を確保する〈狩り〉だ。
必要量の食糧を持参するためには、あらかじめ期間を決めなければならない。しかし、目的地や計画を設定しない漂泊では、当然、期間も決められていない。漂泊するためには、生きるための食糧を現地で調達、つまり狩りをしなければならない。
狩りをするためには、獲物が姿を現さなければならない。
それは、偶発的なもので、あらかじめ計画できるものではない。
そんな点も、漂泊のコンセプトとマッチしている。
だからこの冒険は、最低限の食糧しか持たずに出発している。
冒険を長く続けるためには、狩りによって必要な食料を獲得しなければならない。
狩りをしながらいつまで、どこまで北極圏を歩き続けられるか。
そんな冒険に角幡氏は挑戦したのだ。
この角幡氏の冒険コンセプトを読んでわたしは、20数年前に言われた恩師の言葉を思い出した。
当時のわたしは大学四年生。
卒業研究のために研究室に所属して実験をしていた。
ある日、突然、指導教員がわたしにこう言った。
「ここまでやればいい、って考えながら実験するの、ぼくは好きじゃないんだよね」
この言葉に、わたしはポカンとしてしまった。
あまりに唐突に言われたからでもあったし、なぜそんなことをわたしが言われたのか思い当たる節がなかったからだ。
当時のわたしは、「なんのこっちゃ」と思い、「はあ」とだけ返事をして、その場を離れた。
だが後から考えると、恩師の意図もわかるようになった。
成績面で優秀な学生にありがちなのだが、これだけやればこれぐらいの結果が出ることを把握していて、効率的に実験をしてしまう人がいる。
このやり方は決して間違いではない。
研究では、これまでの研究結果や偶発的にみつけた現象から仮説を立てて、その仮説を検証することを目的に設定し、実験の計画を立てる。その計画にそって実験を行い、データを分析して、自身が立てた仮説を検証する。この手順はそのまま論文の構成と一致して、それぞれ〈緒言〉〈実験方法〉〈結果と考察〉〈結論〉となる。
研究の出発点となる目的と実験計画は重要で、ここを誤ると研究全体が無駄になってしまうことすらある。
だが、まだ研究を始めたばかりの大学四年生の学生なら、どうせまだ知識や経験は不十分で、いくらでも失敗できる。ならば、自分の好奇心にしたがって精力的に、チャレンジングに実験をしてほしい。
そんな指導者としての考え、思いがあって、わたしの恩師はおっしゃったに違いない。
当時のわたしは、ここまでやればいいといった考えで実験をしているつもりは微塵もなかった。
自分で言うのもなんだが、成績面で言えばわたしは「優秀」な学生だった。
だから、一般論としてのわたしへの注意喚起だったのかもしれない。
だがもしかしたら、わたし自身は気づいていなくても、無意識に、自分のやるべきことのゴールを定めていたかもしれない。
あの言葉があったからこそ、これまでわたしは、さまざまな研究分野を漂泊し、狩りのように好奇心の引かれるテーマを探求し続けてこられたのかもしれない。
角幡氏は、探検家としてこれまで何度も北極の地を経験している。
そんな角幡氏でも、例年とは違う天候や予想できない獲物のうごきに苦しみ、飢えと命の危険を感じながら狩りをし、一喜一憂しながら冒険を続ける。
そして、角幡氏はあたらしい世界観とあらたな冒険の構想を手に入れる。
そんな冒険の経緯を、わたしはワクワクドキドキ、夢中になって読み進めた。
こんな気持ちで読み通した本は、わたしにとってほんとうに久しぶりだった。
わたしが初めて夢中になった冒険譚は、小学生の時に読んだハイエルダールの『コンチキ号漂流記』だ。
太平洋の南に点在する島々であるポリネシア。ここに住む人々は、いったいなにものなのか、どこからきたのか? そんな疑問に対して、ノルウェーの人類学者であったハイエルダールは、南米の人々が海をわたってポリネシアに移り住んだという仮説を立てた。
それだけではない。ハイエルダールは、仮説を実証するため、当時手にはいったであろう材料を用いて、いかだ「コンチキ号」をつくり、実際にペルーからポリネシアの島まで海をわたる旅をしたのだ。
南米やポリネシアに栄えた古代文明の話や、海路についての知識、それらを踏まえての用意周到な航海計画、そして、海の上で遭遇したさまざまな海洋生物と、トラブル。漂流実験航海の記録であるにもかかわらず、ワクワクドキドキさせられながら、最後まで夢中で読みふけった。
こうして思い返すと、わたしが研究に魅力を感じるようになったのは、『コンチキ号漂流記』で間違いない。
『裸の大地 第一部 狩りと漂泊』で久しぶりに感じたワクワクドキドキの冒険譚が、思いがけずわたしの研究者としての始原を思い出させてくれた。
実はわたしも昨年、〈43歳の落とし穴〉に落ちた。
わたしは下半身不随となる病に襲われた。
医師のみたてではもう歩くことはできないだろうということだった。
だが、運良く穴から抜け出すことができた。
手術とリハビリによって、奇跡的に歩けるようになるまで回復した。
もしかしたら、落とし穴に落ちた年齢が44歳と、43歳から一年が過ぎていたのが良かったかもしれない。
その分、落とし穴は少し浅くなっていて、穴から這い上がることができたのかもしれない。
だが、まだ身体には後遺症は残っている。
後遺症を抱えながら生きる。
そのことに不安はある。
だが、久しぶりにワクワクしながら読み通した『裸の大地 第一部 狩りと漂泊』は、わたしの心をふたたび好奇心と冒険心で満たし、不安は薄らいでいった。
人生なにが起きるかわからない。
将来を考えて行動してみても、計画通りにいかないことなどあたりまえのことではないか。
ならば、これからの人生、漂泊するように冒険していこうじゃないか。
そして、チャンスが来たときには、獲物を捕らえるときのように必死で仕留めようじゃないか。
落とし穴から這い上がってきた経験に、角幡氏の冒険譚との出会いが加わり、自分のこれからの生き方への想いがますます強くなった。
先などみえないとわかっていて懸命に人生を過ごしてみても、ふとした拍子に強い不安に襲われ、足を前に踏み出せなくなることは誰にでもあるだろう。
だがそんな時、不思議なことに、自分を助けてくれたり、励ましてくれる本に出会える。
そんな経験があるのは、わたしだけではないだろう。
本との出会いは偶発的で、予測できない。
読書とはまるで狩りのようだ。
読書と日々の生活は、「狩りと漂泊」と言い換えられるのだ。
だとしたら、本を読みつつ、日々の生活を過ごして生きるわたしたちは、みな冒険者だ。
この世界は冒険者であふれている。
わたしのように落とし穴から這い上がり不安を抱える冒険者。
〈43歳の落とし穴〉をこれから迎える、あるいはまさに今年、その落とし穴の年齢を迎える冒険者。
そして、落とし穴を無事に乗り越えチャレンジを続ける冒険者。
それぞれの人生を懸命に生きる、あらゆる世代の冒険者にとって、『裸の大地 第一部 狩りと漂泊』は、生きる意味をあらたに、あるいはふたたび発見できる一冊になるだろう。
□ライターズプロフィール
宮地輝光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
千葉県生まれ東京育ち。現役理工系大学教員。博士(工学)。生物物理化学と生物工学が専門で、酸化還元反応を分析・応用する研究者。省エネルギー・高収率な天然ガス利用バイオ技術や、人工光合成や健康長寿、安全性の高い化学物質の分子デザインなどを研究。人間と地球環境との間に生じる”ストレス“を低減する物質環境をつくりだすことをめざしている。
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