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週刊READING LIFE vol.169

「正解」ではなく「自分の答え」を選べ《週刊READING LIFE Vol.169》


2022/05/16/公開
記事:深谷百合子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
自分らしく生きたい、自分らしさを大切にしたい。そう願う人は多い。でも、自分らしくいようとすることは、勇気がいることでもある。その「自分らしさ」が世間で言うところの「あるべき姿」に当てはまらない時には――。
 
「だから安心して表現できる場所をつくりたかったのです」とかおりさんは言った。20年近くインテリア業界で仕事をしていたかおりさんは、今年3月、web上に「架空のホテル」という仮想空間を立ち上げた。「大人も子どもも、自分の思いを、自分らしい形で表現することを楽しめる。そんな場所をつくりたい」という夢があるからだ。
 
「架空のホテル」は、「こんな空間があったらいいな」と思う空間を自由な発想でつくりあげるプロジェクトだ。毎月1棟ずつコンセプトを決めてつくりあげていく。かおりさんはこれまでに、大自然の中で心の動く瞬間を味わえる空間を持つ「感覚を味わうホテル」、アイスクリームを思う存分に味わえる「アイスクリームホテル」をつくってきた。
 
小学3年生からの3年間をオーストラリアで過ごしたかおりさんは、もともと自己表現が大好きな子どもだった。しかし、日本へ帰国後、その自分らしさを封印してしまう。人と違うことを恐れ、自己表現することをやめてしまったのだ。
 
そんなかおりさんは、大学生の時、旅先で自分らしさを取り戻すきっかけを得る。かおりさんは旅で何に気づき、どのようにして自分らしさを取り戻していったのか。「架空のホテル」の原点となったかおりさんの道のりをインタビューした。
 
1.「自分らしさ」の封印
 
それはかおりさんが小学6年生の時のことだった。3年間のオーストラリアでの生活を終えて、日本の小学校に転入して間もない頃だ。算数の授業で文章題を解いた時、かおりさんは2通りの解釈ができることに気がついた。
 
「普通に考えたらこの答えだけれど、この文章だったらこんな風にも考えられる。だったら、面白い方の答えを答えようと思って手を挙げたんです。よく気がついたねと、先生から褒められるだろうなと思っていたんです」
 
ところが先生は予想外の答えに困惑してしまった。そして、かおりさんに「今回のこの質問の答えはそれではありません。だから不正解です」と告げたのだ。かおりさんは納得できなかった。オーストラリアで受けてきた教育との違いに戸惑った。
 
オーストラリアで過ごしていた時のかおりさんは、校庭を走り回ったり木登りをして楽しむ活発な女の子だった。絵を描くのが好きだったかおりさんにとって、アートの授業は好きな授業のひとつだった。アートの授業では、自分が好きなことをやってよい時間があり、絵を描く子もいれば工作をする子、手芸をする子もいた。作品ができたら、皆の前で発表をする。皆は輪になって発表を聞き、作品を見て、「面白いね」とか「素敵だね」とフィードバックをしてくれる。
 
「自分の好きなことをして、ただただ好きな思いを皆に伝え、皆から褒められるのはすごく嬉しいことでした。色々あっていいから、自分の思う答えを探してきてねという教育方針がとても好きでした」
 
オーストラリアでのびのびと自己表現をしてきたかおりさんは、帰国後に転入した小学校の環境になじめなかった。自分らしい答えを導くのではなく、何かにつけて答えに自分を合わせていかなければならない。かおりさんにとって、それは居心地の悪いものだった。
 
友人関係も上手くいかなかった。自分の思ったことを口にするかおりさんの言動がクラスメートの癇に障ったのかもしれない。いじめを受けるようになってしまったのだ。
 
「これをどう切り抜けようかと頭を使いました。リーダー格の子に謝ってみても状況は変わらない。その子に直接電話して理由を聞いてもはぐらかされてしまう。親には恥ずかしくて相談できませんでした。目には目をでやり返したこともありました。でも、一番効果的だったのは自分自身を表現することをやめることでした」
 
自分が思ったことを口にするのではなく、相手が言って欲しいことは何だろうと考えるようになった。皆を観察して、皆と同じように行動して気配を消すように心がけた。そうして皆の言う「普通」に自分を合わせていくようにしていったのだ。
 
2.自分らしさを取り戻したい
 
かおりさんが中学2年生になる頃、いじめは収まった。ようやく安心できる環境を手に入れたかおりさんだったが、今度は自分自身に違和感を覚えるようになった。
 
「今の自分は、自分の好きな自分じゃない。自分がつまらない人間になってしまったと気づいたのです。好きだと思っていたことも、よく考えてみたら、皆が好きだからそれに便乗していただけでした。自分らしさを取り戻したいけれど、どうしたらいいのか悩みました」
 
高校生になり、将来の進路を考えるようになった時、かおりさんは自分が好きで興味のあることに目を向けてみた。
 
「私はやはり海外に興味があったので、外国語を勉強したいと思いました。英語は子どもの頃の経験もあるから、逆に英語が通じない国に興味がありました。もうひとつは、私は自然が好きだということ。自然が豊かで英語が全く通じない国をいくつか検討し、最終的にモンゴル語を学ぶことにしたのです。モンゴルの遊牧民のライフスタイルにも関心がありました」
 
大学のモンゴル語科に進学したかおりさんは、モンゴルへの旅に出かけた。現地に行ったら現地の人と同じ体験をしたいと思っていたかおりさんは、モンゴルの首都からゴビ砂漠の玄関口まで、飛行機ではなくバスで移動することを選んだ。しかしそれは、2日間半バスに乗りっぱなしという過酷な旅だった。
 
「道がないので、バスは太陽の位置を見ながら進みます。だから夜は砂漠にバスを停めて休みます。でも砂漠だから昼夜の寒暖差が激しくて、夜は寒くてなかなか眠れません。2日目の夜だったと思います。眠れなくて外を見たら、灯りが見えました。もうじき街に到着するのかなと思いました。でも灯りがあまりにも沢山ある。それで、おかしいなと思ったんです」
 
かおりさんが街の灯りだと思ったのは、星だった。地平線ぎりぎりの所まで星があって、しかもすごく明るい。かおりさんはバスの外に出て寝転んでみた。
 
「ものすごい星の数で押しつぶされそうな感覚でした。訳も分からず涙が流れました。自分の小ささを感じ、世界はものすごく広いんだと思いました。私はここで生かされているんだと視点がガラッと変わりました。悩んでいたことも些細なことに感じられました。この先上手くいかないことがあっても、世の中はこんなにも広いのだから移動すればいい。可能性は無限大だということを肌感覚として感じられた瞬間でした」
 
そうした非日常から得られる感覚や感情を味わうことが、かおりさんは好きだった。海外に行って自分とは違う世界と接することで得られることは大きいと思っていた。それで、就職活動の時も、海外との橋渡しができるような仕事を探した。身につけた英語も生かせると思った。
 
3.失意の中で見つけたことは
 
かおりさんが就職活動をしていた当時は就職氷河期の時代。やっと取り付けた内定も、立て続けに取り消されてしまった。「今更取り消されても……」と、半ばヤケになったかおりさんは、気分転換をしようと旅に出た。旅の行き先はモロッコだった。どうせ行くなら、今まで行ったことのない国に行こうと思ったからだ。
 
モロッコに着いてすぐ、かおりさんは値切りに値切ったつもりだったのに、ふっかけられていたことを知って悔しい思いをしたり、人につきまとわれて煩わしい思いをした。居心地の悪さと疲れを感じながら、その日の宿へ行くために、土埃の舞う細いくねくねした路地を歩いていた。しばらく歩いていくと、壁に今にも壊れそうな小さな木戸を見つけた。宿の入口だ。かおりさんは戸を開けて中に入った。するとそこはまるで異空間だった。
 
「リアドというモロッコ伝統の宿泊施設でした。私は土埃の舞う街の延長線上の空間だと想像していたので、全く違っていて驚きました。敷地の真ん中にはプールや植物があり、その周りを客室が取り囲んでいました。鮮やかな緑と白のモザイクタイルが眩しい空間が目の前に広がっていました」
 
まるで別世界のような美しい空間に、かおりさんは心を奪われた。部屋にしつらえられた家具や調度品も、インテリア好きのかおりさんの心をくすぐった。
 
「こういう空間、私は好きだなと思いました。子ども頃から、ホテルは非日常的な空間で好きでした。リアドで好きなものに囲まれて、幸せな気持ちでした」
 
モロッコへの旅で、かおりさんはもう一つ衝撃的な体験をした。装着していたソフトコンタクトレンズが乾いてしまい、目からとれなくなってしまった時のことだ。
 
「激痛が走って慌てていると、泊まっていたホテルのモロッコ人たちが集まってきて、私の体を押さえて目の中にレモン汁とローズウォーターを入れたんです。激痛で悲鳴をあげると、大丈夫大丈夫って言うんです。ものすごく痛いし、不安でした。でも、それでコンタクトレンズがとれたんです」
 
「荒っぽいやり方だったけれど、周りの人に委ねることで上手くいくこともあるんだな」とかおりさんは感じた。困っているかおりさんのもとに皆が寄ってきて、どうしたらよいか相談している様子に、人の温かさも感じた。
 
内定が取り消され、失意の中で出発した旅だったが、帰国した時にはまるで違う気分をかおりさんは味わっていた。モロッコでの経験がかおりさんの視野を広げてくれた。何があっても大丈夫だと、どっしりとした気持ちになれた。
 
「まだまだ色々な可能性がある。仕事に就けなかったとしても、それが自分の人生の終わりではないと思えました。それまでの就職活動では、語学を生かしたいというより、せっかく身につけたから生かした方がいいかなと思っていたのかもしれません。でもそこにこだわらなくてもいい。まずは自分が好きなことをしてみようと考えが変わりました」
 
かおりさんの頭には、モロッコで泊まったリアドのインテリアのイメージが焼き付いていた。あの時の心が沸き立つような感情や世界観を味わいたいと思ったかおりさんは、帰国すると、インテリア雑誌を読んだり、インテリアショップを見て回った。その中で、あるコンペに出会った。「私の好きなインテリア空間」というテーマのアマチュア向けコンペだった。
 
「当時私は、戦後間もなく建てられた古い家の2階を借りて住んでいました。畳と和風の照明がある空間です。その和の空間にちょっとだけ自分の好きなものを置いて写真を撮りました」
 
そしてこんな言葉を添えて応募した。
 
混沌とした世の中で、自分が大切にしていることは忘れがちになってしまう。空間に余白をつくって、本当に自分の大切なものを少しだけ置くことで、自分の大切なものが分かってくる――。
 
「今まで就職することに一点集中していたけれど、旅に出て少し俯瞰して見てみたら、周りに広い世界が広がっていました。もっと大切なものはこっちにあったんだと思いました」
 
かおりさんは、その時に感じたまだ見ぬ可能性を「余白」という言葉で表した。そして、そのコンセプトに共感した会社の賞を受賞したのだ。
 
「私はもともとインテリアを勉強していたわけではないし、センスがあると思って応募したわけでもありません。ただ好きだから、自分のためにやろうと思ったんです。好きなことを楽しみたいだけで、評価を得たいわけではありませんでした。実は、沢山写真を撮った後、最後までどちらの写真にするか迷った写真がありました。ひとつは誰が見てもいいと思うだろうなという写真。もうひとつは、自分はすごく好きだけど、世間的には評価されないかもしれないという写真。でも私は、世間的には評価されなくても、自分の好きな写真を選んで応募しました」
 
自分の好きなことを自分の思う通りに表現し、それが認められる喜び。それは小さな頃にオーストラリアの小学校でアートの時間に味わった喜びが甦ってきた瞬間でもあった。そして「世間的に正解」じゃない方の写真が評価されたことも嬉しかった。日本の小学校に戻った時、算数の授業で味わった悲しみが癒えた瞬間でもあった。あの時、「誰が見ても正解」と思われる答えでなければ「不正解」と言われたけれども、今回は自分の出した答えが認められたのだ。
 
その後、かおりさんは就職活動を再開した。今回はインテリア業界に的を絞った。でも以前の就職活動の時のように片っ端から応募することはしなかった。募集の有無にかかわらず、自分の心が動いた会社だけに履歴書を送ったり、直接ショールームを訪ねたりした。
 
ある日、かおりさんはたまたま通りがかった場所で1件のショールームを見かけた。それはコンペでかおりさんに賞を授与してくれた会社のショールームだった。
 
「ちょっとドキドキしたのですが、せっかくだから見に行ってみようと中に入りました。すると、マネージャーが出てきてくれました。実はその人が私に賞を授与すると決めてくれた人だったのです。ひとしきりお礼を言った後、実は仕事を探していることを思い切って話しました」
 
その会社は新入社員を募集していなかった。けれども翌月に控えたイタリアでの展示会の対応で、英語を話せる人を探していた。それがきっかけで、かおりさんはその会社に入社することになった。1週間後にはアルバイトで働き始め、1ヶ月後にはイタリアに行って展示会の対応をしていた。
 
「自分の好きなことにフォーカスしてみたら、どこから何が転がってくるかわからない」とかおりさんは笑った。
 
4.自己表現する面白さを伝えていきたい
 
かおりさんは20年近くインテリア業界で働いた後、今は子どもとの時間を楽しんでいる。子育てをしていく中で、かおりさんの中にひとつの思いが芽生えた。それは、「未来の子どもたちが自分の好奇心を生かして、自分の可能性にどんどんチャレンジできる場を作りたい」という思いだ。
 
「そのためにはまず私たち大人が、夢を追いかけてチャレンジして楽しんでいる姿を子どもに見せたいと思うのです。旅は私の人生の起点を考えるきっかけをくれました。モンゴルで見た星空、モロッコのリアドの美しさや人々の温かさは、私の世界を広げてくれました。だから、そういう場所を私もつくりたいと思いました」
 
その思いを形にしようと立ち上げたのが「架空のホテル」だ。「あったらいいな、面白いな、やってみたいな」と思うことを、妄想を膨らませながら形にしていく。できる、できないではなく、「やってみたい」からスタートする場所だ。
 
「制作のプロセスを皆と一緒に歩みながら、自己表現する面白さを伝えていきたい。そしてチャレンジできる場をつくっていければと思います」
 
少しはにかみながら、かおりさんはそう言って微笑んだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
深谷百合子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

愛知県出身。
国内及び海外電機メーカーで20年以上、技術者として勤務した後、2020年からフリーランスとして、活動中。会社を辞めたあと、自分は何をしたいのか? そんな自分探しの中、2019年8月開講のライティング・ゼミ日曜コースに参加。2019年12月からはライターズ倶楽部に参加。現在WEB READING LIFEで「環境カウンセラーと行く! ものづくりの歴史と現場を訪ねる旅」を連載中。天狼院メディアグランプリ42nd Season、44th Season総合優勝。
書くことを通じて、自分の思い描く未来へ一歩を踏み出す人へ背中を見せ、新世界をつくる存在になることを目指している。

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2022-05-11 | Posted in 週刊READING LIFE vol.169

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