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週刊READING LIFE vol.169

いつでもどこでも始められる断食プログラム、それがたったの四千円?《週刊READING LIFE Vol.169 ベスト本レビュー》

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2022/05/16/公開
記事:いむはた(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
建物の外に出ると、五月の爽快な風が彼女の頬を撫でた。その瞬間のこと、彼女は、ハッとした表情を見せる。こんなに風を感じられるのって、いつ以来のことだろうか。肌だけじゃない、まるで感覚まで甦ったようだ。
 
ふと空を見上げると、新緑の木漏れ日がまぶしい。つい三日前、ここについたばかりの頃と変わらない景色。それがいまは、全く違って見える。あの時の私は、体も心も文字通り沈んでいた。ただ、いまは違う。いまは、軽い。身も心も、そして、視界までもが、軽い。まるで、なにか新しい一歩が、自然と踏み出せそうな……
 
いつか見たドキュメンタリー番組のエンディングシーン。そのテーマは「断食」だ。三日間の断食プログラムに参加した人たちを、インタビュー形式で取材したものだった。仕事に疲れ、精神的に病んでしまった、参加した理由を問われた時、冒頭の彼女はそう答えていた。それがいまは、どうだろう。まるで、憑き物が落ちたかのような、すっきりした顔つきだ。
 
もちろん、不安がないわけじゃありません。ただ、うまくいかなかったら、また、やりなおせばいいや、そう思えるようになりました。やっぱり、なにごとも詰め込み過ぎは、だめですね。入れる前に出さないと、だめですね、番組の最後、たしか、彼女はそんな風に答えていた。
 
なるほど、断食というのは、そういうものか。話は、食べ物、消化、そんな話だけじゃない。出すものをきちんと出せば、身も心をすっきりして、新しい一歩まで踏み出せるなんて、いいことばかり。ぜひとも、ぼくもやってみたい、と思うのだが、やはり気になるのは、三日間という期間。仕事、家事、子育てと、やること尽くしのぼくたちが、これだけの日数を確保するのは、ちょっと厳しい。もっと短いプログラムもあるらしいのだが、それでも、泊まり込みとなると、なかなかね、というところ。それに参加費用だって、馬鹿にならない。一泊二日のプランでも、当然のように一万円は超えてくる。交通費を考えたら、それなりの金額だ。自分一人でこれを使うとなると、相当ハードルが高くなる。
 
ただ、そうは言っても、この「入れる前に出す」という感覚、このまま見過ごすには、あまりにも惜しい。実際、ぼくも、ここ最近、勉強、運動、生活習慣と、と詰め込み過ぎがたたっているのか、かなり苦しい毎日を過ごしている。果たして、時間もお金をかけずに、なんとか疑似体験できるものはないものか、悩んだぼくが見つけたのが、三冊の本。これなら、かかる費用は、全部合わせても、四千円ちょっと。時間は、もちろん思うがまま。好きなときに、好きなだけ、読んで断食を味わえばいい。ということで、早速、読む断食プログラム、その名も「読む断」のスタートだ。
 
さて、それでは、早速、「読む断」の実践に入りましょう、と言いたいところなのだが
何事も、大切なのは手順、順番。まずは、オリエンテーションから始めよう。事前に、知識を入れておくことで、安心・安全にプログラムを進められるし、気持ちの準備をすることで、その効果も変わってくる、といった意味で最適なのがこの本。
 
『アンラーン』 柳川範之 為末大 日経BPマーケティング 1,600円
 
タイトルでもあるアンラーンとは、英語で書くとUnlearn。学ぶ、身につけるというlearnに否定の意味を持つunをつけてUnlearn。と言っても、学ばない、身につけないという意味ではない。本の言葉を借りれば、「過去に学んだこと、経験したことを、一度やわらかくほぐし直し、新たに発展させていく技術」のこと。
 
「いままでだったら、これで通用したのに」こんな思いを経験したのは、ぼくだけではないはずだ。時代の変化は増々早くなり、それに反して、ぼくたちの生きられる時間は、どんどんと長くなる。そして、次第に、これまでの知識・経験が通用しなくなって…… だから、将来のため、未来のためにと、もっともっと学ばなければ、と、どんどんと詰め込んでしまうのが、ぼくたちだ。
 
ただ、と、そこで著者は問う。
 
そこで描く未来図は、これまで作り上げてきたものや、今、手にしているものの延長線上になっていないか。今までに積み上げたものの上に、さらに高く積んでいくことが正しい道だ、そんな発想になっていないかと。
 
というのも、ぼくたちが良かれと思っていることが、気づかないうちに未来を制限してしまっているから。ぼくたちは、無意識のうちに、自分の可能性を狭めてしまっている、というわけなのだ。そして、そんなときに、鍵になるのが、「過去に学んだこと、経験したことを、やわらかくほぐし直す」アンラーンの技術なのだ。
 
著者は、短距離種目の世界大会で、日本人初のメダリスト、400メートルハードルの日本記録保持者でもある為末大さんと、東京大学経済学部教授の柳川範之さんの共著。ちなみに、この柳川さん、かなりの変わった経歴の持ち主。親の仕事の都合で、子供の頃はブラジルへ。ただ、ブラジルでは学校に行かず、独学。そして、大学は通信教育で慶応大学を卒業。その後も、独学を続け、最終的には、東大の経済学部博士課程を修了するという強者(つわもの)だ。
 
そんな、日本「初」のメダリストと、日本の学校教育の「枠から外れた」二人の本、どれだけ「特殊」な言葉が書いてあるかと思いきや、これが、とにかくわかりやすい。話のほとんどが、対話形式、それも、柳川さんの学問的な質問を、為末さんが陸上に例えて答える、といった形で進むので、頭にスッと入ってくる。
 
二人によれば、アンラーンとは、これまで身につけた「思考の癖」をとりのぞくこと。そして、そのための方法が、過去のスキルに依存しない、力業でどうにかしようとしない。つまり、過去から上手に距離をとること、ということ。
 
でも、そう言われても……。
もっと具体的なアドバイスはないの……
 
そう言いたくなる人もいるだろう。ただ、安心してほしい。このアンラーン、具体的にやることは、実は、とても簡単なのだ。ここは、筆者の言葉をそのまま引用しようと思う。というのも、ぼくの心が最も動かされたのが、この言葉なのだ。
 
「まずは、ぎちぎち、パンパンをやめて初めて見えてくるのが『自分らしさ』」
「頭を空っぽにするのに必要なことは、新しく何かを学んだり、訓練することではありません。それよりも大切なのは何もしないこと」
 
そう、何もしなくていいのだ。だから、気軽に始めてみればいい。というか、まずは、何もしないで、次のステップ、いやいや、次の本に進んでみよう。そうすれば、きっと「自分らしさ」にたどり着ける。ここからはいよいよ、「読む断」の実践編、「出す」ことにフォーカスしていく。
 
『書く瞑想』 古川武士 ダイヤモンド社 1,500円
 
著者は、習慣化コンサルタントとして、五万人以上のビジネスパーソンの育成、千人以上の個人コンサルティングを行ってきた古川武士さん。数々の本も出版されていて、その数も、21冊95万部越え、海外にも広く翻訳されている。そんな古川さんが、悩めるぼくたちの達のため、これまでの経験を体系化して、「自分を回復する技術」として、シンプルな形でまとめてくれた本、それが、『書く瞑想』だ。
 
実際、この本が薦めている方法、それは本当にシンプル。毎日、書くだけだ。考えないで、心に湧き上がったものを、そのまま書き綴る。それだけだ。文章にできなくたって構わない。言葉の羅列だけでもいい。それでも毎日、続けていくと、自分の心が見えてくる。「書き出す」ことに集中すると、ぐちゃぐちゃだった、頭と心の整理がついてくる。そして、次第に見えてくるのが、本当の自分、自分にとって本当の大切なこと、というわけだ。古川さんは、このプロセスを「書く瞑想」と呼んでいる。
 
えっ、でも、書けって言われも、そんなにすぐに書けないよ。
なんでもいいって言われると、かえって書けなくなるんだけど。
 
そんな風に思った人も心配はいらない。詳細は本書に譲るが、やることは、とてもシンプル。
ぼくたちが、何を、どうやって書けばいいのか、考えなくても済むように、ただ「出すこと」だけに集中できるように、ちゃんと考えてくれている。
 
具体的には、怒り・嫉妬・悲しみなど、心のエネルギーが下げられたこと、それから反対に、喜び・笑い・幸せなど、心のエネルギーが満たされたこと、この二つについて、「ログ」と呼ばれる出来事の羅列、それから、「セルフトーク」と呼ばれる心の声を、思うがまま、頭に浮かんだまま書いていくだけ。時間にしたって、毎朝、十五分程度、これなら、抵抗なく始められる。
 
実際、ぼくもやってみたところ、効果はてき面だった。もちろん、初めのうちは、ただの言葉の羅列。特に発見などはない。ただ、一ヶ月も続けた頃だろうか。気づいたことがあった。それは、ぼくが毎日、感じていること、不満に思ったり、悲しみを感じたり、反対に、幸せを感じたり、笑顔になったりしたこと、それらは、ほとんど同じなのだ。起きたこと自体は違うけれど、それを、ぼくが、どう解釈しているのか、どんなことに、ぼくの心が、どう反応しているのか、それは、毎日、似たり寄ったり。そう、ただ書き出していくだけで、ぼくの「思考の癖」が見えてきたのだ。
 
癖が見えたら、対策は取りやすい。心のエネルギーが下がることを減らし、上がることを意識して増やしていけばいい。と、言うのは簡単だが、実際のところ、これが難しい。だから、古川さんは、こんな風に言っている。すぐに変えずに自覚するだけでいい。客観できれば、出口が見える、と。
 
つまりは、自分を、外から俯瞰できるようになれば、しめたもの、解決策は、自然と見えてくるというわけだ。実際、ぼくも同じだった。ごちゃごちゃと絡み合って、ほどけないと思っていたぼくの心も、書き出してみると、解決策は意外とシンプル。問題なのは、ぼくの抱えていた「問題」自体ではなくて、複雑に絡み合って、もう解けないと「感じていた」ぼくの心だったのだと痛感させられた。
 
と、以上が「書く瞑想」のざっくりしたやり方。これだけでも、充分効果を感じられるはずなのだが、この本には、さらに先が用意されていて、それが「書く片付け」と「書く習慣」 興味がある人は、ぜひ、この先に進んでほしい。そして、古川さんの言う、書くことで自分の考えを「結晶化」して、人生を「変えていく」ことに挑んでほしい。
 
 
ここまでくれば、「読む断」プログラムも大方は終了。『アンラーン』で「入れる前に出す」理論を学び、『書く瞑想』で「出す」実践も積んできた。もう頭も心も、きれいさっぱり、すべてを出しきったんじゃないだろうか。そして、そんな空っぽになった君たちに、最後に紹介するのが、心の栄養補給ともいうべきこの本だ。
 
『新100のきほん 松浦弥太郎のベーシックノート』 松浦弥太郎 マガジンハウス 909円
 
著者の松浦弥太郎さんについては、もう語る必要などないかもしれない。雑誌『暮らしの手帖』の編集長を務め、著書は『仕事のためのセンス入門』、『しごとのきほん くらしのきほん』など多数。時代に左右されない、「きほん」をテーマに、常に発信をし続けている方だ。そんな松浦さんが、「新」として基本をまとめてくれたのが、タイトルもそのまま、『新100のきほん 松浦弥太郎のベーシックノート』
 
松浦さんは言う。衣食住、遊び、仕事、人間関係などなど、人には、それぞれの「いつも」の習慣、心がけがある。ただ、その「いつも」は、どうしても無意識になりがち。もちろん、無意識がよいものであればいいのだが、人というのは、どうしても楽なほうに傾いてしまう。
そして、「楽ないつも」というのは、たいていの場合、「悪いいつも」になってしまう。だから、自分の「いつも」が少しずつでもいい「良いいつも」になるように、意識していることが大切だ、と。
 
いまのみなさんの状態は、言ってみれば「まっさら」だ。「入れる前に出す」を済ませ、「入れる」準備が整って、なんでも吸収してしまう。だから、なにか悪いものを吸収する前に、心を「良いいつも」で満たした方がいい。松浦さんの「きほん」を読んで、「良いいつも」を意識できるようにしたほうがいい。
 
例えばそれは、「幸せを比べない、まねることもしない」例えばそれは、「全肯定。すべてを受け入れる」 そんな言葉で心を満たし、「いつもを意識していけば……
 
 
長かった「読む断」プログラムのこれで終わり。いかがだっただろうか。ちなみに、このプログラムを終えたぼくは、さっき外に出てきたところ。時刻は夕方六時を過ぎたばかり。頬に当たる風が気持ちよくて、空を見上げれば、夕焼けがとてもきれい。こうして風を感じたり、夕日の美しさに見とれたり、こんな感覚、いつ以来だろうか。
 
そう、これも、きっと「読む断」のおかげ。あの三冊の本のおかげなのだ。皆さんも、一度、試してみたらどうだろうか。うまくいかなくたって気にするほどのモノじゃない。だって、かかる費用は、たったの四千円。それに、本はいつだって、あなたを待っている。うまくいかなくて、途中でやめたとしても、また、そこから読み始めればいいだけだ。無理に詰め込み過ぎなくていい。また、やりなおせばいい、ただ、それだけ。まったく、あの彼女の言う通りなのである。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
いむはた

静岡県出身の48才
大手監査法人で、上場企業の監査からベンチャー企業のサポートまで幅広く経験。その後、より国際的な経験をもとめ外資系金融機関に転職。証券、銀行両部門の経理部長を務める。
約20年にわたる経理・会計分野での経験を生かし、現在はフリーランスの会計コンサルタント。目指すテーマは「より自由に働いて より顧客に寄り添って」

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2022-05-11 | Posted in 週刊READING LIFE vol.169

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