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週刊READING LIFE vol.173

かたちあるものとかたちなきもの、命あるものと命なきもの《週刊READING LIFE Vol.173 日常で出会った優しい風景》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2022/06/13/公開
記事:九條心華(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
ふいに涙が出た。日本民藝館で浄土三部経を目の前にしたときだった。お経見て泣く?
仏像でも仏画でもなく、お経だ。ただびっしりと文字が並んでいるだけなのに、室町時代の浄土三部経の文字を目にして、突然、湧き起こるものがあって、涙がこぼれた。それは、力強く安定した経文の文字だった。たっぷりとした墨で書かれた一文字一文字。
ああ、これらの文字を集められたお経をあげた人、耳にした人、目にした人たちが、生きる苦しみから救われてきたんだなと思った。思ったのは、涙がこぼれてからで、先に心が動いた。いや、心ではないかもしれない。魂というものかもしれない。自分がなんで泣いたのかを後から考えた。泣くわけって、考えてわかるものだろうか。
 
なにごとのおはしますかは知らねども
かたじけなさに涙こぼるる
 
西行法師が伊勢神宮を参拝したときに詠んだとされる歌を、思い出した。この感覚に近いと思う。
 
 
私は生まれてから大人になるまで、大正元年生まれの祖母と一緒に暮らしていた。祖母が仏さんのお世話をしていた。仏さんとは仏壇のことだ。朝起きたら一番に、仏さんにお茶とご飯とお線香をお供えして拝む。夕方になるとまたお線香に火をつけて拝む。お線香がなくなってしばらくすると、仏壇の電灯を消して扉を閉めていたのだが、とても印象に残っているのは、祖母が名残惜しそうにしていたことだった。
「まだ早いかぁ、もうちょっと開けといてあげよか」などと話しかけていた。祖母の中では、そこに祖父がいたのだ。祖父は父が10代のときに亡くなっているので、私は祖父に会ったことがない。生きていた祖父を知らない子どもの私は、その感覚がよくわからなかったけれど、父が亡くなった今は、わかるような気がする。夕方仏さんとお別れするたびに名残惜しむ祖母の姿は、日常で出会う優しい風景だった。
 
 
家は浄土宗だった。浄土宗は法然上人が開いた宗派で、「南無阿弥陀仏」を唱えることで極楽浄土へ行けるという教えだ。ほかの行をせず、南無阿弥陀仏と唱えれば往生できるという教えは、それまでの仏教の中では新しい教えで、そのわかりやすさは貴族だけのものだった仏教を庶民にも浸透させていった。当時、皆が文字を読めるわけでもなく、耳で聞いてすぐ覚えられる念仏を唱えればいいという教えが庶民には有り難いもので、庶民のための仏教へと変化していった。苦しみがあるのは貴族だけでなく当然庶民にもあり、庶民が何かよりどころとなるものを求めたとき、何か道具やお金がないといけないものであれば信仰できない。庶民は「南無阿弥陀仏」と唱えるという教えに救われた。
 
ちなみに、「南無阿弥陀仏」という言葉は、「南無」が帰依(きえ)するという意味で、帰依するとは、心身を投げ出しすべてを任せることであり、絶対的信頼を意味する。つまり、「南無阿弥陀仏」は阿弥陀仏を信頼しているという意味で、それを唱えることは、阿弥陀さまに救い導いていただきたいという思いを表明することだという。
 
阿弥陀仏という仏さまには誓いがあった。「私の国、極楽浄土へ往きたいと願い、南無阿弥陀仏のお念仏をとなえたあらゆる命が臨終を迎えたとき、必ずそこへ生まれかわるようにしよう」という誓いだ。人々は阿弥陀さまの導きのもと、お念仏をとなえ、悩みや苦しみのない極楽浄土へ生まれ往くことを願う。
 
 
そもそも仏教は、約2,500年前に、お釈迦さまが苦しみや悩みから自由になる「さとり」をめざして始まった。お釈迦さまは、さとりを得る方法として、相手の性格や状況に合わせて多くの教えを説かれ、それがお経という形で伝わっていった。嘘も方便という言葉があるが、これは仏教からきていて、お釈迦さまが生きているものすべてを迷いの中から救いさとりを得させるためには、手段(方便)として嘘をつくこともあるということだ。お釈迦さまはあの手この手をつかって、生きとし生けるものすべてを救おうとされた。なので、いろんな教えがあり、その中でどれが自分たちに適した教えか、どのお経によるべきかを判断し、それらを理解し、解釈したことで、複数の流れが生まれた。
 
法然上人が膨大なお経の中から見出されたのが、阿弥陀さまの誓い(本願)や極楽浄土について書かれた三つのお経だった。浄土三部経と呼ばれ、『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』の三経典をあわせたもので、浄土宗や浄土真宗の根本経典である。
 
さとりに至るためには、欲や怒り、迷いの心などに影響されないようにする必要があるとされ、お釈迦さまが説かれた、心の持ち方や生活での実践を心がけることで日々感じる苦しみや悩みを軽減することはできる。でも、欲や怒り、迷いの心を完全に消し去ることはできない。それが人間というものだ。その私たちでもさとりをめざす方法はないのかと、法然上人が見出されたのが、お念仏をとなえ、阿弥陀さまの導きを受けながら生活をし、命が終わり極楽浄土へ往生したのちに、さとりへ至るための実践に励むという教えだった。
 
阿弥陀さまに帰依すると口に出して、完全でなくともさとりを得るための実践を心がけ、日々精一杯生きる。そんな信仰心の篤い念仏者は、妙好人(みょうこうにん)と呼ばれた。多くは位も名もないような農民たち、一般庶民で、教えを聞いて、阿弥陀さまの慈悲に抱かれていることにめざめ、感謝の思いで生きた。
 
 
私が涙したのは、そのお経だった。文字を読んでというよりも、そのお経に込められた思いというようなものが襲いかかってきたような感覚だ。読んだところで意味があまりわからないし、字を追う以前の一瞬のできごとだった。一体、どれだけの人々がこの経典を心の支えとして生きてきたのかわからないが、きっとはかりしれない多くの人が心を寄せて、信仰し、救われてきて、時代を越えて伝わってきたのだろう。すべてを受けとめてくれるような堂々たる存在感だった。貧しくても懸命に生きた民衆の苦しみや悲しみを、慈悲深くやわらげてくれていたのだと思う。
 
 
浄土真宗の西本願寺に生まれた九條武子は、こんな歌を残している。
 
いだかれて ありとも知らず おろかにも
われ反抗す 大いなるみ手に
 
赤ちゃんがお母さんに抱かれて、お乳をのんでいるときは、不安を感じることはない。それは赤ちゃんがお母さんにすべてをゆだねきっているからで、お母さんの愛情の深さ、尊
さがあればこそである。でも、自らの人生は、苦しい悩みに埋もれ、大きな悲しみのなかに流されている。阿弥陀さまの救いの光のなかにあるのだから、お母さんに抱かれる赤ちゃんのように、純粋に救いの慈悲に身をゆだねて、安らかに生き、願われる生き方をしていきたい。それが信心をいただく美しい世界だ、という意味だ。
 
赤ちゃんが母に抱かれているように、私は阿弥陀さまの大いなる慈悲の手に抱かれているのに、それに気づかない。それを無視して、自分中心の思いを常にもち、自分が起こす苦しみなのに愚痴をこぼし、知らぬまに人を傷つけている。まるで阿弥陀さまの救いに反抗するかのようなおろかな生き方をしているのがこの私だ、という。
 
 
阿弥陀さまの慈悲に生かされていると感謝して、どんなことがあろうとも安心して生きればよいのだと思う。
 
 
ところで、祖母が仏さんのお世話をしていたが、祖母の実家は浄土真宗で、同じ浄土経の教えでも浄土宗とはちょっとずつすることが異なっていたようだ。仏壇へのお供えのしかたもめちゃくちゃだったようだし、いろいろとんちんかんなことをしていたらしい。浄土宗のお経は先ほどの3つの経典『仏説無量寿経』『仏説観無量寿経』『仏説阿弥陀経』なので、般若心経はあげないのだけれど、祖母の弟が写経した般若心経が飾ってあったりした。
祖母は尋常小学校しか出ていなくて教養もなく、外来語に弱いのか、バスのことをパスだと死ぬまで言い間違え続けていた。そんな祖母がする作法に、まあ、いろいろ間違いがあったかもしれないが、神さま仏さまは信じていた。少なくとも、仏さんになった亡き祖父と心は一緒に生きていた。信仰心があれば、多少のことはご愛嬌で許してもらえるだろう。
 
 
いけばなの師も、かたちだけいけるのはいけばなではないといつも仰る。何よりも大事なのは、お花を感じる心だと。
 
今度、帰省したときには、父が好きだったお酒と祖母が好きだったお菓子をお土産に、仏さんに供えてあげよう。結局、私が飲んで食べるので、私が好きなものでもあるのだけれど、それはご愛嬌ということで。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
九條心華(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

同志社大学卒。陰陽五行や易経、老荘思想への探求を深めながら、この世の真理を知りたいという思いで、日々好奇心を満たすために過ごす。READING LIFE 編集部ライターズ俱楽部で、心の花を咲かせるために日々のおもいを文章に綴っている。

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2022-06-08 | Posted in 週刊READING LIFE vol.173

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