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週刊READING LIFE vol.173

丁寧で優しい時間《週刊READING LIFE Vol.173 日常で出会った優しい風景》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/06/13/公開
記事:黒﨑良英(天狼院公認ライター)
 
 
炊き立ての白いご飯を、小皿に盛る。小さな切り子ガラスに、水を入れる。
 
別に誰がやるとも決まっていない。母が朝食の支度の間にするか、母が支度をしている間に父が行うか、あるいは私がやるか。
 
それらを仏壇に備え、手を合わせる。私の場合は、それにお線香を一本備えることも加わる。
 
今日一日が最良の日でありますように、おじいさんおばあさん、会ったことのないそのまたおじいさんおばあさん、どうぞ、よろしくお願いします、とかなんとか。
 
祈りというか、今日をしっかり生き抜きますという宣言とでもいうのか、その言葉を頭に思い描きながら、手を合わせるのだ。
 
毎朝繰り返されるなんてことない風景。
しかし、私はそれを、とても愛おしく、優しい風景だと思うのである。
 
無論、私はもちろん、我が家は熱心な仏教徒というわけではない。
典型的な日本人的宗教観のもと、日々を過ごしている。
すなわち、仏壇と神棚と時期によってはクリスマスツリーが同室に居合わせる、ごく普通の家庭だ。
 
だが、そんな思想的なことはどうでもよい。先祖への感謝とか、そりゃ、あるに超したことはないが、それは置いておくとしても、自らの一日の合図としては、とても清々しい風景だと思う。
 
その動作が実質的に大した意味を持たなくてもよい。一つ一つの動作を丁寧に行い、丁寧に生きるということが、私には優しい風景に見えるのだ。
 
思えば最近のことだ。このようなことを考えるようになったのは。
少し前までは、そんなことに目を向けることもなかった。
私は地元の高校で教員として働いていたが、仕事が多忙すぎて、細かいところや不必要なことは、頭にも思い浮かばなかったし、目にも入らなかったのだ。
 
夜遅く帰ってきては、朝早く、それこそギリギリの時間に出ていかなければならず、実益のないものに時間や手間をかけることができなくなっていた。
 
ところが今年度、かねてより患っていた腎臓の病が、思いのほか悪化し、透析治療を行うことになった。
これには多くの時間を割かねばならず、通常の勤務時間では支障を来してしまう。
もとより、体の不調は目に余るものがあったため、かねてより計画していた通り、今年度、私は非常勤講師として働くことにした。いわゆるパートである。
 
そうすると、入ってくるお金は当然減ったが、時間だけはやたらと確保することができた。
しかも田舎である。
読者諸兄は田舎に住んでいて時間だけがあるということが、どういうことかご存じだろうか?
 
ただでさえ少ない選択肢が、さらに無くなってしまうのである。
 
なるほど、都会ならばウィンドウショッピングなどというハイカラ(?)なこともできようが、何しろ田舎はシャッター街であるからして、そのようなことも不可能だ。
 
いや、美しい景色と空気、雄大な自然があるではないか、とお思いだろうか?
もちろん、ある。
むしろ雄大すぎる。もう少し人工物があってもいいのではないか、と思ってしまうくらいである。
そして、それらがあるからと言って、その実何ができるわけでもない。
せいぜい、散歩をするか畑作業をするか、そういった程度のものだ。
 
ともあれ、私は昨年度とはかなりギャップのある、とくに何もできない莫大な時間を手にしたのである。
 
人並みに本を読んだ。映像コンテンツを見た。執筆作業も行った。
その上で、やはり散歩をし、畑仕事をした。少しだけれど。
 
不覚にも、そこでは今まで見えていなかったものが見えてきた。
いや、目には入っていた。耳に知識として聞こえていた。しかし、この目で見るのが初めてだったり、久しぶりだったりしたものも多かった。
 
例えば畑だ。
我が家ではこぢんまりとはしているが、畑を持っている。
昔、祖父母が健在であった頃は、結構広い範囲を持っていたのだが、父母の時代になって、そこまで世話をするのが難しいということで、現在は売ったり貸したりしている。
 
で、唯一残った畑で、山梨名物の桃をはじめ、幾種類かの野菜を育てているというわけだ。
父母が退職して、せっかくだから、ということで、その畑だけは我が家で管理することにしている。
 
父母はあえて手伝えとは言わないが、気分転換に私も畑へ行き、僅かばかりの手伝いをする。
摘花作業に袋かけなど、手伝いとすら言えないくらい僅かだが、それらを久しぶりに行った。
以前に手伝ったのは、小学校のとき以来だ。
 
だからだろうか、全てが新鮮に思えた。
一つ一つの作業もそうだし、天候によって刻々と変わる畑の色、空と雲の形、土と空気の匂い……
かつて、確かに見たことがある、経験したことがある、しかし多忙で膨大な時間の中に埋もれて忘れてしまった、そういうものたちだった。
 
桃は色が鮮やかになるように、実の部分に袋をかける。
一つ一つ、手作業だ。
久しぶりにやってみるが、当然うまくいかない。
すると、父が教えてくれた。
 
こうやってこうやって、こう……
 
見せてくれたようにして、やっとできたが、明らかに留める部分がいびつだ。
もう一つ、父はやりやすいように、枝を持ってくれた。
私はそこにある実に袋をかける。
 
そのときに、内心、ハッとした。
昔、こんなことをしてもらったような、そうでないような……セピア色の記憶のような何かが、頭をよぎった。
 
言っておくが、私は40目前のおじさん一歩手前である。
それが、そのとき、なぜか幼い頃に戻った気がした。
そのときの姿は、確かに父子の、優しい姿だった。
 
帰りの時間になって、太陽が山の方へ沈み、斜めの長い光が、尾を引くように光り続ける。
初夏、日も長くなり、午後5時の空はまだ青みを残していた。
河原には、密林かと見まごうばかりの草木の群れが生い茂り、橋の下を濃い緑に染めている。
そして、四方を囲む山々も、同じくらい濃い緑色でそびえている。
 
ここは……私の住む故郷は、こんなにも美しかったか、こんなにも鮮やかであったか。今まで気づかなかったわけではない。今までと同じ景色を見ている。しかし、今この時になって、ようやくこの風景を噛み締めることができるようになり、思いがけなく感情を揺さぶられた。
 
そうだ、世界はいつもこのようにあった。
いつもお疲れ様、がんばったね、と、労働のご褒美とも言えるように、その美しい姿をみんなに見せていてくれたのだ。
 
それを考えると、この世界のいたるところに優しい風景があることが分かる。
世界が私にやさしくしてくれている。私はそれにようやく気がついた。
今までは目に入っても、ただの風景と一瞥すらしなかった。何かに追われているとき、人間は視界を狭くしやすい。いや、脳が視覚情報を感知しないのだろうか。
 
私にとっては、あんなにも大切な風景なのに。
 
今、図らずも私には膨大な時間ができた。
だからこそ、見える風景がある。
もちろん、先立つものがないと動けないこともあるが、幸い、そこら辺は最低限何とかなっている。
 
ならば、私は、日々を大切に、丁寧に生きていこう。
時間があるなら、時間をかけて、一つのことに感謝を込めて、思いを込めて、行動してみよう。
 
それは、朝のお勤めや、農作業だけにとどまらない。
 
散歩だって大いに良い。
ゆっくり、休み休み、時には知らない道にでも行ってみてもいいかもしれない。
道端の名もなき花を眺め続けてもいいかもしれない。
 
世界は美しい風景を見せてくれる。そのこと自体が優しくて、嬉しい。
 
そりゃあ、視野を広げれば、世界は汚いことだらけかもしれない。醜いことだらけかもしれない。
 
それでも、今ここにある美しさに気づかなければ、それこそ、世界は汚いままである。
 
世界は私に優しい風景を見せてくれる。
それは日常の何気ない一瞬一瞬の中にあったりする。
 
そのことに気が付くことが、世界の優しさに報いる唯一の方法なのでなないだろうか。
 
縁側を歩くと、涼やかな音が聞こえた。
風鈴だ。
きっと母が出してきたのだろう。
 
鉄独特の、高い澄んだ音が、青い空に響く。
今年も暑い夏になるだろう。
 
だがそれ以上に、私のこの莫大な時間が続く限り、優しい夏にもなるだろう。
 
この青空に溶ける、風鈴の音のように。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
黒﨑良英(天狼院公認ライター)

山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨の高校に勤務している。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。持病の腎臓病と向き合い、人生無理したらいかんと悟る今日この頃。好きな言葉は「大丈夫だ、問題ない」。

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2022-06-08 | Posted in 週刊READING LIFE vol.173

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