週刊READING LIFE vol.182

コロナのようにしたたかに《週刊READING LIFE Vol.182 令和の「家族」像》

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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/08/22/公開
記事:赤羽かなえ(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
でも、私はもう自分に嘘をつくことはできない。
 
電話の向こう側の空気がひどく硬いのが分かる。
それでも、私は私の心を守るために、母を傷つけた。
 
そのことを思い出すと、いまだにチクリと心が痛む。

 

 

 

私の実家は、住んでいる広島から900kmほど離れていて、週末に気軽に遊びにいく、ということができる距離ではない。結婚した当初は、盆正月に高いお金を出して、ひどく混んでいる新幹線に乗り込んでたった数日のために実家に戻るということは非効率だから、年に一回、夏休みだけ3週間近く実家に滞在することにしていた。
 
私の帰省物語は、山あり谷あり、涙なしには語れない感動のミュージカルだった。訪問する2か月前くらいから「いつ、何時に来て、どの電車で帰るのか早く決めろ」と催促がくる。着いてしばらくは歓迎ムードだけれど、1週間くらいで母が私の態度にキレて『そんなに実家に戻って来るのが嫌ならさっさと広島に帰れ』とか『実家はあんたが遊びに行くのをサポートする宿ではない』とか文句を言われて、主人公の私は一気にピンチに陥る。最初は黙って耐えている私もいい加減にカチンと来て、『そんなに言うならもう結構、広島に帰る』とか『だったら、別のところに宿取って友達に会うからいい』と捨て台詞を放つ。今度は母がなだめたりすかしたりして結局、当初予定した期間いることになる。最後の帰り際には新幹線の駅で、母は、お手製のおむすびのお弁当を渡してくれて、涙ながらに手を振って別れる……といった具合だ。母にとっては感動するストーリーなのかもしれないけど、別れた後、新幹線に乗り込んだ私は「あー、今年も大役を務めあげたわ」とほっと胸をなでおろしてしまう大根役者だった。母と別れる寂しさがわかない素の自分自身を、いい子なワタシが責めていた。
 
変わるのは登場人物の年齢くらいで、毎年判で押したように同じストーリ展開なので、だいたいゴールデンウィーク前くらいから今年はいつ来るんだ? という話が始まると、私の心は真綿が水を吸っていくように次第に重くなっていく。ああ、今年も私の熱い夏がやって来るぜ……とため息まじりに友達にグチる。
 
親子というのは厄介な関係なのだ。40年以上の歴史があって、お互いの手の内は知り尽くしている。私がどんな態度を取れば、親がどんな風に返してくるのか、それが分かっても売られた喧嘩を買ってしまう時がある。子どもの頃はそれでも良かった。私がどんなに有利な武器を持っていようとも、「ご飯を作ってあげない」という捨て台詞があれば、私は折れざるを得なかった。どんなに傷つくことがあっても、その傷の痛みにずっと耐えながら、私は親に守ってもらわなければいけなかったから我慢をするしかない。
 
でも、今や、親から経済的には独立している私は、あまりにもマウントを取られすぎると心だけがどんどん離れてしまう……自分でもまずいなと思うくらいに。私の心がどんどん冷え込んでいることに母は気づいているのだろうか。良心の呵責さえ振り切ってしまったら、実家に寄り付かないという最終手段もあるんだよね。でも、母は、私がまさかそんなことまで考えているなんて思いもよらないだろう。
 
そんな風に年月を重ねてきたある時、
 
「あんたの家に、私が暮らせる部屋を作ってほしい、それにかかる費用は負担するから」
 
と、母が言ってきた。私にとって大激震だった。
 
当時、我が家には、家を建てる計画があって、その時に、母に気軽に遊びに来れるように客間を作るね、という話をしていた。けれど、それを母はどうやら都合のよいように勘違いして、父が先に亡くなったら一緒に住もうと考えてくれている、と思ったらしい。
 
父に万が一のことがあった時の行き先がある方が心強いに決まっている。彼女はウキウキとしながら私に想いを語ってくれた。料理が好きだから独立したキッチンを持ちたい、とか、部屋の大きさはそんなに広くなくて大丈夫だから、とか。
 
母が張り切っている横で、私の心臓は押しつぶされそうだった。自分の希望で家の設計が更新されるたびに心躍っていたのに、それどころではなくなった。
 
3週間でも耐えられないくらいなのに、一緒に住むなんて絶対にあり得ない。近所に住むとかならまだしも、同居は無理だ。
 
そう思う私のことを、一方で人でなしと責める自分もいた。うちの両親は、それぞれに自分達の親をきちんと看取っていて、その献身的な姿は素晴らしかったから。でも、暗に両親がそれを私に期待しているとしたら、それに応えられるのだろうかと自問自答してきた。
 
距離が離れていても、自分ができることをやるのは両親に育ててもらったのだから当然だとは思っている。けれど、同居となると話が変わって来る。それだけはどうしてもできない、と思ってしまう私はできそこないすぎる……それでも首を縦にはふれない。
 
散々悩んだけれど、母に、一緒に住むことはできない、と謝った。電話の向こうでひどく母が傷ついたのが分かったけれど、できない口約束を簡単に交わしたくなかった。

 

 

 

「あんたは、小さい頃から手がかからない、いい子だった。今は、何考えているかわからなくてやっかいよね」
 
母は冗談半分、嫌味半分で言うけど、まさにその通りなので私はグウの音も出ない。いつから、母との関係がこじれたのか、正直何がきっかけだったのかはよく覚えていないのだ。母は、私が結婚してから変わってしまった、というけど、実は私の気持ちは大して変わっていない。結婚する前は、親の庇護下にあったので、トラブルを起こさないためにこちらが顔色をうかがいながら生きることしかできなかっただけだ。
 
いい子だったのではなく、お母さんにとって都合のいい子だったんだよ。
 
そんなことを言ったら機嫌が悪くなることはわかるから余計なことは言わなかったけれど、ずっと実家で暮らしていたら、それが当たり前で一生気づかずに終わっていたのかもしれない。私にとって、自由を確保するためには、900km離れた広島に行くことが必要だった。
 
そんな風に毎年の帰省が憂鬱だと思い続けていたら、このコロナの騒ぎで、帰省ができるような状況ではなくなってしまった。でも、2年間、罪悪感を感じずに、長期帰省にまつわるあれこれから解放されたことは、私にとってはとても貴重な時間だった。
 
その2年のうちに祖母が危篤で、日帰り帰省をしたことがある。その時には、ほんの短い時間だったので、母といさかうこともなく、過ごすことができた。
 
帰りの新幹線に揺られながら、いつもと違う帰省を体験できてよかった、としみじみ噛みしめた。
 
今までは、長期間帰ることがお互いにとっての孝行だと思い込んでいた。でも、時間が長ければお互いのアラも生まれてくるし、かみ合わないラリーをする必要がなくなるのだ。
 
そう思うと、今まで帰省の方法を変えればいいのかもしれない。
 
2年もあくと、我が家の子供達も大きくなって、宿題が多くなったり、キャンプの日程が入ったりと長期で帰省をすることが難しい状況になっていることも幸いした。
 
今年は思い切って、今までは避けていたお盆の期間に3泊4日で帰省することにした。長期間帰省するわけではないから、夫にもついてきてもらうことで、母も自分の素を全開に出せないようにする。なおかつ、私も1人で3人の子どもに振り回されることも避けられる。
 
蓋を開いてみたら、大成功だった。母も、機嫌が悪くなることが多少あったとしても、夫がいる手前、私にひどくあたることはできない。それに加えて、今回はお盆に帰省するから、私自身も早めに新幹線を予約して報告するなど、親のストレスを軽減することができた。
 
帰省の計画から、最後の最後またね、と言うまで、こんなにストレスがたまらずに過ごせたのは、実家を出て16年目にして初めてのことだった。
 
今まで必死に悩んできたことがバカバカしいくらいにすんなりと解消して、朝の新幹線の中でじわじわと感動していた。
 
この私が、16年目にして、初めて、母が寂しそうに別れを告げるところを見て、嘘偽りなく、
 
「また、来るからね」
 
と、心の底から言うことが、できた。
 
人でなしを、卒業できるかもしれない。
今までは、ただの戦略ミスだったんだ。もちろん、時間が解決してくれることもあるということもわかったし、長くいるだけが必ずしも親孝行じゃないのかもしれない、とも思った。
 
だから、今の私は、母と同居できるかというと、やっぱり無理だろう。
 
でも、できないことやりたくないことを無理してしようとするのではなくて、今できることを精一杯やればいいんじゃないだろうか。
 
これからも、どんどん関係性が変わっていくだろう。緩衝材になる子供達も大人になってしまうだろうし、親もどんどん年を取る。私だってどんどん考え方も変わる。
 
だから、今の私は、今できることをやって、未来に起こることは、未来の私が精いっぱいやればいいということにしよう。それから過去にお互いにやらかしたことを、あまりこだわりすぎないでいこう。
 
コロナで生活が様変わりしてしまったけれど、目の前でできることを受け入れていくという柔軟性が備わったと思う。親の理想通りにはならないかもしれないけれど、私らしい家族像は私が作っていくしかない。
 
コロナも生き残るためにしなやかに変異している。この騒ぎが続くのはボチボチ勘弁してほしいけれど、そのしたたかな在り方だけは、盗む価値がある。
 
窓の外を流れる景色を眺めながら、これは令和の家族革命かもしれない、なんて思いながら、母が作ったおむすびをほおばった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
赤羽かなえ(READING LIFE編集部公認ライター)

2022年は“背中を押す人”やっています。人とモノと場所をつなぐストーリーテラーとして、愛が循環する経済の在り方を追究している。2020年8月より天狼院で文章修行を開始。腹の底から湧き上がる黒い想いと泣き方と美味しいご飯の描写にこだわっている。人生のガーターにハマった時にふっと緩むようなエッセイと小説を目指しています。月1で『マンションの1室で簡単にできる! 1時間で仕込む保存食作り』を連載中。天狼院メディアグランプリ47th season総合優勝。

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2022-08-17 | Posted in 週刊READING LIFE vol.182

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