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週刊READING LIFE vol.184

老眼鏡を受け入れたら、未来の自分が見えてきた《週刊READING LIFE Vol.184 「諦め」の技術》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2022/09/05/公開
記事:種村聡子(週間READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
わたしは、自転車を走らせていた。どこかへ行きたかった。このまま、まっすぐには家へ帰ることができなかった。電動自転車を駆り、隣町まで走っていた。つい先ほどまで、受け止められない出来事があり、その事実から逃げたしたかったのだ。
 
「近くのものを見るための、焦点が合いにくくなる症状が出ています」
老舗の眼鏡店で、販売員の男性は言った。使用している眼鏡では見えづらくなったので、新しい眼鏡を買い求めようと、視力検査をしているときのことだった。はじめ、販売員の言葉の意味がわからなくて、ぼんやりしていたが、ふいに理解した。
「それは、老眼になった、ということですね?」
わたしは、おそるおそる聞いてみると、販売員の男性は、穏やかな笑みを浮かべて答えた。
「はい、そう表現することもあります」
 
老眼になってしまった。まだ、40歳になって間もないというのに。たしかに最近、いろいろと見えづらくなってきたとは感じていた。スマートフォンやパソコンを見ていると目が疲れやすく、ひどいときは頭痛すら起きてくる。でも、それはただ視力が悪くなってしまったのだろう、と思い込んでいた。これまでにも視力が進んでは、眼鏡を買い換えてきた。まさか、わたしが、老眼になってしまったなんて。老眼なんて、まだまだ先の話だと思っていたのに。
 
わたしが静かに動揺していることを感じ取ったのか、販売員の男性は、言葉を選びながら、ゆっくりと説明を始めた。“近くのものを見るための、焦点が合いにくい症状”は、はやい人で40歳頃から出始めること、症状が出る時期に早い遅いはあるけれど、誰にでもいつかは起こる症状であること、視力の状態とライフスタイルに合わせた眼鏡を選べば、問題なく快適にすごせる、ということだった。そして、販売員の男性は、言いにくそうに、残念そうに付け加えた。ただ、人によってはその症状を受け入れることができなくて、視力の状態に合った眼鏡を使用しない場合も、実際にはあるという。だから、今回わたしが眼鏡を新調するにあたり、「老眼」対応の眼鏡を作るのか、いままで通りの近視のみの対応の眼鏡を選ぶのかは、お客様自身の判断にまかせます、と言うのだ。
 
「老眼」を受け入れられなくて、かたくなに老眼鏡を作らない人もいる、と聞いてなんだかほっとした。「老眼」と宣告されて、衝撃を受けてしまったのは、わたしだけではないのだ。わたしは迷っていた。「老眼鏡」を作るべきなのだろうけれど、いまここで作ったら、なんだかわたしは急に老人になってしまうような気がする。自分自身の老化を受け入れて、どんどん老け込んでいってしまうのではないだろうか、そんな不安が頭をよぎった。
 
明らかに困惑しているわたしを気遣いながら、販売員の男性はまた、少しずつ説明を続けた。以前は老眼鏡といえば手元を見ることに特化した、ルーペのようなものが主流だったけれど、いまは老眼鏡もライフスタイルに合わせて、さまざまな種類があるという。たとえばわたしは、普段、会社員として一日中パソコン作業をしているので、半径1メートル以内のものがよく見える、老眼対応の眼鏡を使用することが相応しいそうだ。逆に接客業などをしている人の場合は、遠くにあるものや人を正しく認識する必要があるため、遠くのものがよく見える老眼対応の眼鏡が必要になるそうだ。遠くのものも、近くのものも、近接した手元も、すべてを網羅することはできないので、見る対象や使用目的によって、眼鏡は使い分ける必要がある、とのことだった。
 
見る対象によって眼鏡を使い分ける、と聞いて思い浮かんだのは、年配の方が本や新聞を読もうとするときに、老眼鏡をかける仕草だった。そして、ちょっと眼鏡をずらして、ものを見ようとする仕草も思い浮かんだ。もしかしたら、かけたり外したり、という動作が象徴的なのかもしれない。ライフスタイルに合った老眼鏡を使用すれば、頻繁に眼鏡をかけたり外したり、という動作もなくなるのではないか。わたしは元々近視があって普段から眼鏡をかけているから、老眼対応のレンズを使用したとしても、まわりから気づかれることはないはずだ。そう、わたしは老眼になったことは恥ずかしいこと、とても他人には言えないこと、隠してしまいたいことだと感じていたのだ。しかし、老眼になったことは受け入れがたいものの、老眼対応の眼鏡を作らない、という選択肢は、わたしにはなかった。少し前まで、本の文字やスマートフォンの文字を読もうとすると見えにくくて、眼鏡を外して読むことがあった。これこそが、まさに老眼である人の仕草であったのだ。視力にあった眼鏡を使うことで、いままで通りの生活を送ることができるのなら作った方がいい。
 
わたしは、老眼対応の眼鏡を誂える決心をした。
 
決心をしたものの、その日はそのまま帰宅することができなかった。気持ちの整理をするために、自転車を走らせ、隣町のショッピングモールで晩ご飯の惣菜を爆買いする、という気晴らしをして、ようやく帰路についた。新しい眼鏡ができたと連絡があったのは、それから2週間後のことだった。
 
新しい眼鏡は、快適だった。いままで通り、遠くのものは見えるし、手元のものを見るのにも不都合がなくなった。沈んだ気持ちを上げるために、フレームは奮発して気に入ったものを選んだことも良かった。老眼対応の眼鏡のレンズは、上下でセパレートになっていて、上部は遠くを見るために、下部は手元を見るための度数で作られている。そのため、レンズの境目に視点がきてしまった場合、見え方が不安定になって、慣れないうちは酔ってしまったり、歩きにくい場合もあるそうだ。そんな説明を受けながら、販売員の男性は、ほっとしたように語った。
 
「症状にあった眼鏡を作っていただいて、ほんとうによかった。まだ、あなたは症状がほんの軽い状態です。これぐらいの症状であれば、いままでの近視対応の眼鏡で過ごしてしまう方も、いらっしゃいます。でも、症状は良くなることはなくて、加齢ともに症状は進んでいくものなのです。症状が進みきった後にやっと眼鏡を使い始めると、その差が大きくて慣れるのに時間もかかるし、目にもからだにも負担がかかります」
 
「老眼」である事実を受け入れてくれて、ほんとうによかった、と言われたのだった。
 
おそらく、わたしが相当衝撃を受けていたことを、販売員の男性は見抜いていて、ずっと気遣い、あれこれ言葉を選びながら、対応してくれていた。その販売員の男性は、説明のあいだ一貫して「老眼」、「老眼鏡」という言葉を使わなかった。そういえば、説明を受けたときに渡された資料にも、件の言葉は見当たらなかった。それほどまでにセンシティブな問題なのだろう。そして、自分はまだ若い、という自負がある人には耐えがたく、受け入れられない現象なのだ。
 
正直に言うと、わたし自身にとっても受け入れがたい事実だった。でも、見えにくくなってしまったことは間違いなく、生活する上で不便になってきていたから、そのままの状態ではいられなかった。嫌なことにも目を背けず、受け入れることで生活が改善するのであれば、それでいいではないか。近視が進んで眼鏡を新調するのと同じ感覚で、老眼とも付き合っていけばいいのだ。さらに、視力の状態に最適な眼鏡をつかうことによって、目の疲れや頭痛という症状にも悩まされなくなった。手元のものを見るために眼鏡を外すこともなくなった。自分から言わなければ、だれもわたしが老眼鏡を使用しているとは、気づかないほどだ。すると、そのうち、わたし自身が老眼であることを、気にしなくなってきた。いまでは、あえて自分から話すこともある。「わたし、じつは老眼なのよ」と。すると、まわりはおもしろいほど驚いてくれるので、それがなんだか楽しくなってしまうのだ。
 
そんな矢先のことだった。母の異変に気がついたのは。
 
母はきれい好きな人だった。家のなかは掃除が行き届いていて、塵ひとつ、ほこりひとつなかった。整理整頓も得意だったから、あるべきものがあるべき場所に納められ、不要なものは潔く処分できるひとだった。だから、家のなかは、いつも美しく整えられていた。
 
ある日、実家でくつろいでいると、ふと、ほこりが目に入ってきた。部屋のすみに申し訳なさそうに、それはあった。あれ、お母さんにしてはめずらしいな、掃除の時に気づかなかったのかしら、と思い、こっそりと拾ってゴミ箱へ捨てた。すると、また次の時にも小さなゴミや汚れが残っていることがあったので、母に何気なく「ゴミが残っているよ、掃除した?」と聞いてみた。母は、もちろん掃除をしていた。そして、気づかなかったなあ、と不思議そうにしていた。このときは、まだわたしも、たまたま掃除の時にゴミを残してしまった、ぐらいに思っていた。でも、違ったのだ。母の目は、以前よりも見えなくなっていたのだ。
 
見えていないからゴミや汚れの存在に気づかず、掃除が行き届かなくなったのは、部屋だけではなかった。冷蔵庫の中、洗濯機のなか、トイレ、洗面室、家中のこまやかな場所が、汚れているままだったのだ。よくよく見ると、いままでの母の生活では見たことがないような状況になっていた。母はいままで通り、毎日の掃除を欠かさなかったにもかかわらず、目視できない小さな汚れを、取りきることができなくなっていたのだ。
 
娘であるわたしが老眼になる年齢になったのだ。その母親の視力が、さらに見えにくいものになっていることは、あり得ることだ。
 
母の老眼が進んでいることに気づいたわたしは、そのときから、実家に帰るたびに掃除をするようになった。母の視力では見えないために、やり残した掃除や、残ってしまった汚れを探し出してきれいに磨きあげるようになった。父と母がすこしでも快適にすごせるように、清潔な環境となるように。毎回、掃除をおこない、わたしは満足して帰って行った。両親のためにすこしでも役に立ったという自負があった。それなのに、どうやらそれは、両親にとってはありがた迷惑、よけいなお世話となっているようだったのだ。
 
先日も実家へ帰省した際、床の汚れが気になったので、着いて早々に掃除機を取り出そうとしたら、「あなたが来る前に掃除をしたのよ」と、母に不快そうな表情で言われてしまった。わたしは、しまった、と思い掃除をすることをあきらめた。しかしその日は、風呂釜の汚れがあまりにも気になったので、大掃除をしてしまった。それがよくなかった。わたしとしては、母の代わりに綺麗に磨いてあげた、と思っていたけれど、母からしてみれば、汚れていないし、不都合がないのに、自分の掃除のしかたを否定されたみたいで、いい気分がするはずがなかったのだ。
 
「お母さんはいいけれど、義実家ではぜったいにやらないでね」
静かに母に言われて、はっとした。母は怒っていた。よかれと思っていたのに、やりすぎてしまった。母の自尊心を傷つけてしまった。さらに、自分の娘は細かいことを気にする神経質な性格だと思っている様子だった。
 
もちろん、義実家では勝手に掃除をしたりはしない。自分の親だから甘えや図々しさもあり、あれこれと口を出し、手を出してしまった。母が見えなくなったのであれば、わたしが母の目となって、代わりに掃除をしてあげたかっただけなのだ。わたしの思いと行動は空回りして、宙ぶらりんのまま、さまよい始めた。
 
いま、わたしは老眼が始まったばかりである。でも、母の視力はもっと先を行っている。わたしよりも、うんと見えにくい状況だろう。見える人と見えない人とでは、目視する力の差という点では、見える世界がおそらく違っているはずだ。見えることで感じること、気になること、やるべきこと、やろうと思うことは異なってくると思う。見えていればゴミを拾う、掃除をするという行動ができるけれど、見えていないなら、そもそも行動に移せない。そういえば、子どもの頃、母が年配のかたの家に招かれたときに、出されたお皿に汚れがついたままで、とても不快だった、とこぼしていたことがあった。そのときは2人で、汚いなあ、いやだなあ、と話していたけれど、その方もきっと、小さな汚れが見えていなかったのだろうと、いまなら理解できる。
 
これから、母とどのように接していけばいいのだろうか。母の自尊心を傷つけず、でも快適に過ごしてもらえるように手助けしたい。それがたとえお節介だとしても、だ。わたしはアプローチの方法を変えようと考えている。ご飯をご馳走になったから、帰省してのんびりしたからそのお礼に、という形で掃除をさせてもらおう。あくまでも、お手伝いという姿勢でのぞもう。
 
そして、わたしは母の姿を見ながら、将来の自分の姿を想像していた。これからどんどん見えにくくなるだろう自分は、その時、どういったところを注意していけばいいのか、見えているうちに覚えておこう。いまの母の姿は、将来のわたしの姿になるはずだから。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
種村聡子(週間READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

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2022-08-31 | Posted in 週刊READING LIFE vol.184

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