週刊READING LIFE vol.184

たとえ成功する確率が5割を切っても《週刊READING LIFE Vol.184 「諦め」の技術》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/09/05/公開
記事:飯塚 真由美(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
悪い夢を見ているようだった。
エアコンの効いた涼しい部屋でPCの画面に向かっているのに、額にじっとりと汗がにじむ。嫌な汗だ。
さっきからファイルをアップロードしようとしていて何度もつまずいている。何度やり直しても、同じところで画面が固まってしまい先に進めない。家を出たい時間は刻々と迫る。メッセージやファイルのアップロードに使うウィンドウが画面の真ん中に現れる。だがいつもと違ってウィンドウは全面真っ白だった。ファイルのアップロードはもちろん、メッセージを入力することもできない。こんなことは初めてだった。よりによって、どうして今日なのよ。焦りに焦る私をあざ笑うかのように、目の前のPCはかたくなに真っ白なウィンドウを表示して固まるばかりだった。
 
私は今週の課題を提出したかった。ファイルをアップロードできれば終わりなのに、トラブル発生だ。文章力を鍛えたいと数ヶ月前からライティングの勉強を始め、週に1度課題の提出がある。私の受講しているコースは指定されたテーマに沿って毎週5000字の文章を書くのが課題だ。締め切りは毎週日曜日の23時59分。1分でも提出が遅れるとその週は講評がもらえないという厳しい締め切りだ。
 
私が焦りまくっていたのは、夏の旅に出かけようとしていた金曜日の朝だった。
金曜に出て月曜に戻る予定だった。締め切りの日曜日の23時59分を旅先で迎えるので、家を出る前に課題を提出し、晴れやかな気分で旅に出発したいと思っていた。
夏休みの宿題を早いうちに終わらせる憧れの優良小学生のように、私は課題文を出発の前の日までになんとか書き終えた。小学生の頃は、夏休み最後の日は毎年恐怖だった。こうありたいと願った憧れの小学生に1歩近づけたかも、と課題文の最後の1行を書き終えた時に嬉しくなった。
書き終えた勢いで課題の提出まで進んでしまえばよかったのかもしれない。しかし、私は躊躇してしまった。
夜に書いたラブレターのように、たかぶった気持ちで書いたがゆえに翌朝読んだら恥ずかしい、という文になっていないか心配になったのだ。よし、翌朝もう一度読み返してから提出しよう、とその夜はWordのファイルを閉じた。
 
そして迎えた出発日の朝、課題を提出できないというアクシデントが待っていた。
PCを旅に持って行き、落ち着いてファイルのアップロードに再チャレンジしようか、とも考えた。いや駄目だ、と頭の中にバツ印をつける。今回の旅は格安航空会社を使うので、預入荷物には数千円の追加料金がかかる。全ての持ち物は持込手荷物の上限7キロまでに収めてしまいたい。帰りはお土産も買いたいので荷物は軽いに越したことは無い。グラム単位で荷物の重さを削ろうと、軽くて薄いTシャツばかり選んで荷造りをしたじゃないか。だから大物のPCは持って行きたくない。
 
最後の賭けに出るような気持ちで、もう1度だけ再起動を試させて、と一緒に出かける予定の夫に頼んだ。予約した空港行きの列車に間に合うか、ギリギリの時間だった。
夫の顔にイラッとした空気が漂ったのを感じる。当然だ。朝イチで済ませればよかったのにという、ごもっともな意見にうなだれる。その通りだ。
再起動しても、結果は同じだった。結局課題の提出はできなかった。期待していたのにがっかりだった。仕方ない、今週の提出は諦めるか。
 
一瞬で、さまざまなことを考えていた。
ふと、『「諦め」の技術』が次の5000字課題文のテーマだった、なんてことが頭をよぎる。
ここで見極めて今週は提出無し、来週からまた心機一転頑張ろうとするのも諦めの技術なのだろうか。でも、諦めたくなかった。
課題文が合格ラインに達すれば、提出した文章はサイトに掲載される。提出しようとしていた文章を書くにあたって、お話を聞いた方々の顔が浮かんだ。合格してサイトに掲載された私の文章をお礼に読んでもらえたら嬉しいな、と願いながら書いた課題文だった。締め切りまでに提出しないとサイト掲載の道は絶たれる。書き終えるまでに一体何時間かかってしまったのだろうというのも、スパッと諦められない原因だった。
 
やっぱり諦めないぞ。
USBメモリに提出用のデータを移す。クラウドにもアップする。PCは持って行かないけれど、旅の間にどこかでPCを借りて課題を提出するという作戦に出ることにした。予想した成功率は五分五分といったところだった。
夫は空港行きの列車の予約を1本後ろに変更しようと、スマホに向かって想定外の作業に苦戦していた。私は前の日までは宿題を早く済ませる優良小学生だったのに、一転して翌日はダンドリの悪さを見せつけることになった。本当に申し訳ないと思った。
 
課題を提出するチャンスが無いまま、土曜日の夜を迎えた。締め切りは日曜日の夜中、残り1日とちょっと。一番チャンスありとふんでいた、根室にやってきた。街の規模も、泊まるホテルの規模も旅の間で最も大きい。ホテルのロビーに“ご自由にお使いください”のPCなんかあったりして、と大いなる期待を抱いていた。
しかし、期待は打ち砕かれた。ホテルで、一瞬で良いので使わせていただけるPCは無いでしょうかと聞くも、答えはNOだった。
根室の街なかにどこか無いだろうか。検索して唯一ヒットしたネットカフェは、電話すると「この電話番号は現在使われておりません」のアナウンスがむなしく流れた。閉業してしまったのだろう。
根室では無理だな。今日は諦めて飲みに行こうと夕食のお店を目指した。
五分五分と予想した成功率が一気に下がるのを感じていた。諦めの文字が頭に浮かんだ。
 
日曜日の朝を迎えた。課題提出の締め切り日だ。泣いても笑っても今日が最後のチャンスだ。
もしも、もしも今日訪れる場所のどこかに運良く使えるPCを見つけたら。いやあ、無いだろうなと期待は急にしぼんだ。
 
朝は根室から車で15分ほどの、花咲ガニで有名な花咲港に行ってみた。港の食堂といったお店で朝食を食べようと思っていた。店先には旬を迎えた真っ赤な花咲ガニが、まさに茹でたての状態で何列も並べられていた。手を近づけてください、ほら、まだあたたかいですよと言われ、蟹に手のひらを近づけた。産地で食べる冷凍もしていない茹でたての蟹は、どうしようもなくおいしそうだった。奮発して朝から蟹、行っちゃいますかとホールケーキならぬ、ホール蟹を興奮気味に食べた。
 
食べ終わって、すっかり蟹くさくなった手を洗おうとトイレに立った。
その時、奥の壁に向かったカウンター席の右端にノートPCが見えた。あんなに使いたかったPCがここにある。お店のものだけど。
もしかしたらこれはチャンス到来なのか?
手を洗いながら考えていた。起動されていなくて、閉じた状態だった。PCを使わせてもらえませんか、起動していただけますかはあまりにも厚かましいよな。それに普段使っている人がまだお店に来ていなかったら絶対に断られるだろう。うん、私がお店の人なら断る。
次の課題文のテーマは『「諦め」の技術』だったのよね、と洗面台の鏡に映った自分の顔を見ながらまた思い出していた。そうだ、やっぱり諦めも肝心だ。探していたものは手が届くような近さにあるけれど、この状況では諦めなければ。そう思って席に戻ろうとした。
 
しゅんとして洗面所を出た。幻を見たかと思った。PCが起動されている。
2枚の伝票を手にしたお店の人がやって来て、PCの前に座った。後ろ姿を食い入るように見てしまう。
課題提出は今さっき諦めたばかりだ。でもさっきとは状況が違う。PCは起動している。
図々しくお願いしたら、もしかしたら使わせてもらえるかもしれない。でも勇気が出ない。どうしよう。さっき諦めたことで、波立っていた心は一旦静かになった。というか静かにさせた。それなのに、心の中にまたうねりが出始めた。
 
夫は支払いを済ませ、既に店の外に出ていた。私さっき諦めたよね? そちらの思いのほうが強くて、ごちそうさまでしたと言って私も店を出た。
港を歩いてみるかと進み始めた時、私はボソッとお店でPCを見つけた話をした。驚いた夫は、最後のチャンスかもしれないから、お店のPCを使わせてもらえないか交渉して来なよと私の背中を押した。
 
どうしよう。こんなお願い、うまく伝えられるだろうか。さっき蟹を食べていた客が店に戻ってきて、突然PCを使わせてほしいと頼むのだ。無茶な相談だ。店の前で一瞬自分がフリーズするのが分かった。
その時、課題文を書くために話を聞かせてくれた人の顔が浮かんだ。課題を提出しないで不戦敗に終わるのは嫌だった。やっぱり諦めたくなかった。
 
行ってくる! と私はさっきまでいた店に入っていった。
店の人達は、私が忘れ物でも取りに来たのかと思ったことだろう。例のPCの前には誰も座っていなかった。さっきPCの前に座っていた人に話すのが一番近道なような気がした。しかし、それはどの人か分からなくなっていた。ああもう、しっかりしてよ私、と自分にダメ出しした。
厨房の入り口に立って、中にいるお店の人達にすみませーん! と大きな声で話しかけた。さて、何て言おう? 心臓はバクバクだった。
事情があって、あそこにあるPCを使わせていただけないでしょうか。3分で終わります。
訴えた内容はこれだけだった。緊張していたので一気に早口で言ってしまった。
さっきまでおいしいおいしいと満面の笑みで蟹を食べていた客が、戻って来て一変して切羽詰まった表情で店のPCを貸してほしいと頼む。謎だ。
私の一番近くに立っていた店の人は、さすがにちょっと驚いた顔をしていたが、すぐにPCの前に座っていたと思われる人を呼んで話を繋いでくれた。そうそう、あのエプロンの人だったと思い出す。ありがたい。伝言ゲームのように、3分で終わることまできっちり伝えている。すごい。
 
YESかNOか。答えを聞くまでの時間は一瞬だったはずなのに、妙に長く感じられた。
次の瞬間、どうぞ、と笑顔でPCの前に案内された。信じられない。あつかましいお願いを聞き入れてもらえて感無量だった。お店の人の優しさに胸がいっぱいになった。
特別にお店のPCを使わせていただくのだ。手を念入りにアルコール消毒した。旅の間、肌身離さず持っていたUSBメモリを取り出す。キーボードに置いた指をぎこちなく、おっかなびっくり動かした。力が入らない。それは、使い慣れないキーボードだからでは無かった。お願いを聞いてもらえたのがいまだに信じられないという思いで気が抜けたからだった。
慎重に、確実に、ことを進める。制限時間は3分だ。出発前にあれだけ手こずった、毎回フリーズした画面に差し掛かる。悪夢再びか。息を飲む。これでダメだったら今度こそ諦める。
私の心配をよそに、あっけなくすんなりとすべてが終了した。めでたく課題提出だ。へなへなとPCの前で脱力した。
 
気が抜けたあまり忘れ物をしそうだったので、列車の運転手のように指差し確認をした。ひとつひとつ指差す。USBメモリ抜いた、よし! ログアウトした、よし! 椅子をカウンターの下に入れた、よし!
たった3分だが大仕事を終えた。ヨロヨロと厨房の入り口に向かい、深々とお辞儀をしてお礼を言った。PCが無いとできないことだったので本当に助かりました。ありがとうございます。
私のほっとした顔を見て、お店の人達も笑顔で見送ってくれた。
 
諦めようとしたが、やっぱり諦められなかった。自分を納得させようとしたが、だめだった。どうしても諦められないことがあったら、やってみる前に諦めてしまってはもったいない。できる限りのことに体当たりだ。突破口は、開けるかもしれない。
やってみてそれでもやはりダメだったら初めて、納得して諦められる。やらずに諦めず、まずはやってみること、それが「諦め」の技術だ。
 
課題を出し終え、心配事が無くなってすっきりした。
お店を出て見上げた花咲港の空は、雲ひとつなく青く晴れ渡っていた。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
飯塚 真由美(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

東京在住。立教大学文学部卒業。
ライティング・ゼミ2022年2月コース受講。課題提出16回中13回がメディアグランプリ掲載、うち3回が編集部セレクトに選出される。2022年7月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。
国内外を問わず、大の旅好き。海外旅行123回、42か国の記録を人生でどこまで伸ばせるかに挑戦中。旅の大目的は大抵おいしいもの探訪という食いしん坊。

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2022-08-31 | Posted in 週刊READING LIFE vol.184

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