週刊READING LIFE vol.187

月下美人が提供してくれるのは家族との時間だった《週刊READING LIFE Vol.187 最近のほっこりエピソード》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2022/09/26/公開
記事:深谷百合子(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
ずっと下を向いていた月下美人の蕾が、Uの字を描くように持ち上がってきてから2日ほど経った日だった。朝、いつものように玄関先に置いた鉢植えの蕾を見ると、前日はツンと真上に向いていた蕾が、今日は正面を向いている。ふっくらと柔らかに膨らんだ蕾は、夜9時になる頃、フワッと開き始めた。30分、1時間と時間が経つにつれて、花びらがピンと立ち上がるように開き、甘くて優しい香りが玄関いっぱいに広がっていた。
 
月下美人は中南米が原産地のサボテン科の植物で、真っ白で大きな花を一晩だけ咲かせる。受粉を手助けするのがコウモリなのだそうだ。それで、夜に咲く。そして、甘い香りでコウモリを誘うらしい。
 
世の中にそんな植物があることを私が知ったのは30年以上前だ。まだ実家に住んでいた頃、園芸好きだった父が鉢植えを手に入れて育てていた。玄関先に置かれた鉢植えからは、平べったい昆布のような大きな葉が何本も出ていて、少し邪魔な存在だった。「花より団子」という通り、まだ若かった私は花よりも他に関心のあることが沢山あった。鉢の様子をじっくり見ることもなかった。
 
週末のある日、父が単身赴任先から帰宅すると、玄関先で
「なんだ、咲いちゃってたのか」
と素っ頓狂な叫び声をあげた。
 
「なになに?」と見に行くと、巨大なミョウガのような形をして、だらんと下に垂れてしぼんだ花があった。
 
「今週末に咲くかと楽しみにしていたんだけど、間に合わなかったか。いつ咲いた?」
「さぁ……。気づかなかった」
私と母は顔を見合わせた。
「月下美人は一晩しか咲かないんだよ。ちゃんと見とけばよかったのに」
 
そう言われてもあとの祭りである。一晩しか咲かないなんて、その時初めて知ったのだ。
 
その月下美人は翌年も蕾をつけた。
「もうすぐ咲きそうだから、今度はちゃんと気づくように、玄関の中に入れよう」
 
父はそう言うと、玄関のたたきに鉢植えを移動した。鉢植えは何となく気になる存在ではありながら、自分で育てていないからだろうか。花が咲くのを今日か明日かとソワソワしながら待つほど、私は関心を持っていなかった。そのまま数日が過ぎた。
 
ある日の晩、奥の部屋でテレビを見ていると、玄関先で飼いネコが甘えたような声でニャーニャーと鳴き始めた。普段はあまり鳴かないおとなしいネコである。何事かと思って玄関へ行くと、甘い香りが立ちこめていた。このネコは香りの良い花が好きで、花瓶に生けたユリの匂いを嗅ぎにいっては、鼻の周りに花粉をつけているようなちょっと変わったネコだった。
 
「この匂いはなんだろう?」
 
そう思って鉢植えを見ると、薄暗がりの中で真っ白な花が誇らしげに咲いていた。初めて見る月下美人の花だった。
 
「花が咲いているよ!」
私は母を玄関へ呼んだ。
 
ピンと開いた大輪の花の凜としたたたずまいが、今までに知っているどの花よりも魅力があって、私たちはしばらく見とれていた。それからカメラを持ち出してきて、数枚写真を撮った。花を一番楽しみにしていた父は不在で、またもやチャンスを逃した。
 
週末、父が帰宅すると私と母は開花の様子を報告した。
 
「花が咲いた時、ネコが教えてくれたんだよ。いい匂いがするから、ニャーニャー大騒ぎして。そうじゃなかったら、気づかないまま、今年もまたしぼんだ花を見るところだった」
 
そう言って笑いながら写真を見せた。父はその場にいなかったことを残念がっていたが、今回は人知れずひっそりと咲いたのではなかったことを喜んでいた。
 
その後私は実家を離れ、月下美人の開花に付き合うことはなかった。
 
父は定年を迎えて単身赴任先から戻ってくると、月下美人を挿し木で増やしたり、観葉植物を育てたりして楽しんでいた。日当たりの良いテラスには、月下美人の鉢が5、6個並んでいた。「今年も咲いたよ」と写真を見せてくれたり、「今晩咲きそうだから、見に来れば?」と電話をかけてくることもあった。母を先に亡くし、寂しかったのだろう。でも、仕事で忙しかった私は、「うん、行けたら行くわ」と生返事をして、結局見に行くことはなかった。
 
20年ほど前、「今年は月下美人の植え替えをしないといけないかな」と言っていた矢先の9月、父は急死してしまった。テラスには大きく育った月下美人の鉢が残されていた。でも、私は残された月下美人を育てることはできなかった。私は植物を枯らす名人だったからだ。いいなと思って買った観葉植物は、ことごとく枯れてしまう。何度も失敗するので、私は植物を自分の手で育てるのは諦めていた。
 
それから10年近く経ったある日、私は立ち寄ったホームセンターで「月下美人」と書かれた小さなポット苗が売られているのを見つけた。月下美人と良く似たクジャクサボテンが売られているのは時々見かけたけれど、月下美人が売られているのを見るのは初めてだった。
 
「へぇ、珍しいな」
私はしゃがみ込んで、ポット苗を手に取った。父が育てていたのと比べると、随分と小さい。「これくらいの大きさなら玄関脇に置いても邪魔にならないかも」とふと思った。
 
「でもなぁ、どうせ枯れちゃうよね」
冷静な自分がささやいてきた。けれども、昔実家で見た月下美人の花の記憶がよみがえってきた。白くて、高貴で甘い香りの花。父の好きだった花。開花したことをネコが教えてくれたと家族で笑い合ったあの日の思い出。
 
私は月下美人をちょっと育ててみたくなった。
 
植え替え用の鉢と土、それに育て方の本も買って、私は月下美人を育て始めた。株はある程度育たないと花は咲かないと書かれている。水やりや日当たりに気を付け、冬は部屋の中に取り込む。本に書かれた通りに育てていると、順調に生長し、大きな平べったい葉が茂るようになった。伸びすぎた枝があると、少し切り戻し、切った葉を別の鉢に挿しておくと、そこから新しい根が出て、生長してくれた。
 
そろそろ花が咲いてもいい位に生長したなと思っても、葉が茂るばかりで花は咲かなかった。枯れずに生長してくれているだけでも御の字ではあるが、やはり花が咲くのを見たい。
 
そうこうしているうちに、私は中国で仕事をすることになった。月下美人はそれほど頻繁に水やりをしなくてもいいのが幸いだった。2、3ヵ月に1度帰国するような生活でも、枯れずに持ちこたえてくれていた。
 
中国に行くようになって2年経った頃だ。秋に一時帰国して家に着くと、垂れ下がってしおれた花の残骸が目に入った。
 
「えっ、咲いてたの?」
私は昔父が玄関先で素っ頓狂な声をあげた時のことを思い出した。花が咲いたことは嬉しかったが、見逃したことは悔しかった。しぼんだ花を切り取り、「今度は帰国した時に咲いてくれたら」と思いながら水やりをした。
 
でも、月下美人はそんな都合良く咲いたりしてくれなかった。その後も私は一時帰国したタイミングで、咲いたあとの残骸を見るだけだった。
 
一昨年中国から戻り、「今年は咲くのを見ることができそうだ」と期待しながら夏が来るのを待った。でも、花はひとつも咲かなかった。植え替えたのが原因なのだろうか。1年待ってみることにした。
 
ところが次の年も花は咲かなかった。なぜだ? 私が居ない間は毎年咲いていたというのに、なぜ私がずっと居るようになったらひとつも咲かないのだ?
 
葉ばかり茂った月下美人の鉢を恨めしく見ながら、家の中で冬越しをさせた。
 
春が来て鉢を再び玄関先に出すと、葉の先から新芽が出た。みずみずしい黄緑色の柔らかな葉が何枚か出て、昨年より一回り大きくなったように見えた。
 
「新芽ばかりでなく、花芽もついたらいいのに」
葉の様子をよく観察していくと、少し変わった形の突起が葉の途中から出ているのを見つけた。新芽と比べて少し丸みがあり、筆の穂先のような形をしている。4日ほど経つと、形がはっきりとしてきた。明らかに蕾のような形をしている。遂に花芽がついたのだ。
 
玄関から出入りする時、何かの拍子に当たって蕾がポロっと落ちてしまわないよう、鉢の向きを変え、慎重に見守った。蕾はグングンと下に向かって伸び始めた。1日ごとに変化していく様子を、私は毎日観察し、写真を撮った。
 
7月の終わり頃、下に向かって伸びていた蕾が、Uの字を描くようにして上を向いた。もういつ咲いてもいいほどの大きさになっている。花が咲いたのを見逃さないよう、私は毎晩様子を確認した。そして遂に、開花の日がやってきたのだった。
 
その日、咲き始めから夜中0時をまわる頃まで、私は何度も花の様子を見ては写真を撮った。月下美人の花が咲くところを最初から見るのは初めてのことだった。
 
蕾から咲く様子をSNSでアップしたら、多くの人が「昔、実家で咲いたのを見た記憶がよみがえってきた」というコメントを寄せてくれた。私にとっても月下美人は、実家での思い出をよみがえらせてくれる花だ。月下美人が実家での思い出と紐付いているという人は、世の中に結構いるのかもしれないと思った。花をつけた時の喜びは大きいし、咲くまでの間は今か今かとソワソワする。そして、一晩しか咲かないからこそ、その日皆で一緒に花を見て楽しむ。そんなちょっとイベントみたいな時間を、月下美人は提供してくれたのだろう。
 
「やっと自分で咲かせられたよ」
私は父に心の中で報告した。
 
翌日、しぼんだ花を摘み取りながら、他に花芽はないだろうかと見て回った。でも、それらしいものは見当たらなかった。
 
9月の初め、いつものように月下美人の鉢の様子を観察すると、よく伸びた葉から筆の穂先のような花芽が出ていることに気づいた。日が経つにつれて大きくなり、今、蕾は下に向かってグングン生長中である。あと10日位のうちには咲きそうである。
 
普段は忙しさにかまけていても、月下美人を見ると実家の様子を思い出す。私にとって月下美人は思い出の花なのだ。同時に、私は2年間花を咲かせなかった月下美人の姿に自分を重ねていた。この2年間、葉を茂らせるばかりだったのも、花を咲かせる栄養を蓄えるために必要な期間だったのかもしれない。
 
「機が熟せば花は咲くんだよ」
私は月下美人を通じて、両親から応援をもらったような気持ちがした。
 
1回目の開花が7月、2回目は9月。7月は母の、9月は父の命日がある月だということも、偶然ではないのかもしれない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
深谷百合子(READING LIFE編集部公認ライター)

愛知県出身。
国内及び海外電機メーカーで20年以上、技術者として勤務した後、2020年からフリーランスとして、活動中。会社を辞めたあと、自分は何をしたいのか? そんな自分探しの中、2019年8月開講のライティング・ゼミ日曜コースに参加。2019年12月からはライターズ倶楽部に参加。現在WEB READING LIFEで「環境カウンセラーと行く! ものづくりの歴史と現場を訪ねる旅」を連載中。天狼院メディアグランプリ42nd Season、44th Season総合優勝。
書くことを通じて、自分の思い描く未来へ一歩を踏み出す人へ背中を見せ、新世界をつくる存在になることを目指している。

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2022-09-21 | Posted in 週刊READING LIFE vol.187

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