人間として、私は文章を書く《週刊READING LIFE Vol.189 10年後、もし文章がいらなくなったとしたら》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
2022/10/10/公開
記事:黒﨑良英(天狼院公認ライター)
「文章」がいらなくなったとしたら、と聞いたとき、私同様あなた自身の頭の中では、こんなセリフがつぶやかれたはずだ。
「いや、そんなことあるわけないでしょう?」
だって、無くなってどうするのだ? 私たちは大いに困るはずである。伝達において、理解において、私たちは文章を使って行ってきたのだから。
だが、同時に思い出してほしい。「そんなことあるわけないでしょう」と思っていたモノが、現実に現れ、生活の中に浸透していくことを。
例えば「電子書籍」だ。
「何を馬鹿げたことを」「そんなことあるはずない」
皆、一様にそう思い、そう叫んでいた。本が紙を必要としなくなるって? そんなわけがない。
あの質感だったり、匂いだったり、文字の読みやすさだったりがいいのではないか。
ディスプレイで読んでしまうのは、何と味気ないことよ。
そんな風に思っていた。
だが、どうだ。
本は紙という媒体を必要としなくなった。
確かに読みやすさという点では改善の余地があるものの、電子書籍は、省スペースで持ち運びに便利などの利点を評価され、今、大いに隆盛を極めている。
かくいう私自身も、最初こそ毛嫌いしていたが、使いやすさや買いやすさにはあらがえず、多くの電子書籍を購入するに至っている。
発明は必要の母である。
何かが開発されたということは、我々はそれを、心の中では必要としていたのではないだろうか。
本にしたって、たくさんの文庫を軽々と一冊に収めることができないか、なんて思ったことがあるんじゃないか?
あるいは、必要とされるように立ち回ればよい。その発明がどれだけ便利か、人々に分からせればよい。
そうやって、新たな技術は、人口に膾炙してくるのだ。
で、あればこそ、「文章が必要とされなくなるわけがない」なんて、断言できる保証はどこにもない。
「文章が必要とされない」とは、どういうことか。
例えば、何かをするのに単語しか必要としなくなったら、どうだろう。
「ライト、オン」「ドリンク」「タイマー、オン」とか?
何かおかしい気もするが、スマートスピーカー(人間の音声を聞き取って情報の検索をしたり、連携家電の操作をしたりしてくれるスピーカーのこと)に話しかけるときなんて、こんなもので大丈夫だったりする。
いや、人間にだって、極端な話だが、
「これ、本、欲しい」
なんて片言のような日本語だって、まあ、何をしたいか伝わる。
考えてみれば、日常生活において、文章を必要としない場面は、結構あるのではないだろうか?
話し言葉なんて実のところ文章とはかけ離れているし、メモだっていちいち文章として書くことはない。
そう考えると、例えば音声入力の精度がさらに上がって、ほんの一言二言、単語を話せば、機械が全てをやってくれるような、そんな未来の可能性だって無くは無い。
電子書籍が人口に膾炙したように、技術の進歩によって、私たちはその行動をより簡易的に、より省略的にすることができる。
このご時世、10年もの年月があれば、画期的な技術が誕生してしまうものだ。
ひょっとすると、文章や言葉どころか、そのモノがそうなってほしい状態を思い浮かべるだけで、操作をしてくれる、そんなエスパーみたいな装置が出てきても不思議ではないかもしれない。
そんな未来に戦慄するのであれば、逆に、文章でなければならない場合を思い浮かべてみよう。
真っ先に思い浮かぶのは、やはり雑誌や小説などの文字媒体である。
特に物語は文章が全てだ。文章によって、我々は様々な物語を享受できる。様々な冒険を体験できる。
そうだ、やはり文章は必要だ、と安心するのと同時に、このような声が聞こえてくる。
いや、でも、それ、映像化されているので、そちらで良くないだろうか?
大体、そんな文字を読むのは面倒くさいし、絵がないと何だか想像できない。下手をすれば難しい言葉や漢字だって出てくる。
それに文章を読むのは時間がかかる。そんな腰を落ち着ける時間なんて無いし、映像で見た方が早い。
私は高校で国語の教師をしているが、生徒からこの手の文句は少なからず聞くことがある。
確かに、読書量の減退が嘆かれている昨今、それでも文章の方がいい、というのは、中々に難しい。
当然、映像化されたものと原作たる文章は異なるものだが、文章に楽しみや意義を見いだせないのならば、映像にした方が好まれるはずだ。
他にも説明文や論文なども、当然文章は必要とするが、やはり、多くの人に分かってもらうためには、文章だけではダメだろう。写真や、図、スライド、総合的な資料が必要になる。ひょっとすると、そちらの資料だけの方がわかりやすい場合もあるかもしれない。
「文章がいらなくなるわけがない」
それはあくまで文章に親しんでいる人々の感覚で、特にそうでもない人にとっては、ひょっとすると大歓迎になるのかもしれない。
その人々は、かつて文章に苦しんだ人かもしれない。
学校で、仕事で、生活で、文章を書くことに苦労してきた人なら、文章を忌み嫌うこともある。
そして、おそらくそういう人々の方が大半である。
幼い頃には読書感想文に悩まされ、長じては会議の資料に悩まされるなど、文章を書くことに大いに苦しめられたことだろう。
その人々の立場になって考えるならば、やはり、文章がいらなくなる未来は、歓迎すべき未来なのだろうか?
私達は、文章を捨て、言葉を捨て、もっと直感的な伝達手段に切り替えるなど、技術の進歩に未来をたくすべきなのだろうか?
そうかもしれない。
そうかもしれないが、私はそこで、一つの疑問を呈してしまう。
「それは本当に、人間なのか?」
片言の単語だけ、あるいはそれすら必要なく、完全な意志の疎通ができる機械が開発されたとしよう。
エスパーみたいに、モノや映像を思い浮かべただけで、相手にそれが伝わる装置だ。
私たちは、会話をせず、説明書も論文も必要とせず、誰かに何かを伝えることができるようになるだろう。
それができたとして、果たしてそれは「人間」なのか? ということである。
人間を人間たらしめているものの一つが、言葉だ。そして、文章とは、言葉の羅列である。いや、羅列というと語弊がある。言葉を正しく配置し、正しく導き、時に華麗に、時に大胆に、言葉を紡いでいく。縦横矛盾に、それこそ縦糸と横糸を織り込むように紡ぐ様を見ると、「テキスト(文章)」と「テキスタイル(織物)」が同じラテン語の「織る」を語源としていることも頷ける。
私は、この見事さ、美しさこそ、人間の人間たる所以だと考える。
地球上の生物の中で、こんなにも複雑な言語体系を持つだけでなく、それを駆使した芸術を生み出すことができるのは、人間だけだ。
だからこそ、私たちは、文章を捨ててはいけないのだと思う。
物事が便利になるに従って、私たちの生活も豊かで便利なものとなってきた。
ただ、その中では、何かが捨てられてきたようにも感じる。それは、ちょっとした、思い過ごしレベルの何かであるが、気付いたとき、それは人間に欠かせないものだったことに気付く。
物事が便利になるのは、大変好ましいことである。技術の進歩は歓迎すべきことだ。
問題は、使い方である。
そこに、人間性はあるか。その技術を使う私たちは、人間でいられるか、だ。
先ほど、文章を駆使することが人間たる所以と書いたが、それは各々が考えることでもある。
いや、そうではなくて……と考える人もいるだろう。それはそれでよい。
ただ、人間性を疑われる行為や人物が話題になる昨今、私たちはどう考え、どう行動し、どう生きることが人間であるか、もう一度考えるべきときに至ったのかもしれない。
電子書籍が受け入れられたように、油断していると、文章が不必要になる未来も、受け入れられるときがくるかもしれない。
そんなはずはないと思っていても、技術の進歩や、流行の受容は、えてして私たちの目の届かない、若い世代からやってくるものだ。
それを指摘して「最近の若い者は……」と嘆くには、私たちは何も“しなさすぎた”と言えよう。
そうならないために、私たちは文章を読み、書き、紡いでいきたいものである。
言葉は灯火である。そしてそれを整列させた文章は、道筋である。
何に向かう道か。
それは、人間へ向かう道である。
私たちは、まだ人間でいられるか。
その答えは、自ら文章として紡ぐしかない。
なに、気負う必要は無い。
私たちは、美しい自然と言葉に囲まれている。
その美しさを心にとどめるところから、きっと言葉は、文章は始まっているのだから。
□ライターズプロフィール
黒﨑良英(天狼院公認ライター)
山梨県在住。大学にて国文学を専攻する傍ら、情報科の教員免許を取得。現在は故郷山梨の高校に勤務している。また、大学在学中、夏目漱石の孫である夏目房之介教授の、現代マンガ学講義を受け、オタクコンテンツの教育的利用を考えるようになる。ただし未だに効果的な授業になった試しが無い。持病の腎臓病と向き合い、人生無理したらいかんと悟る今日この頃。好きな言葉は「大丈夫だ、問題ない」。
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