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週刊READING LIFE vol.191

船が空を飛ぶ?帆船技術の革命が船舶にもたらす効果《週刊READING LIFE Vol.191 比喩》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2022/10/31/公開
記事:John Ishii(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「船が空を飛ぶ?」
 
そんな例え話、誰も信じないだろう。
 
私は50代の普通のサラリーマンだ。実は、三十年以上前からヨットに乗っている。
 
私が新卒で就職した当時、日本はバブル最盛期だった。所属部門の部長が葉山マリーナにヨットを持っていて、そのヨットはヤマハの全長7メートルのセーリングクルーザーだった。クルーが足りないので遊びで乗せてもらってから、そのヨットで毎週日曜日にレースへ参加するようになり、毎週ヨットを楽しんだ。
 
今私は上海に駐在しているので日本ではヨットに乗れないが、上海でも郊外の湖にヨットのマリーナがある。知人がヨットをそこに係留しているのでたまに乗せてもらって、今でもセーリングを楽しんでいる。
 
さて、船は空を飛ぶのだろうか?実は、答えはイエスなのだ。
 
特にヨットなどの帆(セール)で走る多くの帆船が今、空を飛ぶようになった。その核心は、「水中翼」の技術が向上したことにある。
 
世の中には、何十年も前から「水中翼船」という船はあった。何十人もの乗客を乗せてエンジンの推進力で水中翼を水面下に出し、浮き上がるように走る船だ。ただ、エンジンから動力を伝えるプロペラ部分を水中に入れないと推進力にならないので、当時の技術では水中の抵抗を大幅に減らすことはできなかった。
 
ところが2010年台になって、セールで走るヨットが水中翼を採用し始めた。ヨットなのでもともとエンジンに頼らず帆走することができる。ヨットの両サイドに、形状でいえば農家が稲刈りでつかう鎌を4-5メートルくらいにした水中翼を取り付ける。加えて、ヨットの舵の先端にも水中翼を取り付け、風を受けて走るヨットが一定のスピードを超えると水中翼の効果で、船体が水面から浮いて飛ぶように走るようになったのだ。
 
一匹のトンボを想像してほしい。トンボの羽根の先端が下側に90度曲がっていて、羽根のわずかな先端だけが水中にあるものの、トンボの胴体は自ら浮いて飛ぶように水面を走る感じだ。
 
水中翼で船体を浮かすことが実証されると、より早くヨットを走らせるためさまざまな技術が飛ぶヨットに投入された。水中翼をどうコントロールするとヨットが安定して走るのかといった、流体力学が急速に発展した。特にスーパーコンピュータを駆使してシミュレーションを重ね、最適な水中翼の形状が常に研究されるようになった。
 
そしてヨットを操船するのは舵を取る舵手だけではなく、この水中翼の角度を微妙に調整し、出したいスピードに最適な水中翼の一を調整するフォイラーと呼ばれる選手も必要となった。このフォイラーは水中浴やセールの位置をデジタルデータで常に把握し、最適な形状を判断して形成する。
 
船が浮くことで格段にヨットのスピードが上がるため、セールの形状もどんどん変化した。現在の飛ぶヨットのメインセールは、飛行機の翼を切り落として、切った部分を下にして90度立てたような形状をしている。以前はカーボンの繊維を編んだセールを使っていたが、現在は空体力学を応用して、全て羽根の形状に置き換えられた。
 
このような水中翼や飛行機の翼のようなセールを駆使して、最も早いヨットは時速100キロで水面を走ることができるようになった。つまり、風より早くヨットが走るということを意味する。船体が水面から浮くため水中の抵抗が極端に軽減され、かつセールから得られる推進力がセールの形状改良で大幅に拡大されたためだ。今ではこういう空飛ぶヨットは海のF1とも呼ばれる。
 
水中翼で飛んでいるとはいえ、水の抵抗はそれなりにあるのでF1ヨットは上下左右に大きく揺れる。全長21メートルほどで100キロものスピードを出すF1ヨットをわずか5人で操作する。揺れる船上で進行方向に合わせて、クルーは船の右舷から左舷に、左舷から右舷へと全力疾走で移動する。まるでサーカスを見ているかのようだ。
 
前述の通り、水中翼という技術は何十年も前から実用化されていた。それをエンジン船に使うことしか思い付かず、エネルギー効率が上がらないのでその技術はお蔵入りしていた。風で走るヨットはエンジンがいらないので、水中翼やセールのデザインを最新の力学シミュレーションで刷新し、ヨットの船体を浮かすことに成功した。古い技術と新しい技術の融合なのだ。
 
100キロで走る空飛ぶF1ヨットが開発されると、世界のトップセイラーたちが飛びついた。世界最高峰のヨットレースに、アメリカズカップというレースがある。
 
アメリカズカップの歴史は古く、1851年にイギリス南部のワイト島一周のヨットレースが行われた。当時のイギリス君主はビクトリア女王だ。このレースに、唯一海外から参加したヨットが、はるばるアメリカから大西洋を超えて参加した「アメリカ号」だ。実はアメリカ号は、当時のアメリカが開発した最新技術を搭載したヨットだった。ワイト島レースはアメリカ号の独走で幕を閉じ、ビクトリア女王はアメリカ号に銀の水差し(カップ)を贈呈した。
 
このカップの贈呈証書に、「勝者はいかなる国からの挑戦を受けなければならない」という一文が記入されていた。カップを手にしたアメリカ号のオーナーは、このカップをニューヨークヨットクラブに寄贈。これ以降、このカップを手にするためにさまざまな国のヨットクラブがニューヨークヨットクラブに挑戦してきた。
 
19世紀後半から20世紀にかけてアメリカは大きく国力を伸ばしてイギリスを抜き世界のリーダーへと成長した。国力とヨットの技術は比例するもので、カップを保有するニューヨークヨットクラブは、さまざまな外国からの挑戦を退け、1983年に初めて敗れカップを手放すまで、なんと132年間もアメリカズカップを防衛し続けた。アメリカを除く各国のセイラーたちは、いつかこのカップを手にしようと狙っていた。
 
1983年にオーストラリアが初めてアメリカズカップを奪取してから時代が大きく動いた。アメリカがカップを取り戻した時期も2度あったが、その後ニュージーランドやスイスもカップを保有した。2010年台にヨットは前述の通り空を飛ぶようになるなど、大きく変化して現在に至っている。
 
次回のアメリカズカップは2024年9月に、ニュージーランドが防衛艇としてバルセロナで開催される予定だ。ここには世界のトップセイラーたちが空飛ぶヨットでカップ奪取のため集まってくる。アメリカズカップでは世界最先端の技術を搭載した最新鋭の空飛ぶヨットを観戦できるまたとない機会だ。あと2年ほどで開催されるので今後空飛ぶヨットのニュースも増えてくる。ぜひ楽しみにしていてほしい。
 
では、このような空飛ぶヨットがどのような社会的効果をもたらしているだろうか?
 
まずは、ヨットが持つクリーンなエネルギーが見直されている点だ。100キロものスピードで飛ぶヨットは、エンジンはもちろん、石油燃料や電気を動力にしない。風だけでこれだけのスピードを出せる乗り物は他にはない。ヨットはとてもエコなのだ。
 
今まで風力は、風力発電など大きな施設を建造して送電するなど、コストとメンテナンスが必要だと考えられていた。ところが、ヨットにおいて風力と水中翼で高速な航行ができることを証明した。
 
これによりセールで走るスポーツに革命が起きた。例えば、ウィンドサーフィンの底にも水中翼を付け、水上を飛ぶように走れるようになった。もちろんウィンドサーフィンのスピードが格段に早くなり、さまざまなトリック(水上でのパフォーマンス)が向上した。カイト(凧)で引っ張るサーフィンもスピードが増し楽しみ方が一気に様変わりした。
 
小さい2人用のヨットも大きく変化した。オリンピックのヨット競技にも水中翼を装着したナクラ17というクラスが新設され、東京2020大会ではイタリアチームが金メダルを獲得した。
 
足漕ぎの自転車のような水中翼を持つ乗り物、ハイドロフォイラーも開発されている。水上をアメンボのようにすいすいと移動できる。
 
最近では、水中翼とエンジンを搭載した小型艇が開発されている。短距離を高速で移動するために、エンジンからの推進力を水中翼で船体を浮かしてエネルギー効率を高めて走れるようになっている。船が上下に揺れやすいのでこれをいかに制御するかがまだ課題として残っているが、近い将来はAIによる船体のゆれの予測などで揺れにくいものにしていける。
 
水中翼だけではなく、セールの技術も応用されている。外洋を走る貨物船は、風をさえぎる山や構築物がないのでいつも風にさらされている。この風を利用してエネルギー効率を高める実験が行われている。日本のある大手海運会社は、巨大な貨物線の甲板に複数のセール(前述の、飛行機の羽根を縦に取り付けたもの)を装着している。船の先端部分に2本のセールを左右に付けたものや、船の中心線に沿って前後に3本のセールをつけたものがある。
 
今までの貨物船は大きなディーゼルエンジンを搭載し、軽油を燃やして推進力を得ていた。もちろん、思い貨物を運送するのでエンジンによる推進力は今も不可欠だ。ここからエネルギー効率を上げるためにセールを取り付け、軽油の消費を少し抑制することができる。
 
現在、ESGが社会的関心を呼ぶ中で、上場会社は長期的に持続可能な活動を喉から手が出るほど欲しがっている。海運業は常にエンジンを回すのに軽油を燃やし続ける必要があった。貨物船にセールを導入することで、少しでも二酸化炭素排出に貢献できる糸口が見えた。
 
もしかしたら、あと5年も経てば、多くの貨物船がセールを甲板に搭載して航行する姿が日常になるかもしれない。
 
10年前には、ヨットが空を飛ぶなんて私は信じていなかった。しかしこの10年でヨットが空を飛ぶことはもう当たり前になり、100キロものスピードで迫力あるレースを展開することが常識になった。
 
そもそも風で走るヨットは、エコロジーとの相性がいい。ヨットで開発された技術や経験が、今どんどん他の船舶に応用され常識を変え始めている。
 
今後はヨットの技術が船舶だけでなく、飛行機やドローン、自動車などのモビリティー業界に波及していくことだろう。一人のヨットファンとして、この波及効果を今後も楽しみに見ていきたい。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
John Ishii(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

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2022-10-26 | Posted in 週刊READING LIFE vol.191

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