週刊READING LIFE vol.195

ようやく父親になれた日《週刊READING LIFE Vol.195 人生で一番長かった日》


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/11/28/公開
記事:久田一彰(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「破水した」
入院している妻からの短いLINEの文章だが、人生で一番驚いた瞬間だ。こどもが産まれる予定日はあと3週間後で、まだまだ先だからと、父親になる気持ちも生まれてきて備えるこども用のグッズも、ほとんど用意していなかった。
 
こうなるとこどもが産まれるまで、あと何時間もないだろう。1人小田急線の海老名駅の乗り換え待ちをしながら、静かに焦っていた。たまたま有休を取って、福岡から神奈川の妻の実家に行く途中だったのだが、まさかの急な展開に驚いている。
 
「食べられそうな羊羹いくつか買ってきて」
妻のLINEから流れてくる司令書通りにコンビニに入り、いくつかの羊羹と紅茶を買う。返す言葉も単純な返事しかできず、気の利いた一言さえも送れなかった。こんなにも自分が狼狽えて何もできないとは思っていなかった。
 
妻が入院してから父親になるための心構えや、準備はしてきたはずだった。初めて父親になるので、病院が開催するパパママ学級で、出産に備えての心構えや、看護師さんから話を聞きに行ったりした。妻とも仕事の合間や家に帰ってからも何度もLINEのやり取りをしながら、時には電話をしながら、ゆっくり2人で会話をしながら父親に向けて、新しい家族になるために歩いていたつもりだ。
 
だから、出産する頃には自分の中では、理想の父親になっていて、家のことやこどものこと妻のことをよくできる夫だと思っていた。だがそれは幻想であり、現実はただ慌てるだけの、父親になる前のできそこないの蝶のようなものでしかなかった。
 
私の気持ちの整理を待つことなく、妻と妻の両親と私で作る家族のグループLINEが、次第に慌ただしくなってきた。買った羊羹の写真を送り、自分がどんな行動をしているか、何分発の電車に乗るので、駅に何時ごろ着きますので、お迎えをお願いします、など、逐一報告をしていく。両親とも妻とも同時通訳のように、LINE上で会話がどんどんと流れていく。
 
一旦妻の実家に辿り着き、明日に備える。早く駆けつけたい気持ちと、行って何ができるだろうかという気持ちが混ざり合いながら、布団に入り体を休ませた。
 
そして、その日が始まった。
いよいよ出産に立ち会うのだ。
 
準備した荷物を持ち、妻の入院している病院へ行く。何度か行ったものの、今日は違う。周りを見る余裕もなく、受付を済ませて妻のところへ行く。先に付き添ってくれていた義母に変わり、服にガウンを羽織り、看護師さんに付き添われて妻のそばへ行く。
 
開口一番、「ありがとうね」と声をかけて、妻の手を握った。
 
妻が、「痛いのが3回もきた。出産時にはこの何倍も痛くなるんだろうと思うと、怖いよ、怖いよ」と昨夜LINEをしていたが、私ができることは、ここまで頑張ってくれた妻にかけられる、素直で精一杯の言葉だった。恐怖と戦いながら、キツそうな妻にかける言葉に飾りをつけることができない、ただただ手を握るだけ、体をさすってあげられることだけだった。
 
看護師さん、助産師さん、お医者さんに囲まれながら、いよいよ出産が始まった。一段と力強く握る妻の手、さすりながらテニスボールで腰の辺りをグッと押す。痛さが紛れるのかわからないが、ひたすら繰り返し手を握りさすり続けた。助産師さんから言われた通りに妻と息を吸いながら呼吸を合わせる。ドラマや漫画で緊張して倒れる夫も描かれているのを思い出し、決してそうなるものかと必死でやった。
 
どのくらいの時間が経ったのかわからないが、お医者さんが何やら指示しながら、医療機械が私たちの前に現れた。どうやら産道からこどもがうまく出てこれず、吸引分娩となった。こどもの頭に吸引装置をつけて引っ張り出すようで、何やら慌ただしい雰囲気の中で、ただことの成り行きを見守りながら、無事に出てきてくれよな、と祈るような気持ちで、妻の手を握り続けた。
 
医療ドラマのような目まぐるしい展開とは違い、着実に目の前ではこどもの誕生に向けて妻と医療チームが力を合わせてくれている。みんなが最大限のできることをやってくれている。でも特にできることがほとんどない自分は、どこか仲間はずれのような気持ちになりつつ、できることを言われるがままがむしゃらにやった。
 
「よし、出てきたよ」
妻の頭の方にいるので、私には見えなかったが、お医者さんの言葉に少し安心した。どうやらこどもは出てきてくれているようだ。
 
「頑張れよ」と心の中で小さく声をかけて、成り行きを見守った。妻が声を上げて踏ん張るのと同時に、手をぎゅっと握り、握り返すことを何度したのかわからない。
 
そして少しずつこどもは、出てきてくれて、遂に無事に取り上げてもらった。生まれたばかりのその子は男の子だったことは分かった。でも、ヘソの尾がどうなっているとか、血液がどのくらい出ているのかとか、気にする余裕が全くなかったくらい全力だった。未だかつてないくらいの力で全力疾走をしたのだ。
 
ほっとしたのと同時に、涙が出てきた。
 
生命の神秘とか、感動の対面とかそういう涙ではなく、これは純粋に感謝の気持ちの涙なのだ。妻の十月十日の長い歳月体の中で見守ってくれたのと、この世に生まれてきてくれたこどもへの感謝の気持ちだ。
 
それと同時にこの瞬間、私はようやく父親になったのだ。今までは父親なのかそうでないのかあやふやな存在だった。しかし、こここからは紛れもない子1人の責任ある父親だ。この子が生きていく上で、人間としての成長を示す羅針盤であり、頼られる存在になったのだ。取り上げられた我が子を見て、ようやくそう確信した。
 
しばらく力が抜けていたが、別室での待機を言われたので部屋を出て、家族の待合室で義母さんにお礼を言った。これから何があるのかわからなかったが、病院側からの指示を待った。朝病院に着いて、気が付けば時計の針は、12時を過ぎていた。長かったような短かったような出産の立ち会いが終わった。
 
「お待たせしました。こちらへどうぞ」
看護師さんにそう言われて、行くとそこには壮絶な出産を終えて、母の顔となった妻と、目をつぶったくしゃくしゃの顔をして泣いているような起きているような息子がいた。
 
「抱っこしても大丈夫ですよ」と、言われたので、恐る恐るぎこちない力加減のまま抱き抱えた。世界で一番大事な我が息子の重みが、その腕に伝わる。どう身動きしたらいいのかわからずに、緊張してその顔を覗き込む。泣き止んでくれたけど、私は緊張したままだ。
 
「お父さんだよ」と声をかけてみた。息子は少しだけ声を発し、もそもそと動いている。ようやくそこで息子の顔を見て、髪があり、爪があり、手も足もある。小さいながらも1人の人間を確認できた。私の指を手のひらにちょんちょんと触ると、ぎゅっと握り返してくれた。目も開けて私の方を見てくれた。ようやく緊張がとけた。言葉のない会話ができたようで嬉しかった。
 
ここから妻は産後の安静を取るため、私は1人病院のフロアへ移動した。病院の売店で遅い昼ごはんのおにぎりと大福と麦茶を口に入れて、ようやくほっとできた。親戚も駆けつけてくれて、おめでとうの言葉をもらって、現実が動き始めたように感じた。じいじとばあばになった、私の実家にも連絡をした。これから出産後の手続きや、各方面へ連絡をしたり、ゆっくりゆっくり現実の歯車が回り始めた。次の日、ようやく私も息子が誕生した現実を把握できるようになり、みんなに向けてFacebookで報告をした。
 
「私事ですが、この度3/15に第一子長男が誕生し、父親になりました。母子共に健康です。予定より3週間早く、福岡から里帰り出産をしている妻に会いにいく途中で、正にタイミングドンピシャ、出産に立ち会うことも出来ました。我が子は小さいながらも、腕の中で泣き、手足を動かす力も強く、ちょんちょんと触ると、一瞬目を開いてわたしを見てくれました。両家両親親族、病院関係者の皆様、会社の上司、同僚、友人の皆様、多くの方々の様々なサポートを頂き感謝申し上げます。そして、約10ヶ月間我が子をお腹の中で守り、育ててくれた妻、産まれてくれた我が子に1番の感謝を! 今後ともNEW久田家を宜しくお願い致します」
 
文章にするとあっけない言葉だが、投稿ボタンを押した。ここに私の人生で一番長い日が終わった。そして、新しい家族との長い1ページ目が始まりを告げたのだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
久田一彰(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

福岡県生まれ。駒澤大学卒。
会社員でありながら、「気が付けば残業の日々。俺の人生って何なんだろう? そんなあなたが残業0となり好きな事に没頭いつも楽しそうだよね!」となる人を応援するハイブリッドワークシフト・コンサルタント。
また、愛する妻と息子の応援団長でもある。

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2022-11-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.195

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