週刊READING LIFE vol.195

あの日、夢の中で見た、今もこれからも変わらず大切なもの《週刊READING LIFE Vol.195 人生で一番長かった日》

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2022/11/28/公開
記事:松尾 麻里子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
明け方に、いやに、はっきりとした夢を見た。
縞模様の服を着た男の子が、白い壁から、ちらりと顔を出し、私に笑いかけている夢だ。
男の子の後ろには、後光のようなものが射していて、顔かたちまでは、はっきりとわからなかったが、にっこりと笑っていることだけは、なんとなくわかった。
 
ハッと目を覚ますと同時に、喉の異常な乾きを覚え、ふらふらとキッチンに向かった。
その日は、博物館を改修したいという市からの要望を受け、秩父まで現地調査に行っていた。視察の帰りには、地元で有名だというホルモン焼きのお店に行って、たらふくホルモンを頬張ったあと、その店名物の「バクダン」という日本酒をビールで割った、なんとも下品な飲み物を3杯もあおり、同僚と、上機嫌で特急レッドアロー号に乗車したところまでは憶えているが、池袋駅より先、どうやって帰宅したかの記憶は曖昧のまま、強烈な胃もたれと、頭痛に悶えながら、今は、キッチンで水をゴクゴク飲んでいる。
 
水を何杯か飲むと、もたれと痛みは、少し、マシになった。
ふう、と酒臭いため息をつき、真っ暗なダイニングの椅子に腰掛けながら、さっき見た鮮明な夢を思い出すと、数時間前の自分からは、想像できない真逆のシチュエーションに、なんだか可笑しくなってきた。
 
「私が子供なんてね、まだ無理でしょ」
 
今の仕事は、出張も残業も多く、心身ともにきついけれども、単純に楽しいし、やりがいもあって、子育てというライフイベントを差し置いても、続けたいと思える仕事だった。それに、最近やっと、大きな仕事も任せてもらえるようになってきて、来年から始まる施設改修のプロジェクトリーダーにも抜擢されたばかりだった。
 
ぽつりと呟いた一言は、まだ暗い部屋を彷徨い続けている。
 
子供は、いつか産みたいとは思っている。でも、今じゃない。
結婚をしてからというもの、いつも周りに問われているような気がする。それは、直接、言葉で言われていなくても、テレパシーのように、
 
いつなの? どうするの?
子供はかわいいよ、子育てって楽しいよ、人生、変わるよ?
 
ごちゃごちゃ、と、ほんとうに鬱陶しい。
自分以外の誰かに、なぜ、答えを急かされなくてはいけないのだろう、私の人生なのに。
そう思って、突っぱねてはいるけれど、心の奥底には、出産という使命に抗えない自分がいるような気がして、だから、こんな予知夢のような夢を見たのかもしれない。
 
その予知夢は、ある日、現実となった。
来年の10月に、私は母になるという。
 
「おめでとうございます! このくす玉をお引きください!」
 
えいっと紐を引くと、パッパララー、紙吹雪に垂れ幕、そこには、㊗︎新お母さん、と書かれていて、スタッフからは拍手、拍手の大喝采! とまでは言わないが、私のイメージは、それに近いものだったので、近くの婦人科で診察を受けた時は、あまりにも事務的な発表に、拍子抜けした。
 
「現在で8週目ですね。お住まいの自治体で母子手帳をもらってきてください」
「あ、はい、分かりました」
 
その日は、悪いことをしたわけではないのに、なぜかトボトボと帰宅した記憶がある。
妊娠って、したいと思っている人からすると、これほどまでに嬉しいことはないのだろうけれど、今はまだいいかもと思っている人からすると、一気にいろいろなことを諦めなくてはならない、整理しなくてはならないという「タスク」が降りかかってくる気がして、手放しには喜べないものなのかもしれないとその時は思った。
 
それでも、妊娠を知った私の周りの嬉しそうな反応や、電車やバスで、親切にしてもらう機会に恵まれると、世の中って、こんなにも温かいものなんだな、と、徐々にだが、妊娠を前向きに受け入れることができるようになっていった。
 
ただ、妊娠期間10ヶ月という長さが、結構しんどかった。
お酒にお菓子、夜更かし、やめなくてはならない生活習慣がいっぱいあった。
それに、体重管理も厳しいし、いつも妊婦健診で看護師に怒られる。
 
「松尾さん、太り過ぎ! ちゃんと自覚持って管理してね!」
「次の健診までに、1キロ以上太ったらダメ! 運動しなさい!」
妊婦は意外にも、運動をしなさいと指導される。
 
ああ、白河の清きに魚も棲みかねて、もとの濁りの田沼恋しき、とは、このようなことを言うのかな。だらしない食生活、夜更かしが恋しい。セレブや、インスタグラマーの超模範的で、オサレな妊婦生活を横目で見ながら、オーガニックとはかけ離れたスナック菓子をポリポリとつまんでいたある日、偶然、哺乳類の妊娠期間についての調査記事を見つけた。その記事には、哺乳類の中には、妊娠期間が最短で11日という動物もいれば、アフリカゾウのように、妊娠期間が、なんと、22ヶ月もある動物も存在すると書かれていた。22ヶ月という期間は、現在の哺乳類の中では最長だという。その記事を読んだ時に思った。アフリカという広大な大地で、いつ命の危険に晒されるかわからない中でも、アフリカゾウのお母さんは、22ヶ月もお腹に赤ちゃんを宿したまま、そこで生き抜かなければならないんだ。それに比べれば、私の10ヶ月なんて、大した期間ではないのかも。そう思うと、残りの期間を乗り切ることができた。
 
初めての出産ということで、不安もあったし、里帰り出産をすることにした。
実家に帰省して一息ついていると、母が、おもむろに、タンスの奥にしまってあったベビー服を一枚見せてくれた。青い星柄のかわいいロンパースだった。
 
「あまり早くに、ベビー服とか出しておくと、プレッシャーになるじゃない?」
 
何も聞いていないのに、母は勝手にそういうと、私の反応を見て、もう大丈夫だと思ったのだろう。
次から次へと、タンスの奥から、ロンパースやら、毛糸の靴下、お包みまで、まるでタンスの引き出しがドラえもんの四次元ポケットとつながっているのかと思うほど、色々なグッズが出てきた。
 
「どれもかわいいでしょう。選んでいたら楽しくなっちゃって、いっぱい買っちゃった」
 
嬉々として、一つひとつのアイテムを愛おしそうに並べる母を見ていると、妊娠して良かったなと思った。
 
妊娠も後期になると一週間に一回ずつ、健診に行くことになる。血液検査も度々あって、毎回2本も3本も大量に血を抜くので、以前は、注射のたびに緊張したり、血を抜くと、気を失いそうになっていたが、だいぶ慣れた。
 
その日の健診時、
 
「予定日は、10月15日だけど、まだ全く子宮口が開いていないね」
 
先生からは、今後、状況が変わらない場合は、入院して、陣痛促進剤を投与すると説明を受けた。
初産婦にはよくあることらしいが、何をするのか、どうなるのか、まったく想像ができなかったので
不安が募るばかりだった。
 
結局、予定日がきても、うんともすんとも状況は変わらず、私は先生の説明通り、翌週21日から入院することになった。
 
10月21日(金)13時00分、ここから、私の長い長い戦いが始まった。
 
入院手続きを済ませ、一週間分の荷物の荷ほどきが終わったのも束の間、看護師から、
 
「これに着替えてくださいねー」
 
と、分娩着という名の戦闘服を渡された。
戦いに向かうというのに、これほどまでに締め付けのないリラックスモードで、かつピンク色というかわいい戦闘服は他にないだろう。渡された分娩着に着替えると、先ほどの看護師が迎えにきた。
 
「松尾さん、今から、子宮にバルーンを入れますね」
 
バルーン!?
あたふたしていると、
 
「あれ、先生から聞いていませんでした? 子宮口を広げるために子宮にバルーンをいれるんですよ」
 
看護師は、明るく言うと、これから私の子宮に入れるというバルーンを見せてくれた。
それが、本当にバルーンそのもの! 水が入っていない水風船とほぼ一緒だった。ああ、そういえば
さっき先生が話してくれていた気がする。今日は緊張しているから、あまり説明が入ってこないのだろう。ちゃんと先生から説明があったことを看護師に伝え、早速、バルーンを子宮に装着してもらったのだが、その着け心地はというと、ずっと水風船をぶら下げて、がに股歩きをしているような、なんとも不可思議な感触だった。それでも、まだ痛みなどはなかったので、なんとか平静を保っていられたが、状況が一変したのは、陣痛促進剤を投与した後からだった。
 
14時00分に、陣痛促進剤を点滴で投与。
最初は生理の時や、お腹を下している時のような痛みだったが、子宮口がだんだんと開いていくにつれて、腰が割れるような強烈な痛みに変わっていった。それは本当にもう、死んでしまいそうになるくらいの激痛だった。何をしていても痛い。油断していると意識が遠のいていきそうな気さえする。そんな朦朧とした中でも、何分ごとに陣痛がやってきたのかを自分で把握しなければならないのだが、正直、時計なんて見ていられない!
 
陣痛体験者の多くが、陣痛の痛みについて、
 
トンカチで思いきり腰を割られているように痛み
今まで経験したことがないくらいの重い生理痛
身をよじっても、何をどうこうしても耐えられない痛み
 
などと、その痛みを表現しているが、どの表現も正しいと思う。
それもそのはずで、普段は開かない子宮口が最大で10センチも開くことになるのだから、痛いに決まっている。特に初産婦だと、子宮が全開するまで10時間から12時間が平均といわれ、だいたいが長期戦になるという。私の場合も、結局、全開まで14時間かかったので、腰が割れるほどの激痛が14時間も続いたのだった。もちろん、食べられない、眠れない、ずっと痛みに耐え、泣くことしかできない。いま思い出しても、ものすごい試練だった。何度も看護師に言った。
 
「もうダメです。死にそうです」
「松尾さん、辛いけれど、これからよ、頑張りましょう」
 
看護師に、背中や腰をさすってもらいながら、一晩中ずっと勇気付けてもらった。
 
10月22日(土)朝7時00分、昨晩とは違う看護師が、部屋に来て、
 
「松尾さん、歩けますか? 分娩台に移動しますよ」
 
と言った。遠くで、先生の声が微かに聞こえる。
 
私は黙ってうなずくと、看護師に手を取ってもらいながら、分娩台まで移動した。
分娩室に入るとそこには、うん、ドラマなどで見たことがある! まさにこれだ! と叫びたいくらいイメージ通りの分娩台が、でんっと部屋の真ん中にそびえ立っていた。今から、ここが私の戦場か! という気力は正直残っていなかったが、言われるがまま、分娩台に座り、助産師の指示に従いながら、人生で初めて、人間を外に押し出すための「いきみ」を経験した。
 
最初は、ううううううーん、程度のものだったが、
最後は、うおおおおおおおおおおおー!!!!!!!! と、猛獣、いや、この世のものではない妖獣のような雄叫びを上げて、出産と戦っていた。それでも、なかなか産まれてこない。先生も、助産師もだんだんと首を傾げ始める。
 
「出てこないねー」「おかしいねー」と言いながら、先生が、
 
「どれ、様子を見てみよう」
 
開いた子宮口から、グイッと手を入れて、赤ちゃんの様子を見てくれた。その時のグイッの痛みたるものやら、もう言葉で表現できるものではとてもない。一瞬、本当に絶句して気を失った。ものすごい量の血も吹き出た。そして、先生が衝撃的なことを告げた。
 
「この子、たぶん、へその緒が首に巻きついている」
 
先生は続けてこう言った。
 
「○○さん、ちょっと人を集めて! 吸引分娩に切り替えるよ」
「はい!」
 
にわかに、分娩室は慌ただしくなった。
それまでは、先生と助産師、2人体制だったが、あっという間に、5人体制になった。
 
「松尾さん、今からこのまるでトイレ掃除に使うようなカップを赤ちゃんの頭につけて、
赤ちゃんを引っ張り出すからね、一緒に頑張ろうね!」
 
赤ちゃんの頭にカップを装着すると、私のお腹辺りにそっと、先生と看護師さんの手が置かれた。
そして、赤ちゃんを取り出すためにスタンバイをしている助産師が、こくり、とうなずいた。
今から何が始まるのか。
 
「松尾さん、せーの、で思いっきり、いきんでね!」
「せーの!!」
 
先生、看護師一同の掛け声とともに、指示通り、思いっきりいきむ私。
すると、先生、看護師が思いっきり、体重をかけて、私のお腹を押した。
 
「もう一回、せーの!!」
 
と、次の瞬間、
 
「オギャー、オギャー、オギャー、オギャー」
 
10月22日(金)11時41分、産まれた。
私の初めての赤ちゃん。かわいい、かわいい、男の子。
まだ少し血だらけの息子と初対面し、その腕に抱いた感触は、いま思い出しても、泣けてくる。
 
分娩にかかった総時間は19時間46分、それはあとで、母子手帳で知ったのだが、長い、長い戦いだった。
 
「よく、頑張ったね。松尾さん、お疲れさま」
「でも、この子もよく頑張ったよ、へその緒が二重に巻いついていたから、もう少し遅かったら、
窒息していたかもしれない、ほら、少し唇が紫でしょう、息苦しかったと思うよ」
 
と先生は、息子の唇を指差して、そう言った。
確かに、少し紫だった。頑張っていたのは、私だけじゃない。この子も頑張っていたんだ。
そう思うと、この二日間、痛みに耐えて、その先で、息子に会えて本当に良かった。
息子も私に会えて、本当に良かった。
 
実は、産婦は、産んだ後すぐに、楽になるかというとそうではない。
胎盤を取り出したり、裂けた子宮を縫合したり、全て麻酔なしで実施する。
だが、出産直後は、陣痛や出産の痛みに耐えた後なので、ほとんどの産婦が痛みを感じないというか、このくらいのことでは痛がらないと、後で看護師に聞いた。女性って本当にすごい、強い。
 
次の日、朝の回診時に、
 
「松尾さん、初めての出産はフルコースになったね」
 
と、ニコニコしながら、先生に言われた。
 
「そうですね。出産って、痛いとは聞いていたものの、こんなにも、時間が長く、予期せぬことも起こって、たくさんの血が出て、子供を初めて抱いた時は、泣けるものだとは思っていませんでした」
 
そういうと、先生は、うん、とうなずいて、
 
「いいものですよね」
 
とだけ短く答えて、部屋を出て行った。
 
出産後は、もう少し、ゆっくりできるのかと思っていたが、すぐに授乳の練習が始まり、他にも、沐浴の指導を受けたり、夜泣きに付き合ったり、と意外と忙しい。ただ、退院前日の夕飯時は、看護師が子供を預かってくれて、病室で一人、ゆっくりと夕飯を取ることができた。その時の夕飯は、食器までも美しいフレンチのフルコースだった。どれも手が込んでいて、出産という大仕事を成し遂げた私への労いと、エールが伝わってくるような特別な味で、人生で一番、美味しい食事だった。
 
あれから、もう6年になる。
私の夢に出てきた男の子は、やっぱり君だったんだね。
夢の中で見た笑顔と、同じ顔をして、君は今、私の前で美味しそうにご飯を食べている。
私は、その顔を見ると、いつも、いつも思う。私のところに来てくれて、本当にありがとう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
松尾 麻里子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)


部品、情報、デザイン、コンテンツ、人材など、様々な商材を扱う営業を経験
国家資格キャリアコンサルタント、B C M A認定キャリアメンター保有者
現在は、天狼院書店ライターズ倶楽部にて、ライティングを勉強中

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2022-11-23 | Posted in 週刊READING LIFE vol.195

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