週刊READING LIFE vol.197

僕が大好きなのは耳だけでなく体で感じるあの音《週刊READING LIFE Vol.197 この「音」が好き!》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2022/12/12/公開
記事:大塚久(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「ドーン」
「ドッカーン」
「パリパリ」
「ゴリゴリ」
「サクサク」
 
とにかく擬音が大好きだ。子供っぽく思われるかもしれないが好きなものはしょうがない。僕にとってインパクトのあるものは映像や文章ではなく音だ。
コンビニも入ってすぐのあの音が聞きたくて緑色のお店に行くし、某ファーストフード店のポテトが揚がった時の音も好きで、もれなくフライドポテトが大好きだ。
本を読むにしても文章の多い小説よりも擬音が多い漫画の方が好きだし、芸人さんでも大きな声で話す人の方が割と好みだ。テレビを見ていても効果音ばかり気になってしまう。人と話していても言葉巧みに話してくれる人よりは効果音多めで話してくれる人の方が話を理解しやすい。先日着物の先生に着付けを習った時は見事に先生が擬音で説明してくれる先生で、「ここをひゅっとしてね」「ススっすって合わせて」「下の部分をキュッとして」と言った説明がものすごく理解しやすく、「飲み込みが早い」と言っていただけるほどだった。
もちろん僕の話す内容にも擬音が多めで、人によっては何を話しているかが理解できないらしい。
 
これは認知特性というものらしく、人が情報を得るのに、映像で認識するタイプ、文字で認識するタイプ、音で認識するタイプに分かれるらしい。僕はこの音で認識するタイプなのだ。
 
認知特性を知ってから自分の好みを考えてみると、僕は割と歯応えのあるものが好きで、アイスでもナッツが入ったアイスとか、お煎餅とかだ。これは歯応えが好きなんだと思っていたらどうやらナッツを食べてた時のコリコリだったり、お煎餅を食べ他時のバリバリだったりと言った音が好きなんじゃないかと思う。
思い返してみればお好み焼きも好きなのだが、最初に思い出すのは味ではなく、鉄板にタネを置いた時のジューっという音だ。天ぷらも好きだが、思い出すのは油に衣をつけたタネを入れた時のシャーっという音だったり、食べた時のサクサクとした音だったりする。
 
本を読む時も目で文章を追っているのだが、頭の中ではその文章が音声で流れている。その音は皆同じではなく、登場人物で変わったり、ナレーションは別の音だったりする。だから小説や漫画が実写化されたときに時に違和感を感じてしまうのが、俳優さんの見た目ではなく、自分が脳内で再生されていた音と俳優さんの声の音の違いに違和感を感じてしまう。この僕の脳内で勝手に再生されていた音と実写化された俳優さんの声が一致していた時におー! となる。申し訳ないが見た目はそこまで関係ない。
 
この認知特性は遺伝的なものもあるらしいが、多くは生育環境で決まってくるらしい。しかしどう思い返しても僕が音に囲まれた生活をしているとは言い難い。両親は特に音楽関係の人でもないし、家で音楽が常にかかっているわけではない。僕が音楽を聴き始めたのは中学になってCDコンポを初めて買ってもらってからだ。両親も特別話に擬音が多いわけでもない。唯一思い当たるとすれば、僕は記憶にないのだが、小さい時に瀧廉太郎のレコードが好きすぎて文字通りレコードが擦り切れるくらい聞いていたらしい。でもそのくらいだ。
もしかしたら「音楽」というものではなく、生活の中での音に囲まれていのかもしれない。思い返してみると僕が幼稚園に通っている歳の頃の母親の音といえば
 
「ざっ、さー」
「トントン」
「ビーン」
 
だ。
 
なんの音か全く想像できないかもしれないが、これはお煎餅を袋詰めしている音だ。僕の両親は共働きで、僕は幼稚園に行くのに、母親が働いているお煎餅屋さんから幼稚園バスに乗って幼稚園へ行き、帰りもお煎餅屋さんに帰ってきていた。そしてそのお煎餅屋さんで母親の仕事が終わるのを待って一緒に家に帰っていた。そのお店の奥には工場で仕上げられて一斗缶に入ったお煎餅がたくさんあり、母親はいつもお店に並べるためにその一斗缶からお煎餅を測って袋につめ、口に封をする仕事をお店番をしながらやっていた。その音が記憶に強く残っている。
 
ちなみにその時のお煎餅やさんの隣が電気屋さんで、その電気屋さんによくお蕎麦をご馳走になっていた、お蕎麦も食べる時に「ずずず~っ」と啜って食べるのが楽しく今でもお蕎麦を啜って食べるのが大好きだ。
 
小さい時にスキークラブに所属していて、毎年合宿に行っていた時も教えてくれる先生が擬音で表現してくれる先生だった気がする。おそらくまだ小学生だった僕たちに難しい言葉で説明するよりも、滑っている時のシャー、ザー、ザッっと言った音で表現する方がわかりやすいと思ってそうしてくれていたのかもしれない。
 
僕の場合は今までの記憶を音で思い出すことが多い。もちろん景色の綺麗さも覚えているのだが、そこで聞こえている音を覚えているのだ。スキークラブで、山形にある蔵王山に行った時、ロープウェイで山頂に登り、その乗り場から出ると余計な音のない世界が広がっている。余計な音がない世界はどんな感じかというと僕にとっては「キーン」という音が広がっている感じだ。視覚的な表現をするのであれば山頂で空気が澄んでいて遠くの山々まで綺麗に見渡せるあの遠くの山まで見える空気の綺麗さだったり、間に何もない感じ、あの感じが僕にとっては「キーン」という音で表現される。そしてそのキーンという音の中にロープウェイのワイヤーが軋む「ギュッギュッギュッ」といった音が入っているのが僕の蔵王の山頂で最初に思い出す感覚だ。
スキー場に行った時に思い出すのも空気の綺麗さや一面の銀世界ではなく、雪を踏み締める「キュッキュッ」という音だったり、ゲレンデに流れている音楽だったり、リフトのモーター音、誰かの「ザーザー」と滑り降りてくる音だったりする。とにかく僕は音でなんでも記憶しているのだ。
 
そんな僕が好きな音がある。それは「波の音」だ。僕は海から歩いて5分ほどのところに住んでいる。実家もそこから10分ほどの場所にあり、生まれてから約40年海の近くに住んでいる。小さい時はよく父親と海に泳ぎに行っていたし、通っていた小学校、中学校も海に面した場所にあり、小学校の時は「砂の造形」という特別授業があり、みんなで海に行き、札幌の雪まつりのように砂で造形物を作る授業があった。さすがに雪まつりほど大きものは作れないが、1クラスで1つ作るのでかなり大きい砂の造形を砂だらけ、潮だらけになりながら作成していた。中学校のマラソン大会もコースは砂浜で靴の中が砂だらけになりながら走っていた。部活でラグビーをやっていたのだが、学校のグラウンドは下が固くて倒れると痛いので、夏休みの練習はしたがやわらかい砂浜に行き、パスやタックルの練習をして、汗と砂だらけの体を海に入って洗って戻ってくるのが定番だった。
 
こうして常に海がそばにある環境で暮らしていると「波の音」はいつでもあるのが普通になってくる。自宅は海かは歩いて5分ほど離れているが、少し風が強かったり、波が高い時は波の「ザザーン」という音が普通に聞こえてくる。さすがに波が静かな時はほぼ聞こえてこないが、それでも周りが静かな状態だと耳を澄ますと聞こえてくることもある。先ほどの山頂で余計な音がない状態で「キーン」という音が聞こえているように、普段自宅周辺にいるときも波の「ザザーン」という音がいろんな音に隠れて聞こえているんだと思う。そして常に無意識で聞いているその音が聞こえている今の環境が落ち着くのだ。
 
仕事や遊びで出掛けて家に帰ってくる時、自宅の最寄駅に近づいてくると急に「あ、いま空気が変わった」というポイントがある。そしてそのポイントを通過すると「帰ってきたな~」という感覚になり、全身の緊張が抜け、リラックスする。
不思議な感覚なのだが、きっと僕にとってはその「空気が変わったポイント」というのが波の音が聞こえないレベルだけど耳に届き始めたポイントなんだと思う。その聞こえるポイントに入ると「いうも聞いている音」が聞こえるから「帰ってきたな~」という感じがする。きっとみなさんにも同じようにこの看板が見えたら帰ってきた感じがするとか、ここを曲がったら家に帰ってきた感じがするというポイントがあるんじゃないだろうか? その感覚と同じだ。
 
現代社会は音よりも光の情報が多くなっている。インターネットの高速化とスマホの普及が特に大きな要因だと思うが、目から入ってくる視覚的な情報がどんどん増えている。そして画面を通して何か情報を得る機会がほとんどだ。目から入ってくる光の情報というのは脳科学的には「痛み」と同じ情報だ。適度な光ならば問題はないのだが、強すぎる光は「痛み」を伴う。照りつける太陽を見ると目が痛いのは強い光は痛みを引き起こすからだ。そして人の体は痛みを感じると「危険な状態」と認識して交感神経が優位になり興奮状態になる。
今は夜でも街は明るく照らされ、そこかしこにLEDのイルミネーションで彩られている。家に帰っても電気のおかげで明るく過ごせるし、テレビやスマホなどの画面からもたくさんの光が常に目に飛び込んで来る。本当は夜は暗くて体も心も休ませたいところなのにたくさんの光が落ち着かせてくれない。
 
反対に音はリラックスできることが多い。音も光もよくよくみると小さな物質が振動しているという点では同じなのだが、音の振動数はゆっくりで光の振動数はとてつもなく早い。同じ太鼓を叩くにしても早く叩けば気分は高揚するし、ゆっくりと叩けば気持ちが落ち着いてくる。
ゆっくりした音は気持ちを落ち着かせてくれる。僕にとって波の音は気持ちをリラックスさせてくれる安心できる音なのだ。一日仕事をしてきて体も気持ちも疲れている時、そっと目を閉じて耳で波の音を感じると「ザザーン」というと音ともに体の力がすーっと抜けて、気持ちも落ち着いてくる。その音を聞くことで体が感じている。
 
日常に疲れたらみなさんも少しだけ目を閉じて耳を澄ませて大好きな場所の音を聞いてみてほしい。きっとそこには体で感じることができるあなたの大好きな音が聞こえるはずだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
大塚久(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

神奈川県藤沢市出身。理学療法士。2002年に理学療法士免許を取得後、一般病院に3年、整形外科クリニックに7年勤務する。その傍ら、介護保険施設、デイサービス、訪問看護ステーションなどのリハビリに従事。下は3歳から上は107歳まで、のべ40,000人のリハビリを担当する。その後2015年に起業し、整体、パーソナルトレーニング、ワークショップ、ウォーキングレッスンを提供。1日平均10,000歩以上歩くことを継続し、リハビリで得た知識と、実際に自分が歩いて得た実践を融合して、「100歳まで歩けるカラダ習慣」をコンセプトに「歩くことで人生が変わるクリエイティブウォーキング」を提供している。

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2022-12-07 | Posted in 週刊READING LIFE vol.197

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