食べることの豊かさを教えてくれたものは「干し数の子」だった《週刊READING LIFE Vol.197 この「音」が好き!》
*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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2022/12/12/公開
記事:深谷百合子(READING LIFE編集部公認ライター)
11月を過ぎると、スーパーの食品売場にはクリスマスやお正月用の食材が並ぶようになった。プリッとした数の子がたっぷり収まっている木箱を見かけるのも、この時期ならではだ。
でも、沢山の数の子が並ぶスーパーの棚には、私の探しているものは無かった。「珍しいものだから、デパートの食品売場ならあるかもしれない」とデパ地下の食品売場も探してみた。だが、やはり見つからなかった。結局、ネットで探して注文することになった。
私が探していたのは「干し数の子」である。
10月から受けていた「朗読ゼミ」で、私は北大路魯山人の『数の子は音を食うもの』を題材として選んだ。「もし数の子からこの音の響きを取り除けたら、到底あの美味はなかろう」という一節が示すように、食べ物を口に入れて噛んだ時に発する音の響きが、その食べ物の美味しさを引き立てているというような話だ。
その話の中に「干し数の子」が登場する。「一旦干ものにしたものを水でもどしてやわらかくして、昔からの仕来り通りの数の子にして食べるほうが美味い」と書かれている。さらには、数の子を美味しく食べる一番の方法も紹介されている。
数の子を口に入れた時の、プツプツした食感は何となくだけど私にも分かる。でも、「干し数の子」なんて見たことも食べたこともない。頭の中で想像しながら朗読してみるが、イメージできないものは伝えづらい。
「何事も経験だ」と、思い切って干し数の子を買い、魯山人の言う通りの方法で食べてみようと思ったのだ。
数日後、ネットで注文した干し数の子が届いた。立派な木箱だ。生の数の子より美味しいという干し数の子だ。昔は「黄色いダイヤ」などとも言われた数の子だ。スーパーでもデパ地下でも見つけられなかった干し数の子。一体どんなものなのか?
私は初めてのものを見る期待でいっぱいになりながら、木箱の蓋を開けた。
「は?」
思わず声が出てしまった。
スーパーで売られているような、箱いっぱいに詰め込まれた数の子しか見たことのない私には、目の前の数の子が数の子には見えなかった。
どう見ても、冷蔵庫の野菜室の奥で忘れ去られ、干からびてしぼんだ人参のようにしか見えない。
「本当に干からびているんだ」
私は1本取り出して、まじまじと干し数の子を眺めた。これが本当に、あのお正月に食べるような数の子よりも美味しいのだろうか。
早速食べてみたい衝動にかられながら、同封されていた「干し数の子の戻し方」を読んでみた。「一晩くらいで食べられるようになるだろう」と思っていた私は、説明書を読んで打ちのめされた。
水1リットルに対して小さじ1杯の塩を溶かし、その塩水に干し数の子100gを浸す。その塩水を朝晩1回ずつ取替える。それを、4、5日間繰り返す。水温は15~20℃が適温で、20℃を超えると歯ごたえがなくなるという。
ずいぶんと面倒だ。
「泊まりがけで家を空ける日があるとできないな」
「今の水道水の温度はどれくらいなんだろう」
面倒くささが先に立って、私は数日間、干し数の子をそのまま冷蔵庫に放置していた。
それでも、朗読の練習をするたびに「干し数の子の美味さとはどういうものなんだろう?」という思いがわき上がってくる。そこでようやく、私は重い腰を上げて、とりあえず箱に入っていた干し数の子の半分を取り出した。
容器に塩を入れ、水を入れる。水温は測ってはいないけれど、念のため冷蔵庫で冷やした水を少し足して低めの温度に抑える。取り出した干し数の子を塩水に浸して、容器を冷蔵庫に入れた。
朝晩1回ずつ水を交換だなんて、ズボラな私はすぐに忘れてしまいそうなものだけれど、冷蔵庫をあけるたびに思い出し、忘れずに水を取替えることができた。はっきりとした目的があると、人間意外と苦手なこともできるものである。
2日、3日と経つにつれて、数の子はプリッと膨らんできた。色も、人参のようなオレンジ色から、薄い黄色に変わってきた。段々と見慣れた数の子になってくる。最初は容器が大きすぎるように感じたけれど、4日も経つ頃には逆に窮屈に感じられるくらいだ。
4日目が経ったところで、数の子の端をちぎって食べてみた。コリコリとしたいい食感だ。芯があるような感じでもない。そろそろ食べ頃だ。
翌朝、私は戻した数の子を洗い、包丁を使わずに指で適当な大きさにちぎった。そうする方が美味しいと魯山人が書いていたからだ。『数の子は音を食うもの』に書かれている通りに、花がつおを多めにかけて、醤油をかけて食べてみた。
口に入れた数の子を噛むと、コリッコリッと音がして歯ごたえがある。魯山人は、この食べ方が「数の子を美味く食う一番の方法」と言っている。でも私は干し数の子とそうでない数の子の違いを語れるほど食通ではない。そこで、試しに普通に売られている数の子も食べてみた。
その差は歴然としていた。歯ごたえが全く違うのだ。普通に売られている数の子は、つぶつぶ感は感じるけれど柔らかかった。でも干し数の子を戻したものは、弾力があって、噛み応えがある。噛んでいる音が隣にいる人にもはっきりと聞こえるくらいの音だ。
干し数の子は戻したあとに醤油をかけただけなので、醤油漬けのようなしっかりした味ではない。どちらかというと淡泊な味わいなのだが、これが「素材そのものの味」と言えるのかもしれない。口の中にうっすらと広がる塩味を感じながら、コリッコリッと噛みしめる。「音を食う」ってこういうことなのだと思った。
この『数の子は音を食うもの』の中には、「シャキシャキ」「カリカリ」など、食べ物の持つ食感がいくつか紹介されている。それぞれの音を出す食材をひとつずつイメージしながら朗読すると、何だか知らないけれど、実際に食べているみたいな気持ちになってよだれが出た。
振り返ってみると、「歯ごたえが大事」だと思っている料理は自分の中にもあった。例えば名古屋名物の「味噌煮込みうどん」は、麺がかたい。昔、味噌煮込みうどんのお店で、明らかに旅行客と思われる人が、麺を一口食べて「生煮え」と勘違いして、顔をしかめていたのを見たことがある。それくらい麺はかたい。でもそれだからこそ味噌煮込みうどんは美味しいのだ。
逆に、伊勢神宮のある伊勢市の名物「伊勢うどん」の麺はもちもちしていて柔らかい。同じうどんでも、かたくて美味しいうどんもあれば、柔らかくて美味しいうどんもあるのだ。
他にも音や独特の食感があるから美味しく感じるものを考え出すと、いくつも思い浮かんできた。サクッと揚がった天ぷら、シャキシャキとネバネバが同居したような山芋の短冊……。でも普段の食事で、私は「音や食感」を感じながら味わっていただろうか?
忙しく過ごしていると、食事の時間すら「もったいない」と思うことがある。パソコンを広げて仕事をしながら食事をしたり、ほとんど飲み物のように食事を流し込んで仕事に戻ったりする。気にするのは味だけで、胃に収まったら同じだからと盛り付けも適当だし、よく噛まずに飲み込んでいる。全く五感を使って食事をしていないことに気がついた。
今回、干し数の子の存在を初めて知り、「どんな音がするのか」「どんな食感なのか」を意識して食べてみた。そうしたら、「数の子ってこんなに歯ごたえのあるものだったんだ」「今まで食べていた数の子とは全然違っていた」という発見があったし、「五感で味わう」ことの楽しさが少し分かった気持ちがした。
最初は「何だこれ?」と思った干し数の子が、塩水で戻す内に段々と膨らんでくる様子を見て楽しんだ。戻した数の子を指でほぐしながら、プチンとちぎる時の触覚を楽しんだ。醤油をかけて口に入れた後、音を楽しみ、歯ごたえを楽しんだ。そして、数の子本来の持つ素材の味を楽しんだ。食べる前から五感をフル稼働したら、食べた時の満足度が違っていた。
そんなことに気づいてから、食事の時にはできるだけ食事に集中するようにしてみた。口の中で半熟の目玉焼きの黄身を噛みつぶした時のトロンとした感覚にうっとりしたり、火を通しすぎたししゃもの「カチカチ感」に苦笑いしたりしていると、私にとって「食べる」という行為が「流し込む」という行為から「味わって楽しむ」に変化していった。ほんの十数分の時間だけれど、今までより少しだけ豊かな気持ちになった気がする。
そんな変化のきっかけをくれた「干し数の子」。作る手間もかかれば、戻す手間もかかるためか、今はすっかり少数派になっているそうだ。どおりで、お店でどれほど探しても見つからなかったわけだ。値段は少々高めだけれど、手間ヒマかけて作られたものを、手間ヒマかけてようやく食べる喜びは格別だ。
間もなくお正月がやってくる。今年は干し数の子を食べてみませんか? 「食べることの豊かさ」を感じさせてくれること間違いなしである。
□ライターズプロフィール
深谷百合子(READING LIFE編集部公認ライター)
愛知県出身。
国内及び海外電機メーカーで20年以上、技術者として勤務。2020年に独立後は、「専門的な内容を分かりやすく伝える」をモットーに、取材や執筆活動を行っている。現在WEB READING LIFEで「環境カウンセラーと行く! ものづくりの歴史と現場を訪ねる旅」を連載中。天狼院メディアグランプリ42nd Season、44th Season、49th Season総合優勝。
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