週刊READING LIFE vol.209

脳の中のグレーゾーンは父の安息の場所かもしれない《週刊READING LIFE Vol.209 白と黒のあいだ》

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/3/20/公開
記事:飯髙裕子(READING LIFE編集部ライターズ俱楽部)
 
 
人間は誰しも歳をとる。願わくば、なるべく長く健康でいられることを望む人が多いのではないかと思う。
 
高齢者向けの手や顔、足などをソフトにマッサージすることによって、その、笑顔と、元気自立支援を目的とする「心と体の美容療法」がある。
ビューティタッチセラピーというその資格を取ろうと背中を押されたのは、離れて暮らす高齢の父のことが頭の片隅にあったからかもしれない。
 
父は、定年で仕事をリタイアしてから、小さな別荘の山小屋で一人暮らしをずっとしている。
リタイアしてすぐの頃は、職安で探したのか、シニアのバイト先を見つけて測量事務所の手伝いをするために若い人たちと山に入って仕事をしていた。
 
65を過ぎたシニア世代には結構大変な肉体労働だと思っていたが、父は朝からお弁当を持って、車で事務所まで行き、仕事が終わると夕方山小屋へ帰ってくるという生活を続けていた。休みの日には、近くに借りた、畑に野菜を植えて、長い休みに子供たちと訪れる私たちにそれを食べさせるのを楽しみにしていた。
 
元々、体力があって、マイペースな父は、自由に生活できる自然の多い山での暮らしが夢だったのかもしれない。
母は、車の免許がないうえ、今まで住んでいた家の近くに兄弟もいたので、まあ、ずいぶん年を取ってからの別居生活、いわゆる卒婚という形に落ち着いていた。
お互い別々の暮らしで、自由があり、かといって、時々訪れて普通に家族としての関わりもある、そんないいとこどりの関係であったようだ。
子供たちが大人になるまでは、毎年春、夏、冬と訪れていたが、それぞれ仕事をするようになってからは、母と私と妹のもとの家族だけということが多くなった。
 
父も母のいる横浜に時々来ては友達と会ったりもしていたので、それほど心配なこともなかったのである。
 
それが、少しずつ変わり始めた最初の出来事は、測量の仕事で、山に入った時にスズメバチの襲撃にあった事件だった。
藪の草を払いながら、歩いていた父は、運悪くスズメバチの巣の近くを通ったらしく逃げ遅れてかなり多く刺され、意識不明のまま救急車で病院に運ばれた。
 
普通なら死んでもおかしくない状態だったらしいが、奇跡的に意識を取り戻し、医師に
「次刺されたら命はありませんよ」と念押しされたらしい。
一日で退院しその後も仕事に行っていたが、一人暮らしを始めて10年も経った頃だったろうか?
畑で、何となく具合が悪いと思い家に帰ってきてもよくならないので、かかりつけの医院に車で訪れると、第一声、医師に「救急車で、総合病院に搬送します」と告げられた。
心筋梗塞であった。
 
もうこの時点で、普通じゃないと思えるのだが、心筋梗塞を起こして、自分で運転して病院に行った人の話など聞いたことがない。
 
どれだけ幸運に恵まれてるんだ。いや、悪運か? そう思った。
 
さすがにそのあとは、体のこともあって測量の仕事はやめ、暇になったのか、高齢者大学に時々出かけ、習字やら、俳句やら、しまいにはパソコンを習い始めたのには驚きだった。自分より年下の人たちの作品を取りまとめる役までしていたようだ。
 
いろんな人たちと、知り合い毎日を楽しく、暮らしている様子は、なんだか少しうらやましいような気さえしていた。
 
けれど、体の衰えは確実にやってくる。80を過ぎて、腰の具合が悪くなり、手術をすることになった。
 
私は、奈良から長野の山小屋まで、毎週夜行バスで、山小屋にいる母を買い物に連れていくのと、父のお見舞いに通うことになった。
車の運転をできるのが父意外に家族では私しかいなかったので、仕方なかった。
金曜の夜仕事が終わると慌てて娘を一人残し家を出た。翌朝到着したら、父の病院に寄り、駐車場に置いてある車で、母のいる山小屋へ行きその翌日の夜にまた病院の駐車場に車を置いて夜行バスで家に帰る。
よくそんなハードな生活を一か月も続けたなと自分でも感心する。
具合の悪い父を放っておけなかったのと、離れて暮らす親不孝を少しでも挽回したい自己満足でもあったのかなと思う。
 
退院して少し足を引きずるようになったものの、父は相変わらず、山小屋での一人暮らしを続けていた。車がないと生活できないので、高齢になっても、運転免許を返上するなど、全く考えてはいないようだった。
さすがに遠出は控えてもらうようになったけれど、私たちが行くときは、元気な様子を見せる父に私たちも危機感がなかったわけではないがすぐに何かしなければとも考えてはいなかったのだ。
 
 
しかし、コロナの流行で事態は一変した。
 
高齢者大学も感染予防のために行く機会が減り、私たちさえ全く会いにいけない状態が続き父は一人で過ごす時間がかなり増えたのだった。
2年半ぶりくらいにお盆を利用して、娘と一緒に長野の山小屋に行くことになり、母や、妹とも久しぶりの再会だった。
 
父は、元気そうであったが、少し様子が違っている感じがした。
腕に擦り傷があり、どうしたのかと聞くと、買い物に行って転んだという。
 
だいぶ足腰が弱ってしまったのかなと、その時は思っていた。
けれど、娘との会話が耳に入ってきたときになんだかおかしいなと胸の奥がざわざわした。
 
私たちが通ってきたインターの場所を娘に聞いているのが、その日3回目のことだったからだ。
 
90を過ぎて、一人の時間が多くなったことで、認知症が発症したのではないかと私は危惧した。
 
そういえば、来た時にやたら段ボールがたくさんあり、何が入っているのかとみると片づけをしていると言って捨てなくていいものが入っていたりしていたのを思い出した。
不安を抱えながら、休みが終わり帰路に着いたが、もそろそろ一人暮らしは無理なのかもしれないなと感じていた。
 
その不安をあおるように、帰って二週間ほどして、父が家の中で、転び起き上がれなくなったと母から連絡があった。
 
その時は救急車を呼ばなくていいと言われ何とか立ち上がったらしいが、夜中にトイレに起きて再び転び、母は救急車を呼ばざるを得なかった。
ところが、搬送先で、父に熱があり咳をしているということがわかり、レントゲンだけ取って異常なしということで、家に帰されてしまった。
週末だったので、妹が行くことになっていて、良かったのだが、その二日後くらいに今度は母が熱を出した。
なんかおかしいなと思いながら、二人とも二、三日で、熱が下がったため、妹もそのまま帰ったのだった。
その妹が、家に帰って発熱し、コロナだと診断され事態は急変した。
父が転んだときにこわれた家の修理の手配や、父の様子がおかしいので地域包括支援センターへの連絡など、妹がするはずのことができなくなってしまった。
おそらく父と母もコロナだったと疑われるので、外出もしばらくできず、私も行きたくても行けないという事態に陥った。
 
気持ちばかりが不安になり、遠くに住んでいることを後悔させた。
私は、必要なものを宅配便で、母たちに送るくらいしかできることがなかったからだ。
幸い父も母も体調は数日で、良くなったが、母も自宅に帰らなければならず、一か月足止めされ山小屋を後にした。
 
 
この件で、私たちは、父が山小屋に一人で暮らすことのリスクを考えざるを得なくなったのだ。
母は、月に一度様子を見に行っているようだが、父の暮らしは、前のように安心できるものではないようだ。流しの中にたくさん使って山積みになった食器や、いろいろなことを忘れてわからなくなることの不安、それは一緒に暮らしている家族がいれば今はまだ何とかできることなのかもしれない。
しかし、現実には父は一人暮らしなのである。
 
 
認知症になった高齢者には助けがいる。けれど、本人の意思も尊重されなければならない。
病院の診断も必要だろうし、地域の支援も必要だろう。
そういう手続きはひどく時間がかかり、なかなか進まない。
 
問題なのは、父はまだ正常な脳の働きのほうが多いというところなのである。
そんな段階では、自分が認知症だと、認めたくない気持ちが強い場合も多い。
父の頭の中には、白と黒の間のグレーな部分がほんの少し出てきたところなのだと思う。
 
周りの家族にすれば、そのグレーな部分はなかなか理解ができない厄介なことではあるのだが、父にとってはどうなのだろう? とふと思った。
 
今までと同じように行動ができる時は変わらない生活だろう。
ではグレーな部分が見え隠れするときは?
父にとってその時間は、今までとは違った新しい未知の世界に入り込んでいるだけで、特に困ることはないのかもしれない。
そこには、父の記憶の中にある昔の楽しかったことや、現実の不安とは切り離された自分だけの安心できる世界があるのかもしれないし、それは現実に引き戻されたときに違和感を感じるものであって、きっと私たちが感じるような不安や心配とは別の感覚なのかもしれないという気がする。
とはいっても、危険なことは避けなければならないし、このままというわけにはいかないことも事実である。
 
人間は、周りの人との触れ合いや繋がりが生きる力になるというのはよく言われることである。
歳を重ねるにつれて、人と触れ合う機会が減り、自分が誰かに必要とされているという意識が薄れてしまうとだんだん脳が活性化しなくなり、衰えてきてしまう。
 
肌に触れるということが心を元気にしてそれが脳を活性化して体も元気になる。認知症の予防や、症状の悪化を遅らせたりもすると言われている。
私の取った資格が、父の役に立つかもしれないという秘かな想いは間違いではなかったのかもしれない。
これから先父のグレーゾーンは少しずつ増えていくのかもしれないなと思う。
それがどんな風に、何が起こるのかさえ私たちにはまだわからない。
けれど、父のグレーゾーンは、私たちが白か黒かと決めている境界線を越えてもっと自由な優しい感情をたくさん秘めているのではないかとも思う。
 
白か黒かはっきりしないといけない世界は、少し息苦しく感じることが私たちにもあることを想えば、何となく理解できるような気がするのである。
 
また久しぶりに父のところへ行って父が喜ぶ笑顔を見るためにマッサージをしてあげたいなと思う。
 
きっと、父は昔よりももっと柔らかな笑顔で私たちを迎えてくれるに違いないから。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
飯髙裕子

ライティングゼミを経て、ライターズ倶楽部に参加中。
ビューティータッチセラピーの資格を取得し高齢者の自立した健康生活の支援を目指す。
更年期世代の安心して食べられるスイーツレシピを研究中。

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2023-03-15 | Posted in 週刊READING LIFE vol.209

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