週刊READING LIFE vol.209

彼が私の知らないところで教え子と繋がっていた日《週刊READING LIFE Vol.209 白と黒のあいだ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/3/20/公開
記事:牧 奈穂 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
私はアルコールに弱い。
夜、チーズを食べていたら赤ワインが無性に飲みたくなって、グラスにワインを注いだ。仕事の疲れとアルコールが混ざり合い、すぐに酔ってしまっていつしか眠りについてしまったようだ。たくさん飲んだつもりもないが、酔いが相当まわってしまう。いつもなら寝ればスッキリするはずが、二日酔いになってしまった。
早朝に目が覚めると、頭痛がする。気分も悪い。頭がガンガンする中で、眠ることもできず、横になりながらInstagramを見ていた。最近、付き合いだした彼は、どんな人をフォローしているのだろう? 何気なくスクロールしていくと、見慣れた名前が出てきた。
それは、私が初めて卒業させた教え子だった。駆け出しの講師である私にとって、9歳違いの彼女は妹のような存在だ。
まさか、彼の恋人だったのだろうか? 頭をよぎった瞬間、余計に目が覚める。元カノが教え子だなんて、ちょっと複雑な心境になりそうだ。恐る恐るLINEで彼に問いかけると、しばらくしてから返事がやってきた。
「仕事の関係で、取材をした時に出会った人ですよ。高校の後輩だったみたいで……」
ただの仕事の関係なのに、互いがInstagramをフォローする? と疑問には思ったが、彼は嘘をつかない人だ。大丈夫だろう……久しぶりに彼女に連絡してみよう。彼女へのメッセージを書き始めた。
 
彼女から、久しぶりに連絡がきたのは、2年前のことだ。しばらくぶりの彼女からのメッセージには、結婚の報告が告げられていた。おめでとう! という私に向かって、明るく彼女は問いかけた。
「先生、夫婦円満のコツを教えてください!」
「おめでたい話に水を差すようで悪いから黙っていたど……実は離婚したの」
私は彼女に正直に告げた。
あれ以来、彼女とは連絡を取っていなかったから、久しぶりに連絡がしたくなった。彼のことも伝えてみよう。彼女は、彼を覚えているだろうか?
 
LINEをすると、彼女は彼をよく覚えていて、取材で出会ったことを説明してくれた。彼を疑っていたわけではなかったが、ホッとしながら互いの近況報告をする。
「先生、私は今年40歳になるのですが、赤ちゃんができたんです。不妊治療も少ししていたから、身体を大事にしながら過ごしています。夏に赤ちゃんが生まれる予定です」
幸せな話は、周りの人までを幸せにする。それなのに、なぜか心がチクリとする。理由を考えていると、自分自身の心の底にあった気持ちに気づく。私は好きな人との子供が授かりたかったのだ。でも、出会う時期が遅すぎて、それは叶うことはなかった。
 
私は、3年前に、ある人とお別れをした。
その人が私との付き合いをどう考えていたかは、分からない。ただの遊びだったのか、何かを隠していたのか、真実を知るのは彼のみだ。ある日、別れは突然やってきた。まるで出会った瞬間から、私自身も早い別れを予期していたかのようだ。磁石のように強力に彼は私を惹きつけた。思いが強すぎて、苦しいくらい会いたくてたまらなかった。「燃えるような思い」とはこういう時に使うのだろう。
当時、私は45歳。離婚をしたいともがいてはいたが、すぐには動けないとも思っていた。息子の生活を大事にしたかったからだ。だから、ただ彼と会えればいい。多くを期待してはいけない、よくない関係だったかもしれない。それでも、そこには私なりの「真実」があった。
彼を好きになるにつれ、彼の子が産めたらどんなに幸せだろう? そう思うようになった。初めての感情だったのを覚えている。結婚している人なら、本当は誰しもが思うのかもしれない。だが、私は我が子が欲しいとは思っても、元夫の子供が欲しいと思ったことはなかった。好きな人との子が欲しいという、心の底から自然に湧き起こる気持ちをどう扱っていいのか分からない。現実に不可能だと思うと、心が締め付けられる思いがする。もう私は、彼の子を産むことはできない年齢だ。もっと早く出会えていたら……
彼と子育てができたら、どんな生活が待っているだろう? そんなことを頭に思い描くたびに、胸が締め付けられた。きっと、彼も自分の子供が欲しかったのだろう。突然、彼は別な人と結婚すると言い始めた。私には、引き止める権利もない。独身の彼を自由にしてあげることが、彼に対する唯一の優しさだろう。だから、自分の気持ちを押し殺し、彼のもとを去る道を選んだ。
強く惹かれた相手だからこそ、そう簡単には忘れられず、彼のFacebookを毎日のように見ている日々が続いた。やめよう、やめよう……何度となく思いながらもそれができない。自分自身の世界から、完全に彼を排除できなかった。彼に、娘ができて子育ての話を書いている記事を読んだ時、胸が苦しくなったことを思い出す。心の底から幸せを喜んであげるほど、私は人間ができていなかった。現実的に叶わぬことだから仕方がないと分かりつつ、心が追いつかない。
 
彼と別れてからは、私の身体にも変化が起きた。生理不順がひどくなったのだ。まだ閉経になるほどの歳ではないのに、もう私自身が女性でいることを諦めてしまったかのように見える。きっと、心と身体はつながっているのだろう。そのまま、私には生理が来なくなっていった。女性でないと言われているようで、複雑な気持ちになる。
私は、いつも月に一度、体のリズムに合わせて心が乱れることが多かった。異様に眠かったり、イライラしたりする。だから、仕事をしている時にいつも苦労した。そんな煩わしかった体の変化が来ないですむことは、とても楽なことでもある。だが、そう思う前に、女性でなくなってしまったような寂しい気持ちがしたのは、人生でやり残したことがあったからかもしれない。
 
教え子とLINEをしながら、ふと数年前の感情がよみがえってきた。
過去なのに、それでも苦しい。
人は、人生の中で、叶えられないことに直面した時、どう受け入れればよいのだろう? 仕方がないと諦めながら自分の人生を歩むことが、生きるということなのだろうか。
モヤモヤした気持ちで、今付き合っている彼に尋ねてみた。
「私よりもっと若い人とお付き合いしたら、お子さんを授かれるかもしれないですよ。ご自分のお子さんが欲しくはないのですか?」
自分が無力に感じる。
私の質問に、彼は穏やかに答え始めた。
「もう僕の今の歳で、子供が欲しいとは思わないですよ。子供がいる生活も幸せかもしれないけれど、子供がいない生活が不幸せとは限らない。どちらも経験するわけにはいかないし、どちらにもきっと幸せがあるはずです。だから、僕はもう子供はいいと思っている。子供のいない生活の中で、人生を最大限に楽しめばいいのではないかと思うのです」
 
結婚は幸せ、離婚は不幸せ……人生は、そんなに簡単に白黒をつけられるものではない。長い人生が、白一色、黒一色ということもないだろう。誰の人生の中にも、望みを叶えた経験もあれば、叶えられなかった経験もある。望みを叶えられなかった時、人は何を思えばいいのだろう? 二度とできないことに直面した時、何を思えばいいのだろう?
 
彼が語った言葉で、心に残ったものがある。
「僕は、過去にうまくいかなかった恋愛がいくつかあります。結婚を考えた女性とうまくいかなくなった時、辛くて8キロくらい痩せました。だから、女性不信になっている面もあります。物事をネガティブな面から見て、常に相手を疑いながら生きれば、もしも裏切られた時に、痛みが最小限かもしれない。逆に、相手を100パーセント信じていたら、裏切られた時の落差はありすぎて苦しいでしょう。それでも僕は、痛みが大きくても、100パーセント信じる道の方がずっと幸せな気がします」
 
どんなに嘆いても、叶えたかった望みが叶うわけではない。それならば、叶わなかった現実を丸ごと受け入れて、今できることにフォーカスしていけばいい。喜びと悲しみの間を行ったり来たりしながら、人は自分の人生を受け入れることを学ぶものなのだろう。起こることの全てが受け入れられるわけではなくても、もがきながらも受け入れようとする、それが生きるということなのかもしれない。
痛い過去を思い出し、気持ちが沈む私に、彼は温かい言葉をかけてくれた。
「くれぐれも無理はしないで下さいね。昔付き合った人を思い出すこともあるでしょう。そして、僕に後ろめたさや罪悪感を感じたりするかもしれないでしょう。心の傷が甦ったりしてしまうこともあるかもしれない。でも、みんな同じですよ。きっと立ち直ります。立ち止まって後ろを振り返ったとしても、また前を向いて歩きだします。
だから、僕は、少し前を歩いて奈穂さんが後ろを向いて離れそうになったら、声をかけて振り向かせ、再び歩き出せるような存在でありたいと思います」
 
ネガティブ思考の私が、ポジティブ思考の彼と出会い、少しずつではあるが変わりつつある。一度しかない人生だから、ないものを数え続けるのではなく、今あるものを一つずつ数えていきたい。そして、叶えられなかった思いに執着せず、今、目の前にいる彼との時間を生きてみたい。これからも、人生は、真っ白でもなければ、真っ黒でもない。その両方を持ち得ているからこそ、豊かなものになるのだ。大きな苦しみを知っている人は、きっと大きな喜びを感じることができるだろう。
喜びと苦しみの間を行き来しながら、自分に与えられた場所で、自分なりの生き方をしていけばいい。教え子の幸せな姿から、ふと自分自身を見つめ直した時間だった。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
牧 奈穂(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

茨城県出身。
大学でアメリカ文学を専攻する。卒業後、英会話スクール講師、大学受験予備校講師、塾講師をしながら、26年、英語教育に携わっている。一人息子の成長をブログに綴る中で、ライティングに興味を持ち始める。2021年12月開講のライティング・ゼミ、2022年4月開講のライティング・ゼミNEO、10月開講のライターズ倶楽部を受講。

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2023-03-15 | Posted in 週刊READING LIFE vol.209

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