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週刊READING LIFE vol.209

逆差別せず、間に立つことが出来る人間に、私は為りたい《週刊READING LIFE Vol.209 白と黒のあいだ》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/3/20/公開
記事:山田THX将治(天狼院ライターズ倶楽部 READING LIFE公認ライター)
 
 
2019年9月6日。或るラグビー選手の訃報が流れた。
丁度その時、ラグビー・ワールドカップが日本で開催されようとしていた時だ。
 
私は、半世紀以上前の記憶に始まり、色々な想い出を巡らせていた。
 
 
21世紀を生きる現代の日本人は、ほんの4・50年前、自分達に付けられていた良からぬ渾名(あだな)を御存知だろうか。日本社会が、高度成長を謳歌していた頃の話だ。
日本人に付けられた有名なニックネームは『エコノミック・アニマル』というものだ。但しこれは、右肩上がりに経済を成長させる日本に対し、欧米の先進国が驚異の眼差しで付けたものだ。
“アニマル”の単語には、“JAP”に似たニュアンスが有り、心地良いものではないが、
「お前ら、凄いな」
と、上目遣いから来るもので有るので、一概には悪いばかりではなかろう。
何しろ、大戦の敗戦国でありながら、驚異的な経済復興を日本は遂げていたのだから。
 
『エコノミック・アニマル』とは別に、日本人に対し陰で囁かれていた渾名が有る。
それは、『バナナ』というものだ。
『バナナ』とは、黄色い皮を(簡単に)剥くと白い実が出て来る。本来、有色人種である黄色人種の日本人が、平気で白人と同じ様な行動を取っているという比喩だ。
勿論、日本は明治維新以来、有色人種の国家で唯一先進国に為り得た国だ。これは、先達の功績で、誇るに異論は無い。但し、自らのアイデンティティを忘れた事にも他ならないと思ってしまう。
 
何故なら、その数年後、アフリカの駐日大使が、テレビのインタビューで、
「日本は唯一の有色人による先進国家だ。我々有色人の誇りだ。もっと、我々の先頭に立って誘導してもらいたい」
と、いうものだった。
大使の言葉の裏には、有色人種の国としての誇りを取り戻せと言っている様だった。
学生だった私は、身が引き締まる思いと共に、一抹の寂しい気持ちに為ったものだった。
 
 
私が初めて、人種という概念を認識したのは、今から59年も前のことだ。
1964年、前回の東京オリンピックをテレビで観て、活躍する黒人選手を目の当たりにした時だ。
特に、陸上男子100mで金メダルを獲得した、アメリカのボブ・ヘイズ選手(勿論、黒人)を観て興奮したことを昨日のことの様に記憶している。
何故なら、
「このお兄ちゃん、速くて・大きくて凄い!」
と、興奮していた当時5歳の私を、どこか嫌そうな目で親が見ていた思い出が有るからだ。
私の親は、俗に言う昭和一桁世代。戦前派だ。
戦前派の特徴として、アジアやアフリカの人達を、意味なく嫌っていることだ。特に黒人は、その肌の色に異質感が有るからか、極端に嫌っている様に感じられたのだ。
 
一方、私は、ボブ・ヘイズ選手を知った後、次に出逢った黒人アスリートが、ボクシング世界ヘビー級チャンピオンのモハメッド・アリ選手(当時は、カシアス・クレイ)という幸運を得ていた。
何が幸運かというと、ヘイズ選手とアリ選手によって、
『黒人アスリート=強くて恰好良いい』
と、頭の中で公式が出来たからだ。
しかも、モハメッド・アリ選手とは、誕生日が同じという幸運にも恵まれて、余計に肩入れする様に為っていた。
 
 
1970年代後半に為り、MLB(メジャーリーグ)に傾倒した私は、多くの黒人メジャーリーガーを知ることと為る。その時代から、MLBでは、特に黒人選手を特別視する様子はなかった。
しかし、白人選手の中には、同じ白人選手が生還(得点)すると、しっかり握手するのに、黒人選手が帰ってきた際には‘パチン’と音を立ててタッチするものの、決して握手しようとはしない行為が気に為った。
現代の野球界では、ハイタッチやグータッチで同僚を迎えるのが恒例と為っている。ところがその発祥を見聞きしている私は、人種偏見の一部に思えて仕舞うので、快くは受け取れないで居る。
ま、この3年間は、密や濃厚接触を避ける為でもあるので仕方が無いが。
 
反対に、MLBでは最近は、“黒人選手初”や“黒人選手最高”といった表現を見ることはない。それだけ黒人選手がチームに溶け込み、特別視されることはなく為った証明でも有る。
今でも、“日本人選手初”や“日本人選手最高”の表現が残っていることから、黒人選手が主流と為ったことは解かる。
 
これは、映画『42』(2013年公開)でも描かれている通り、ブルックリン(当時、現・LA)ドジャースに“史上初”の黒人選手として、ジャッキー・ロビンソン選手が出場したことに始まっている。時は、1947年。対戦が終了してわずか2年と経たない時だった。
もう70年以上も前からのことなので、黒人選手を取り立てて話題にすること等無いのはもっともなことだ。
もし今でも、“黒人選手初”等と声高に言おうものなら‘逆差別’と取られてしまうことだろう。
 
それ程までに、MLBでは黒人選手が特別視されてはいないのだ。
バラク・H・オバマ氏が、『史上初の黒人アメリカ大統領』と言われ続けるのとは反対に。
 
 
黒人の選手が、白人選手団に招かれることで“逆差別”的な扱いを受けた例が有る。
2019年9月6日に逝去した、チェスター・ウイリアムズという南アフリカ共和国のラグビー選手だ。
 
御存知の通り、南アフリカ共和国では“アパルトヘイト”という人種隔離政策が、何と、1994年迄採られていた。
黒人世界からの反発は厳しく、1994年迄は南アフリカ共和国が、スポーツの国際試合に出場が許されなかった程だ。それだけでなく、南アフリカ共和国と交流試合を行っただけで、対戦相手がアフリカ系の国から試合を拒否されたりする例が相次いでいた。
 
“アパルトヘイト”が激しい人種隔離政策だったので、当然の結果だったのだ。
 
 
南アフリカ共和国は、元々英連邦国家だったので、強いラグビーのナショナルチームが在った。ラグビーの強豪国は、選手個人の意向という形でチームを送り込み、交流試合を行っていた。
 
事情が違っていたのは、南アフリカ共和国でラグビーといえば、マイノリティである白人限定のスポーツと認識されていたことだ。
 
 
そんな南アフリカ共和国でも、1994年に全人種による普通選挙(それ迄は、黒人に選挙投票権が無かった)が行われ、黒人の人権運動家として有名なネルソン・マンデラ氏が、大統領に選出された。
南アフリカ共和国でもやっと、黒人の社会進出が進んだ。それも、一気に。
 
同国ラグビー界では1995年に、第三回のラグビー・ワールドカップを開催することが決まった。同国では、国民一致団結を国際的に印象付ける為、本来白人選手ばかりのナショナルチームに、黒人の有力選手チェスター・ウイリアムズ選手を、黒人でただ一人選出した。
 
地球の反対側で有り、自らが有色人種である認識が薄い日本では、特別取り立てたニュースには為らなかった。
しかし、南アフリカ共和国では、国を挙げての問題とされてしまった。とくに、同国の黒人社会では。
何故なら、これまで差別を受け続けた黒人選手が、何故に白人の中に入ってプレーしなければ為らないのかといった意見からだ。
無理も無いことだ。これまで長い間、同国の黒人は、差別と偏見によって迫害され続けていたのだから。
 
 
1995年のラグビー・ワールドカップでは、地元の南アフリカ共和国が、不利との下馬評を覆し、ラグビー強国ニュージーランドを破って、見事に初出場・初優勝を果たした。
決勝戦は、延長戦にもつれ込み、15対12の接戦で決着した。両チーム、ノートライの熱戦だった。
注目のチェスター・ウイリアムズ選手も、5トライの活躍を見せた。
 
私はテレビの前で、優勝を喜び合う南アフリカ共和国の選手達を観て、そして、輪の中に居るチェスター・ウイリアムズ選手を観付けて、
「これは、終わりではなく始まりだな」
と、思った。
更に、
「これからも、南アフリカ共和国チームを見守っていこう」
と、心に誓った。
 
 
南アフリカ共和国のラグビーナショナルチームは、その後も躍進を続け2019年、日本開催のラグビー・ワールドカップでも優勝を勝ち取った(三度目)。
 
 
1995年、同国初の代表と為った黒人選手のチェスター・ウイリアムズ氏は、母国の史上最多優勝と為る大会を前にして天に召された。享年、49。
多分、南アフリカ共和国の選手達は、同国初の黒人選手の弔い合戦としてプレイしたのだろう。
その強さは、神憑っていた。
 
 
チェスター・ウイリアムズ氏は引退後、ビール製造の事業を起こし大成功していた。
氏は今でも、故ネルソン・マンデラ大統領と共に英雄として国民の記憶に残っているらしい。
 
私は、南アフリカ共和国公使館で行われた、チェスター・ウイリアムズ氏の御別れの会でそのことを知った。
 
 
そしてこれからは、チェスター・ウイリアムズ氏のことを語り継ごうと心に決めた。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
山田THX将治(天狼院ライターズ倶楽部所属 READING LIFE公認ライター)


1959年、東京生まれ東京育ち 食品会社代表取締役
幼少の頃からの映画狂 現在までの映画観賞本数15,000余
映画解説者・淀川長治師が創設した「東京映画友の会」の事務局を40年にわたり務め続けている 自称、淀川最後の直弟子 『映画感想芸人』を名乗る
これまで、雑誌やTVに映画紹介記事を寄稿
ミドルネーム「THX」は、ジョージ・ルーカス(『スター・ウォーズ』)監督の処女作『THX-1138』からきている
本格的ライティングは、天狼院に通いだしてから学ぶ いわば、「50の手習い」
映画の他に、海外スポーツ・車・ファッションに一家言あり
Web READING LIFEで、前回の東京オリンピックの想い出を伝えて好評を頂いた『2020に伝えたい1964』を連載
加えて同Webに、本業である麺と小麦に関する薀蓄(うんちく)を落語仕立てにした『こな落語』を連載する
天狼院メディアグランプリ38th~41stSeason四連覇達成 46stSeasonChampion

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2023-03-15 | Posted in 週刊READING LIFE vol.209

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