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週刊READING LIFE vol.210

いちばん話をしたかった時に、彼が私を突き放した理由とは《週刊READING LIFE Vol.210》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/3/27/公開
記事:牧 奈穂 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
私は、塾講師をしているシングルマザーだ。
息子は高校1年生。子離れを意識する日々を過ごしている。寂しさを感じながら、私はパートナーを探し始め、よい出会いがあった。マッチングアプリで知り合った彼は、2歳年上の新聞記者だ。40代、50代の私たちは、いくつかの別れの痛みを知っている。だからこそ、お互いを思いやり穏やかな日々を過ごしていたが、そんな私たちにもすれ違いが起きた。
 
ある日、いつものように私は授業前に休憩をしていた。早めの夕飯を食べながら、LINEに登録したニュースを眺める。その中に、地元高校からの東大の合格者数が書かれた記事があった。そこには、息子が通う高校の名前もある。進路指導の先生の言葉が目に留まった。
「塾より学校に軸をおく生徒たちが合格していました」
先生の発言には、塾に行かないほうがいいという意味が込められている気がした。きっと学校の先生の授業が一番だと言いたいのだろう。その記事を読んでカッとなった。
記者にも怒りがわく。これを書いた記者は、塾関係者の立場を考えなかったのだろうか。生徒の発言ならばいい。先生の偏った発言をそのまま書く記事に心が痛い。
私は彼にすぐLINEを送った。その記事は、彼が働く新聞社のネットニュースだからだ。
「今日の記事読みましたか? 事実と違う偏った取材は、塾には迷惑です。それを取材者にお伝えいただきたいです。新しい生徒を募集している時に、失礼です……」
彼に話をすると、すぐに返事がやってきた。
「該当箇所の削除を求めましたが、聞いてくれるかは分かりません。申し訳ありません」
彼が落ち着いた言葉でLINEをしてくる。その感情のギャップが、さらに私を複雑な気持ちにさせた。
 
夜遅く、彼から丁寧な謝罪メッセージをもらった。
「僕からでは意味がないと分かっていますが、社の人間としてお詫びします。塾講師として頑張っている奈穂さんを知っている分、塾関係者の皆さんに申し訳ない気持ちです」
彼は間違ったことは全く言っていない。それでも、彼の矛盾のないメッセージが私自身の心の揺れとは対照的だ。彼のせいではない。そう分かってはいるが、彼が落ち着いた言葉で返してくるほど、イライラが増していった。
私の語気がさらに強くなり、彼に向かって怒りをぶつけた。
「もう謝らなくていいです。どんなに謝られても、取材した方を絶対許しませんし、忘れませんので……もう、Kさんのところのネットニュースは読みません。ブロックし削除しました。記事が信じられませんので」
火に油を注ぐかのように、怒りが止まらなくなっていった。
 
次の日は、彼と会う約束をしていた。
会いたいような会いたくないような、複雑な心境だ。すると、私以上に彼が会いたくなかったのだろう。
「今日は、少し一人で過ごしたいと思います。ちょっとお会いできる心の状態ではありません。よく寝ていないので、運転も危ないです。14時にコーヒーショップで待ち合わせをしましょう。ご理解下さい」
深夜に送ってきたその文面を見て、心がざわざわした。いつも車で迎えに来てくれるのに、心の距離を感じる。これで、喧嘩別れになるのだろうか? そう思うと、もはや何に心を痛めているのかさえ分からなくなる。怒らなければよかったような後悔さえ感じる。
「Kさんは、以前、いざという時きちんと話し合おうと言っていたのに、一人でいたいと言うのですね。残念です。そのことのほうが、記事のこと以上に心が痛いです」
彼に思いのままをメッセージで伝えた。
 
その後、彼からの長いLINEがやってきた。
記事の件で何度かやりとりし、私の元夫の話なども飛び出したことから、彼にも思うことがあったようだ。彼は自分自身の心を落ち着けてから、話し合いたかったのだろう。ネガティブな感情からは、ネガティブなものしか生まれない。LINEで伝えようとすればするほど、繊細に動く心が置き去りにされ、負のスパイラルに陥ってしまう。彼の気持ちが少し分かったところで、私は気持ちを落ち着けてLINEをした。
 
「不快な思いをさせてしまい、すみませんでした。私は、いつも人とメッセージを交わし合ううちに、トラブルになってしまいます。
他人は、所詮他人、分かり合えないのでしょう。男女となれば、なおさらです」
 
人は、本当には分かり合えない。
これは、卒論のために選んだ本の結論として、私が学生の頃に書いたことだ。それでも分かり合いたくて、Kさんに出会えた。Kさんとなら分かり合えると信じていたのに、私が信じて何でも話したことで、逆に傷つけてしまったようだ。でも、どんなに酷いことを言われてもいいから、私は会って話がしたかった。感情をぶつけ合えないなら、一緒にいる意味があるのだろうか? どんなことでも話そうと言ったのに、彼は冷静になってからしか私には会いたくないようだ。
 
「悲しいので、海が見たくなりました。結局、辛い時は、一人で頑張らねばならないのでしょう。14時に大人の会話が楽しめるよう、海に行ってきます」
 
前の晩、イライラ気味に飲んだワインが、よくなかったようだ。頭が痛くて、気分が悪い。海に行こうと準備をしたが、力が出ない。予定を変えて、待ち合わせのコーヒーショップに早めに行くことにした。
コーヒーとシナモンロールを注文し、窓の外をただ眺めていた。何に対して今悲しく思っているのだろう? 仕事は私のアイデンティティーでもある。その仕事をバカにされた気持ちになっているからだろうか? 息子の学校の先生に失望したからだろうか? 彼と分かり合えなかったからだろうか?
シナモンロールを口に入れる。パサパサして味がしない。
窓の外を眺めていたのに、彼の車が入ってきたことにさえ気づかなかったようだ。
 
「海に行かなかったの?」
彼が、コーヒーを持って私の目の前にやってきた。
いつもと同じ優しい声に頷いたとたん、涙で目の前が見えなくなる。冷静に話そう……そう思うが、理由も分からず涙が出て話ができない。周りからは、別れ話をし始めた二人にしか見えなかっただろう。
「車に行って話そうか?」
彼に言われ、コーヒーショップを後にした。
 
車に行くと、缶コーヒーが2本置かれてあった。
「海に行くって言っていたから、海で待っていたんだよ。LINEを読んで、もっと早く話をしたほうがいいと思ってね。色々な場所を探したんだけど、見つからなくて戻ってきたんだ」
彼は、照れ笑いをする。ドラマのように、現実はうまく行かないものだ。私の二日酔いがなければ海で会えていただろう。私は、そんな素敵な女性になりきれない。
彼と車の中でゆっくり話をした。私がブロックしたネットニュースには、彼の記事も出ているようだ。新聞記者としてプロ意識を持って働く彼からすれば、私は知らぬ間に彼の仕事を侮辱したことにもなる。私自身も、息子の高校の先生からされたことをしていたわけだ。
 
人は、話し合わなければ分からないものだ。でも、激しい感情をぶつけ合うことは、話し合いとは言わないのかもしれない。きっと、過去の私は、話し合いではなく、相手に怒りをたくさんぶつけていたのだろう。落ち着いた話し合いが足りずに終わった関係がたくさんあったのではないか? 話し合っていたつもりが、負の感情を投げつけるだけで、分かり合えないと嘆いていたのではないか? そんな気持ちにさえなってきた。
 
「ひどいことを言って傷つけてしまい、ごめんなさい」
彼に謝り頭を下げた。謝ることが、かつての結婚生活ではできなかったことを思い出す。
「いいんだよ。でも、これで僕の弱点を一つ見せちゃったな。話し合うのはいい。でも、僕は言い争いは嫌いなんだ。感情的に言い合うと、どんどん強い言葉を投げつけ合ってしまう。そうすると、傷つけ合い、心をえぐってしまって取り返しがつかなくなる」
いつもの空気に戻すかのように、彼は私に言った。
「海に行きたかったのでしょう? 今から行こうよ」
 
夕方前の海は、まだ暖かかった。車を降り、二人で波打ち際まで歩く。砂の感触が気持ちいい。広い浜辺を歩いていると、心が開放的になる。潮の香りがして、波の音が心地いい。海岸には家族連れがいて、子供たちの楽しそうな声が聞こえてきた。
「あぁ、この場所だったよ。僕が初めて女の子とデートをした場所だ」
高校生のカップルが手をつながずに歩いているのを見て、彼は思い出したのだろう。
「海に来たのだから、手をつなげばいいのにね」
「あの子たちは、初デートなのかしら?」
若いカップルを見ながら、しばらく波の音を聞いていた。
「お腹が空いたから、何か食べに行こうか?」
 
ランチでもディナーでもない時間だが、ホッとしたらお腹が空いていることに気づいた。フルーツがたくさんのパンケーキを注文する。
たくさんトッピングされたフルーツを口に入れると、甘くてホッと心が緩む。味覚は、心が整わないと感じないものなのだろう。甘さが心に染みてくると、また涙が出た。
「当たり前は、当たり前ではないんだよね」
彼が、いつもの優しい眼差しで私の涙を見ながら言った。
彼と二人で過ごす時間は、当たり前のようで当たり前ではない。
 
誰かと付き合いを始めたら、最初は何もかもが輝いて見える。真新しくて、毎日が新鮮だ。その繰り返しの中で、次第にお互いが存在していて当たり前に思えてくる。当たり前になると、そこに感謝が生まれにくくなる。
若くはない私たちは、それが分かるからこそ、言葉でお互いに感謝の言葉を伝え合ってきた。でも実際は、心が伴っていなかったのかもしれない。
彼を通して、私はこれまでの人生で、人への理解が足りなかったことを感じた。男女を問わず、自分だけの物の見方で感情的になり、人間関係を失ってきたかもしれない。相手の立場を理解できるよう、心を落ち着けてから話し合っていただろうか? 今までは言い合いになっていただけかもしれない。
いちばん話したかった瞬間に、彼に突き放された気がしたが、感情が高まる時は一人になることの良さを教えられた気がする。感情をぶつけ合えないのではなく、相手を思ってぶつけないのだ。
二人で一歩階段を上れたような濃い時間となった。
「人は、本当には分かり合えない」
その言葉が、彼を通していつか否定できる日が来るといい。
 
彼と一緒に食べた、この日の甘いパンケーキの味を、私はずっと忘れないだろう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
牧 奈穂(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

茨城県出身。
大学でアメリカ文学を専攻する。卒業後、英会話スクール講師、大学受験予備校講師、塾講師をしながら、26年、英語教育に携わっている。一人息子の成長をブログに綴る中で、ライティングに興味を持ち始める。2021年12月開講のライティング・ゼミ、2022年4月開講のライティング・ゼミNEO、10月開講のライターズ倶楽部を受講。

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2023-03-22 | Posted in 週刊READING LIFE vol.210

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