週刊READING LIFE vol.210

誰よりも臆病で見栄っ張りの自分へ、現代アートからのメッセージ《週刊READING LIFE Vol.210》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/3/27/公開
記事:杉村五帆(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「これ、上手く書こうと思って書いたでしょう」
 
私はドキッとした。通っている書道教室で、いつものように先生に仕上げた文字を添削してもらっているときのことだった。
 
「見抜かれた……」
 
体の芯から恥ずかしさが湧いてきて、あっという間に足の先から頭のてっぺんまで満たしていった。
 
その日、私の机のまわりは、課題の文字を書き散らした半紙で山ができていた。どうしても「これだ」という文字が書けないのだ。ここで学び始めて今年で4年になり、これまでスムーズに昇級し、上達してきた。しかし、半紙に真剣に向かえば向かうほど、「これでは昇級できない」と一筆目から思うような文字しか書けなくなった。こんなスランプは初めてだ。
 
これまで下手な字がうまくなっていくのは楽しくて仕方なかった。さらに先生がほめ上手なので、無心でのびのびと筆を動かすことができていた。
 
しかし、昨年の冬に昇級が止まってしまった。昇級は、書道教室が発刊している機関紙で発表される。同じクラスの他のメンバーの名前は載っているのに、いつも私の名前だけがない。
 
そんな状態だったから、焦りが生まれて家でもやみくもに練習するようになった。しかし、次の月もその次も昇級者のなかに私の名前はなかった。
 
「なぜ認めてもらえないの? お手本をしっかり見ていなかったからじゃない?」と自分なりに結論を出した。
 
それでだんだん「もっともっとお手本そっくりに書かなければ……」という焦りが、このところの自分を縛り付けていた。跳ねや留めを少しでも自分流にしてはならないと思うと怖くて筆が動かなくなっていた。
 
そんなときに先生に指摘されたのだ。
 
「こんなに縮こまって。あなたらしくないわ。前はもっと自由だったじゃない?」
 
「え? わかります?」
 
「書道はね、一瞬でも『上手く書こう』と思ったらおしまいよ」
 
私は、ガーンと頭を殴られたように感じた。
 
確かにそうだ。「上手くやろう」と思うときに限って面接もプレゼンもガチガチに緊張して失敗するパターンが多いことを思い出したのだ。
 
生き方もそうだった。「ほんとうはこうしたいけど、きっとおかしな人と思われるだろうな」「失敗したら笑われるだろうな」と挑戦せずに、「常識にのっとった、平均的または平均より少し上のちゃんとした人」を目指して自分なりに道を選んだり、演じ続けてきた。
 
だから、やりたかったけど人目を気にしてやらなかったことがたくさんあって、後悔することも多くある。
 
教室での先生の一言は、「書道」についての指摘ではあったが、私には自分の人生との向き合い方についての気づきのように聞こえた。
 
書道も生き方も節目に来ているのかもしれない。
 
しかし、どうすればいいのだろうか?
 
そんなとき、たまたま友人がSNSに草間彌生さんの代表作である水玉の《南瓜》をアップしていた。
 
草間さんは、1929年生まれの94歳のアーティスト。一般常識と照らし合わせれば、引退してもおかしくない年齢だ。それなのに「南瓜」とは! それも「水玉」!
 
なんてユニークな人なのだろう。彼女は、今日まで「これをやったら誰かに笑われるのではないか」について問題として取り上げてこなかったに違いない。
 
いや、人間だからきっと一瞬でもよぎることはあっただろうが、そんなことは頭から追い払って徹底して水玉の南瓜を探求し続けた。そして今、《南瓜》は世界中の人に愛される作品となった。
 
「そうだ、直島へ行こう」
 
直島には、草間彌生さんの野外彫刻の黄色い《南瓜》がある。私は矢も楯もたまらなくなり、仕事を調整して飛行機のチケットを手配した。
 
直島は、岡山県と香川県に間にあり、ベネッセホールディングス(旧・福武書店)が運営する「アートの島」として有名だ。住民が3,000人の小さな離島へ国内外から観光客が集まってくる。
 
古くは製塩業や海運業、大正時代以降は銅の精錬所を中心に発展したというこの島が、現在のように魅力的な旅先となるまでは長い紆余曲折があった。
 
島が観光に力を入れ始めたのは、1960年代。藤田観光によってキャンプ場がオープンしたのが最初だったが、石油ショック後は業績が低迷し撤退した。
 
その後に島を文化的な場所にしたいという町長と福武書店の創業者との間で意向が一致し、1987年に同社によって土地が購入された。1989年に研修所・キャンプ場がオープン。1992年にホテル・美術館の「ベネッセハウス」建設へと拡大していった。
 
当初は、町民の関心は薄く、観光ロケーションとして話題にのぼることは少なかったが、島全体を使った現代美術展や無人の古民家を買い上げて再生し展示場とする家プロジェクトなどを重ねることで、徐々に活動が住民の理解を得られるようになったという。
 
地中美術館、李禹煥美術館が開館し、1990年には1万人だった観光客数が、2019年には75万人を数えた(直島観光協会調べ)。
 
過疎の島が、建築や現代アートによって地域の魅力を最大限に引き出されることを意味する言葉として「直島メソッド」という単語が存在していることを今回初めて知った。
 
プロジェクトがスタートしてから今年で36年。「信じて続けること」の大切さを学ぶようなエピソードである。
 
さて、直島へのアクセスだが、岡山空港からだと空港バスで岡山駅へ出て、電車かバスで港へ移動し、フェリーに乗る。乗り継ぎもあるから3時間近くみたほうがよい。
 
一方、高松空港からは空港バスで高松駅まで移動したあとは、徒歩5分のところに港があるため、すぐにフェリーに乗ることができる。到着まで2時間半くらいだろうか。四国から行く方が時間の予測がしやすいと感じた。
 
島内は、レンタサイクルがあり、町営バスは一回100円で利用できる。私は、バスと徒歩でまわった。
 
最後のバス停でバスを降りると《南瓜》は、すぐに見えてきた。海に突き出した古い桟橋に黄色い物体があるのが遠目からわかった。
 
この作品が島で初めて公開されたのは、1994年。「”Out of Bounds” ―海景の中の現代美術展―」と題された展覧会の出品作品だったという。
 
つまり、《南瓜》は30年ちかく、ここにたたずんでいるのだ。
 
今や誰もが知るアーティストである草間彌生さんだが、幼い頃から悩まされていた幻覚や幻聴から逃れるために、それらを絵にしたのがアートと関わるスタートとなった。
 
1957年に渡米するとアートの制作だけではなく、ゲリラ的に裸の男女に水玉をボディペインティングする過激なパフォーマンスを行い、1960年代には「前衛の女王」と呼ばれたという。帰国して制作から離れたが、活動を再開して徐々に再評価が高まったのは、1990年頃だ。
 
タイトルの「Out of Bounds」とは、「境界の外」ということだ。既存のルールや常識の境界線を超えた先にある、多種多様な新しい価値観との出会いを意味するのではないかと感じた。
 
「求道の姿勢というのは多くの人の気持ちを動かすもの」という草間さんの言葉がある。彼女にとって、アートと取り組むこととは、毎日を生きるための修行であり、より高みへ至るための自分との闘いでもあるのであろう。
 
直島観光を終え、もう一か所、どうしても行ってみたい場所があった。少し離れているが、滋賀県近江八幡市にある「ボーダレス・アートミュージアムNO−MA」だ。
 
障がい者による美術作品の展示を目的とする日本初の美術館である。
 
私は、障がい者アートにとても興味がある。きっかけは、2021年に神奈川県の平塚市美術館で開催された「studio COOCAのパッパラパラダイス2021−これがとってもとくいです」を鑑賞したことだった。
 
studio COOCAは、2009年に設立された平塚市内の障害福祉サービス事業所だ。様々なハンディキャップをもった人が、得意なことで仕事をすることを目指し、アートに関しては表現力が高いアーティストが育ち、所属していることで知られている。
 
その作品たるや、見れば誰しもの心を弾ませてくれるに違いない。一つ一つが鮮やかではじけるような感性に満ちている。コロナ禍で自粛が続くなか、希望を忘れつつある自分であったが、彼らのユーモアあふれる作品を前に微笑まずにはいられなかった。
 
翌日、いてもたってもいられず、COOCAに電話をした。電話に出たのは施設長さんであった。「展覧会を見て感動したのだが、自分に何かできることはないか」という話をすると、「ぜひ、うちの施設を見てアーティストに会ってください」と言ってくださった。
 
警戒されるのではないか予想していたのが、全く障壁などなかった。施設長さんとともに施設のなかをまわるとアーティストたち各人に個室のようなデスクがあてがわれ、好きな絵や雑誌の切り抜きが貼られていたり、ぬいぐるみや自分専用の筆やペンが置いてあった。雑多でありながらその小さな空間自体が、すでに確立されたアート作品のようだった。そこで彼らは作品制作に取り組んでいた。
 
誰が来ようと、何をしていようと自分には関係ない。すべて気分任せだから何ができるかはお楽しみ。無言のなかにそんなことが伝わってくるような空気があった。
 
壁やエレベーターには、心が動くまま描いたようなクレヨンやペンキの落書きが複数あり、一つ一つはまるで違うタッチやモチーフなのにそれらは不思議とCOOCAのカラーで統一されていた。
 
グラフィティアート(落書き)からスタートした現代アーティストのバスキアのアトリエは、きっとこんな感じだったに違いない。私はそう感じた。
 
その時に施設長さんから障がい者アートに関心があるならということで、国内の数か所の施設を教えてもらった。
 
その一つが、NO-MAだった。
 
日本では、障がい者アートと呼ばれているジャンルは、海外ではアウトサイダー・アートやアール・ブリュットという名で確立された現代アートの一つのフィールドである。
 
障がい者アートや民族芸術などを含めて正規の美術教育訓練を受けていない人たちが制作したアート作品をこう呼ぶのだ。
 
精神障がい者の作品が歴史上初めて公的に認知されたは、1967年にパリ装飾美術館にて展示されたときのこと。
 
1990年にはオーストリアのマリア・グギング精神科病院にあった”芸術家の家”のアーティストが国家芸術賞を受賞した。以後、アウトサイダー・アートの認識は広まり、2010年代には、日本の障がい者の作品が海外で展示され好評を得た。
 
しかし、アウトサイダー・アートは草間彌生さんの作品のように第三者によって高額で買われるということはないため、行政のサポートが必要な分野である。
 
実際に、徐々に国や自治体がアーティストの制作や発表の場づくりに力を入れはじめている。NO-MAもそのような援助で成り立っている施設だ。
 
その日、開催されていたのは『林田嶺一のポップ・ワールド』だった。
 
林田嶺一(はやしだれいいち)さんは、昨年、88歳で亡くなった、正規の美術教育を受けてない画家である。
 
1933年に中国満州で生まれ、幼少期を中国を転々としながら過ごし、終戦後の引揚船で帰国し、母親の実家のある北海道で生活を始めた。
 
幼い頃から絵を描くのが好きだったというが、絵画制作に取り組み始めたのは、30代の半ばから。父親が新聞記者、母親が英語が堪能という優秀な一家に生まれながらも、孤立感があり、心のバランスをとるために林田さんが必死でしがみついたのが、絵を描くことだった。
 
戦没者遺児ということで優遇され、北海道庁、北海道立図書館へ勤務するも仕事ができないというレッテルを貼られ、窓のない地下の印刷室で35年間勤務したという。「印刷の仕事が終わったら死んだふりして、本を見て勉強してたの」(櫛野展正「アウトサイドの隣人たち」より)。
 
美術協会に所属していたが、林田さんの表現は異端とみなされ、長年不遇な扱いを受けていたようだ。それでも、絵を描くことをやめなかった。
 
その原動力となったのは、「戦争なんて馬鹿げている」という子供心に憤慨した記憶であった。ポップな色彩とモチーフのなかに込めた戦争に対する風刺が、独特の林田ワールドを生んだ。一度目にすると強いインパクトがあり、どこかアンバランスで忘れることができない作品群。絵を通じて反戦を訴え続けた人生であった。
 
今、旅から帰ってきて思う。
 
有名であろうと、無名であろうと生涯を真剣に作品制作に捧げたアーティストたちの生きざまには、「上手くやろう」というもがきは一切登場しない。
 
そんなことを言っている私は書道においても人生においてもヒヨッコ、まだまだ未熟なのだ。
 
もし、あなたが、何かを上手くできないからとやりたいことなのにあきらめてしまおうか悩んでいるならば、今回紹介したような現代アーティストたちの作品をご覧になったり、背景を調べてみることをおすすめしたい。
 
表からは決して見えない葛藤や自由な精神が教えてくれるもの、それが明日の生き方を変えるかもしれないのだ。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
杉村五帆(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

VOICE OF ART代表。30年近く一般企業の社員として勤務。アートディーラー加藤昌孝氏との出会いをきっかけに40代でアートビジネスの道へ進む。加藤氏の富裕層を顧客としたレンブラントやモネの絵画取引、真贋問題についての講演会をシリーズで主催し、Kindleを出版。美術館、画廊、画家、絵画コレクターなどアート作品の価値とシビアに向き合うプロたちによる講演の主催、自身も幼少期より芸術に親しむなかで身に着けた知識を生かし、「対話型芸術鑑賞」という新しいかたちで絵画とクラシック音楽の講師を務める。アートがもたらす知的好奇心と創造性の喚起、人生とビジネスへ与える好影響について日々探究している。

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2023-03-22 | Posted in 週刊READING LIFE vol.210

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