週刊READING LIFE vol.211

春になれば桜一色《週刊READING LIFE Vol.211 お気に入り〇〇ベスト3》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/4/4/公開
記事:工藤洋子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」
 
という歌は、誰でも聞いたことぐらいはあるのではないだろうか?
 
この歌を詠んだ在原業平が生きていたのは平安時代。
その昔から、日本人は桜が大好きだったのだろう。
 
それは今でも変わっていない。
 
3月になると、天気予報では「桜前線」なるものが発表される。他にも数多の花が咲く日本という国なのに、他の花を押さえて、桜だけが特別な扱いを受けているらしい。
 
だって、競馬では「桜花賞」も「菊花賞」もあるけど、「菊前線」とは聞かない。もっとも菊は栽培する花だから桜とは話が違うかもしれないが、他に日本人が一喜一憂するような自然現象でいえば、せいぜい「紅葉前線」ぐらいだろうか。
 
とにかく。
桜は日本人の心に原風景として、在る。
そういうものだ。
 
では、
 
「好きな桜のベスト3を挙げて」
 
と言われたら、何と答えるだろうか?
 
そう言われて思い浮かべるのは、どこかの桜の名所の風景だろうか。それとも通学路や近所の河畔など、身近な場所に植えられた桜だろうか。
 
私はやはり、自分にもっとも身近な場所に咲く桜を思い浮かべる。
それは庭に咲く山桜だ。庭、といえば聞こえはいいが、我が家はマチュピチュの異名を取るほどの山の中にあるので、正真正銘の山桜だ。
 
桜、と聞いて、最初にたいていの人の頭に思い浮かぶのは、ソメイヨシノではないかと思う。江戸時代後期に作られた品種で、実は世の中のソメイヨシノはすべて一本の原木から生み出されたクローン体である、ということがDNA鑑定で判明しているという。驚きの事実だ。
 
その、私たちが一番見慣れているソメイヨシノはまず花が咲き、それから花が散った後に葉が茂る。ところが、山桜の場合は違う。先に桜のピンク色を少し鈍くしたような色合いの葉が先に出てくる。そう、その色合いは桜餅を包む葉の色のような茶色ともピンク色とも言いがたいようなものだ。
 
桜の色、といえば、私にはある思い出がある。
 
確か中学校の国語の教科書に載っていた文章だったと思う。桜の花が咲く前の木の皮を元に染め物を作ろうとすると、それはきれいな桜色が出る、というのだ。同じように桜の葉っぱもきっとその中に桜色が隠れているに違いない。
 
余談だが、うちには実はもう一本、こちらは自分で植えた桜の木があって、それは大島桜という品種のものだ。なぜわざわざその品種を取り寄せたかというと、そこには食いしん坊の理由がある。ソメイヨシノや他の桜は葉の表面にうぶ毛のようなものが生えていて、塩漬けにして桜餅に使おうとすると口当たりが良くないのだが、大島桜の葉は表面がつるっとしていて食べやすい、と聞いたからだ。
 
風流に桜の話をしていても、やはり自分は花より団子なのだから、仕方がない。
 
と、話が逸れてしまったが、とにかく山桜の葉はそんな地味な色なのに、すべての緑の葉がなくなった真冬を越した木々の中から出てくるため、とても目立つ。色で目立つのか、それとも春になるぞ、という桜の葉の気合いが現れるのかは分からないが、その葉が出るとすぐにつぼみが見え始めて、花が咲く。
 
うちの山桜の場合、ソメイヨシノより咲くのが少し早いように思うが、この時期はあちこちの山を見ても、しばらくピンク色の頬紅を差した状態が続くので、山桜の中でも種類や気候によって咲く時期は異なるのだろう、と思われる。
 
気象庁は毎年、桜の開花宣言を出すにあたり、判断の基準となる標本木を決めている。私の場合の標本木は、結婚してこの家に住むようになってからはこの山桜だ。おそらく誰でもこのような「標本木」を持っているのではないだろうか。
 
私のように自分の家に咲く桜かもしれない。
毎日、通勤通学で通る道筋に咲く桜並木ということもあるだろう。
 
地元に桜の名所があるなら、ニュースでその桜が満開になった、というニュースに春を感じる人もいるだろう。私も今の家に住むまでは、生まれ育った福岡にある桜の名所が標本木だった。
 
人によってそれぞれ違うが、何か身近な桜。
それはきっと誰にとっても大切な風景だろう。
 
桜の木が花をつけるのは一年のうち、ほんの少しの期間だけだ。緑の葉をつけている時期は他の植物も旺盛に生長しているので、別に桜は目立たない。周りに埋没している、といってもいいぐらいだ。秋になっても特に美しく紅葉するでもなし、さらに葉を落としてからはまったく目立たない。
 
そんな地味とも思える木が、暖かくなってくると一番に爆発する。
 
春の到来を喜ぶ生物的な本能と、昔から自然と共に歩んできた日本人のDNAが桜を見ると人の心の全面に出てくる。そんな気がする。
 
だから私は桜が大好きだ。
 
次に私が思い浮かべるのは、大阪造幣局の桜の通り抜けで一度だけ見たことのある桜だ。その桜を見に行ったのは、大阪の大学に在学していた時の一度だけ。ところが、インパクトが強すぎて忘れることができない。
 
きっとご存じの方も多いだろう。
ここには、緑色の花弁を持つ桜も植えられているのだ。
 
ここの桜はのんびりと座って観賞するものではない。「通り抜け」の名の通り、桜の咲く小道を歩いて通り抜けるだけだ。日本の桜の名所の桜は、その8割近くがソメイヨシノというが、ここの桜はまったく違う。見たこともない桜の木が並んでいた。
 
「これは桃か?」
と思うほどピンク色の濃い桜。
 
「牡丹の間違いだろう?」
と勘ぐるほど八重咲きで、花の形がどう見てもまんまるの桜。
 
「三色スミレがなぜ木に咲く?」
といぶかしく思った、複数の色が混ざっている桜。
 
そんな桜の中で最も「桜にあるまじき」姿なのが、その緑色の桜だった。
 
もちろん、光合成ができそうなほどに濃い新緑色をしている訳ではない。だが、他の桜が華美を競っている中で明らかに毛色が違っていた。もう昔のことなので桜の品種名など覚えていなかったが、今調べてみるとどうやら緑色の桜は造幣局に少なくとも2種類はあるらしい。
 
ひとつは御衣黄(ぎょいこう)という桜で、もうひとつは鬱金桜(うこんざくら)だ。今ネットで写真を見ると、緑というよりは黄緑色ぐらいでそんなにギョッとするほどおかしくない。(造幣局ホームページ参照)
 
私の脳内では、ソメイヨシノの形に緑色を当てはめたようなイメージとして保存されてしまっていたらしい。頭の中で勝手に塗り絵をしてしまっていた。今一度、大阪まで出かけて脳内イメージを更新する必要があるかもしれない。
 
そして最後に。
今までの人生で一番私の心に残っている桜がある。
 
それは日本にある桜ではない。
イギリスの王立植物園キューガーデンにある桜の木だ。
 
その桜はメインルートから少し外れたような丘の上に立っていた、と思う。実は細かいことは昔過ぎてあまり覚えていないのだ。だけど、その桜の木を見たときに心の中で渦巻いた感情は今でもよく覚えている。
 
直前まで普通におのぼりさんな観光客をしていたはずなのに、いきなり涙が流れてきてしまったから。
 
そのとき、大学生だった私は一年間休学してイギリス留学に来ていた。春からまるっと1年、イギリスに滞在した後、日本へ帰国する前にまだ行ってない場所へ観光でもしようか、と立ち寄ったところだった。
 
そもそもヨーロッパはほとんどの国が北海道よりも緯度が高く、イギリスなど真冬は夕方16時から翌朝8時までずっと日が沈んだ状態が続く。自分ではあまり堪えてないつもりだったけど、やはり日本とはまったく違う環境の中、押さえつけられていたものがあったのだろう、それが桜を見た途端にすべて噴き出してしまった。
 
「カエリタイ」
 
もうあと数日で帰国の途につくというのに涙が止まらなかった。
 
イギリスという国は今でも大好きなところのひとつだし、滞在中ちょっとぐらいハプニングはあったけど、特に嫌なこともなかった。でも桜の木の、幹のあの特殊な表面の模様を認識しただけで、春の嵐が吹いたように郷愁が一気に最大値まで沸騰したような気持ちになった。
 
桜の木を見るだけで、こんなにも感情が揺さぶられる。
桜は私にとって、春を感じるスイッチだ。
 
春は春でも、それは日本の春。
イギリスの春では、ない。
 
日本からそのときは離れていたし、桜があるとは予想してなかったこともあって、きっと春だけじゃなくて、日本そのものを思い出すスイッチになったのかもしれない。四季があり、自然豊かな日本のよさを理屈抜きで感じることができた貴重な体験だった。
 
私のように学生時代から英語を学ぶ者は、イギリスやアメリカに留学に行くことが多い。そして、その国に心酔して日本から出て永住権を取ってしまうような知人もいた。自分も学生時代は、
 
「憧れの国イギリスに住んで仕事ができたらいいな」
 
とちょっとは思っていたこともある。
 
でも。
留学から帰ってからは、そう思ったことはない。
 
旅行に行くのは大好きだ。
でも住むのは日本が一番いい。
 
「ずっと住むなら、春に桜が咲くところがいいよ」
 
海外移住を夢見る人に、私はそう言ってあげたい。
 
本当に大切なものは、失ってからは遅いから。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
工藤洋子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

20年以上のキャリアを持つ日英同時通訳者。
本を読むことは昔から大好きでマンガから小説、実用書まで何でも読む乱読者。
食にも並々ならぬ興味と好奇心を持ち、日々食養理論に基づいた食事とおやつを家族に作っている。福岡県出身、大分県在住。

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2023-03-29 | Posted in 週刊READING LIFE vol.211

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