週刊READING LIFE vol.218

星の見えない街ならば、見えるまで歩き続ければいい《週刊READING LIFE Vol.218 星空》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/6/6/公開
記事:青野まみこ(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
22時45分。
 
エンドロールも終わりに差しかかり、サウンドトラックの曲名が流れてきたあたりで腕時計をチェックした。この時間ならまだ余裕で電車は間に合う。エンドロールの最後の最後、制作会社や配給会社、興行会社のロゴが流れ出すと席を立った。皆が一斉に出口に行く少し前に、一足先にシアターを出るだけでもかなり早く帰れる。
 
映画館の7階の誰もいないロビーでエレベーターを待ち、3階まで降りてからは長いエスカレーターに乗り換えて地上に向かう。ゆっくりとエスカレーターが降りていくと。数時間前に営業を終えたMIYASHITA PARKが次第に見えてきた。まるで巨大なクジラのように、灯の消えたMIYASHITA PARKは目の前に黒く長々と横たわっている。そこにはもう、おもちゃ箱をひっくり返したようにトレンドなものに惹かれてひっきりなしに人が集まり、きらめいている昼間の姿はどこにもない。あるのはただ、暗く長い橋のような物体だ。時折真ん中にある階段を、ひとり、ふたり、ぽつぽつと行き交う人が照らされている。
 
エスカレーターを降りて地上に着き、交差点に立って南を向くと渋谷駅の向こうにいくつものビルがそびえている。いつの間にこんなに増えたんだろう。街はすっかり夜中の匂いに向かっているのに、あのネオンたちは煌々と光っている。そしてビルの間にも、光るものがある。よく見ると、星だ。
 
(こんなところでも、星は見えるんだ)
 
渋谷なんて星の見えない街でしかないと思っていたのに、こんな夜に星に出会うなんて。地下道に潜るほんの少し前の間、星とネオンと暗闇の共演を見つめていた。

 

 

 

映画を観るのが好きだ。
できれば仕事だの身の回りのことだの、やらなきゃいけないことはクローンの自分にやらせて、本物の自分は思いっきり好きなことに浸っていたいくらいだ。そうなったら週に2日くらいは映画館にどっぷりと入り浸ろうと思っている。
 
でも現実はしがない雇われ人のためそんなことはできない。休日に映画には行くけど、毎度毎度全部の休日を映画に費やすわけにもいかない。ではどうするのか。結果、仕事帰りに観に行くしかなくなる。
 
自分の自由な時間の全てを映画に費やすようなことはしてはいない。いろんなこととのバランスを取って、ちゃんと優先順位をつけて、その上で残っている時間を映画に使うだけだ。だから自分が観たい作品を全て鑑賞できているわけじゃない。何もかも放り投げて映画に没頭はしてはいないつもりだ。
 
誰でもそうだけどフルで仕事をしたら結構疲れる。その後に映画館に立ち寄って、1時間半とか2時間という時間を映画鑑賞に使う。映画館までの移動もあるし、映画を観る行為そのものだって集中するので正直観終わったあとはヘロヘロになることもある。仕事が終わって映画館に着いて、映画が始まるのが18時30分とか19時くらいだろうか。たまに観たい作品が複数ある時は連続で2本観ることもある。そうなると終映は22時台、23時台になってしまう。そこから帰宅するので家に着くのが午前様になることもよくある。翌日仕事の時だって当然あるのに、そんなことをしてしまう自分がいる。時々自分でも何やってるんだろうとか、ばかなんじゃないかとかはよく思う。それでも仕事帰りの映画鑑賞をやめようとは思わないのは、心を動かされるような体験を逃したくないからだろう。あの時あの作品を観ておけばよかった、しまったと思ったことは1度や2度じゃない。その日その時にしか出会えない作品だって絶対にあるからだ。
 
その日も仕事帰りの疲れた身体に鞭打ってたどり着いた渋谷の映画館のシートにどっかりと座り込んだ。ポスターの表情はあまりにもよいのだけど、「無一文で故郷テキサスへ舞い戻った、ポルノ界のアカデミー賞を5回逃した元ポルノ俳優が、口先だけのご都合主義で生きていく」というストーリーの概略を先に読んでしまっていたために、そんなに期待しなくてもいいかなと思いながら『レッド・ロケット』(2021 / ショーン・ベイカー監督)を観る。
 
一言で言ってしまえば、2016年のアメリカの過疎地域で社会の下流に近い暮らしを続けている人たちが登場人物の中心だ。主要な役以外の脇役たちも皆、「前向き」だの「向上心」という単語は人生始まって以来考えたこともないんだろうなというくらい自堕落な生活をしている。麻薬を売って人にたかって楽して儲けたい、みんながそんなことを言っているので最初はあららと思ったけど、主人公の元ポルノ俳優がファム・ファタール(=運命の女性)を見つけてからの展開がはちゃめちゃすぎて目が離せなくなってきた。
 
まだ上映しているので結末がどうなったかはぜひ映画館に行って確認していただきたいけど、アメリカの下層階級のリアルをシニカルに描き、結論を観客に委ねて続編が観たくなるような終わり方がめちゃくちゃかっこよく、「こんな閉じ方があるのか!」と新鮮な気分で映画館を後にした。1から10まで逐一説明する映画なんてつまらないと思っている私にとって、この終わり方は説明しなさすぎて久々にぶっ飛んでいるのだけど、一方で「その終わり方も十分にアリだよね」と納得している。
 
観終わって帰宅してから、『レッド・ロケット』のパンフレットを買って帰らなかったことに気がついた。実は映画を観た後には、映画のSNSで0.1点刻みの5点満点で星をつけていて、星4.0以上だったら大体パンフレットを買うと決めている。『レッド・ロケット』は私の中では間違いなく星4.0以上に匹敵する作品だったのに、どうしてパンフレットを買わなかったのだろう。22時45分に終映だったから急いで帰宅しないといけないことに気を取られていたのは間違いないけど、失敗したな。
 
自分が手にしていないものはずっと気にかかるものだ。今、この文章を湘南天狼院で書きながらそんなことをぼんやり思い出していた。そして、ふと閃いた。
(確か、ここから近くのあの場所で『レッド・ロケット』を上映していたような気がするけど)
湘南天狼院の最寄り駅は小田急江ノ島線の終点、片瀬江ノ島駅だ。その隣の駅、鵠沼海岸駅の近くに、シネコヤという小さな映画館があったのを思い出した。キャパシティは小さいけど見応えのある映画を選んでかけているので有名な映画館だ。
(シネコヤなら、『レッド・ロケット』のパンフレットを売っているかもしれない)
スマートフォンで湘南天狼院からシネコヤまでの距離を調べる。電車なら15分程度、徒歩なら30分弱だ。
(片瀬江ノ島駅まで行って、電車待って一駅乗って歩くのにちょっと時間を足せば、歩いていくのと大して変わらないよね)
晴れて、湿度も低くカラッとしたいい陽気だった。時計を見ると18時20分。シネコヤの終映が19時頃だと思うから、今、湘南天狼院から歩けばちょうど間に合うかもしれない。心は決まった。こんな爽やかな夕暮れなんだから、歩こう。
 
湘南天狼院を出て、私は鵠沼海岸駅方面へ歩き始めた。国道134号線も真夏ではないせいか車は空いていて静かだ。海水浴シーズンではないので人もそんなにいない。7月8月の昼間の、わさわさしている江ノ島とはまるで違う風景だ。いつもこんなにゆったりしていてほしいねと思いながら江ノ島を背にして歩いていく。
 
歩いていく先は、ちょうど夕陽が沈んでいく光景だった。空がオレンジから茜色、そして薄紫に変わっていく。雲がたなびいて遠くに富士山も少しだけ見えた。134号線から1本脇に入ると静かな住宅街になり、鵠沼海岸駅や商店街に繋がる道に続く。歩き始めて25分くらいでシネコヤに到着した。まだ閉まってはいないはずと思いドアを見る。
 
「Closed」
 
ドアにかけられたプレートにはそう書いてあった。え、閉まってるの? 早すぎない? まだ上映中のはずだけど。ここまで歩いて来たのに、パンフレット売ってないとか今日は閉館しましただったらかなり悲しすぎる。
 
このまま帰ろうかとも思ったけど、少し考えて、やっぱり聞いてみるべきかもと思い、ドアを押したら開いた。もしかしたら、最終上映の回だからClosedの札を表のドアにかけているだけなのかもしれない。
「すみません、『レッド・ロケット』のパンフレットってまだ買えますか?」
「大丈夫ですよ」
よかった。買わずに帰って気になっていたパンフレットがとうとう手に入る。もともと映画を観た映画館とは違うところの映画館へ、しかもパンフレットだけ買いにわざわざ一駅歩いてきた甲斐があったというものだ。係の人からパンフレットを受け取る。小さくて扱いやすい、私が好きなパンフレットの大きさだ。帰りの電車の中でじっくり読むとしよう。
 
映画館を出て鵠沼海岸駅に向かって歩き出す。あんなに美しかった夕日の時間は終わり、あたりはすっかり日も暮れ、気がつくと星も見えている。映画を追いかけているうちに、また夜になってしまった。
 
普通、映画のために一駅わざわざ歩く人なんていない。つくづく、もっと日が高いうちに映画のことは終わらせればいいのにと自分でも思うけど、終映が夜遅くになってもなお映画のことはちゃんと区切りをつけたいのが私の性分なのだろう。
 
有名なハリウッドスターが勢揃いしているわけでも、製作費を何十億とかけているわけでもない。むしろ派手な映画の中に埋もれてしまっているような作品の中に、時々こうして深く頷けるようなものがある。それを探し出すのが嬉しくて映画館通いが続いているのかもしれない。
 
自分の中の「好き」にはこれからも十分納得するまで忠実でありたい。だから映画館を出たらお星様が輝いているなんてことは私にとって普通のことだ。体力が続く限りは、映画が終わったらちょっとくらい午前様になってもいいかなとは思うし、たった1冊のパンフレットのために30分1時間、一駅二駅歩くのだってまあどうってことはない。むしろそれができるくらい身体が丈夫で体力がある証拠だ。今後の人生でも自分の心を揺さぶり、納得して自分の糧にできるような映画と出会うことを、心の底から楽しみにしている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
青野まみこ(あおの まみこ)

「客観的な文章が書けるようになりたくて」2019年8月天狼院書店ライティング・ゼミに参加、2020年3月同ライターズ倶楽部参加。文章と写真の二軸で勝負するライターとして活動中。言いにくいことを書き切れる人を目指しています。

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2023-05-31 | Posted in 週刊READING LIFE vol.218

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