週刊READING LIFE vol.218

彼が大切なライブをドタキャンした理由《週刊READING LIFE Vol.218 星空》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/6/6/公開
記事:牧 奈穂 (READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
夜中目を覚まし、時計を見ると午前1時だった。
まだ、30分しか寝ていない。しばらく眠くなるのを待つが、考えれば考えるほど眠れなくなる。その日初めて、彼とのLINEにブロック機能を使ったからだ。LINEが来ていたら当然読みたくなる。彼の言葉を何も聞かずに、一人で考えてみたかった。
会えない時間を埋めるかのように、いつも私たちは頻繁にLINEを送り合う。長い時間、連絡を取らなかったことは、初めてだった。眠れずに1時間が過ぎる。寝たいのに眠れない。横になっているのが辛くなり、マンションの部屋を出ることにした。
マンションの道路を挟んだ反対側には、公園がある。幼かった息子を連れて、よく一緒に遊んだ公園だ。かつては、眠れない夜に一人で過ごす公園でもあった。
寝ることで気持ちを回復する私には、眠れないことはまずありえない。辛いことがあっても、眠れば心が元気になる。こんなに眠れないのは、15年ぶりだろうか。
 
公園に近づくと、思った以上に暗くて怖い。もし、誰かに刺されても、誰も助けてくれなそうだ。だから公園には入らず、マンションの敷地の地べたに座り、空を見上げることにした。星が白く輝いているのが見える。暗い空に輝く星を黙って見上げていたが、ちっとも心が動かない。座りながら、その日のことを思い出していた。
 
その日は、ハワイで育ったフラの先生のライブだった。沖縄に住んでいる先生が、全国をまわる。2か月前にチケットを2枚手に入れた。私は、日本人の先生のフラ教室に15年近く通っている。神様に捧げるために踊るフラは、自分自身の心を癒す力がある。辛い時、何も考えずに踊ることで、曲と踊りが心に染みることが何度もあった。きっと、この世界の中で、少し神に近づけるような瞬間なのかもしれない。日本人の先生は、ハワイで育った先生に教えを受けている。その先生が、今回初めて私たちの街に来てくれることになった。滅多にないチャンスだ。
いつもなら、息子と一緒に行く。だが今回は、彼にフラを見せてあげたい。無理かと思いながらも、彼を誘ってみた。
「いいですね! 知らない世界には、とても興味がありますよ。きっと2か月後なら、仕事も慣れているだろうから、休みを取れると思いますよ」
期待しないでいよう。休めなかったら、一人で行ってもいい。がっかりするのは嫌だったから、期待せずにその日を待つことにした。
 
彼は、新聞記者をしている。この4月から、「デスク」に配属になった。記者たちの記事を集め最終チェックをする部署だ。外勤記者の経験だけだった彼には、内勤というだけでもきつい。そして今までとは違い、県内全ての社会面の原稿を扱わねばならない。今までよりずっとハードで、1か月で5キロ痩せてしまった。
 
だが少しずつ仕事にも慣れ、期待していなかったフラのライブに予定を合わせることができた。前日の夜、彼からLINEが来た。
「明日、何時に会いますか?」
予定を確認し、会う時間を決める。長い時間、一緒に過ごせるのは久しぶりだ。小さな子は、母親が楽しみにしている日に、熱を出すことが多い。息子が幼い頃、楽しいイベントの前はいつも楽しみにしないようにしていた。もし、熱を出されたら、ガッカリするからだ。だから、小さな子と暮らすように、彼との約束は、どこか心をセーブしていた。もし、ダメになったら、心にダメージがある。それまでも、記事内容の変更から、彼との予定が変わったことがあったからだ。楽しみな時ほど、なぜか予定変更になる。
 
ライブの日の朝5時に、彼からLINEがやってきた。嫌な予感がする。
「○◯市の民家で3人の変死体が見つかり、別な市で日本刀7本(計2000万円相当)が盗まれました……殺人事件の可能性もありますので、今日は一緒に過ごせなそうです。ごめんなさい。今から会社に行きます」
LINEを読んで、心が沈んだ。あぁ、やっぱり……少しの瞬間でも楽しみに待った自分が悔やまれる。何より彼のLINEのメッセージに心が痛んだ。私には、事件なんてどうでもいい。括弧付きで事件の説明を加えている丁寧さがあるのに、私の心には何も触れていない。まるで、事件が起きたことで、張り切っているかのように感じる。いつも急な断りの時ほど、短い淡白な内容のLINEがやってきた。そのLINEに、いつも彼との距離を感じてきたのだ。私の気持ちは分かっているの? そう問いかけたかった。それでも私は、大人のメッセージを返した。そんな自分にさえも腹立たしい。
 
もやもやした心で、朝起きてきた息子に話をした。
「Kさん、ライブに行けなくなってしまったみたい。朝、事件があったんだって……」
息子は、短い言葉の中にある私の心に気づいたのだろう。
「そうか……記者の仕事って、そんなものかもしれないね。でも、当日の朝じゃ結構ショックだよね。いいよ。今日は塾で勉強するのをやめて、僕が帰ってくるから」
息子は、1歳の頃、苦しくて泣いていた私の頭を撫でてくれたことがある。状況が何も分からないはずなのに、なぜ息子は私の悲しみを理解したのだろう? 高校生になった今、生意気なことを言ってばかりだが、いざという時は今でも優しい。私の宙に浮いたままの心が、息子に受け止められたような気がした。
 
星空を見ながら、1日のことを振り返っていた。夜の暗さが、私の心には心地よかった。暗闇に輝く星を黙って見つめながら、沈んだ気持ちで星空をぼんやり眺めていた。
タイルの冷たさと夜風を感じながらしばらく座っていると、新聞配達のバイクがマンションに入ってきた。その新聞を作る裏側には、小さなドラマがある。決してニュースにはならないが、人の葛藤がある。ニュースの裏にいる人たちは、日々自分の生活を犠牲にしてでも、毎日必死に新聞を作り出している。
ライブのことだけならまだいい。でももし、彼と旅行をする日がやってきても、空港で電話があれば帰らねばならないのだろうか? もし、この先、大切な日に殺人事件があれば、私は我慢をしていかねばならないのだろうか? そんな急な変化はどのくらいあるのだろう?
 
私には、我慢していた結婚生活があった。結婚生活は、我慢の連続だったが、他人と暮らすのだから、我慢や妥協は当たり前……そう思い、どんな苦しいことも我慢してきた。我慢をし、幸せな家庭の母を演じることで、息子を幸せにできると信じていたからだ。でもある日、それだけが息子を幸せにする方法ではないことに気づいた。我慢をしている母ではなく、離婚という決断をし、心に正直に生きる母親の生き方を見せることで、伝えられることもあると気づいたからだ。
 
次に出会う人とは、我慢してまで付き合いはしたくない。
無理なく一緒にいられるパートナーを私は求めている。もう失敗したくないからだ。
だが、誰かと一緒に過ごすには、譲り合いも必要だ。我慢と譲り合いは、出した結果が同じでも、そこに向ける心が違う。彼の仕事を理解し、急な予定変更を受け入れることは、我慢ではなく譲り合うことになるだろう。だが、頻繁に譲り合いを繰り返すことは、私には我慢になってしまうかもしれない。仕事があり、息子がいる私には、自由に動ける時間にも限りがある。それは彼も同じことだ。どこまでなら、譲り合いができるだろうか?
考えていると、空が少しずつ明るくなってきた。こんなに眠れないなら、海で日の出を見よう。思い立ち、海まで車を走らせた。日の出前の明るくなる空を眺めながら、波の音と鳥のさえずりを聞いていた。寄せては返す波の音は、心に癒しを与えるのだろう。海を見ていたら、自然に涙が溢れてきた。波のリズムが元の心に戻してくれたようだ。薄くオレンジ色に染まってきた空と波の音で、意地を張った心の壁が崩れたのだろうか。頭と心が別々な感情を浮かび上がらせていたが、一つになっていくのを感じた。
彼に空の写真を送り、話し合いたいとLINEをした。
 
「事件で仕事が入るのは、仕方がないですよね。それは頭では分かっています。でも、事件の細かな内容なんて、あの時の私にはどうでもよかったんです。ニュースの内容に括弧なんて付けているから、その冷静さが余計に腹立たしくて……そんなことではなく、もっとシンプルにチケットを無駄にしてごめん、誰か一緒に行ける人はいる? 楽しみにしていたから、僕も悔しい……そう話してくれたら、私はもっと納得できた気がします」
彼に包み隠さず話を始める。
「ニュースは予測ができないから、約束を断ってもいいです。でも、私ががっかりすることも理解して、もっと心を考えながら、断ってもらえないですか?」
電話の向こうの彼も、涙声だ。
「そうですよね。僕もまだまだ慣れていないこともあって……あの時、早く行かなきゃと仕事モードでした。早く行って、指示をしなければ……と仕事のことしか考えていませんでした。僕は、こういうことは仕方がないと思っていたけれど、配慮が足りなかったです」
 
「山くずしっていう遊びがあるでしょう? 砂を山のような形にして、真ん中に棒を立てて、少しずつ砂を削っていく遊びです。棒が幸せだとしたら、山が小さくなるのと反比例に、その棒がずっと立っていられるといいですよね。いつかは、どちらかがこの世を去ることになるかもしれないけど、その時に、一人でも棒が立っていられるように僕はしたい。お互いに与え合いながら、棒がずっと立っていられる方法を、これからも考えていきませんか?」
 
婚約破棄の経験がある彼と離婚経験のある私は、シンプルな幸せを求めている。彼の言葉を聞いて、もう一度前に進んでみようと気持ちを新たにした。
彼と話をした日の夜、星空を見上げると、いつものように星が美しく輝いて見えた。
きっと心が星空の美しさを決めるからだろう。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
牧 奈穂(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

茨城県出身。
大学でアメリカ文学を専攻する。卒業後、英会話スクール講師、大学受験予備校講師、塾講師をしながら、26年、英語教育に携わっている。一人息子の成長をブログに綴る中で、ライティングに興味を持ち始める。2021年12月開講のライティング・ゼミ、2022年4月開講のライティング・ゼミNEOを受講。2022年10月開講のライターズ倶楽部、2023年1月ライターズ倶楽部NEOを受講。
趣味は、キャンプとフラ。

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2023-05-31 | Posted in 週刊READING LIFE vol.218

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