週刊READING LIFE vol.218

AIがあれば日本人は英語を勉強しなくてもよいのか?《週刊READING LIFE Vol.218》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/6/6/公開
記事:工藤洋子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
昨年の秋頃だったろうか、Amazonで気になる本を見つけたので取り寄せたことがあった。そのタイトルは、
 
『AI翻訳革命』
 
というもので、副題に「あなたの仕事にもう英語学習はいらない」とある。
 
「そうだよね〜、翻訳だと書き言葉だし、AIの翻訳で結構いい線いくところはあるかも」
 
と、のんきに構えていた私は、実は英語の同時通訳者である。
 
翻訳とは人から見れば同じだけど、本人は似て非なるもの、思っている職種だ。ちょうどヨーロッパの人から見れば、中国人も韓国人も日本人も同じに見えるらしいけど、当の私たちから見ればまったく違っている、というようなものだ。
 
ほんのつい最近まで、Google翻訳などの自動翻訳はなんだかんだで「使えない」というイメージだった。主語、述語など文法構造や言語の特性が大きく異なる英語と日本語の間では、
 
「自動でAIが翻訳するなんて無理だよ。ハハハ!」
 
と英語を勉強してきてプロと言われる職業のついた通訳者・翻訳者たちは高をくくっていた。
 
ところがこの状況がAIの進化で一変する。
 
今までは「自動翻訳する技術を実現しようとしたときに、翻訳できるのは人間だけなので、人間の翻訳者のまねをすること」を目指していたそうだ。しかし、その人間と同じように構造を把握して背景知識なども駆使した方法では、機械は翻訳できるようにはならなかった。
 
しかし、AIの学び方は人間のそれとはまったく異なっている。「過去の訳例を大量に集積したデータとそのデータから翻訳を学習する手法(深層学習と呼ぶ)に基づく翻訳技術」である。つまり、海で遭難した人を探すために取る人海戦術のような総当たり戦を膨大なデータをベースとして実行し、学習するというのだ。この方法は人間にできるものではない。データを記憶し、それを対照させる作業を不眠不休で行うことができるAIだから可能な方法だ。(『AI翻訳革命』隅田英一郎、朝日新聞出版より参照)
 
人間なら「一を聞いて十を知る」ところをAIの場合、「百を聞いて一を知る」というやり方とも言える。迷路を脱出するパズルで全体を眺めて答えをパッと出すのではなく、行き止まりになる場所をひとつひとつ潰しながら進んで行くようなものだ。人がやると時間がかかるけど、AIには一瞬の出来事だ。なんせ彼らは疲れない、飽きない、文句を言わない、と来たもんだ。
 
とにかく、そういう理由でAI翻訳の精度は九割方正確、というところまできたらしい。使える道具はどんどん使って活用したらよい。英語を使うことはAIに任せて、浮いた英語学習にかけていた時間をより生産的なことにあてればよいのではないか、というのがこの本の論旨だったように思う。
 
この点については英語を専門としてきた私にも思うところがある。
 
英語を専門とする、となると、英文学や言語学など言語そのものが対象でない限り、何かの目的のために使うことになる。つまり英語自体はただの手段に過ぎないはずだ。英語を武器として何をなすか、何を語れるか、というところが最重要課題になる。
 
ところが、外国語大学の英語科で学んだ私にはその「専門分野」と他に誇れる部分がない。もちろん、通訳者としては経験を重ねたプロなのだが、たとえば「経済学部を出たから経済に強い通訳者」とかいうアピールはできないし、通訳者としてそういった各分野の専門家の間に入って仕事をしていると、
 
「これ、内容がよく分かってないのは、私だけじゃない?」
 
という自体に陥る。
 
別にそれが悪い、ということはない。通訳者は二者間のコミュニケーションを円滑にする存在なので、職責をしっかり果たしている、と言える。しかし、プロとしての技術に誇りを持つ一方で、自らがただの道具だ、という空虚な思いを感じることもよくあった。
 
そして、今からほんの二ヶ月ほど前にOpenAI社開発のChatGPTが世の中に登場した。それこそ満を持しての登場というのだろうか、怒濤の勢いで世の中に浸透していったようだ。もちろん、ChatGPTの本業は言葉を翻訳することではない。だが特殊なコマンドや専門家にしか分からないような言語を使うのではなく、いわゆる自然言語、つまり私たちが普段読み書きしている形の言語でやりとりができる。
 
驚くことにChatGPTは英語だけではなく、日本語を含めた他言語に対応している。そしてその翻訳された日本語のレベルが、高い。今までと比べると異様に高い、と言ってもよい。
 
「これ、翻訳はマジで食われちゃうんじゃないかな……」
 
使ってみて、私もそう感じた。
 
実際、ChatGPTが出る前でもドイツのDeepLなど制限条件がありながらもほぼ無料で使える翻訳ツールがぼちぼち市場に出てきていた。私がよく通訳する大学の中でも、とりあえず英語版出しておけ、という感じで、翻訳者に外注せず、「AI翻訳です」という注釈付きではあるが会議の文書が日本語から英語に翻訳されたものが出回るようになっていた。
 
事態はもはや翻訳だけではない。
このChatGPTの翻訳の速度と精度は、「自動翻訳」といってもいいレベルだ。
 
となると、スマホでも文字の読み上げ機能や音声認識が使用に耐える性能になっている現在、「しゃべるAI」がいつ出てきてもおかしくない。自然言語で翻訳が即時にできるAIが話せばどうなるか。それは「通訳」といえる。
 
「とうとう来たか!」
 
と正直思った。通訳者仲間から聞いた話では、大規模なイベントで何十人も仕事の依頼が来ていた通訳者が、「AIでやります」のひと言ですべてキャンセルになったというのだ。
 
こうなると、「なぜ日本人は英語を学ぶ必要があるのか?」という疑問が出てくる。AIが通訳者翻訳者といった職業英語プロフェッショナルの仕事を奪うというなら、その需要も含めて自分から学ばなくてもすべてAIが代行してくれることになる。「文科省の学習指導要領にあるから」などの答えはもはや意味をなさない。そもそものニーズは一体どこにあるのだろうか。
 
ということで。
ここはひとつ、自然言語能力だけでなく、そもそも思考力も高いと評判のChatGPTに聞いてみることにした。
 
問いの内容は要約すると、
 
「AIが発展して翻訳の精度も向上した今、日本人が外国語の習得に時間を費やすべきか、否か?」
 
というものだ。
 
さて、どういう回答が出てきたと思われるだろうか?
 
ここで、
 
「はい、その通りです。人間はバカだから賢いAIに任せておきなさい」
 
とでも言おうものなら、「AIの反乱だ!」とか「人がAIに支配される!」と近未来小説家かSF映画のような展開になるところだが、彼は本当に賢いのでそんなことは言わない。
 
代わりに流れてきた回答はおおよそこういうものだった。
 
「AIの技術が発展し、AI翻訳の精度が向上しているのは事実だが、英語や他の外国語の習得は依然重要です。以下にその理由を述べます」
 
その理由とは、
 
・文化的交流と国際的なコミュニケーション
・就職やビジネスの機会
・脳の活性化と学習能力の向上
・文化や知識の理解
 
となっている。
 
この理由を見てみると、1)知識・教養としての英語学習、と2)コミュニケーションとしての英語、のふたつに主に分かれているように思われる。それぞれの理由を考えてみることにしよう。
 
まず、知識・教養としての英語学習という点だが、これはいわゆるリベラルアーツ的な教養としての学び、ということになると思う。最初の方で英語と日本語は構造に大きな違いがあるということを述べた。これは言語間の距離が両言語間ではかなり遠い、ということを意味している。そもそも言語はその言語を話す民族の文化との関係性が大きい。それだけの隔たりがある言語の文化を学ぶ、ということはまったく違うものを知ることに繋がる。
 
先日、長年外務省に勤務し、アフリカや様々な世界中の国々で仕事をされてきた元・外交官の方のお話を聞く機会があった。その方によると、真の国際化とは街中の看板が英語でも併記されていることでもなければ、日本人が英語で話せることでもない、という。
 
よく「日本は特殊だ」とか「他とは違う文化を持っている」などと言われることがあるが、実はそういうことではない。中国には中国なりの、インドにはインドなりの、そしてアフリカにはアフリカなりのやり方、考え方があるわけで、そのように
 
「自分とは違う」
 
存在を知ることが真の国際化だ、と言うのだ。
 
つまり、自分の知見、参照枠を拡大させ、重層化するために英語の学習は役に立つ、ということになる。たとえ、英語を直接的に使うことに繋がらなくても、自分の知識ベースが増えるということは思考の幅が確実に拡がる。
 
そういう意味で英語を学習するのも「あり」だろう。
 
その一方で、表面的に「英語できたらいいよな」など要らぬコンプレックスを英語に抱いている日本人が相当数いる、と私は常々思っている。「英語ペラペラ」がすべての国際化へのパスポートだ、とでも思っているかのようだ。
 
この元・外交官の話を聞いて思考の霧が晴れる思いがした。
 
義務として、もしくは薄っぺらい国際化などのために英語を学ぶぐらいなら、それこそAI任せでもっと自己の内実を高めた方がよっぽどよい、ということになる。ただもちろん、教養として英語を学び、それが何かに繋がる将来への布石となる可能性もあるだろう。私自身も学ぶ、ということについて、英語を習得していてよかった、ということは自分のキャリアを除いても色々考えられる。世界情勢への興味や思考の地平線が拡がった感覚は間違いなくある。
 
そういう布石、という側面から見ると、二つ目のポイントに繋がってくる。コミュニケーションとして英語が必要になる場合だ。
 
コミュニケーションを円滑にすることはどんな局面でも人が人として生活する上で避けることのできないことだろう。そのコミュニケーションを外国人と取る、と考えると、そこに英語を使う必要が出てくる。
 
ここで考えるべきは、「どの程度のコミュニケーションが自分に必要なのか」ということだろう。
 
例えば、京都など外国人のよく訪れる観光地の場合、対応すべき事柄はある程度決まり切っている。昔、『ポケトーク』という製品があって、定例な会話がすでに登録されていて、それにしゃべらせれば英語で会話ができる、というものだったと思う。
 
今の時代、そんなことはスマホを使えば朝飯前だ。
 
それこそChatGPTでもいいし、他にもそのような用途に使えるアプリは多数出ている。そういったITを活用するコミュニケーションで事足りるなら、日本人の大多数がAI翻訳で済むカテゴリーに入ってしまうのではないだろうか。
 
しかし、先ほどの元・外交官の方のように実際に英語で国を代表して外交を行う立場の人や、民間でもビジネス上の商談を行わなければならない人の必要な英語力は、アプリで翻訳できるレベルよりはるか上を行く。日常会話のカタコトではなく、高度なことを「話す」というレベルに到達するには、「読む」「聞く」「書く」という技能をベースに総合的に英語学習を進める必要がある。遠回りに見えても結局はそれが一番近道となるのだ。
 
そのような人たちは、AIの活用により今や学習時間を短縮することは可能になってきているが、やはり英語を学ぶこと自体は必要になるだろう。また、ChatGPTも言う通り、就職やビジネスの機会を考える上では、英語力を身につけることは自分をかなり優位におくことができる。何か英語を使うことでやりたいことがあったり、有利になることがあったりするようなら、英語を習得することはよい選択肢になり得ると思う。
 
結論として、
 
「AIがあるからもう英語は学ばなくていい」
 
というのは、ある意味極論であり、また場合によっては真実である、と言える。趣味で学ぶのか、それとも必要に駆られてなのか、違いはあるだろうが、確実なことは自分の場合どうなのか、しっかり見極める必要はある、ということだ。
 
今まで英語を学び、それを自分の力にしてきた私のような人間からすれば、英語を学ばない、という選択肢は存在しない。学ぶことによる有益性が莫大なものだったからだ。でもそれを「英語ニガテ、やりたくない」という他者に強制するつもりは毛頭ない。そこは個人の自由、というものだからだ。
 
自分で英語を学ぶにしても、AI翻訳頼みにするとしても、どちらの場合でも今からのAIの進歩で私たちの生活に多大なる影響が出ることは間違いない。そうなると英語を勉強すべきか否かなどは、些末な問題だ。
 
自分が何をやりたいのか、すべきか。
その点を考えて自分の立ち位置を見定めることから、始めよう。
 
いつだって、何歳からだって、人間は学びを始めることができるのだから。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
工藤洋子(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

20年以上のキャリアを持つ日英同時通訳者。
本を読むことは昔から大好きでマンガから小説、実用書まで何でも読む乱読者。
食にも並々ならぬ興味と好奇心を持ち、日々食養理論に基づいた食事とおやつを家族に作っている。福岡県出身、大分県在住。

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2023-05-31 | Posted in 週刊READING LIFE vol.218

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