週刊READING LIFE vol.220

魔法の靴がもたらしてくれたもの《週刊READING LIFE Vol.220》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/6/19/公開
記事:田口ひとみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「さて、出かけるか……」
 
ゴミ出しを終えて⾝軽になったところで、⾃分に⾔い聞かせるかのようにそう呟いた。早いもので、1日に1回は外に出て散歩しながら空を見上げる(通称、一日一空一散歩)、と誰とした訳でもない約束をかたくなに守り、約2か⽉。正直こんなにも続くだなんて、誰よりも⾃分が⼀番びっくりしている。
 
「結構、続くもんだな。私ってこんなにコツコツタイプだったっけ?」
などと調⼦をこきながら、マンションの裏⼝の扉を開け、段差を跨いで⼀歩踏み出した。
 
メリリッ……
聞いたことがない⾳に「?」となり、次の瞬間、⾃分の左⾜の軽さに驚いた。慌てて⾜元を確かめてみる。
 
⾒事に分解していた。ソールから本体が外れ、温かいアスファルトの温度を左⾜の裏にじんわり感じた。何かの感触に似ていた。⾜袋だ。お祭りで神輿を担ぐ時に履く、あの⽩⾜袋の感覚が懐かしく思い出された。と同時に、私は肩を落とした。
 
「なんてこった……」
 
辺りを⾒回し誰もいないことを確認して、分解したソールを⽚⼿に⾃宅に戻る。マンションは今外壁⼯事中で業者の出⼊りが多く、数歩進む毎にヘルメットを被った⼈たちに出くわす。
 
「誰にも会いませんように……」
 
そう願い、左右の⾜裏が異なる感触の気持ち悪さと愉快さを抱えながら、早く到着するわけでもないのにエレベーターのボタンを連打した。エレベーターを待つ間は、誰かに会ったらどう取り繕うかのシミュレーションだ。
 
「えへへ。ちょっと出かけようと思ったら、靴が分解しちゃって……。いやになっちゃいますよねぇ。」と照れ笑いがプランA。
 
「こんなんなっちゃったんですよー。」と無惨な姿の靴を⾒せるのがプランB。
 
ひたすら無⾔で操作パネルを⾒つめて、そそくさといなくなるのがプランC。
 
 
「なんでイチイチこんな⾔い訳考えなくちゃならないんだろう?」
 
そう思って少しだけ落ち込んだけれど、幸いなことにいずれのプランを使うこともなく⾃宅にたどり着いた。急いで鍵を開け⽞関に滑り込み、それまでの緊張感と情けなさから開放されて⼤きなため息をつく。それと同時に、⼿にしたソールの部分をまじまじと眺めた。
 
思い⼊れの深い靴ではないけれど、今のマンションに引っ越してきた当時、10年近く前にランニングでも始めようかと思って購⼊したシューズだった。まずはシティマラソンに出て、いずれホノルルマラソンにでも⾏けたらな……なんてことも心のどこかで⽬論んでいた。けれど、⼀度ご近所を⾛ってみて、軽くてメッシュで蒸れない靴に感動したあとは、ジョギングが続くことはなかった。だから当然、マラソン⼤会なんてもってのほかで、ひたすら下駄箱の中でスタンバイしていた靴だった。それが、最近始めた⼀⽇⼀空⼀散歩でようやく⽇の⽬を⾒たということになる。
 
「随分きれいに剥がれたなぁ。」
 
改めてじっくり⾒てみて、思わず関⼼してしまった。過去にあった数少ない《靴が壊れる》というシチュエーションで、ソールが剥がれたりヒールが外れたりする時はたいてい⽣地も破れたり、ゴムが⽋けたり、靴から「思い切り壊れた感」が醸し出されていたのだけれど、今回は恐ろしいほどにきれいに分離している。あまりにもきれいな剥がれっぷり。陶器等を買って家に帰り値札シールを剥がした時、糊がすべて取り切れて感じるのと同じような爽快感を覚えるほどだった。
 
「うん。もしかしたら、これなら接着剤で直せるかもしれないな。」
 
少しだけ気分も持ち直した。⼣⽅から⾬の予報だったけれど、外はまだ曇りで天気ももっている。気を取り直して、私はもう⼀度出かけることにした。
まさか、絶対に壊れないとは思うけれど、今度はどの靴で出かけようか。正直迷った。会社勤めを辞めてから、専ら平らな靴しか履いていない。だから今、下駄箱の中の私の靴のほとんどはスニーカーかサンダルだ。コンバース、アドミラル、プーマ、プーマ、コンバース……どの靴もスニーカーではあるものの、ウォーキングやランニング専⽤の靴じゃない。
 
「こんなにあっても履かないんだよね……」
 
断捨離することを密かに⼼に決めた。
 
「じゃあ、たまには、いつも履かない⼦を履いてみよっかな。」
 
つぶやきながら、旦那に勧められて買った真っ⾚なアドミラルを選んだ。いわゆるおしゃれスニーカーだ。でもこの⼦で丸⼀⽇歩いたことがある。ヒールやブーツしか持っていなかった私が、友⼈に誘われて参加することになった野⿃観察のハイキングのために急遽買った靴で、唯⼀持っていた歩ける靴だった。
 
「さ、⾏くか……」
 
久しぶりの⾚い靴に、いつの間にか⼼も軽く、いつもと同じようにお散歩に出かけた。
 
散歩の時は、必ず⾸からスマホをぶら下げている。この⼀⽇⼀空⼀散歩のもうひとつの⽬的は、写真撮影。実は昔から、空や草花や⾯⽩い建物等を撮影しながら歩くのが⼤好きで、旅行や出張で⾒知らぬ街にでかけると、必ず街歩きをし、⽬に留まった⾵景を写真に収めるのが常だった。
 
ところが会社も辞め、マスクなしで外を出歩けなくなってから、そんな機会はめっきり減ってしまっていた。ここにきて、ようやく⾃由に制限なく外を歩き回れるようになったので、趣味と実益を兼ねて前からやりたかったクリエイティブな活動を始めることにしたのだった。もちろん、クリエイティブと⾔っても、収益につながるようなものでもなく、単純に⼿元にあるスマホであちこちの気になった⾃然や街の⾵景を切り取りSNSにアップするというだけの、⾏動と成果のみ、まさしく「趣味」の領域だ。
 
けれども、これが素晴らしく散歩を続けるためのモチベーションになっているし、SNSにアップすることで繋がりが作れたりするし、その繋がりのおかげで仕事に役⽴つ情報を得ることができている。おまけに体⼒がつくし、⾃然に囲まれてリフレッシュもできる。まさに、⼀⽯⼆⿃にも三⿃にもなって「実益」を享受している。
 
「やっぱり散歩(含・撮影&SNS投稿)って、楽しいよね……」
 
そう思いながらしばらく歩いた後、異変が起こった。
 
「あれ? 何かヘン?」
 
先程と同じようにマンションの裏⼝の扉を開き、段差を跨いで⼀歩踏み出した。歩き出しは快調だった。空を⾒上げ、⾃然を愛で、あちらこちらで写真を撮る。でも、いつもと同じように歩いているつもりなのに「何かヘン」なのだ。脚が重くて、うまく進まない。まだひき返すには早い距離、早い時間だというのにおかしい。
 
「まぁ、体調によってそんな⽇もあるよね。昨⽇も結構歩いたし、ちょっと疲れてるのかも?」
 
そんな⾵に⾃分を励ましながら進んでいく。けれど、その違和感は次第に明らかな異変に変わっていった。⾜裏が痛いのだ。さっきソールなしの靴で歩いたから、⾜の裏を痛めたのかと思ったが明らかに両⾜の裏が痛む。
 
「これは、ヤバいかも。」
 
そう思い、家に向かう。いつもと違う疲労感で息もだんだん上がってきた。⾃宅が視界に⼊った頃、⼼なしか踵の⽅も痛くなってきた気がして、ようやく⾜元を⾒た。
 
「!!!」
 
⾔葉にならなかった。真っ⾚なお気に⼊りの靴が、いつの間にか⾚とベージュのトラ柄になっていた。表⾯の⽣地が劣化してひび割れてしまい、⻑時間(とは⾔っても⼩⼀時間)のウォーキングに耐えられなかったみたいだ。おまけに撮影でしゃがんだりしたため、浅めの踵が擦れてマメができている予感もする。靴は⾚いが⼼はブルー。悲しい気持ちでいっぱいになりながら⾃宅に向かう。残念ながら、先程きれいに剥がれたジョギングシューズとは違い、こちらは直すことは難しいだろう。
 
⾃宅にたどり着いた。⽞関に滑り込み、それまでの疲労感と落胆から開放されて、本⽇2回⽬の⼤きなため息をついた。
 
「まさか、たった1⽇のうちに2度も靴をおシャカにするとは……」
 
そう思いながら、キッチンでごくごくと⽔を飲み⼲し、リビングに⼤の字になった。猫たちがスヤスヤ眠りながら⽿だけで様⼦を伺っている。じんわりにじむ汗をハンカチで抑えながら、なんともしがたい喪失感を噛み締めた。
 
「こんなことなら、先週あの靴買っておけばよかったな……」
 
そんな思いが頭をよぎる。先週たまたま旦那に同⾏したアウトレットで、ぱっと⾒ピンときたスニーカーがあったのだ。ジョギングシューズまだ履けるし、今⽇は私のお買い物で来たわけじゃないし、その時は購⼊に⾄らなかった。でも、そのジョギングシューズもきれいに剥がれてしまったし、おしゃれスニーカーじゃ役不⾜ということも⽴証されてしまった。
 
「ちゃんとした歩く⽤の靴がないと、本気でお散歩できないかも。」
 
せっかく続いたこの⼀⽇⼀空⼀散歩の記録が途絶えてしまうのは耐え難い。リビングで寝転びながらスマホで「ニューバランス」「ウォーキング」を検索してみる。この間アウトレットで⾒た「ぱっと⾒ピンときたスニーカー」がヒットした。ウォーキングに適したタイプらしい。何ということだろう! 2⾜のスニーカーは福⾳だったのかもしれない。購買意欲にほのかな⽕が灯る。
 
次にSNSで「#ニューバランス」を調べてみる。話題のAIに質問したいところだが、あいにく最近の情報は持ち合わせていないケースもあるようだし、やはりここは⾃⼒で検索するしかないだろう。すると、その靴のタイムセールの情報がたまたま目に入った。新調するしかないと⾔われているような気になってしまうではないか! 気のせいだと⾃分に⾔い聞かせつつ、当然のように灯った⽕が⼤きくなった。けれど、冷静なもうひとりの⾃分が⾔う。
 
「ネットの情報には惑わされてはだめ!」
 
そうだそうだ。タイムセールといってたいして値引きされていない商品を数多⾒てきたではないか。こういう時の⾃分の冷静さには本当に感謝しかない。案の定、タイムセールなんて嘘っぱちで、そこには市場よりも遥かに⾼額のスニーカーが並んでいた。危ない。本⽇3回⽬の⼤きなため息。
 
「オンラインで買うとしても、やっぱり試着はしないとだよね。」
 
右の踵にできかけたマメを撫でながら、そんなことを考えた。だが、実店舗での試着ほど⾯倒なことはない。往復にかかる時間はもちろん、必ず視覚に⼊る場所にポジショニングする店員とのやりとりもそうだし、何よりさほど知識がない(ことが多いと思われる)彼らからの売りたいだけのいい加減なトークに辟易してしまう。それでも、⼀両⽇中に新しい靴がほしい……。
 
せめぎあう葛藤の中、やはり試着だけしてみようと近場のチェーン展開しているシューズストアに赴くことに決めた。偏⾒かもしれないが、こういった⼤きなチェーン店の中には、その企業⽤に作られた廉価版しか販売しない店もあると聞いたことがある。
だから、できれば正規の販売店やアウトレットで確かなクオリティのものを買いたいというのが正直な所。翌⽇、⼼の中でつべこべ⾔いながら⾃動扉をくぐった。
 
「⼈は本当にやりたいことのためなら、気が進まないことでもやるんだな。」
 
そう思いながら店内を⾒回す。広い店舗には私ともうひとりしか客がいない。店員は、私と同じか私より少しだけ若そうな⼥性。これはまずい。⼀⽣懸命「⾒てるだけですよオーラ」を醸し出したところで、きっと誤魔化しきれないだろう。そう思った瞬間、奥の⽅で棚の商品を⾒ていた⼈が振り返った。客ではなく店員だったことに気づく。万事休す! 店員2名 VS 私。幾度か移動しながら話しかけられそうになるのをうまくかわした。
 
店内のあらゆるスニーカーをひと通り⾒終えた後、とうとう私は肚を括った。
さっきお客さんかと思った圧が少なそうな⽅の店員さんに、勇気を出して恐る恐る話しかけてみる。
 
「すみません。これ、試着したいんですけど。23.5か24のどっちかだと思うんです……」
 
ところが、ところがだ。私の勝⼿な思い込みとは裏腹に、店員さんの対応はものすごくスマートでプロフェッショナルだった。スムーズな対応、サイズの⾒極め、試着の準備から商品知識に⾄るまで、パーフェクト!  試着だけのつもりが、あれよあれよという間にお買い上げに⾄ってしまった。「ぱっと⾒ピンときたスニーカー」ではなかったが、それに次いで気になっていたモデル。そして、おすすめの防⽔スプレーも⼀緒に。しかも、購⼊したおニューのニューバランスは最⾼にぴったりで、歩きやすさこの上ない。まるで魔法の靴を⼿に⼊れたようだった。
 
こうして私は、1⽇で2⾜の靴を壊し、翌⽇には1⾜のすばらしい靴を⼿に⼊れ、その次の⽇には真新しい魔法の靴で、快適な散歩に繰り出した。
もし、1⾜⽬が壊れたあの時、気持ちが萎えて散歩に⾏くことをやめていたら……
もし、2⾜⽬が壊れたあの時、⾯倒くさがって試着しに⾏かなければ……
 
きっと⼀⽇⼀空⼀散歩という⾃分との約束は、果たされず潰えてしまったと思う。
⾃分の決断と⾏動を褒めてあげたい。自画自賛するのと同時に誰かの⾔葉を思い出した。必然は偶然の姿を装って⽬の前に現れるのだと。そう。ピンチと偶然の重なりは、しっかり掴まなければならない。偶然2⾜の靴を失う事にはなったが、さまざまな経験と学びをもたらしてくれた魔法の
靴。そんな靴を履いて、今⽇も私はマンションの裏⼝から散歩に出かける。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
田口ひとみ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

群馬県生まれ。太田市在住。在宅ワーカー。流行病(はやりやまい)と五十肩で失われた体力を取り戻すべく、一日一空一散歩を開始。スマホを持って近所をウロウロし、突然人目も憚らず写真を撮るのが日課。
2022年ライティング・ゼミ12月コースに参加。
2023年4月よりREADING LIFE編集部ライターズ倶楽部に参加。

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2023-06-14 | Posted in 週刊READING LIFE vol.220

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