週刊READING LIFE vol.222

銀座でしかできない、ランチを食べて学ぶということ《週刊READING LIFE Vol.222》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/7/3/公開
記事:杉村五帆(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「銀座は黒革の手帖みたいなビルが多いなぁ」
 
梅雨の合間に青空が広がった昼休み、銀座三越のある中央通りから裏通りに入って見上げて思わずつぶやいた。美咲、千夜一夜、パール、ミコノス……この通りの建物には、無数のクラブがひしめきあっていることが看板からわかる。それで銀座を舞台にクラブのママが成り上がり、転落していくさまが描かれた、松本清張の小説『黒革の手帖』を思い出したのだ。
 
往来にはランチタイムのビジネスマンやOLの姿しかみあたらないが、夜になるとこのあたりは、クラブ勤めの女性たちで匂い立つような華やかな雰囲気に一変するに違いない。
 
私は東京に住んではいるものの、これまで華やかな銀座とは無縁の人生を送ってきた。それなのに銀座に来ているのは、2カ月前から8丁目の小さな輸入代理店で事務のアルバイトを始めたからだ。私はもともと零細企業の経営者だが、本業で生計をたてることができないため仕事を探したのだ。50代という年齢もあって雇ってくれる会社を見つけるのは、大変だった。送った履歴書は数十通を超え、働き口が見つかったときは心底ほっとした。
 
数年前、自分がまだ会社勤めをしていたときに、数年来の友人と話す機会があった。彼女はもともと美容関係の機器やシャンプーを販売する会社に勤めていたが、当時マンションを借りて小さなエステショップをたちあげたところだった。「やっとやりたい道に進めるの!」と語った彼女がまぶしく見えたものだ。
 
しかし、久しぶりに会ったとき、一変して彼女はやつれて見えた。さりげなく理由を聞くと仕事が軌道にのらず食べていけないので、早朝にビジネス街のビルのトイレ清掃のアルバイトをしているというのだ。それを聞いたとき、当時の自分は「そこまでするのか」と同情で涙が出たのを覚えている。しかし、今なら彼女の背中をポンとたたいて「あきらめない姿、尊敬するよ! がんばれ」とエールを贈るに違いない。
 
さらに今の仕事のありがたいところは、仕事のペースを自分で決めることができるため昼休憩を好きな時間にとれることだ。いつも11:30に会社を出て、コンビニでおにぎりを買ってファッションビルの屋上で食べていた。
 
携帯で会話するパリッとした会社員もいるし、高級ブティックで働いていると思われる黒いワンピースを着た女性もいる、日本の観光客の団体に外国人旅行者もいてホームレスらしき姿もある。なんて雑多なのだろう。
 
ビルから下を見ると街が碁盤の目に整っていることがよくわかる。「銀座」という地名は、徳川家康が、駿府にあった銀貨鋳造所を現在の銀座2丁目に移したことに発端がある。その場所の正式な町名は新両替町だったが、その通称は「銀座役所」。略して「銀座」と呼ばれるようになったそうだ。
 
当時は大いににぎわったが、幕末にはかなり荒れた様子になっていった。明治5年に大火が起こったのをきっかけに、政府によってイギリス人建築家が招かれて西欧風の街に生まれ変わる計画がたてられた。このときに、街路整備の一環として道路が拡げられ、煉瓦を主材料とする不燃性洋風家屋の建築が巨額の投資によって行われた。
 
道路が整えられたときに、今の銀座のシンボルであるガス灯がともされ、街路樹が植えられた。さらにこれが銀座の街に特色を生み、モガやカフェなど先端文化の中心地として栄えるようになった。
 
昨今では、銀座は昔ほどの活気がなくなったといわれる。しかし、国税庁が公表した2023年の商業地の公示価格のトップは、17年連続「東京都中央区銀座4の5の6(山野楽器銀座本店)」で1平方メートルあたり5380万円。前年比1.5%上昇したそうだ。銀座は、今も日本中の憧れを集める地であることがわかる。当然、企業の数も限られているのだから銀座の会社で雇ってもらえた自分はラッキーに違いない。
 
銀座の歴史を知るにつれ、生来せっかちな私のなかに昼休憩に何か学ぶことができないかという学習欲がムクムクと頭をもたげてきた。
 
思いついたのは、銀座の飲食店でランチをとることだった。例えば、一食が1000円~1500円だったする。食べることだけを目的にするならこの額は、アルバイトの自分には痛い出費だ。しかし、食事の話題は誰もが共通して興味があることだから、会話のきっかけにもなり得る。それに、銀座の飲食店の夕食はランチより桁が一つ増えるくらい値段が上がるから今の私にはとても払えそうもない。それならばと銀座でのランチを「食事つきのスクール」と考えてみることにした。
 
早速インターネットでグルメマップをたちあげると会社の周囲は赤い丸でいっぱいになった。この位置に飲食店があるというマークだ。どうやら1000円以下で定食を提供している店も多くあるようだ。明日からこれを一つ一つ訪ねてみようと決め、久しぶりにわくわくする気持ちで眠りについた。
 
翌日の11:30、会社を出て銀座ナインというファッションビルの地下に入った。地上はモダンだが、地下には昔から営業している和食や洋食などのカウンターだけの店がたくさん出店している。
 
すでにどの店も人気で満席になりつつある。私は事前に調べておいた1962年から開店しているレトロな洋食屋ののれんをくぐった。ご主人がフライパンを振り、奥様らしき方が手伝いを務めている。オープン直後だというのに、先客が7人いた。
 
ハンバーグ定食を注文したが、一人で作られているので時間がかかるだろうと覚悟をした。しかし、7〜8分位でジュージューというデミグラスソースの音とともにアツアツの鉄板が運ばれてきた。
 
一つの注文に対して1〜2分あたりで仕上がっていく計算だ。どうやって効率化しているのだろうか。ものの配置やメニュー構成など長年の試行錯誤のうえに考え抜かれているのだろう。ハンバーグは入魂レベルで美味しく、わかめがたっぷり入ったみそ汁からは食べる人の健康への思いやりが感じられた。銀座ランチデビューにふさわしい一食であった。
 
数日のうちにあることに気がついた。中央区銀座は港区新橋と隣接している。「なんだ、そんなことか」と思われるかもしれないが、これには大きな意味がある。銀座から2、3分歩いたところに新橋駅前1号館ビルというレトロな建物があり、小さな飲食店が密集してそれぞれがランチを提供しているのだ。また、銀座側では店は11:30に開店するのが通常だが、新橋側では11:00から開いている。早く食べたい方には、新橋側をおすすめしたい。
 
その日は、新橋側へ足を運んだ。いつも行列している新橋駅前1号館ビルのとんかつ店の前を通るとめずらしく行列ができておらず、すぐに入店でき、カウンターに座ることができた。ここの名物は、ロースカツ定食800円だ。
 
なぜ一等地でこの安さを実現できるのか調べてみると新橋に3軒、日比谷、丸の内、大手町、霞ヶ関、西新宿など個人店舗では新規出店が難しいビジネスエリアにとんかつ屋を出店しているチェーン店であった。
 
とんかつは肉厚で、微妙にジューシーさを残した揚がり具合。とんかつは、どんどん値上がりして庶民の定食と言うにはほど遠いものになった。そのようななかでありがたい店である。
 
一方で老舗のランチも堪能した。1870年創業のうなぎのぎんざ神田川、1885年のてんぷらの天國、1895年の煉瓦亭、1902年の資生堂パーラー、1927年のとんかつの梅林など。狭いエリアに歴史ある飲食店が軒を連ねているのは、銀座ならではだろう。
 
どの店のランチも少し値段がはるが、11時半の開店前から行列ができるところもある。ビジネス街の汐留で働いているような会社員のランチミーティングや接待の姿があり、常連さんらしきご年配の方々も目立つ。何よりも100年もの間、愛され続ける店でランチを食べるとこちらにも商売運の良さが移るような気がして幸せを感じた。
 
同じく銀座ならではの存在が、主にクラブが入ったビルに店を構えるレストランである。銀座では、8丁目、7丁目、6丁目に数多くのクラブが集中しており、8丁目並木通りは一流高級店が軒を連ねることで有名だ。最初は飲食店のランチを訪ねてきたはずなのに一瞬、店を間違えてしまったのではないかと戸惑うのだが、鉄板焼き、寿司、イタリアンなどの看板がさりげなく出ている。おそらく夜はクラブに勤める女性と男性客でにぎわう高級店に変わるのだろうが、ランチは入りやすいムードで値段も手ごろに設定してあるからこういう店は穴場だ。
 
銀座のランチに少し慣れてきたある日、またハンバーグが食べたくなり、インターネットで調べたところ近所においしそうなお店を見つけることができた。行ってみると、そこはダイニングバーで重厚な扉が目の前に現れた。ここも夜は高級店に変身するのだろう。銀座ならではのランチ事情を理解できてきたところではあったが、ダイニングバーとはいえ、銀座のバーに入るのは初めてである。ためらいながらドアを押すと、雑誌に出てきそうなシックな空間が現れた。ガラスのショーケースには高級そうなお酒のボトルがたくさん置いてある。
 
私が、ランチタイムの最初の客のようだ。カウンター越しに30代くらいの落ち着いた雰囲気の女性が「どうぞ」と言って冷たい水を出してくれた。「ああ、おいしい……」と思ったら、うすはりのグラスであった。さすが水一杯でも手を抜かないのがバーである。
 
この店の名物だと口コミで読んだ冷風で燻製したハンバーグとたまごかけご飯を注文した。「たまごかけご飯?」と不思議に感じるだろうが、塩、オリーブオイル、胡椒、しょうゆなど数種類の専用の調味料が用意されていて、それらはすべて燻製されているのだ。
 
「今日は、どうしてこのうちに来てくれたんですか?」
女性がやわらかい調子で聞く。
 
「この近所でアルバイトをしてて、ハンバーグで検索したんです」
 
「ハンバーグ好きなんですか? じゃあ、銀座の〇〇へは行きました? おすすめですよ」
とライバル店の情報を教えてくれた。そういっている間も慣れた手つきで食事の準備をすすめている。
 
久しぶりに優しい声のトーンを聞いて気がほっとゆるんだ。会社では、事務員とはいえ基本的には雑用係として感情を無にしていろいろな社員の指示を受けてこなしていくことで精いっぱいだったからだ。しかし、いつか必ず本業にもどれる日が来るはずだ。そのときまでの辛抱だ、と仕事を投げ出したくなる自分を励ましていた。
 
ハンバーグとご飯に生たまごが出てきた。たまごかけご飯を食べるのが初めてだと言うと、彼女は、私の正面に立ってアシスタントのように、たまごの崩し方、ご飯との混ぜ方、調味料を使う順番をていねいに教えてくれた。
 
「これ、入れるとカルボナーラみたいな味になるんですよ。燻製の風味がベーコンが入っているみたいに感じられますよ」
 
「あ、ほんとうだ! すごい」
親しい友人と話すような気分ですっかり打ち解けてしまった。
 
話はいつの間にか、彼女がなぜ料理の道に入ったのかということになった。きっかけは尊敬するシェフと出会ったこと。その人は料理を独学して自分の店を持って数十年かけて有名店に育て上げた。今や業界で異端児と呼ばれていて、なお挑戦を続けているのだそうだ。「そんな料理人になりたいのだ」と彼のことを話す彼女の姿に30代だったころの自分を見るようだった。
 
私にもそんなときがあった。憧れの存在を持つこと、追いつきたいと思うことでいろいろなことを乗り越え、仕事を続けてこられたのだ。
 
「大丈夫、あなたならきっとなれるよ」
私は、彼女に言った。いや自分自身に言ったのかもしれない。
 
そのときにお客さんが数人立て続けに入ってきて、彼女との会話はそこで止まった。それでも短い時間で私は心が満たされたような気がした。
 
バーが好きで通う友人の話を聞いても今までピンと来なかった。もしからしたらバーというのは、自分を振り返らせてくれる場なのかもしれないという学びがあった。
 
そんなふうに毎食学べる銀座でのランチ。気づきを得たいと願う人間には、お金では買えない何かを与えてくれるそれが銀座の最大の魅力なのかもしれない。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
杉村五帆(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

VOICE OF ART代表。30年近く一般企業の社員として勤務。イギリス貴族に薫陶を受けたアートディーラーMr.Kとの出会いをきっかけに40代でアートビジネスの道へ進む。美術館、画廊、画家、絵画コレクターなどアート作品の価値とシビアに向き合うプロたちによる講演の主催を行う。アートによる知的好奇心の喚起、人生とビジネスに与える好影響について日々探究している。

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2023-06-28 | Posted in 週刊READING LIFE vol.222

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