週刊READING LIFE vol.222

本当に伝えなきゃいけないのは、伝わっているはずだと思い込んでいること《週刊READING LIFE Vol.222》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/7/3/公開
記事:ぴよのすけ(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
――無言で座っている娘を見ながら、やはり話をしてよかったと思った。反発されることも覚悟して伝えたが、拍子抜けするほど静かに聞いている。いろいろ思うところはあるのかもしれないが、つまりは私が今伝えたことに反論の余地がないということだろう。子どもが間違ったことをしたら、正してやるのは親の役目だもの。反発されたって嫌われたって、言うべきことは言わなきゃいけない。難しい年ごろだけど、穏やかに、真摯に話をすればちゃんと分かってくれると思っていた。お友達に「あなたのことが大嫌いだ」なんて手紙を出していいわけがない。今、私が娘にしたように、娘もお友達にちゃんと向き合って欲しい。間違っても、言葉の暴力で人を傷つけるようなことはしてはいけない――
 
おそらく母はあのとき、正座してうつむいている私を見ながら、こんなことを考えていたんじゃないだろうか。
 
だが私が口をつぐんでいたのは、母の言い分が正しいと感じたからでも、自分に非があると認めたからでもなく、ほらやっぱり、私の話を信じていないじゃないかと親を諦めてしまったからだ。
 
子どもが親に見切りをつける瞬間、あるいは「この人にこれ以上話したって無駄だな」と子どもが親を諦める瞬間は、その子が大人になるまでの割と早い段階から何度も訪れるものだろうが、親はその瞬間を迎えても、今がそのときだということに多分気づけない。
 
でも、そういうものだと思う。それは親の方には、子どもの成長にときに目を見張り、ときに素直に喝采を送りながらも、心のどこかに「あなたに手をかけさせてくれる余地を、この私に残しておいてはくれないか」と無意識に願う気持ちが残っているからじゃないか。「幼いわが子がただ無心に親の愛と庇護を求めていた、あのころの姿」が、心の深いところではアップデートできないのだ。だから親はいつまでも子どものやることを心配し、手を出し、口をはさみたくなる。
 
一方で子どもの方は、いつまでも親に好きなように手をかけさせてあげたいとも思わないし、可愛い子どものままでいてあげようなんて忖度してくれたりもしない。だから成長するにつれ、親の手を振り払ってでも自分で四苦八苦しながら、自分の世界を自力で切り開いていこうとする。
 
私がこのとき感じた「どうせこの人は分かってくれない」も、このあたりの齟齬から生まれたのだと今なら理解できなくもない。それに、自分が13歳なら親も親13年生である。最初から完璧な親などいないのだ。だが当時は、人の心の中にズカズカと土足で入り込んで自分の一方的な主観でものごとを決めつける母親を見て、そんなに私のことが信用できないのかと悲しくなった。
 
当時私は中学校に上がったばかりで、何か大きなきっかけがあったわけではなかったが、あるクラスメートから何かにつけて小バカにされるようになっていた。彼女は彼女で私の言動にイラつくことがあったのかもしれないが、上から目線で、あなたのあれが変だのこれがおかしいだのと、嫌味と軽口の境目ギリギリを、ちょっとバカにしたような口調で責めてくるようになったのだ(大人になって知ったことだが、当時彼女は家庭に深刻な事情を抱えていたそうだ)。誰に話しても深く同情されることはなさそうな些細なことばかりだったが、それが少しずつ積み重なっていって、あるときコップから水があふれるように、その子と友達でいるのが嫌になった。それで、もうどう思われてもいいや、もうあの子には関わらないと決めた。
 
だけど私には、心にたまった澱のようなものを吐き出すことが必要だった。それで、出すつもりのない手紙をその子に宛てて書いた。絶対に投函することのない手紙だけど、書かずにはいられなかった。
 
それまでの恨み辛みを思いつくままに書きなぐったら、私はあの時こんなに辛かったとか、何で私にあんなことを言ったのかといったネガティブ感情垂れ流しの手紙が便箋10枚くらいになった。相手に読ませるつもりがないから、書きたいことを遠慮なくぶちまけ、清々しいほどに書き尽くした。書き終えた手紙はむりやり四つに畳んでクローゼットの奥に突っ込んだ。今から思えば、書いて満足したら処分すればよかったのだろうが、すぐに捨てると「辛かったときの自分」をないがしろにしてしまうような気がしたのだ。本当に捨てていいのは、あの子と顔を合わせても平気になったときだと思った。それに捨て場所に困ったのも事実だ。手で破ってゴミ箱に捨てたくらいじゃ、母がゴミ捨てをするときに見つけそうだ。だからひとまず、わざわざ探らないと見つからないようなクローゼットの奥に突っ込んでおいたのに。
 
あの日母と交わしたやり取りは、こんな風だった。
 
「ちょっといい?」
こう言いながら部屋に入ってきた母の表情は、いつになく硬かった。
反射的に、なんかまずいことやったっけと身構えたが、思い当たるのはあの手紙しかなく、案の定母は、隠していたはずの手紙をエプロンのポケットから取り出すと私の前に置いた。
見られた! と思った瞬間、体中の体温がサーッと下がる気がした。
母は私の目を見ながら、
「何でこんな手紙を書いたの。こんなことを書いたらだめ。友達が悲しむ」
と静かに言った。
 
は? なんだそれ。
 
何で書いたのかって、書きたかったからだよ。そうせずにはいられなかったからだよ。だけど、出してない。書いただけで、誰にも迷惑をかけていないし誰のことも傷つけていない。何か文句ある? 私、悪いことしてないよね?
 
そんな思いが頭の中をグルグル回ったが、
「書いたけど、出すつもりで書いたんじゃない。ただ書いただけだよ」
と口にするのがやっとだった。
 
だが母は私を信じられなかったようで、こんな手紙をもらった人は絶対に傷つくとか、話し合いで解決できるとか、とても正しい言葉を滔々と並べた。
 
そうだね、お母さんはいつも正しいよ。だけど正しさでは納得させられない、折り合いの付けられない感情だってあるんだよ。それに、なんで私のクローゼットの中を勝手に覗いたの。分かってる。私がちゃんと自分の服を片付けないから代わりに入れてあげたって言うんでしょう。でも本当は、親は子どものプライバシーに配慮する必要なんてなくて、子どもが隠しておきたいことでも知る権利があると思っているんじゃないの? 親だから。
 
そんなことがまた頭の中をグルグル回ったが、やっぱり言えなかった。すでに私が嘘をついていると決めつけているのだもの、何を言ったって無駄だと諦めた。親なんか、子どものことなんてちっとも分かってない。分かったような気になっているだけだと思った。
 
あれから何十年も過ぎるなかで「親は分かってない」体験を何度も繰り返すうち、親子だからといって他人よりも理解できるわけではないし、それが必要なわけでもないのだと考えが変わった。「親は分かってくれない」は「親なら分かってくれるはず」という期待の裏返しでもある。そして親子といっても別の人間同士であり、しかもすでに長い間離れて暮らしているのだから、簡単に分かり合えると思う方がおかしい。いい悪いでもなく、どちらが正しくてどちらが間違っているという話でもないのだと。だから先日、思わず母に声を荒げてしまったのは自分でも驚いた。
 
発端は、何かの用事で実家に電話をした際に、「実は内緒にしておこうかと思っていたんだけど……」と前置きされて、ある病気が見つかったと知らされたことだった。命にかかわる病ではないが現時点では手術しか対処法がなく、放置すれば最悪、車いす生活になると医者から言われたそうだ。だがその手術は首の骨を削るという、医療に素人の私でも簡単なものではないと推測できるものだった。
 
「大変そうな手術だから、一人の先生の意見で決めるんじゃなくて、セカンドオピニオンをもらった方がいいんじゃないの?」
「CTの画像はもらったからそれを持って別の病院に行く手もあるけど、あの画像を見たらどの先生も言うことは同じじゃないかと思って」
 
そして母はこう続けた。
「このことは新ちゃんには黙っておいて。あの子は心配症で気が小さいから、知ったらすごく動揺するはず。心配かけたくないのよ」
 
新ちゃんというのは、二つ違いの私の弟だ。
分かったよと返事をしながら、釈然としないものを感じていた。
母にとってはいつまでも、自分のスカートの影に隠れている小さな息子なのかもしれないが、他人の目から見たら五十過ぎのいいおっさんである。しかも、母が思っているほど弟は軟弱じゃない。職場ではダメなものはダメだと上司の戯言を一刀両断し、理不尽なことに対しては絶対に首を縦に振らず、数々の修羅場を潜り抜けてきた剛の者である(だから出世しない)。いい加減、何十年も更新されていない「繊細で気にしいの可愛い息子像」を、最新の状態にアップデートした方がいいんじゃないか。それに、「あの子が聞いたら心配するからかわいそう」と言い続けることは「あなたはそれくらいの衝撃にも耐えられない弱い子です」と弟にメッセージを送っていることと同じだ。本当に弟のためを思うなら、口先だけで「あなたなら大丈夫だ」と伝えても何の意味もない。「大丈夫なあなた」に見合った扱いをしてやらなきゃいけないんだぞ。今言うことではないから黙っておくけど。
 
そう思っていたら、母の口からこんな言葉が飛び出した。
 
「隆君には話したんだけどね」
 
「隆君」とは私の父方の従兄弟、つまり母から見ると義理の甥である。私の実家の近くに住んでいて、私の両親とは単なる親戚関係を越えた付き合いをしている。しかしそのことを踏まえても、なぜこんなに大事なことを私たちよりも先に従兄弟が知っているのか。誰に知らせようが母の勝手のはずなのに、私の中でプツンと何かが切れてしまった。
 
「ちょっと、私らって一体何なん?」
「え?」
「この手術、かなり大きい手術だよね? 病気のことだって、車いすになるかもしれないって、小さなことじゃないじゃん。それなのに、そんな大事なこと、隆君には伝えて私らには黙っとくって、私らそんなに頼りないの?」
「いや、心配させたくなかったから」
「でも、いつまでも隠しとおすことはできないでしょう。手術を受けて退院して元気になるまでずっと黙っておくことはできないんだから。新ちゃんが知ったら心配するって言うけど、最後の最後に知らされて、自分以外の全員が知っていたなんて新ちゃんが知ったら、それはそれでショックでしょうよ。自分の母親のことなのに、自分だけ蚊帳の外に置かれたって」
「……」
 
母は気丈にしているけど、手術に心配がないわけじゃないし自分の今後についても不安がいっぱいのはずだ。だから今言うべきことじゃない、と分かっていながら止められなかった。
 
「前にお母さん言ってたでしょ? 自分の父親が癌で余命わずかだということを、実の兄が知らせてくれなかったことだけは許せないって。知っていたらもっと頻繁にお見舞いに行ったし、してあげたいこともたくさんできたのにって。兄嫁は他人なのに長男の妻というだけで知らされていて、なぜ実の娘の私には知らせなかったのか。このことだけは兄を一生許さないって言ってたよね。お母さんは余命宣告されたわけじゃないけど、当時のお母さんの気持ちが今、私はようやく分かった気がしたよ。だってそれと同じだもん。私たちって、そんなに頼りないの?」
 
スマホをハンズフリーにしていたから、母の横で聞いていた父にも私の声は丸聴こえになっていて、
「隆に伝えたのは、話の成り行きで伝える流れになったからで……」などと、何とか間を取り持とうとする父の声が聞こえた。
 
電話を切ってからも、「やっぱり分かってない」と四十年前と同じことを考えていた。
親の心子知らずというが、それを言うなら子の心親知らずだろう。心配させたくないという気持ちは分かる。だがこんなときくらい、私や弟に頼ってくれたっていいじゃないか。本当に何にも分かってない。
 
そう思っていたが、この話を友人にしたところ「お母さんかわいそう、一番大変なのはお母さんなのに、娘からもブチ切れられて」と言われた。
別の人は「この話、実は誰も悪くないんですよね。悪い人は誰もいない。お母さんはあなたや弟さんに心配をかけたくないと思って言わずにいて、あなたはお母さんを想うがあまり言っちゃった。お互いがお互いを想っているのにね」
とつぶやいた。
 
そうだ。誰も悪くない。
四十年前に母が私にまず伝えるべき言葉、そして私が最初に聞きたかった言葉は、「あなたのことが大好きで、愛しているからこそ心配なことがある。聞いてもいいか」の一言だったんじゃないか。そして私が今回、母にまず伝えなければいけなかったのも、「お母さんが大事だから、心配ならいくらでもさせて欲しい」という気持ちだったんじゃないかと、ようやく思い至った。
 
私たちはつい、一番大事なことほど敢えて伝えなくても相手は分かっているはずだと思い込んでしまうらしい。
だが、黙っていて伝わるほど私たちは分かり合っていないし、今の時間を共有してもいない。
だったらやっぱり、伝えなきゃいけないんだ。「話したってどうせ無駄だ」なんて諦めたりせずに。
 
 
 
 

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2023-06-28 | Posted in 週刊READING LIFE vol.222

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