週刊READING LIFE vol.223

AI時代に、私が書き続けるもの《週刊READING LIFE Vol.223 AI時代に、私たちは何を書く?》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

2023/7/10/公開
記事:前田光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
すべての人の意見をもれなく足して、それを頭数で割ったような話ではなく、「あなたの」話が聞きたい。
「あなた」が何を思い、何を考え、何が好きで、何が嫌いかを知りたい。
「あなた」が何に悩み、何に心動かされ、何に涙したのかを理解したい。
「あなた」が何に喜び、何に怒り、何に目を奪われたのかを教えてほしい。
 
人から見たら取るに足らないことかもしれないし、バカじゃないかと笑われるようなことかもしれないけれど、私は「わたし」の話をしたい。
誰かにとっては何の価値もないかもしれないけれど、「わたし」が自分の目で見たこと、自分の耳で聞いたこと、自分の体で体験したこと、自分の心で感じたことを、「あなた」に伝えたい。
どこかの部分が「わたし」に似た人は他にもいるかもしれないけれど、「わたし」とまったく同じ人間はいない。だとしたら、私が紡ぐ言葉は、私からしか出てこないものだ。
だから私は「わたし」の話をしたい。
 
記事を書くとき、私の頭の中にはいつも「他の誰でもない、あなたのあの話を聞かせて」と私に囁く誰かの存在があって、私はそれに「他でもない、あなたにわたしのこの話をしましょう」と返事をする「わたし」としてパソコンに向かっている。
 
「誰か」はそのときによってまちまちで、家族のときもあれば、大切な友人のときもあるし、私を傷つけたアノヤローのときもあれば、足をむけて寝られないほど恩義のある人のときもある。もちろん、実際に記事ができあがったら不特定多数の人も一緒に「誰か」になってくれるのだから、私のことを知らない人がこれを読んでも果たして伝わるのだろうかといつも頭を悩ませ、苦心惨憺しながら書いている。
 
本格的にAIの時代が到来したら、ライターも翻訳者も不要になるのではという話を耳にするようになって久しい。実際にAIに書かせたという記事を読んでみると、文法的な誤りもなく、起承転結もついていて、文章としての体裁が綺麗に整っている。正直、AIがここまで書けるようになったのかと衝撃を受けたのも確かだ。
 
AIは今生きている人だけでなく、過去に生きた人の成果物も含め、インターネットに記録されているあらゆるデータを資料として使えるのだから、蓄積された情報の量を競うなら、人間ライターや人間翻訳者に出番はないかもしれない。だがそれだけで、読み手がその本や記事を選んだ動機を満足させることができるのだろうか。

かつて私がまだ見ぬ異国の地に想いを馳せながらむさぼるように読み、今でも時折手に取る紀行小説は、たとえば沢木耕太郎の『深夜特急』だ。また、通訳と翻訳と小説家という三足の草鞋を履いた偉大なる先達(とお呼びするのも恐れ多いが)の頭の中を覗いてみたいときは、米原万里の『不実な美女か貞淑な醜女か』や『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』を開く。だが、この方々の文体をAIに徹底的に学習させ、詳細なプロンプトを与えて出力されたものを読みたいかと言ったら食指は動かない。それがご本人の内側から出た言葉でもなく、その人自身の言葉で語られた「体験」でもないからだ。
 
つまり私は、「この人の言葉だからこそ、耳を傾けたい、読みたい、知りたい」という私のニーズには、ご本人の手から直接生まれたものでなければ答えてもらえないような気がしている。それは私が、この方々に惚れているからだ。私にとってこうした本は私に宛てた、そして私以外の全読者を対象としたラブレターと同じだ。だからそれは、誰かや機械に代筆させたラブレターではなく、自筆のものをもらいたい。そう思っている。
 
また、誰かを実際の行動に駆り立てたり、人の感情を揺さぶったりするのは、行間からにじみ出てくる、文章化されていない空気感や気迫といった文字情報以外のものである場合もあるはずだ。文字を覚えたての幼子が、時間をかけて一生懸命に書いた「お母さんありがとう」の文字から伝わるものは、単なる文字情報以上のものが伝わる。それと同じことは、ときに文章テクニックを超越して、あらゆるコンテンツで起こりえることではないだろうか。
 
AIの影響は翻訳業界にも及んでいて、極端な話だと、早晩翻訳という仕事は消えてしまうんじゃないかと極端なことを言う人もいるが、人間翻訳でなければならない分野と、機械翻訳でよい分野に二極化するという言い方の方が正しいと思っている。
 
ある言語において一つの言葉が生まれる背景には、その言葉を使う人たち固有の文化や置かれた環境、歴史、宗教観や世界観がベースになっているのだから、意味が同じとされる単語を機械的に組み合わせれば訳文になるというものでもない。そもそも、異なる言語の単語の意味が完全に一対一で対応している場合の方がはるかに少ないはずだ。それに加え、執筆者に固有の体験や人生観、哲学といった要素も作品に反映されている。そして、読者が執筆者に惚れるように、翻訳者も本に惚れ、作者に惚れる。大体、翻訳を職業に選ぶような人は、ひとつの単語、一つのセンテンスにいちばんふさわしい訳語を当てるためなら、数時間、ときには数日間費やすことも厭わないという、調べ物の変態のような人たちだ。そんな翻訳者が、惚れた相手の作品を別の言語に置き換える際に、そのすべてを可能な限り知りたいと思わないはずがない。だから必要と思われる情報を、できうる限り調べ上げる。そうしてできあがった成果物が読み手の心に与える情報量は、AIをしのぐと考えている。
 
つまり、「この人の書いたものなら読みたい」「この人の生き方が素敵だ」「この人のことを知りたい」といった書き手個人に対する欲求を読み手が抱き続ける限り、執筆や翻訳という職業は残るだろうと考えている。
 
一方、書き手の立場として考えたとき、プロンプトでAIに学習させ、成果物を書かせることで、書きたいという欲求が満たされるのか、という問題があるだろう。
誰しも人任せにできないものがあるのと同様、AI任せにできないコンテンツだってあるはずだ。少なくとも私は、私にとって大切なことほど、自分の言葉で語りたい。
 
ということは逆に言うと、自分が一からすべて書く必然性は感じておらず、個人的な思い入れもそれほど強くはないが、誰かに伝える価値はあると考える素材ならAIの活用は大いにありうる。
 
記事を書く第一歩が、伝えたいこと、つまり素材を選ぶことから始まるのは、AI以前と同じだ。だがAIの出現によって、何をコンテンツ化するかを取捨選択する際の条件がさらに狭まった感がある。AIに任せてよいもの、自分の手で文章化したいものとの境目が、より鮮明になった感がある。

つまり、AIの出現で、書き手は嫌でも「これはどうしても一からあなたが生み出さなければならないコンテンツですか? それともAIにお任せしていいコンテンツですか?」と自問自答し、自力でコンテンツ化する情報の取捨選択を明確に強いられる時代にもなったのだろうと感じている。言い換えると、何を伝えるか? よりも、何を書きたいか? に書き手の目的がより近づいているのではないか。
 
だが、書きたい思いが強ければ強くなるほど、言いたいことすべてを表現しきれないことに苛立ちを感じる。Aと言いながらももしかしたらBもありうるかもな、とどこかで考えているような矛盾を、常に感じながら書いている。このあたりの葛藤は、AIにはないのだろう。
 
自分の思考や行動の一つ一つに矛盾や葛藤を抱えているのが人間なのだから、これもしかたのないことだ。あれも言いたい、これも書きたいとジレンマを感じながら、全体のまとまりを考えると、どんなに入れたくても削った方が良い場合もある。だから、書くという行為は足し算じゃなくてむしろ引き算だなと考えるようになった。そしてそれらの矛盾を一つの記事の中で解決しようとすることをやめた。
 
記事を書くことは、自分を深掘りすることと同じらしい。だったら一生かけてそれをやって、最終的にパッチワークのような完成品ができ上がればいいと割り切るようになったからだ。一人の人間が見聞きしたもの、体験したことを書き綴ったものが最後に一つの絵になるような作品群は、人間にしか表現できない。AIには体がないのだから。
 
だったら私が書くものは一生をかけた大きな意味での一つの作品であっていい。むしろ私にできることなど、それしかないんじゃないかと今、考えている。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
前田光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
<
広島県生まれ。
黒子に徹して誰かの言葉を日本語に訳す楽しさと、自分で一から文章を生み出すおもしろさの両方を手に入れたい中日翻訳者。/blockquote>

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2023-07-05 | Posted in 週刊READING LIFE vol.223

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