週刊READING LIFE vol.234

両親とヤツが繰り広げた、100日間の死闘の結果《週刊READING LIFE Vol.234 まさかこんなことが!》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/10/2/公開
記事:前田光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「ちょっとー! 家の中になんか変なもんがおるじゃろ!」
 
階下の台所で母が朝食の支度をし始めた気配を感じた私は、階段を一気に駆け下りて叫んだ。
 
「あ、出た?」
「は? 『あ、出た?』じゃないわ! 分かっとるなら最初っから言うといてよ! アレは何!?」
 
前の日の夜に実家に里帰りした私は、長距離移動で疲れているはずなのに何となく眼が冴えて、二階にある自室の布団に潜り込んだまま、読書灯を点けて遅くまで本を読んでいた。私の部屋は、母屋の台所から階段を上がったところにある小さい踊り場の左側にあって、踊り場の向かいにはちゃんと閉まり切らない引き戸の付いた小さな物置部屋がある。両親は離れで寝起きしており、母屋にいるのは一階で寝ている祖母と、私だけだった。
 
夜半を過ぎたころだろうか。階下で床が鳴った。私の実家は築八十年をとっくに超えた、よく言えば古民家、はっきり言えばボロ家である。何度もリフォームを繰り返してはいるが、全体的な劣化や建付けのガタピシ感は否めず、一歩歩くたびに床がきしむ。だから最初は、誰かが水でも飲みに台所に来たのかなと思っていた。
 
ところが、小さな音ではあったが、ぎしっ……ぎしっ……と規則正しい音が近づいてきた。何かが階段を上がって、こちらに歩いて来るような音。いったい誰だ。しかし両親や祖母がこんな真夜中に私を訪ねて来るわけはないし、半開きの引き戸の向こうにある階段の電気も暗いままだ。それに、人が上っているにしては音が小さいような気がする。そんなことを考えている間にも、その音は、一歩一歩近づいてきた。
 
「誰っ!?」
 
耐えきれなくなった私は、大声を上げた。
 
すると、ダダダダッと階段を駆け上がる音がしたかと思うと、引き戸の向こうを何か黒いものがサッと横切って物置部屋のほうに消えた。
 
……いったい何だったんだ、今のは!
 
心臓がバクバクしていた。もちろん物置部屋を確かめに行く勇気などなかった。部屋の電気を全部点け、その辺のものを手当たり次第にバンバン叩いて無駄に物音を立てて、得体の知れないそれを威嚇し、頭から布団をかぶってようやく眠った私は、だから朝イチで母を問い詰めた。
 
「あー、ごめんごめん。私らすっかり慣れてしもうて。あのなあ、イタチがおるんよ。イタチ。もう何か月になるかなあ」
「イタチ?! 何でまたそんなことに」
 
母の話をまとめると、こういうことになる。
実家は母屋の部分と、あとになって建てた鉄筋の離れがあって、両者は通路でつながっている。だが木造部分の母屋が全体的に歪んでいるからだろう、母屋と通路と離れのつなぎ目になっている壁のどこかに、小さな穴か隙間ができているらしい。そしてその隙間を入ると、壁伝いに母屋にも離れにも行き来できるようだ。なぜなら、台所の食べ物がなくなったり、離れの天井裏で動物が歩き回ったりするようになったからで、それはイタチの仕業らしいということが、一か月以上も前に分かったのだそうだ。
 
「ダイニングテーブルの上に置いといたものが、よくなくなるなーとは思っとったんよねえ」
 
きっかけは、箱に入ったいただきものの饅頭だった。一つずつフィルム包装された小ぶりの饅頭が、箱の中に何十個も並んでいたはずなのに、ふと気づいたらごっそりなくなっている。母は、自分はそんなに食べていないし、父だってそこまで甘党ではない。だから最初は、いよいよボケが進んできた祖母が食べたのかと思ったそうだ。
 
「ばあちゃんに聞いたら、『わしゃあ知らん』て言うたんじゃけどね」
 
祖母が日ごろから食い意地が張っていたのが災いして、父と母の間では当初、多分ばあちゃんが食べたんだろうという話になっていた。
 
ところが次に卵が消えた。しかも、一つ二つの話ではない。いくらなんでも生卵を五つも六つも祖母が丸呑みするはずもなく、やっぱりこれはおかしいんじゃないかという話になった。そこで家じゅうを点検して、普段は入らない二階の物置部屋も覗いてみたところ、部屋の一番奥にまだ食べていない饅頭が数個と、饅頭の包装紙がたくさん、そして卵がいくつも隠してあった。
 
「いくらまだらボケが進行しとるとはいえ、そりゃあばあちゃんも濡れ衣を着せられて気の毒に」
 
「ほうなんよ、悪かったわ。それによく考えたら、いくらボケてきとるとはいえ、あんなにたくさんの饅頭をいっぺんには食べられんよなあ。それに包み紙のゴミも出てなかったし、不審な点はあとから考えればたくさんあったんよ」
 
とにかく古い家だから、家の中に小動物が現れるのは、家族全員ある程度慣れている。ネズミなんかしょっちゅう出るし、天井裏に野良猫が迷い込んで出られなくなって、夜中に突然恨めしい声で「にゃあああああおおおおおおおおおお!」と鳴き出したため、ちょうどその真下で受験勉強をしていた私が「ギャーッ!」と叫んだこともある。またあるときは、階段に誰かがベルトを出しっぱなしにしているぞちゃんと片付けろ、などと思いながらまたいで二階に上がり、下りて来るときによくよく見たらヘビだった。だが彼らはしょせん、何かのついでにうちに立ち寄っただけだ。今回のように我が物顔で、何カ月も家の中を好きに荒らされるのは、さすがに看過できない。
 
「いろんな人に相談したら、卵を両手で抱えて割らずに運ぶとか、饅頭をその場で食べ散らかさずにまずは安全なところに運んで隠すとか、そんなに器用で賢い動物はイタチしかおらんって言われたんよね。それで、退治せんかったらいつまでもやられるよって言うから、こっちもいろいろ試してみたんよ。バケツに水を張って、その上からおがくずをばらまいて、そのまた上にそーっと食べ物を置いたりとか。市販の罠も買って試したよ。その辺のことはかっちゃんオジちゃんが詳しく教えてくれたわ」
 
かっちゃんオジちゃんとは近くに住む父の友人で、我が家とは家族ぐるみの付き合いである。父の友人の中でも群を抜いて変わっていて、「ワシの背中に刀傷ができてないか、ちょっと見てみてくれん? 昨日の夜、夢で背中を侍に袈裟懸けにされたんじゃけど」とわざわざうちに来て真顔で半裸になるような人である。そしてなぜか病的なまでに家をきれいに保たねば気が済まない質で、家や庭を荒らす動物の対策には、めっぽう詳しい。
 
「で、どうだった?」
「どうもこうも、かしこすぎて全然ひっかからんの! しかもイタ公のやつ、罠を仕掛けた日の夜に限って、わざわざ私らの寝とる部屋の屋根裏に来て、ドンドンドンッて足を踏み鳴らして大暴れしていくんよ!」
 
話しながら怒りが沸き起こってきたのか、イタチの呼称が「イタ公」に変わった。
 
「え? それ、たまたまじゃない?」
「いいや違う。あれはちゃんと分かってやっとる。『こんなショボい罠になんかひっかかるかよ、バーカ!』ってわざわざ笑いに来て、嫌がらせしとるんよ。今までどれだけ罠をかけても一回も成功せずに、そのたびに暴れに来るんじゃもん。間違いないわ」
 
それに、と話をつづけた母は、一呼吸置くとこう続けた。
 
「何回も罠を仕掛けとったらな、ある朝起きたら、ダイニングテーブルの父ちゃんが座るところに、うんこがしてあったんよ! あんなに広いテーブルの、よりによって父ちゃんが座るところによ?! この家の家長が座る場所だって絶対分かってやっとるじゃろ! もちろん前日の夜は、いつものように天井裏で大騒ぎよ。どんだけ人を小バカにしとるんか!」
 
なんと、ここまでイタチにコケにされているとは! そして昨日は昨日で、我が家の台所を我が物顔でうろつき回り、私に一発かましていったというわけだなコノヤロー!
 
「父ちゃんも起きてきてそれを見て、『もうワシは、本気で怒ったどー!!!!』って」
この瞬間に、母が笑いをこらえていることに気づいた。父には悪いがその姿を想像すると、私ももう我慢できない。
 
腹がよじれるほど笑ったあとで、ある疑問が浮かんだ。
「だったら、家の外壁の隙間を何かで埋めたら?」
「それが、外から見ても分からんのよ。もしかしたら壁じゃなくて、軒下のどこかかもしれんし。それに家の中にイタ公がおるときにふさいだら、そのまま家に閉じ込めてしまうじゃろ?」
「あ、それは困る」
「でもな、それまでは傍観者みたいだった父ちゃんも、あのうんこ事件でついにスイッチが入って」
「ほう」
「それまでは『どうせ外から見ても分からんわ』ってひとごとみたいに言っていたのに、すごい執念を燃やして脚立まで出して、外壁をくまなく調べ上げて」
「ほうほう!」
「だけど、結局見つからんかったんよねえ……」
「あ、そう……」
 
数日間の里帰りを終えた私は、自宅に帰った。離れてしまえば悩まされることはないので、私の頭の中からイタチのことが消えるまで、さほど時間はかからなかった。するとある日、母からの電話が鳴った。
 
「イタ公の話なんじゃけどな、追い出せたかもしれん」
「え、どうやって?」
「父ちゃんが、どうしても許せんって言ってもう一回、目を皿のようにして家回りをくまなく調べたんよ。そして怪しいところ全部を板でふさいだ」
「へええええ!」
「そうしたら幸いなことに、ふさいだときにイタ公は留守にしとったみたいで、それ以降は何も起こらんようになった」
「そりゃあ、本当によかったねえ」
 
本当に、何よりである。
だが古い家だから、ほかにも隙間はたくさんありそうだし、あのイタチが根に持って、また舞い戻って来る可能性は大いにありそうだ。黙って諦めるとはとても思えない。
 
私がそう言うと母は、
「それがな、大丈夫みたいよ」
と言いながら吹き出した。
 
「かっちゃんオジちゃんが『おーい、もう大丈夫どー』ってわざわざうちに言いに来たんよ。『あのイタチが峠のカーブのところで車に轢かれとるのを確かに見た、もう安心してええでー』って」
 
んなわけあるかい! ツッコミどころはたくさんあるが、そもそもあのイタチをうちで見たことがないオジちゃんに、見分けなんか付くわけないじゃないか。
 
「何でうちのイタ公だって分かるんよ」
すると母は声を震わせながら、
「胸のところに『前田』って名札が付いとったんじゃと。『ワシ、わざわざ車から降りて確かめたけえ間違いないで。もう安心せい』って言うとったよ」
と言った。完璧な落ちまで付いて、いつものかっちゃんオジちゃん節が冴えわたった日であった。
 
だがそれからというもの、実家がイタチに悩まされることは本当になくなった。
父も母もまだ健在だが、当時よりは確実に年を取っている。人でも動物でもやたら来客の多い家ではあるが、もうそろそろ無断でやって来て家をひっかき回す動物のお客さんには、娘としてはご遠慮願いたいものである。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
前田光(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

広島県生まれ。
黒子に徹して誰かの言葉を日本語に訳す楽しさと、自分で一から文章を生み出すおもしろさの両方を手に入れたい中日翻訳者。

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2023-09-27 | Posted in 週刊READING LIFE vol.234

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