週刊READING LIFE vol.237

卒寿と還暦でようやく母娘になれたのかも《週刊READING LIFE Vol.237 家族愛》


*この記事は、「ライティング・ゼミ」の上級コース「ライターズ倶楽部」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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2023/10/30/公開
記事:丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「ゆりちゃん、いつも悪いわね」
 
わが家からほど近くにある実家で一人暮らす母。
自治体からの郵便物や市役所からの案内など、わからない書類があると、私に見て欲しいとやってくる。
 
今年で90歳になった母、実家はマンションを経営していて、母は空き室が出たら、仲介業者とのやりとり、設備の不具合にも修繕をお願いしている業者とのやり取りや、銀行での振り込みや引き落としなど、日々の生活だけでなく、あらゆることを一人でやっている。
ハッキリ言って、スゴイ90歳だと思う。
でも、私がそのことに気づいたのは、ここ最近なのだ。
 
私は三人兄妹の長女で、兄と妹がいる。
兄と妹は、子どもの頃から見た目がかわいくて、性格も素直なので、母をはじめ祖父母や親せきも、それは大事にしているのが子どもながらに感じられるほどだった。
 
それに比べて私は、4歳からメガネをかけ、昭和一桁生まれの母が、毎日大量に作るご飯を兄や妹と競うように食べていたので、ずっと太った子どもだった。
まあ、お世辞にもかわいいとは言えない子どもだ。
 
さらには、見た目だけではなく、性格は几帳面で神経質。
おまけに内弁慶で、家の中では態度が大きいのに、一歩外に出ると一言もしゃべれない、あかんたれの子どもだったのだ。
そして、食べ物の好き嫌いも多く、それが、家族の中で私一人だったので母はいつも手を焼いていたようだ。
ちなみに、当時同居していた父方の明治、大正生まれの祖父母や他の家族全員が何でも食べられたのに、ただ一人私だけが異常に食べ物にも神経質だった。
 
そんなこともあってか、母は兄や妹に比べて、育てにくいとよく言っていた。
特に、この神経質な性格は、父にそっくりだったのだ。
母と父は、いつも夫婦喧嘩が絶えないような関係だったので、ますます私のことはある意味、面倒臭い子だったのだろう。
 
幼い頃からそんな関係にあった母と私。
なので、あまり自分から母に話しかけることはなかった。
元々、親から言われなくても、生活習慣や勉強も、何でも自分から出来たので、母にとってはそういう面では手のかからない子だったのだろう。
 
私より4歳下の妹は、おとなしくて、文句も言わず、じっと母の側にいるような子どもだったので、そちらの方に手をかけていたようにも思う。
だから、母は私が小、中学校の頃、担任の先生や友だちの名前すら知らなかったと思う。
私も、学校での話や、友だちとの関係など、何一つ母に話した覚えもないのだ。
そんな母との関係は、その先ずっと結婚するまで続いた。
なので、社内恋愛の末に結婚した商社勤めの夫と、台湾での生活を始めた時も、寂しいとか、母の声が聞きたいとか、一度も思うことはなかった。
 
そして、日本に帰国後に娘を出産した。
あんなにも母との関係が薄かった私の子どもなので、果たして母はかわいがってくれるのだろうかという心配が心のどこかにあったのだ。
 
ところが、生まれた娘を見た母は、これまで私にも向けたことのないような表情や愛情を孫には注いでくれたのだ。
さらには、私の幼かった頃のこと、どんな想いで育てていたかなど、生まれて初めて、母の私に対する様々な想いを知ることとなったのだ。
 
そういえば、小学生の頃、友だちがお母さんから一週間のスケジュールを立てられているといって、その表を見せられたことがあった。
何曜日は、ピアノのお稽古、塾、などと予定が書かれていて、それに合わせて、その練習の時間などがびっしりと書き込まれていたのだ。
それを見た瞬間、私は「いいなあ」と思ったのだ。
こんなにも親が関わってくれて、かまってくれて、何て羨ましいんだろうと思ったのだ。
それを帰宅後、すぐに母に言って、私も同じようにやって欲しいと頼んだのだ。
すると、母は、「お母さん、そんなのイヤ。言われなかったらやらないならば、もう勉強しなくていいから」
 
そんなことを言う母親って、いる?
私は呆気にとられたのと、この家では自分のすることは自分でしっかりとやらないといけないんだと子どもながらに心に刻んだことを覚えている。
 
それから、思春期の娘に対してよくある、「門限」というものがわが家にはなかった。
何時に帰ろうが、どこへ行こうが、親は一切干渉することなく、叱られた記憶はないのだ。
そういった経験の全てを考えて、母は放任主義、さらには私には興味がない人だとずっと思い込んでいたのだ。
 
ところが、娘の出産から、私と母との関係は変わっていった。
娘のことを予想以上にかわいがり、大事にしてくれたのだ。
私に用事があると、娘の世話をしに片道1時間以上をかけて、当時住んでいたわが家へとやってきてくれた。
夫婦で遠方へ一泊で出かけなくてはいけない時には、娘を預かってくれた。
娘を預かっている間、例え大変なことがあったとしても、それを大変と捉えず、「元気がいいから」と、叱ることも文句を言うことなども一切なかった。
娘がしたいことをさせてくれて、自分都合で制止することなどもなかった。
だから、娘もおばあちゃんが大好きで育って行った。
 
私としては、これまでの自分と母との関係からみてみると、もう青天の霹靂に近いくらいの、カルチャーショックくらいの衝撃だった。
えっ、お母さんって、こんな人だったの?
 
そこから思い返してみると、私が幼い頃は、母は父の両親と同居していた。
いわゆる、嫁、姑問題の中で暮らしていたのだ。
私たち兄妹への愛情を100%のエネルギーで注ぎたくても、色んな目を気にしながら、優先することが他にあったり、悩み事があったり、いっぱい、いっぱいだったのだろう。
そんなことを、成人して、自分も子どもを持つようになってようやく理解出来たのだ。
だから、本来の母の性格というのも、私が子育てを始めて、やっとわかったような気がしたのだ。
 
娘と初めて、東京ディズニーランドへと遊びに行く際も、ツアーに参加するにはもう一人、大人の参加が必要だと言うと、「お母さん、一回行ってみたかったのよ、行く、行く」と快く返事もしてくれた。
そして、本当に、娘と三人の東京ディズニーランドを満喫していたのだ。
 
ある時には、「死ぬまでに、一回でいいからハワイに行きたい」と言い、その際には、私と娘と母、さらには妹も含め、女5人で行ったこともあった。
食べ物の好き嫌いのない母は、海外での食事も何ら問題なく、相変わらず私が食べられないモノも全部引き受けてくれるくらいだった。
 
子どもの頃、上手く築けなかった母との関係。
それを、子育てを通して、母の性格や想いがわかるようになっていったのだ。
 
そんな実家の母は、今年で90歳、卒寿の年を迎えた。
毎日、自転車に乗って、買い物や銀行にも行っている。
しかも、電車で3駅ほど離れた街へも、3,40分ほどかけて自転車に乗って行くこともあるのだ。
マンションの経営に関しては、銀行、確定申告や仲介業者、修繕業者とのやりとりなども全部一人でやっている。
今でも、私の出張の際には、わが家に泊まりに来てくれるのだが、その予定を前もってお願いしていても、忘れたこともない。
そんな話を周りの友だちたちにすると、そんな90歳はいないと言われたのだ。
 
私にしてみれば、母はずっと昔からそうであって、それがずっと変わらないから、特別、スゴイことだと思う機会もなかったのだ。
母は、カラオケ教室に通い、発表会に向けて自主練習のために一人カラオケにも行って腕を磨き、老人向けの体操教室にも休まず行っている。
近所で評判の良いお店があれば、友だちを誘ってランチにも行っている。
 
ある時、「お母さんのお友だちって、どんな人?」と聞いてみたのだ。
以前は、よく母の地元の小学校の同級生のおばちゃんたちと旅行に行ったり、ランチやお買い物に行ったりしていた。
でも、今では、同級生の殆どの人が亡くなり、あるいは施設に入ったり、デイサービスに通ったりしているという。
そりゃあそうだろう、何しろ、母は90歳なのだ。
 
で、今、仲良くしてもらっている人は?と尋ねると、
 
「15歳くらい若い人でみんな75歳くらいかな、そんなお友だちに遊んでもらっているの」
 
母より15歳若いって言っても、75歳か……。
一瞬、頭の中の整理が出来なくなるくらいだったが、そういうことなのか。
75歳が若いお友だちなのか。
 
そんなことをあらためて思うと、私は母に感謝しかないと思うのだ。
こうして、90歳になった今でも、自分のことはもちろんのこと、マンションの経営、私の出張や外出時に、娘や犬の世話にも来てくれるのだ。
あんなにも、子どもの頃は関係が薄い、性格が合わないと思いこんでいたが、今では兄妹の中で誰よりも濃い関係を結んでいるのだ。
 
そう思うと、人生って、面白いし、わからないものだなとつくづく思う。
人生を俯瞰してみると、母との関係というのは、そう悪くもなかったのかもしれない。
私の子どもの頃、母の事情は私には知るすべもなく、一方的に子どもなりの想いだけでいたのだ。
 
でも、私自身が子育てをすることで、ようやく心が成長出来た私は、母のこれまでのことや母の心の中の本質的な想いを慮ることが出来るようになったのだろう。
子どもの頃は、親からの愛情は他の兄妹に比べ、私自身は薄いものだとどこかで諦めていたこともあった。
希薄な関係だと思い込んでいたのだが、そんな関係も時間が経つにつれ、変化してゆくこともあることを知った。
 
今年、還暦を迎えた私に対して、90歳の母は、今でも「ゆりちゃん」と呼ぶ。
私は、母から一度も名前を呼び捨てにされたことがない。
そんな関係をみてみると、母は私を子どもの頃から、今と変わらない愛情で見てくれていたのかもしれない。
そんな母の愛を、ようやくこの年齢を迎えて知ることとなったのだ。
 
お母さん、少しでも長生きをして、やりたいことをたくさん経験していってね。
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
丸山ゆり(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

関西初のやましたひでこ<公認>断捨離トレーナー。
カルチャーセンター10か所以上、延べ100回以上断捨離講座で講師を務める。
地元の公共団体での断捨離講座、国内外の企業の研修でセミナーを行う。
1963年兵庫県西宮市生まれ。短大卒業後、商社に勤務した後、結婚。ごく普通の主婦として家事に専念している時に、断捨離に出会う。自分とモノとの今の関係性を問う発想に感銘を受けて、断捨離を通して、身近な人から笑顔にしていくことを開始。片づけの苦手な人を片づけ好きにさせるレッスンに定評あり。部屋を片づけるだけでなく、心地よく暮らせて、機能的な収納術を提案している。モットーは、断捨離で「エレガントな女性に」。
2013年1月断捨離提唱者やましたひでこより第1期公認トレーナーと認定される。
整理・収納アドバイザー1級。

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2023-10-25 | Posted in 週刊READING LIFE vol.237

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