老舗料亭3代目が伝える 50までに覚えておきたい味

第16章 全てを包み込む懐の深さ〜冬のおでん《老舗料亭3代目が伝える50までに覚えておきたい味》


2021/11/29/公開
記事:ギール里映(READING LIFE編集部公認ライター)
 
 
おでん。
 
これを食べずして冬は越せない。秋も深まり京の山々が紅葉し始めるころになると必ず食べたくなるのがおでん、それも関西風の出汁が効いた、あっさりめのおでんです。好きな種は大根、こんにゃくと宝袋。王道は練り物でしょうけれど、私はそんなに好きじゃない。まあ、好きなものを好きに食べたらよろしい。種の種類はいろいろあって、王道の練り物、大根、たまごもあれば、土地柄が出るもの、季節のものなど種々さまざまにある。いろいろあっていいんです、何を入れてもおでんはおでん。どんな食材だろうと取り込んでしまう懐の深さが、おでんの醍醐味なんだと思います。
 
世界一美味しいおでん屋が京都にあります。京都で一番なのだから日本で一番、日本で一番なのであれば世界で一番でしょうと思うのです。それくらい京都は食文化においては別格。自分が京都出身だから少しは下駄を履いているかもしれませんが、ミシュランをはじめとする世界の評価基準からも軒並みよい評価を得ているのですから、あながち間違ってはいないと思うし、反論する人もいないのではないかと思います。
 
食の分野で京都一ということは、つまり世界一ということ。
ほんまに美味しいものが食べたい、と思うのであれば、京都にお越しいただくのが一番手っ取り早い。
 
 

世界一美味しいおでんは京都にあり〜蛸長(たこちょう)


創業1882年、つまり明治15年。なかなかの老舗ですが、京都ではまあまあ、といったところでしょう。
河原町から東山のほうに向かい四条大橋を超えて、川端通りを少し下がった団栗橋(どんぐりばし)の向いの角地に佇むのが世界一のおでん屋、蛸長です。食通で知られた池波正太郎も足繁くかよったといい、歴史の深みと風情を感じさせます。数分歩けば祇園、そして南座もあるという土地柄か、歌舞伎俳優や芸妓、舞妓の姿もちらほら。昔から変わらぬ木造の店構えに、出汁の香りと歴史の重みが刻まれているようです。
 
中はL字型のカウンター席で10席のみ。予約ができないので並ぶしかありません。メニューはおでんだけ、それが壁にかかった木札に書かれていますが、全部漢字なのでなかなか読めないものもあります。しかも値段は書いていない。「玉子」「湯葉」「宝袋」なんていうメジャーなものはわかりますが、「飛龍頭」「巻甘藍」「阿蘭陀」となると、もはや読み方すらわかりません。値段もわからず何かもわからないもののなかから、自分が食べるものを選ぶというのは貴重な体験ではなかろうか。
 
私が最初にここを訪れたのは京料理屋を営んでいた両親とでした。お店の営業が終わってからの夕食、早くて8時、遅い時には10時になるころ、先斗町や木屋町、祇園にあるちょっとしたところで夕食を済ますのが日常になっていました。料理屋ですから家で食べたらいいじゃないか、賄いを食べればいいじゃないか、と思うかもしれません。しかし当時お店はありがたいことに大繁盛していたので、お店で食べる時間もなかったのでしょう。行き着く暇もなく働きづくめでしたから、ちょっと息抜きも必要だったのかもしれない、また同業者の店にいくことで時代の流行を確認したり、お客様の顔を見たり、と、いろんな意図があったのかもしれません。当時まだ10代の中高生でしたから、そんな両親の想いは知るよしもありません。とにかく私の10代は、両親につれられて京都中の料理屋、割烹、レストランを体験することができた時間でした。
 
そんな流れで出会った蛸長、当時の大将はちょっとオネエが入っているかと思しき物言いや仕草で、なかなかの異次元空間を作り出していらっしゃいました。カウンターに座るとお皿に守られた数種類の種とたっぷりの九条ネギ、そして和辛子が添えられて出されます。熱々で、関西風のふうわりしたお出汁がたっっぷり染み込んだ大根、そこに葱が爽やかさを加え、和辛子がアクセントとなっています。薄味だから一つ一つの素材の味をビビッドに楽しむことができます。
 
好きなものを好きなだけ頂くことができるのがおでんのいいところ。体調や気分に合わせて好きに量を調節することができます。大きなおでん種は1種類でも結構お腹が膨らみます。油断しているとあっという間にお腹いっぱいになってしまう。しかしそれが全然重くない。だからまたすぐに食べに行きたくなる。そんな欲望の無限ループを引き起こしてくれるのが蛸長の魅力です。
 
先代から代替わりするときに存続が危ぶまれましたが、今は4代目が引き継ぎ暖簾を守り続けています。人が変わると味が変わり、場が変わります。そのためお客も変わります。大体において人が変わると「味が落ちる」と常連さんが敬遠します。しかしその裏側にはそのお店がこよなく愛されているという姿があります。愛されているからこそ変化を嫌う。自分の好きな店、好きな味はそのままでいて欲しい。そんなふうに願う常連さんの心の裏側が、そのような悪態をつかせるのかもしれません。
 
一つの味、一つの店を守り続けるのは簡単なことではありません。
多くのビジネスが2代目に変わる時に消えていきます。それほど事業承継することは難しいのですから、ここになおかつ「味」や「場の空気」というような、目に見えないものを継承するのは、通常の事業継承に輪をかけて難しい。なぜならそれらを図る尺度があまりにもわかりづらいからです。
蛸長は4代目、これまで3回もその危機を乗り越えてきたことになります。私も東京に拠点を移してからはなかなか訪れることができずにいますが、改めていまの大将の想いに触れ、新しい蛸長を確かめにいきたいと思っています。
 
人は「味が落ちた」というけれど、それはそもそも比べるから。先代のほうが美味しいと思い込み、その昔の味を知っている自分を誇示して通ぶりたい気持ち、とてもよくわかります。
 
 

人形町の、まぼろしのおでん


おでんには、本当に、思い出がたくさんあります。
 
東京に引っ越して5年ほどたったとき、そろそろどこか1箇所に落ち着きたいと思いながら住む場所を探していました。その時に候補に上がった街が人形町でした。その理由は今は亡き父にあります。
 
板前だった父が若かりし頃修行した場所が人形町にありました。板前の修行かと思いきや風呂敷やではあったのですが、父にゆかりがあった場所ならなんとなく選びやすく、また人形町は京都と似て古い街並みであったので、迷いなくこの土地に引っ越すことを決めました。
 
引っ越しもすみ落ち着いてくると少しずつ街を探索しはじめます。人形町の界隈は道が碁盤の目に張り巡らされており、ちょっとした路地に入ると小さな料理屋やお惣菜や、カフェなどもあり飽きることがありません。こうして散策を日々続けていたとき、ふと出会ったものがありました。
 
路地も路地、建物の隙間の道なき道を抜けていったところに古い木造の長屋があり、その前に屋台が泊めてありました。昼間なので屋台は営業していません。営業していない屋台をまじまじと見る機会などそうそうありませんから、私は友人と興味深くその屋台を眺めていました。
 
すると長屋のなかから80歳は超えているであろう老婦人が顔を出しました。その屋台の主であるようで、人懐っこく話しかけていらっしゃいます。
 
「そう、最近引っ越して来られたの」
 
その老婦人は屋台のオーナーで、おでんの屋台をやっていらっしゃるという。
 
「夜でないと、やらないからねぇ」
 
と、申し訳なさそうに笑顔を作る。
「この辺りは昔芳町と言って、元吉原の遊郭街だったんよ。その後吉原が浅草に移ってしまったので寂しくなりましたけど、そのあとは芸妓が住む花街として栄えたんや」
 
 
こちらが訊くともなしに、人形町の歴史を語ってくださいました。
友人と二人その話を聞き入り、せっかくだから夜にまたその屋台に行ってみようということにして一旦その場を去りました。
 
それからしばらくしてふとそのおでんの屋台のことを思い出し、友人と行ってみることにしました。おそらく3ヶ月後ぐらいだったでしょうか。記憶をたどり路地を探すも、どうしてもその屋台を見つけることができません。その屋台がとまっていたと思しき長屋すら見つけることができないのです。
 
自分一人なら記憶違いかなと思わなくもないのですが、一緒に行った友人にも見つけることができず、二人で狐につままれたような気持ちになったことを覚えています。果たしてあの老婦人は本当に存在したのか。その屋台のおでんは本当にあったのか。あの時からもし老婦人が亡くなったというようなことがあったとしても、たかだか数ヶ月前のことですから、長屋や屋台をきれいに処分してしまうには時間があまりにも少ない。しかしどこをどう探しても、跡形もなく消えており、あの路地すら見つけることができないのです。いまだにあの屋台のことを思い出し、ふらりと足を向けることも何度かありましたが、その度にますます遠くなっていく記憶に想いを馳せながら、あの老婦人は一体自分に何を伝えたかったのだろうと考えることがあります。
 
実際に存在したのかどうかはわかりません。記憶の中ではものすごくリアルで、感触も全て覚えているので事実だと思っているのですが、いまとなってはもはや、自分の頭のなかだけで作った妄想かもしれないとも思います。しかしその事実はもうどうでもいい。ただこのときに感じた不思議な異次元の感覚、新しい街に引っ越したばかりで不安ななか、街に包まれた気持ちになれたあの不思議な感覚は、いまでも忘れることができません。
 
 

すべてを包み込む懐の深さ


おでん、と一言でいうけれど、その定義は実はとてもあいまいです。
もともとは田楽に「お」をつけた女房言葉で、室町時代に種を串刺しにして焼いた「焼き田楽」が始まりでした。それが江戸時代に入り「煮込み田楽」が生まれると、おでんは煮込み田楽、田楽やは焼き田楽を示すようになりました。
 
 
おでんの種にはいろいろあります。定番であれば大根やこんにゃく、はんぺん、練り物系や玉子あたり。定番ではないものにロールキャベツや昆布まきなど。地方、エリアによっても種は多様に変わります。関東ではちくわぶやスジ、それに加えて濃口醤油で濃いめの味付け。関西では薄口醤油。石川では赤巻や蟹面という、聞いたことがないようなものもあります。日本中どこにいこうと、どんな素材を使おうと、それらを全てひっくるめて一つの料理にしてしまえる懐の深さが、おでんの底力なのではないかと思うのです。
 
なかでも自分が育った環境で出会ったおでんというものは、自分の記憶と密接に結びつき、自分の人格すら形成してしまいます。子どもの頃は両親のお店がハネてからおでんやに足を運んだ両親の、今日も1日頑張ったねと思う達成感、子どもの晩御飯が遅くなってしまったことに対するちょっとした罪悪感、お店の人間関係がうまくいかないときはその居心地の悪さを整えようというような気持ちがあったかもしれません。さまざまな想いを抱え、その日1日の締めくくりとしておでんに舌鼓をうつその時間。きっとおでんをいただきながら、いろんな感情もそのおでんの器に溶け込んで昇華し、明日への活力に変えていったのかもしれません。
 
 
人生50年も生きてきたのであれば、大きな懐で全てを包み込んで許す場の一つやふたつ、持っていたいものですね。
 
 
《第17章につづく》
 
 

□ライターズプロフィール
ギール里映(READING LIFE編集部公認ライター)

READING LIFE編集部公認ライター、食べかた研究家。京都の老舗料亭3代目として生まれ、現在は東京でイギリス人の夫、息子と3人ぐらし。食べることが好き、が仕事になり、2015年にゼロから起業。現職は食べるトレーニングキッズアカデミー協会の代表を勤める。2019年には書籍「1日5分!子どもの能力を引き出す!最強の食事」、「子どもの才能を引き出す!2ステップレシピ」を出版。/blockquote>
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